本家の伯父は田んぼを売った。
田んぼが広がる交差点の場所だったが周りには田んぼしかなかった。
「あんなとこ買った人は何するんや?」
「寿司屋にするらしいぞ」
『田んぼの真ん中に寿司屋作ってどうすんねん?』
不思議だった。
寿司屋というよりも流行りのファミレスの様な建物が出来た。
新聞チラシでバイト募集があった。
「たちのお寿司やさんと同じものが安く食べられるお店」とか書いてあった。
良くわからないが皿洗いくらいには雇ってくれると思った。
面接に行くと若い店長がチラシと同じセリフを熱く語った。「吉田君にはお寿司を握って貰います。」と言われて固まった。
おにぎりさえも握った事がなかった。
「しっかり教えるから」と説得された。
25グラムのシャリをつかむ練習を何度もやらされた。
手や体やそこら中がご飯粒だらけになった。
何時間かやると出来る様になった。
他にも何人かバイトがいて、握っている人、バック作業、ホール、等に分かれて練習をしていた。
半日練習すると次はプレオープンとして客の前で寿司を握った。高校生の私はさすがに緊張した。「いらっしゃいませ」とか色々言わされるがそれも恥ずかしかった。
バイトは軍艦とか、玉子とか、カニカマとかノリで巻いてごまかせるものが担当だった。
深夜の1時までの営業だった。
年末の今の時期は物珍しさからか2時間待ちがずっと続いた。私はベルトと呼ばれるレーンの中で6時間立ちっぱなしの日もあった。外へ出る時に膝が笑う経験を初めてした。
そのくらいやるのであっという間に握るのが上手くなった。
余った寿司は持帰り夜中の2時とかに友人宅にまでお裾分けをした。
パジャマ姿の友人の母親に言われた。
「吉田君、困るわ〜こんな時間に持ってきて、おばちゃんまた太るわ〜、山芋うずらも入ってる?」
寿司が回るのを見ながらタバコを吸う客も当たり前だった。
ウェイティングが上手く行かずに客がケンカをしたり、ホールの女の子を叱りつけたり、数台分しかない駐車場でケンカをしたり、皿洗い機が詰まって皿が吹き飛んで割れてしまったり、トイレが詰まったり、シャリが間に合わずに、何もないベルトの中で呆然と立っていて、炊きたてのご飯でやけどしそうになって握ったり、マグロがカチコチでシャリから滑り落ちてばかりだったり、店長が寝坊して来なかったり、暴走族が乗り込んできたり、本業の人が植木のレンタルを申し出て来たり、友人が閉店間際にやって来てわさびをシャリの中に団子にして入れてやったり、「皿はレジに持って行って数えて貰うシステムや」と友人をだましたり、何もかもが楽しかった。
一瞬社員になろうかと思ったくらいだ。
沢山のバイトの女の子達は可愛かったし、、