2007年09月12日
出会い
大鹿村へは空のペットボトルをいくつも持って行きました。。。
何処かで湧き水を汲めないか、と考えたのです。
村の人に尋ねて、教えてもらった場所がこの写真です。。。
なかなかいい水が出ていましたよ。。。
冷たくて触れると手がつるつるになるのです。。。
少し甘い気がしました。。。

水が出ているところの上にある家から小父さんが覗いていましたので、声をかけてみました。。
わずかな距離なのに、軽トラにのって降りてきてくれて、色々話をしてくれました。。。
少し足が悪いようです。。。
「はじめて来たのか?」
そういうと水質調査をした成分表のコピーをくださったのです。。。
三人の子供たちが水を汲んで坂道に流して遊ぶ様子を嬉しそうに見ながら
色んな話をしてくださりました。
夏には孫達が戻ってきて賑やかになるが、今はおばあさんと二人で暮らしているとか、
5年前までは蚕を飼っていて、村一番の生産をしていたこともあるとか、
三六災害で田がすべてやられてしまい、その後の区画整理で今のような立派な田になったとか、
静岡辺りからも水を汲みに来る人がいるとか、
お子さんが三人いて、それぞれに三人ずつの子供がいるので、孫が6人、ひ孫もいるとか、
大正生まれで、この家が本家で戦前からここにずっと住んでいるとか、、、
とりとめもなくいろんな話を、、、
自分の父、いやおじいちゃんと話しているような懐かしさでした。。。
ずっと微笑んで、俺の子供たちを見つめてくれる優しいまなざを見ていると、
こちらまで優しくなれるのです。。。
写真を見ると子供たちも優しい表情をしています。。。
みなさんのなかに、、「これ、私の父だわ」という方がいたら面白いですね。

もういちどこの小父さんの家からの風景を撮りました。
大鹿村の大河原という集落を見下ろすいい景色です。。。
左側に見える田はトタンで囲ってるでしょう?
いのししが出るそうです。。
その少し右に大西山と桜の公園も見えます。
右の方には集落と小学校、真ん中には中央構造線博物館とろくべん館も見えます。。。
ろくべん館は有名な大鹿歌舞伎や昔の山の暮らしなど、村の歴史を伝える施設です。

このあたりの家は珍しいつくりなのです。
山の中なのに石垣を綺麗に積んで、その上に木で家を建てています。。。
さらに二階、三階とある立派な家が多いのです。。。
これも小父さんに尋ねてみました。
日本列島を二つに分ける構造線がこの地を通っているので、
土台を安定させるために石垣を作り、
何層にもなっているのは蚕を飼う部屋を作るためだそうです。。。
小父さんは俺達の先生ですね。。。なんでも教えてくれます。。。


青木川と小渋川の合流点です。。。奥のほうに明石岳も見えるのですが、
この日は見えませんでした。。。
天気がいいと夕日で真っ赤に染まった赤石岳が綺麗に見えるいい場所です。。

45年経った今でも災害の爪あとははっきり残っているのです。。。
この崖を前にすると言葉を失ってしまいます。。。
今も時々岩が転がり落ちてきます。。。

河原で遊んでいると突然の雨、、、
そして見上げると虹が、、、
今日は半日だけの小さなたびでしたが、素敵な出会いもあっていい一日でした。

大鹿に来たらぜひ買って欲しいのが、この塩もなかです。。。
もなかなんて、とバカにしていましたが、
地元で採れる山塩を使って上品な甘さに仕上げています。。。
大河原の集落の中心にビガーハウスというみやげ物店兼軽食堂があり、そこで買えます。。。
ちなみに水場のそこで教えていただきました。。。
これ、マジで旨いっす。。。
何処かで湧き水を汲めないか、と考えたのです。
村の人に尋ねて、教えてもらった場所がこの写真です。。。
なかなかいい水が出ていましたよ。。。
冷たくて触れると手がつるつるになるのです。。。
少し甘い気がしました。。。

水が出ているところの上にある家から小父さんが覗いていましたので、声をかけてみました。。
わずかな距離なのに、軽トラにのって降りてきてくれて、色々話をしてくれました。。。
少し足が悪いようです。。。
「はじめて来たのか?」
そういうと水質調査をした成分表のコピーをくださったのです。。。
三人の子供たちが水を汲んで坂道に流して遊ぶ様子を嬉しそうに見ながら
色んな話をしてくださりました。
夏には孫達が戻ってきて賑やかになるが、今はおばあさんと二人で暮らしているとか、
5年前までは蚕を飼っていて、村一番の生産をしていたこともあるとか、
三六災害で田がすべてやられてしまい、その後の区画整理で今のような立派な田になったとか、
静岡辺りからも水を汲みに来る人がいるとか、
お子さんが三人いて、それぞれに三人ずつの子供がいるので、孫が6人、ひ孫もいるとか、
大正生まれで、この家が本家で戦前からここにずっと住んでいるとか、、、
とりとめもなくいろんな話を、、、
自分の父、いやおじいちゃんと話しているような懐かしさでした。。。
ずっと微笑んで、俺の子供たちを見つめてくれる優しいまなざを見ていると、
こちらまで優しくなれるのです。。。
写真を見ると子供たちも優しい表情をしています。。。
みなさんのなかに、、「これ、私の父だわ」という方がいたら面白いですね。

