2023年08月31日
松川のおじいちゃん
松川町の天竜川の東側の山道を歩いた。
時々車が通るが家や畑さえも少ない山道を5キロ程上った。
地図を見ると夕陽が見える丘の様に書いてある場所があった。景色が良いのだろうと思いそこを目指して歩いた。
丘の手前の急坂には何軒かの家がある。
前を人が歩いているのが見えた。
年配の男性の様だ。
丘には小さな公園があったがそこに着く時にはほぼ同時になってしまった。
その男性は少し驚いた様だったが挨拶を交わすと雑談に応じてくれた。
「木が伸びちゃってよく見えなくなった。」
私が歩き始めた下の集落辺りが昔は見えていたのだろう。
「年を取ると大変な事ばかりで10月24日に検査で病院に行かないといけない。」
「細かな日にちまで良く覚えてますね。」
「他にする事が無いからな。」
「朝は5時から畑をやって暑い中は何にもしない。」
「医者が歩けと言うから歩いてる。」
「坂道をしっかりと歩いてましたね。」
「病院まで遠いでしょう?」
「免許を警察に返したから車を呼ばないけない。」
「片道500円かかるから行って帰ってで1000円かかる。」
「こうやって座ると痛い。」
そう言って自分の尻を軽く叩く。
「筋肉が何にも無いから痛い。」
「10時になったから行く。」
時計を見ると10時ぴったりだ。
亡くなった私の父親と同じ位に生まれた人だと思った。
しっかりとヨボヨボのおじいちゃんになっている。
『父親もヨボヨボになるまで生きて欲しかった。生きるのも辛そうだけど。』
帰り道歩いているとあちこちにバス停があった。
3月でバスは無くなり電話で呼ぶタクシーの様なものの電話番号が書いてあった。
何軒もの立派な農家があったが空き家の方が多い。
あと何年かしたら誰もいなくなってしまうかも知れない。
時々車が通るが家や畑さえも少ない山道を5キロ程上った。
地図を見ると夕陽が見える丘の様に書いてある場所があった。景色が良いのだろうと思いそこを目指して歩いた。
丘の手前の急坂には何軒かの家がある。
前を人が歩いているのが見えた。
年配の男性の様だ。
丘には小さな公園があったがそこに着く時にはほぼ同時になってしまった。
その男性は少し驚いた様だったが挨拶を交わすと雑談に応じてくれた。
「木が伸びちゃってよく見えなくなった。」
私が歩き始めた下の集落辺りが昔は見えていたのだろう。
「年を取ると大変な事ばかりで10月24日に検査で病院に行かないといけない。」
「細かな日にちまで良く覚えてますね。」
「他にする事が無いからな。」
「朝は5時から畑をやって暑い中は何にもしない。」
「医者が歩けと言うから歩いてる。」
「坂道をしっかりと歩いてましたね。」
「病院まで遠いでしょう?」
「免許を警察に返したから車を呼ばないけない。」
「片道500円かかるから行って帰ってで1000円かかる。」
「こうやって座ると痛い。」
そう言って自分の尻を軽く叩く。
「筋肉が何にも無いから痛い。」
「10時になったから行く。」
時計を見ると10時ぴったりだ。
亡くなった私の父親と同じ位に生まれた人だと思った。
しっかりとヨボヨボのおじいちゃんになっている。
『父親もヨボヨボになるまで生きて欲しかった。生きるのも辛そうだけど。』
帰り道歩いているとあちこちにバス停があった。
3月でバスは無くなり電話で呼ぶタクシーの様なものの電話番号が書いてあった。
何軒もの立派な農家があったが空き家の方が多い。
あと何年かしたら誰もいなくなってしまうかも知れない。

