空港は同世代の学生でいっぱいだった。
多くの人が卒業旅行で海外に行った。
私はヨーロッパフリー20日の卒業旅行だ。
往復の飛行機だけを予約して宿は現地で何とかしようと思った。
「地球の歩き方」というガイドブックを暗記するほど読み返し、それ以外のガイドブックや旅行パンフレットを見てイメージを入れて行き先の計画を建てた。
飛行機はほぼ日本人学生だった。
「機内食に出てくるスプーンなどを持ち帰ると何かと便利だ」とか「ブランケットも便利だ」とかクチコミを信じているやつが多かった。
アラスカのアンカレッジに立ち寄り私たちの飛行機はロンドンを目指した。アンカレッジを飛び立つと行方不明になっている『植村直己さんはこのどこかにいるのだろう』とずっと雪原を眺めた。やがて暗くなるとオーロラが見えて感動した。
ロンドンには早朝に着く予定だ。未明のロンドンを上空から見るとオレンジ色の灯りが連なっていた。『なんと美しいのだろう』と窓に顔を付けて眺めた。写真を撮ろうとしたが上手く撮れない。
感動で手が震えているのか飛行機が小刻みに揺れているのかさえわからない。
巨大な飛行機が着陸するのもワクワクでいっぱいになった。
「サイトシーイング、スリーデイズ、」と何度も暗唱したカタカナ英語で税関を通り抜け、荷物を受け取った。
早朝のロンドンヒースロー空港は薄暗く人が少なかった。
突然不安で震えそうになった。
『そうだ、まずは両替だ。』
用意して来た旅行小切手を両替窓口でポンドに替えた。
地下鉄に乗ってロンドン市街地に来た。
『うわ〜外人ばっかりや。』
2月の早朝のロンドンは薄暗くて美しくなかった。
周りの外人はみんな悪い人の様に見えた。
目つきが鋭くみんなが俺の方を見ている。
めちゃくちゃ緊張していた。
『外人は俺の方や。こんな貧乏くさい学生を狙うやつはおらんから落ち着け、』
と自分を冷静にしようとした。
大阪や京都が地元なのだが当時は外国人を見ることさえ少なくて「外国人コンプレックス」の様なものがありひたすらビビっていた。
「タワーブリッジ、ロンドン塔、大英博物館、グリーンパーク、ウインブルドン」などへ行くのは地下鉄を使った。
乗り放題の切符を買った。
地下鉄は大阪よりも深くて木のエスカレーターもあった。
外が寒い為か地下鉄構内で演奏をしている人がアチコチにいた。
狭い通路を沢山歩く必要があった。
幅が2メートルくらいの狭くて長い通路を歩いていると向こうから2人の黒人がこちらへ向かって歩いている。
2人とも2メートルくらいありそうだ。
『怖い』
ケンカをしても勝てないだろう。
走っても勝てないだろう。
アレコレ言っても通じないだろう。
『引き返そうか』
『イヤ、俺は俺だ。逃げてたまるか』
私は道の真ん中を歩く事を決めた。
彼らはやはり190センチはある。
私の右手と右足は一緒に前後していたかも知れない。
彼らは私とすれ違う時に両サイドに避けた。
『両側から攻撃される』と思った。
1人の男が私が下げる大きなカメラをチラッと見た様な気がした。
同時に彼らは何かを言った。
私に向けてではなくて2人で何かの会話をした。
「こいつ、ええカメラを持ってるな。奪ってしまうか?」
と相談しているに違いないと思った。
本当は何を言っているのか全くわからなかった。
カメラはバッグに入れておけば良かったと後悔した。
すれ違ったあとはダッシュしようと思った。
『走ったら必ず追いかけてくる』と取りやめた。
『クマじゃないのでそれはないやろ』
とは思ったが速足になっていたとは思う。
『勝った』
彼らの足音が聞こえなくなるほど離れたらそう思った。
『地下鉄は危ないからやめておこう』と思った。
宿は「地球の歩き方」のクチコミがあったところへ行った。
インド人らしい主は愛想悪かった。
『インド人だから英語が下手なのか』
いや俺が聞き取れないのでイライラしたのだろう。
地下で窓がなくてジメジメした部屋は寒かった。
さらに問題は食事だった。
「地球の歩き方」にはチップが必要と書いてあり
それが怖くて行けなかった。
きっとメニューは英語だろう。
「英語の成績は5だぞ」
「イヤイヤイヤ、無理」
「今日こそはマクドに行かずにレストランへ行くぞ」
ロンドンの食事はマクドナルドとスーパーで買った硬いパンしか食べなかった。
その3年後に私はドイツで暮らしてロンドンは営業担当地域になった。
英語は相変わらずさっぱりだったが外国人コンプレックスはなくなった。パンクファッションのイギリス人も黒人もインド人も平気だった。
インド人街でカレーの様なものを食べる事が多かった。窓があるホテルに泊まった。地下鉄や二階建てバスや時にはタクシーに乗った。
「あの時はビビっていたな。俺もエラくなったものだ」
『勝った』と思った。
『ロンドンを制覇した』と思った。
写真はここで会った観光客です