もういちどこの小父さんの家からの風景を撮りました。
大鹿村の大河原という集落を見下ろすいい景色です。。。
左側に見える田はトタンで囲ってるでしょう?
いのししが出るそうです。。
その少し右に大西山と桜の公園も見えます。
右の方には集落と小学校、真ん中には中央構造線博物館とろくべん館も見えます。。。
ろくべん館は有名な大鹿歌舞伎や昔の山の暮らしなど、村の歴史を伝える施設です。

このあたりの家は珍しいつくりなのです。
山の中なのに石垣を綺麗に積んで、その上に木で家を建てています。。。
さらに二階、三階とある立派な家が多いのです。。。
これも小父さんに尋ねてみました。
日本列島を二つに分ける構造線がこの地を通っているので、
土台を安定させるために石垣を作り、
何層にもなっているのは蚕を飼う部屋を作るためだそうです。。。
小父さんは俺達の先生ですね。。。なんでも教えてくれます。。。


青木川と小渋川の合流点です。。。奥のほうに明石岳も見えるのですが、
この日は見えませんでした。。。
天気がいいと夕日で真っ赤に染まった赤石岳が綺麗に見えるいい場所です。。

45年経った今でも災害の爪あとははっきり残っているのです。。。
この崖を前にすると言葉を失ってしまいます。。。
今も時々岩が転がり落ちてきます。。。

河原で遊んでいると突然の雨、、、
そして見上げると虹が、、、
今日は半日だけの小さなたびでしたが、素敵な出会いもあっていい一日でした。

大鹿に来たらぜひ買って欲しいのが、この塩もなかです。。。
もなかなんて、とバカにしていましたが、
地元で採れる山塩を使って上品な甘さに仕上げています。。。
大河原の集落の中心にビガーハウスというみやげ物店兼軽食堂があり、そこで買えます。。。
ちなみに水場のそこで教えていただきました。。。
これ、マジで旨いっす。。。

