日本住血吸虫症
私が生まれる何年か前の事だろう。
大阪の祖父母は愛媛の西の端にある母方の実家への挨拶の為に出かけた。汽車に乗り船に乗り、嫌になるほど汽車に乗って疲れ果てたあと小さな船に乗った。崖が続く荒れる海に揺れる船はとても怖かった。乗っている人は荒っぽくて話す言葉はわからず『海に投げ捨てられるんじゃないか』と怯えたらしい。
英語の祖父母は大阪に挨拶に来た時は財布を取られない様にしっかりと抱きしめていた。大きな建物と沢山の人に驚いて喋る言葉は荒っぽくて怖かった。
この頃の日本には地方病というものがあり、中でも山梨の地方病は人々を悩ませた。体はやせ細り腹だけが出てくるものだ。田んぼやその用水路に住む貝が感染源で起こる病気だとわかり無くなるまで100年ほども人々を苦しめた。
令和の今は日本各地へ行っても言葉は通じる、というよりも年配の人以外はほとんど同じだ。同じチェーン店があり、風景は似通っている。「風情がない」と言えなくもないが先人が様々な困難に打ち勝って住み良い日本にしたのだ。
各地の博物館に行くとそうした歴史がわかる。
興味深く学べるよ。
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