昭和生まれの生徒Hくん

sawch

2022年06月20日 07:30



15年ほど前までは私と家庭教師のご家庭との連絡は電話だった。
それもほとんどが家の電話に連絡をした。
これがなかなか大変だった。
一つの予定を変更する場合にところてん式に複数の生徒の予定を変更しなくてはいけない事がある。
皆さんそれぞれの都合があるので簡単にはいかなかった。
その変更を家の電話にするので大変だった。
日中は電話をしても親も生徒も不在だ。
おばあちゃんに伝言を頼んで大失敗したこともあった。
家庭教師の移動の間で公衆電話からかける事が多かった。
時間の余裕が無い中での電話連絡はストレスだった。

「来週の水曜日の予定を木曜日の7時40分からに変更して貰えるかな?」

「ハイ、、、」

たいていの生徒はこれしか言わない。

『大丈夫か?わかってるのか?メモしたか?親に言ったか?』

こちらから依頼した変更とはいえストレスだ。
そもそも変更のきっかけは私ではなく別の生徒の都合による場合がほとんどだ。

「来週は水曜日じゃなくて木曜日の7時40分からですね。わかりました。宜しくお願いします。」

こう答えてくれる生徒が1人だけいた。
今もその生徒とのやり取りを覚えているのでよほど嬉しかったのだろう。

中学生なのに軽トラを運転して、ショベルカーにも乗れた。
自宅の畑でそれらを使って親の手伝いをしていた。

勉強は苦手だった。かなり苦手だった。
Hは水素、Cは炭素といった化学記号を5つ覚えようとしたが10分間真剣に取り組んでもだめだった。

地元高校には入ることが出来ずに松本の私立高校へ入った。
朝は5時台発の電車で通った。

「勉強がわかるようになって嬉しい。英語はレベル別で5クラス中の3番目で、数学は、、」
高校生になった生徒は嬉しそうに話してくれた。
「長野県の色んな所に友達が出来て楽しいです。」
 
その後は普通の会社員になり普通に結婚した。

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