Posted by sawch at
09:57
│Comments(6)
2007年09月10日
日本一美しい村
日本で最も美しい村」連合の参加町村の紹介
■北海道美瑛町
「丘のまち美瑛」。白一色に覆われた神秘的な冬。新緑が輝く春。農作物の彩りがきれいな夏。空高く紅葉が美しい秋。春夏秋冬それぞれに、豊かな表情を見せてくれる素晴らしいパノラマは、もうドラマやCMなどでもお馴染み。いつでも、絶景の丘を存分に味わえる。
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■北海道赤井川村
山々に囲まれた「カルデラの里」には、豊かな自然と数多くの動植物が生息しています。清流余市川にはヤマベやアユが遊び、雄大な自然を生かした「キロロ・リゾート」は観光客の笑顔であふれ、緑の大地では牛の群れがゆったりと草をはむ。純農村の風景がここに。
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■山形県大蔵村
最上川の中流として栄えた大蔵村。おいしい蕎麦の名産地であり、冬には日本一大きな雪だるまで有名。雰囲気のある旅館、質素ながらも地味豊かであきのこない料理。山間に広がる棚田は、全国棚田百選のひとつ。美しい日本の原風景がある。
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■岐阜県白川村
世界遺産白川郷の合掌造り集落。ドイツの建築家ブルーノ・タウト氏が昭和10年に絶賛した合掌造りの家屋が立ち並ぶ美しい農村集落で、世界的に有名。豊かな森林と田んぼに囲まれ、冬は雪で白く覆われるその姿は、まさに日本の原風景。海外からの観光客も急増中。
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■長野県大鹿村
南アルプスの山麓に位置する山間の村。春は3,000本の桜、夏はヒマラヤの青いケシの花、標高差の生み出す豪快な紅葉と、山々を真っ白に塗り替える白銀の冬…。四季を通じて美しいこの村は、江戸の昔から伝わる大鹿歌舞伎でも有名。
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■熊本県南小国町
火の国熊本「きよらの郷」。バリエーションに富んだ露天風呂が楽しい「黒川温泉」が有名。温泉町独特の風情を存分に味わえる。「オキチモズク」「金毘羅杉」など天然記念物もあり、広々とした高原と筑後川の源流を中心に、大自然を楽しめる。
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長野県木曽町開田高原
どっしりと雄大にそびえる御嶽山の麓に広がる木曽町開田高原。雄大な自然が融合した美しい農村景観が広がり、希少な在来種「木曽馬」がのびのびと暮らす日本のふるさと。また、全国ブランドの「開田そば」や「御嶽はくさい」、「すんき漬け」でも有名
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宮崎県高原町
天孫降臨(神々の舞い降りた)の地として名高い霧島連峰の「高千穂峰」。山麓にある「御池」周辺は全国でも数少ない環境省指定の「野鳥の森」があり、多くの野鳥が飛来する。萩の神楽と祓川神楽は33番ある舞の随所に「真剣」が使用され、その舞は勇壮である。
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■徳島県上勝町
「いっきゅうと彩の里・かみかつ」は、一年中、日本の料理を彩る町。春は梅、桃、桜が爛漫に、夏は鮎とあめごの両女王が渓流を賑わせ、秋の殿川内渓谷は紅葉で名高い。また、等高線を描く樫原の棚田は絶景。古き良き日本の風景と月ヶ谷温泉の弘法大師ゆかりの湯で心身のすべてを満喫。
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「日本で最も美しい村連合」の活動
「日本で最も美しい村」の名称の使用権の管理に関すること
この連合に加入した自治体の自立・発展のために、相互の経験や研究を共有しあう場所を提供すること
日本で最も美しい村」の計画的な保全を行い、経済的価値を高め、社会的発展を促すこと
地域の魅力を発信し、交流人口の増加による地域経済の発展を推進すること
町や村の現状について多くの国民に理解を求め、また、その地域ならではの景観や財産を後世に引き継ぐ必要性についての世論を高めるための広報活動を行うこと
徳島県上勝町のページより
このうちの大鹿村は我が家から車で一時間くらいの場所にある。
俺のイメージとしては南アルプスの麓で、いくつもの川が集まる村、
そして谷あいにあって、行き止まりの村。。
まずは天竜川に注ぐ小渋川に作られた小渋ダム。。。
結構大きいですよね。。。

台風の後なので、かなりの放水がありますね。。。
上から見ると怖いです。。。

展示スペースがあって、中は誰もいません。
しかしエアコンがガンガンと、、、さすが中部電力です。。
子供たちはパソコンゲームで遊んでいます。。

これは小渋ダム付近の流木を削って作った作品だそうです。
なになに、、テレビチャンピオンチェーンソーアート選手権優勝者、、すごい!!
なるほど、趣が沸いてきました。肩書きに弱い俺です。(笑)

昭和36年の三六災害で右手の大西山が崩れ左手の木が植わっている部分に流れたのです。
そっくりそのまま崩れて流れたそうです。
大勢の方が家ごと流され、今も発見されていない方もいるのです。。。
その荒地の上に地元の方が何年もかけて桜を植えたのが左の方の木の部分です。
春には桜祭りで賑わいます。

下はその体験者の方の記事です。
あのときお世話になった方々のご恩は忘れません
下伊那郡大鹿村 S.Iさん(当時 38歳・保育士)
あの頃、私は村の保育所に勤めていました。春から秋にかけての農繁期、役場ではバスで子供たちを集めてその保育所で面倒を見てあげることにしていたのです。保育所は6月27日から大雨のため休みでしたので、私は子供たちの大切な資料を持ちかえり、家にいました。29日は雨がやんで晴れ間が見えていましたので、今のうちに炊事用の灯油を買いにいこうと私は家を出、農協に向かいました。家には主人と子供たちが残っていました。
灯油を買って家に戻る途中です。目の前の大西山が、屏風が倒れるように水煙を上げて落ちてきました。私は子供の頃、大西山には仙人が住んでいるから、あの山は悪いことはしないと年寄りから聞いていました。その大西山がまるで怒りにかられたように石も土も一斉に吐き出しているんです。何が何だかわからずに、私はとにかく家に帰ろうと道を急ぎました。
途中、急きょ招集を受けたであろう村の議員さんたちが駆け上がってくるのが見えました。彼らは口々に「早く上へ逃げろ」と叫んでいます。私は慌てて山のほうへと逃げ、田んぼに飛びこんだのです。そうしている間にも、土砂は対岸のこちらまでやすやすと押し寄せてきます。足は田のぬかるんだ土に捕らえられて動けません。まず、買ってきたばかりの灯油を捨てました。それから、これは借り物だからと離さずにいた傘を手放しました。
ほうほうのていで一命を取りとめ、正気に戻ったときに、私たちの家が跡形もなく流されてしまっていました。「うちがなくなっちゃった」。呆然とした私ですが、家族がどうなったか心配でなりません。本家にたどりついて主人と子供の顔を見たとき、ほっとして体の力が抜けていくのを感じました。
一つの集落が壊滅し、着の身着のままの私たちを勇気づけてくださったのは、山手の集落の人たちです。高いところで米が思うようにつくれないにもかかわらず、大切にしまっておいた豆やイモや麦や炭を惜しげもなく使って、中には、なけなしの砂糖も持ち出し、私たち家族を食べさせてくれました。人間の優しさをこれほど感じたことはありません。人の助け合いの大切さを心から感じたことはありませんでした。いまでもあのときのことを思うと涙が出ます。
あの災害のとき、私は妹を亡くしました。妹も逃げようとしたのですが、逃げきる体力がなかったのでしょう。あの大量の土砂と水にのまれてしまいました。災害にあって助かるかどうかは運もあります。しかし、逃げきろうと必死になるとき、「生」に執着する体力も大事だと痛感しました。
そして今思うと、大西山の崩壊には私たち村人の責任もあったかもしれません。なるべく田を広げようと、小渋の流れを山のほうに山のほうに押しやっていったのは人間ですから。水の流れは知らないうちに大西山の土台を削っていたのでしょう。
教訓
伝えたいこと ◆惜しげもない援助はとてもありがたかった。人の助け合いの大切さを心から感じた。
◆山地の崩壊には、むやみに地形を変えようとした住民の責任もあるのではないか。

この花はどうして通路のど真ん中に生えているのでしょう??
人の営みなど関係なく花は存在するのですね。
そんな花に人々は心を癒されてきたのですね。。。
また来年もたくさんの桜の花が大西公園を彩り、多くの地元の方を癒してくれるのでしょう。
しかしあの日の事を思い起こさせるいい機会であるのかもしれません。
Posted by sawch at
15:17
│Comments(4)
2007年09月07日
南アルプス 百々目木川
やっと、この記事を載せる順番が来ました。
早くしないと台風とともに夏が終わってしまいますよね。。。
8月12日、上の二人は妻の実家で不在なので、三男とともに川遊び。
駒ヶ根市内の南アルプス側にある、百々目木川へ、、、、
さてこの川の名前を読める方はいらっしゃいますか??
ココは南アルプスを流れていますが、中央アルプス側のように天竜川へ一直線に流れるのではなく、
くねくねと流れていますので、やや水がぬるいです。
そのため市内の保育園もバスで遊びにやって来るのです。水がとても綺麗でしょう?
もともと川には下りる場所がなかったのですが、地元の小父さんが整備されていまでは
楽しい水遊び場所になりました。。。
恐る恐る滝に近づく三男です。
ちなみに春には小父さんが植えた花桃がいっぱいです。
http://blogs.yahoo.co.jp/sawch4312/18516374.html
高速シャッターで滝を写してみました。。。
水は面白い形になるのですね。
深いところでは泳げない三男です。笑ってごまかす?
その小父さんが食堂をやっています。
触れた水着のままなので、外の小屋の脇でラーメンを頂きました、素朴な味です。
水遊びには最高でしたよ。
水てっぽうでかけまくり、、いやかけられまくり、、、勝者は父でした。(笑)
カニも自分で見つけて捕まえてました。。。
三男にとってはお兄ちゃん達がいなくてちょっと物足りない様子でしたが、
それでも楽しい一日だったと思います。。






早くしないと台風とともに夏が終わってしまいますよね。。。
8月12日、上の二人は妻の実家で不在なので、三男とともに川遊び。
駒ヶ根市内の南アルプス側にある、百々目木川へ、、、、
さてこの川の名前を読める方はいらっしゃいますか??
ココは南アルプスを流れていますが、中央アルプス側のように天竜川へ一直線に流れるのではなく、
くねくねと流れていますので、やや水がぬるいです。
そのため市内の保育園もバスで遊びにやって来るのです。水がとても綺麗でしょう?
もともと川には下りる場所がなかったのですが、地元の小父さんが整備されていまでは
楽しい水遊び場所になりました。。。
恐る恐る滝に近づく三男です。
ちなみに春には小父さんが植えた花桃がいっぱいです。
http://blogs.yahoo.co.jp/sawch4312/18516374.html
高速シャッターで滝を写してみました。。。
水は面白い形になるのですね。
深いところでは泳げない三男です。笑ってごまかす?
その小父さんが食堂をやっています。
触れた水着のままなので、外の小屋の脇でラーメンを頂きました、素朴な味です。
水遊びには最高でしたよ。
水てっぽうでかけまくり、、いやかけられまくり、、、勝者は父でした。(笑)
カニも自分で見つけて捕まえてました。。。
三男にとってはお兄ちゃん達がいなくてちょっと物足りない様子でしたが、
それでも楽しい一日だったと思います。。







Posted by sawch at
12:00
│Comments(2)
2007年09月06日
受験生になったK君
春になりK君も受験生に、、、
俺は憂鬱です。。
どうしたらこの子にあの難しい受験問題を解かせることが出来るのか??
二年生までは一問一答のような単純な問題ばかり、しかも出るところは限定されています。
三年になると範囲が広くなり、ちょっとした勉強では対応できません。
しかも問題が複雑で、文章の読解力がないと意味が理解できずに答えられないのです。
家庭教師は週二回から三回に増やしていただいて、じっくりと対応しました。
彼の父親は学校の先生。。。夜遅くに熱心に教えているようです。。。
ただ、やったのを見ると、教えている内容が難しく、(ていうか標準問題)K君には理解できない様子。
もちろんこのくらいの問題が出来ないといけないのですが、
勉強は80%以上はわかる内容をやって、初めて残りの20%を考えるゆとりが出来、
点数も伸びるのです。
50%しかわからない内容では一気に残りの50%を身につけることは不可能で、
結局、何も身につきません。
それをお父さんに説明して、理解してもらうのも大変でした。。何せ相手は学校の先生。
プライドも自信もあるはずですから、、、
そしてしばらく、、初めのころのテストの結果は予想通り燦燦たるもの、、、
落ち込む母、難しい問題をやったほうがいいのではと悩む父、
「私の言うことよりその方が良いと思われるのなら、ご自身ですべて教えてください」
そこまで言って、父親には納得してもらったけど、自分にプレッシャーをかけた俺、、、
「俺より下が何人いる」
のんびりしているK君。。
かなりきつかった。。。
数学は簡単な計算、社会、理科は基本の用語の暗記、英語は文法の基礎、国語は漢字と簡単な読解。
ひたすらそれを繰り返す毎日、、、
お父さんともリンクが出来てきた。
それまでは社会の簡単な一ページを覚えるのに時間がかかり、忘れるのは早かった。。
しかし少しずつその割合が変わってきた。。。
やはり頭も鍛えると良くなるんだ。。。そう実感できた。。。
点数は上がりはしないものの、テストが難しくなってきても下がりはしなかった。。
実質は上がっているのと同じだ。
志望校をどうするか??
公立をあきらめて、私立の入りやすいところにするのか。。。
しかしこの辺りには学校がなく、かなり遠くまだ通わないといけない。。。
「朝早く起きて、通うことができるだろうか?」
母親の心配が起こる。
地域の一番下の公立校。。。
そこには行かせたくない父親の理由がある。。。それはココでは書けないが、、、
となると、目指す学校は一つ。。
そこは下位校ではあるが、普通の学力の生徒がちょっとサボったくらいのレベルである。。。
K君にはかなりきつい壁だ。。。
K君のすごいところは無理やりでもやらされればやる事が出来るというところだ。。。
両親、K君と相談し、とにかく時間をかけて量をこなすことにした。。。
宿題をたくさん出し、基本を徹底した。。同じところを何度も、、
夜中までお父さんともがんばってくれた。。。
点数は相変わらず、落ちはしない。。。上がりもしないが、、、
テストが難しくなり、ほかの子が落ちてくる。。。
何度もくじけそうになった彼を叱り飛ばした、、、
「負けるな!悔しい気持ちを持て! 人並みには出来るんだから!」
三歩進んで、下がるのが二歩で済むようになった。時には一歩で済む事もあった。
それでも最後まで俺も心配だった。。。
あとは受験の駆け引きだ、、、志望校を貫き通すのか、あきらめるのか?
ほかの子があきらめてくれると、可能性が上がる。。。
しかし粘りすぎてタイミングを失うとどこにも受からないという危険もある。。。
「やることはやった。出来ない問題はほっとけ!出来る問題だけやれば○○点は取れる、
それで受かる、、、色気は出すな、、、出来る問題を確実に、、、」
そしていよいよ受験。
見事志望校に合格。。。
「障がいのある子が実力で普通の公立高校の○○高校に受かるでしょうか。。。
あったとしてももう治ったんだ。
理解力、記憶力、ともに著しく改善している。もっと自信を持って、、、」
お母さんにはそう話した。
人それぞれ、努力すれば改善されるのだということをK君から学んだ。。
まずは自分を見つめて、出来ることから少しずつやれば彼のように結果がついてくる。。。
さて、今は高二になったK君。成績はあまり芳しくはないが、何とか進級も出来、
ぎりぎりついていっているそうだ。
友達も何人かいて、ごく普通の高校生だ。
今、医者に診てもらっても、障がいがあるとは言われないだろうと思う。。。
ダムを見つめていた母親のことなんか、彼は覚えていないかもしれない。
そんなことは覚えている必要もないだろう。
俺は憂鬱です。。
どうしたらこの子にあの難しい受験問題を解かせることが出来るのか??
二年生までは一問一答のような単純な問題ばかり、しかも出るところは限定されています。
三年になると範囲が広くなり、ちょっとした勉強では対応できません。
しかも問題が複雑で、文章の読解力がないと意味が理解できずに答えられないのです。
家庭教師は週二回から三回に増やしていただいて、じっくりと対応しました。
彼の父親は学校の先生。。。夜遅くに熱心に教えているようです。。。
ただ、やったのを見ると、教えている内容が難しく、(ていうか標準問題)K君には理解できない様子。
もちろんこのくらいの問題が出来ないといけないのですが、
勉強は80%以上はわかる内容をやって、初めて残りの20%を考えるゆとりが出来、
点数も伸びるのです。
50%しかわからない内容では一気に残りの50%を身につけることは不可能で、
結局、何も身につきません。
それをお父さんに説明して、理解してもらうのも大変でした。。何せ相手は学校の先生。
プライドも自信もあるはずですから、、、
そしてしばらく、、初めのころのテストの結果は予想通り燦燦たるもの、、、
落ち込む母、難しい問題をやったほうがいいのではと悩む父、
「私の言うことよりその方が良いと思われるのなら、ご自身ですべて教えてください」
そこまで言って、父親には納得してもらったけど、自分にプレッシャーをかけた俺、、、
「俺より下が何人いる」
のんびりしているK君。。
かなりきつかった。。。
数学は簡単な計算、社会、理科は基本の用語の暗記、英語は文法の基礎、国語は漢字と簡単な読解。
ひたすらそれを繰り返す毎日、、、
お父さんともリンクが出来てきた。
それまでは社会の簡単な一ページを覚えるのに時間がかかり、忘れるのは早かった。。
しかし少しずつその割合が変わってきた。。。
やはり頭も鍛えると良くなるんだ。。。そう実感できた。。。
点数は上がりはしないものの、テストが難しくなってきても下がりはしなかった。。
実質は上がっているのと同じだ。
志望校をどうするか??
公立をあきらめて、私立の入りやすいところにするのか。。。
しかしこの辺りには学校がなく、かなり遠くまだ通わないといけない。。。
「朝早く起きて、通うことができるだろうか?」
母親の心配が起こる。
地域の一番下の公立校。。。
そこには行かせたくない父親の理由がある。。。それはココでは書けないが、、、
となると、目指す学校は一つ。。
そこは下位校ではあるが、普通の学力の生徒がちょっとサボったくらいのレベルである。。。
K君にはかなりきつい壁だ。。。
K君のすごいところは無理やりでもやらされればやる事が出来るというところだ。。。
両親、K君と相談し、とにかく時間をかけて量をこなすことにした。。。
宿題をたくさん出し、基本を徹底した。。同じところを何度も、、
夜中までお父さんともがんばってくれた。。。
点数は相変わらず、落ちはしない。。。上がりもしないが、、、
テストが難しくなり、ほかの子が落ちてくる。。。
何度もくじけそうになった彼を叱り飛ばした、、、
「負けるな!悔しい気持ちを持て! 人並みには出来るんだから!」
三歩進んで、下がるのが二歩で済むようになった。時には一歩で済む事もあった。
それでも最後まで俺も心配だった。。。
あとは受験の駆け引きだ、、、志望校を貫き通すのか、あきらめるのか?
ほかの子があきらめてくれると、可能性が上がる。。。
しかし粘りすぎてタイミングを失うとどこにも受からないという危険もある。。。
「やることはやった。出来ない問題はほっとけ!出来る問題だけやれば○○点は取れる、
それで受かる、、、色気は出すな、、、出来る問題を確実に、、、」
そしていよいよ受験。
見事志望校に合格。。。
「障がいのある子が実力で普通の公立高校の○○高校に受かるでしょうか。。。
あったとしてももう治ったんだ。
理解力、記憶力、ともに著しく改善している。もっと自信を持って、、、」
お母さんにはそう話した。
人それぞれ、努力すれば改善されるのだということをK君から学んだ。。
まずは自分を見つめて、出来ることから少しずつやれば彼のように結果がついてくる。。。
さて、今は高二になったK君。成績はあまり芳しくはないが、何とか進級も出来、
ぎりぎりついていっているそうだ。
友達も何人かいて、ごく普通の高校生だ。
今、医者に診てもらっても、障がいがあるとは言われないだろうと思う。。。
ダムを見つめていた母親のことなんか、彼は覚えていないかもしれない。
そんなことは覚えている必要もないだろう。
Posted by sawch at
07:13
│Comments(4)
2007年09月02日
家庭教師とK君
バドミントンクラブのお母さん達との雑談中です。
怪談話に花が咲いていました。。。
「あそこのダムって、出るので有名だよね。よく自殺者がいるもんね~」
「うそ~~?こわ~~い」
そこでK君のお母さんがポツリ、、、
「むかしKが小さい時、一緒にそのダムへ行って、そこから飛び込もうか、と思った事があるの」
一同、カチンコチン。。
K君は学習障害、多動症など、4つの障がいが少しずつ入っていると診断されたらしい。
4年生の頃はK君と遊んだ子までが仲間はずれにされたとか。。。
お母さんとの付き合いもあって、そんなK君を中二から指導することになった。
普通に話す、明るくて、ちょっと幼い子です。バレーボール部の補欠です。
もちろん普通教室にいます。全く普通の子です。
ただ勉強を見て愕然としました。
英語のノートには見たことも無いアルファベットが並んでいるのです。
しかもそれに、自分で○をつけているのです。。。
どうして、それが正解なのか??
数学は円の面積と円周の求め方を何度やっても理解できません。
『これは大変だ、、』
二年後の受験が頭をよぎりました。
『公立高校に入れることが出来るだろうか?』
さらにK君に
「さて、答えは?」
と質問すると、まったく間をおかずに答えるのです。
もちろん答えはでたらめです。
ノートを見て、
「そこは違うよ」
というとすぐに消してしまうのです。
「消さずに、自分で間違いを見つけないと」
と言うのですが、習慣的にすぐに消してしまうのです。
きっと、これまでの経験で、
すぐに答えないとバカにされる、
すぐに消さないとバカにされる、、
その想いがK君の行動に表れているのです。
もちろん勉強は三歩進んで二歩下がる、いやひどい時は四歩下がることも、、、
そのくせ、
「クラスの友だちは数学、俺より悪くて先生に叱られてた」
などと、言い訳のような、他人事のような話ばかり、、、
まずはそこらから直して、正面から向き合わせないと、、、
ある日、問題をやらせている途中で、俺がトイレに立ったのです。。。
戻ってくるとすべての問題が終わっていました。
もちろん全問正解。。そばに解答を置いたままだったのです。
俺は彼を叱らずにお母さんに報告しました。
「彼はみんなの中でいじめられ、バカにされ、こうしないといられなかったのでしょう」
「これはしかっては駄目。でも、直させないと」
俺は答えを横において問題を解かせました。
「見て書いてもいい。でも問題を自分のものにしないといけないから、何度でもやって、最後は見ずに書
ける様にしろ。」
隠れて答えを写しても、結局は自分が覚えるまで何度もやらされるんだ、と理解させました。
ただ、一日に出来ることは多くはありません。ゆっくりしかすすめません。
K君の根気と俺の根気が持つかどうかも心配です。。特に俺のほうの(笑)
続く
怪談話に花が咲いていました。。。
「あそこのダムって、出るので有名だよね。よく自殺者がいるもんね~」
「うそ~~?こわ~~い」
そこでK君のお母さんがポツリ、、、
「むかしKが小さい時、一緒にそのダムへ行って、そこから飛び込もうか、と思った事があるの」
一同、カチンコチン。。
K君は学習障害、多動症など、4つの障がいが少しずつ入っていると診断されたらしい。
4年生の頃はK君と遊んだ子までが仲間はずれにされたとか。。。
お母さんとの付き合いもあって、そんなK君を中二から指導することになった。
普通に話す、明るくて、ちょっと幼い子です。バレーボール部の補欠です。
もちろん普通教室にいます。全く普通の子です。
ただ勉強を見て愕然としました。
英語のノートには見たことも無いアルファベットが並んでいるのです。
しかもそれに、自分で○をつけているのです。。。
どうして、それが正解なのか??
数学は円の面積と円周の求め方を何度やっても理解できません。
『これは大変だ、、』
二年後の受験が頭をよぎりました。
『公立高校に入れることが出来るだろうか?』
さらにK君に
「さて、答えは?」
と質問すると、まったく間をおかずに答えるのです。
もちろん答えはでたらめです。
ノートを見て、
「そこは違うよ」
というとすぐに消してしまうのです。
「消さずに、自分で間違いを見つけないと」
と言うのですが、習慣的にすぐに消してしまうのです。
きっと、これまでの経験で、
すぐに答えないとバカにされる、
すぐに消さないとバカにされる、、
その想いがK君の行動に表れているのです。
もちろん勉強は三歩進んで二歩下がる、いやひどい時は四歩下がることも、、、
そのくせ、
「クラスの友だちは数学、俺より悪くて先生に叱られてた」
などと、言い訳のような、他人事のような話ばかり、、、
まずはそこらから直して、正面から向き合わせないと、、、
ある日、問題をやらせている途中で、俺がトイレに立ったのです。。。
戻ってくるとすべての問題が終わっていました。
もちろん全問正解。。そばに解答を置いたままだったのです。
俺は彼を叱らずにお母さんに報告しました。
「彼はみんなの中でいじめられ、バカにされ、こうしないといられなかったのでしょう」
「これはしかっては駄目。でも、直させないと」
俺は答えを横において問題を解かせました。
「見て書いてもいい。でも問題を自分のものにしないといけないから、何度でもやって、最後は見ずに書
ける様にしろ。」
隠れて答えを写しても、結局は自分が覚えるまで何度もやらされるんだ、と理解させました。
ただ、一日に出来ることは多くはありません。ゆっくりしかすすめません。
K君の根気と俺の根気が持つかどうかも心配です。。特に俺のほうの(笑)
続く
Posted by sawch at
23:35
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2007年09月01日
憂鬱な話
九月になりました。
ココ信州は昼間外に出ると暑いものの、風はさわやか。
しかしテレビのニュースは相変わらず暗くなる話ばかり、、、
中でも憂鬱な気分になるのが、奈良の橿原での産婦人科に受け入れてもらえなかった話。
その女性はずっと救急車の中で、さぞ苦しくて辛かったことだろうと思うのです。
橿原ってそんなに田舎じゃないですよ。
それにすぐ近くに奈良市もあるのです。
驚いたことに大阪府北部全域で断られたようですね。
その地域には数百万の方が住んでいるのです。
それで、どこも受け入れてくれないなんて、、、
タイミングが悪いと日本中のどこでも受け入れてくれないということになりますよね。
特別な田舎だとか、特別な患者だとかいう事ではないですよね。
駒ヶ根市の大きな総合病院も4月からはお産を取りやめるそうです。
三男はそこで生まれました。
Ⅰターンに際して、しっかりした病院があるという事が重要で、
その病院の存在が大きかったのに、、
少子化が問題になっているのに、どうしてこうなるのだろう?
多くの人が必死に勉強して、医師を目指しているのに、
どうしてこうなるのだろう。。。??
大都会にいても普通にお産が出来ないなんて、どうしたらいいのだろう??
どう考えても釈然としません。
その方と亡くなった命が不憫でなりません。。。
一体責任はどこにあるのでしょう??以前にも同じ事がありました。
何百万人もの人がいて、誰も赤ちゃんを取り上げることが出来なかったのでしょうか??
信じられない気持ちでいっぱいです。。。
ココ信州は昼間外に出ると暑いものの、風はさわやか。
しかしテレビのニュースは相変わらず暗くなる話ばかり、、、
中でも憂鬱な気分になるのが、奈良の橿原での産婦人科に受け入れてもらえなかった話。
その女性はずっと救急車の中で、さぞ苦しくて辛かったことだろうと思うのです。
橿原ってそんなに田舎じゃないですよ。
それにすぐ近くに奈良市もあるのです。
驚いたことに大阪府北部全域で断られたようですね。
その地域には数百万の方が住んでいるのです。
それで、どこも受け入れてくれないなんて、、、
タイミングが悪いと日本中のどこでも受け入れてくれないということになりますよね。
特別な田舎だとか、特別な患者だとかいう事ではないですよね。
駒ヶ根市の大きな総合病院も4月からはお産を取りやめるそうです。
三男はそこで生まれました。
Ⅰターンに際して、しっかりした病院があるという事が重要で、
その病院の存在が大きかったのに、、
少子化が問題になっているのに、どうしてこうなるのだろう?
多くの人が必死に勉強して、医師を目指しているのに、
どうしてこうなるのだろう。。。??
大都会にいても普通にお産が出来ないなんて、どうしたらいいのだろう??
どう考えても釈然としません。
その方と亡くなった命が不憫でなりません。。。
一体責任はどこにあるのでしょう??以前にも同じ事がありました。
何百万人もの人がいて、誰も赤ちゃんを取り上げることが出来なかったのでしょうか??
信じられない気持ちでいっぱいです。。。
Posted by sawch at
15:26
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