2023年08月30日
勉強が苦手なのは親の責任だ

過激なタイトルで失礼します。
このタイトルは正しいと思う。
25年位に渡って子供に勉強を教えてきてかつ、親御さんとも関わって来た中でそう思う。
衝撃的だが子供の学力は親からの遺伝が半分以上もあるという研究結果が出ている。
以前私は『遺伝ではなくて環境』と思っていた。
兄弟姉妹で学力に大きな差が出ている事があるからだ。
その差は残りの半分弱である環境が影響している。
たまたま当たった学校の先生や友人の影響という事だろう。
遺伝という部分でも親の責任だと言うしかない。
小さな頃に親が本を読んで上げたり勉強を教えたしたかどうかが大きい。
私自身も覚えがある。
保育園だったので園では読み書きを教えない。
そんな中で母は保育園からの絵本をいつも読んでくれた。私は文字に興味を持つようになりやがて読める様になった。
今では小学校に入る前に読める事は特別ではない。
しかし当時の大阪の保育園では全く教えなかったので読める子はいなかった。
『俺は天才!』1人だけ文字が読める事でそう誤解した俺は自信満々で小学校に上がった。
「医者の子は頭が良い。」何となく定説になっている。
遺伝もあるのだろう。
家庭教師の生徒にも何人かいたが皆さんとても熱心に教えている。
特に小学校位までは教えている。
図鑑が沢山ある。
知育玩具が沢山ある。
囲碁や将棋がある場合もある。
忙しい時間の合間に医者である親が教えている。
「うちの子は頑張っているけど伸びない。」
「勉強の仕方がわかってない。」
「うちの子は勉強が苦手なんです。」
色々と話す親がいるがまずは自分の責任だと自覚してから言って欲しい。
そうすれば対峙の仕方が変わり良い方向へ進む。
中学生になれば手遅れな感じもする。
しかし出来る事をするしかない。
中学生に教えるのは無理だろう。
もはやどうしようもない。
親の責任だから苦手なのは仕方がない。
せめて受験生として全力で頑張る事を応援しよう。
そう思えば結果ばかりを口にする事は出来ないだろう。
中学生年代への関わり方が悪くてますます勉強が苦手な人にしている親さえもいる。
今から出来る親の関わり方を学んで欲しい。
2023年08月29日
バスケットボール

膝まで隠れるような長い短パンに足首まで隠れるような長いシューズ、タンクトップのを着ると身体が大きく見える。
そんな少し大きな選手がノッシノッシとジョギングの様にゆっくりと走って攻防を繰り返す。
180センチ位の一番大きなヤツはゴール下で仁王立ちしている。
シュートを決めても外しても次は守備に戻らなくてはいけない。
みんながノッシノッシとジョギングしている。
狭い様で広いコートをしばらく走ると腰に手をやり肩で息をするヤツが多い。
スピードやテクニックや闘志は感じられない。
中学や高校の部活動でのバスケットボールはそんなイメージだった。
テレビで見るワールドカップは全く別だった。
2メートルを超える選手がダッシュしている。
身体を盾にして相手のダッシュを必死に止めている。
身体や目線を逆にするなどで相手を欺いてドリブルを仕掛ける。
ゴールの上を飛んで来たボールを叩き出す。
それをさせまいと他の選手がジャンプする。
身体がぶつかって硬い木の床に叩きつけられる。
それでもすぐに起き上がりダッシュする。
190センチ位の小柄な選手はネズミの様なスビードでクルクル回っている。
170センチ位の選手が2メートルの選手の壁の隙間を駆け抜けていく。
いくら走ってもいくら転んでもどの選手も息が切れない。
『何やこれは?』
どうせ退屈だろうと何気なく見たテレビのバスケットボールの面白さに驚いた。
負けてしまったドイツとの試合で興奮した。
フィンランドとの試合では日本代表の諦めない心に感動した。
泣いている観客が多かったのもわかる。
今日はオーストラリアとの試合だ。
スボーツは見ているだけでも面白い。
中学生の皆さんは是非見ましょう!
2023年08月27日
俺は運動神経は良かったがバカだった

小学校の修学旅行や臨海学校等は夜は寝ずに遊ぶのが当たり前だった。
女子の所へ行ってお喋りをするのが楽しみだった。
中学も高校も同じだった。
高校生の夏の合宿も同じのつもりだった。
しかし女子の部屋へ向かう廊下は夜になると防火扉の様な大きな金属の扉を閉められていた。
何とかしようと窓から女子の部屋の方を見て考えた。
二階の部屋から外へ出てみようと思った。
なんと玄関の鍵は閉められていた。
必死に考えた。
二階から雨水を通すパイプを伝って下へ下りて外へ出れば何とかなるかもと思った。
その作戦を仲間に伝えた。
怖気づいて誰も乗って来ない。
身の軽いヤツを無理矢理誘った。
思った程大したこともなくパイプを伝って地上におりた。
そしてまた簡単に女子の部屋の窓へと上った。
まるで忍者の様だと自分でも思った。
仲の良い女子達と楽しい時間が過ごせると思った。
ところが女子達は円になって座り正座をしている子もいれば泣いている子もいた。
そこへ「こんばんは~」と忍者の様に窓から入って来た我々二人。
とても気まずい空気は一瞬で判った。
「合宿なのに気持ちが入っていない。」
部長がそんな風に怒っていた。
「吉田君達は何しに来たん?」
一喝された。
二人はスゴスゴと落ち武者の様に部屋に戻った。
「あいつら何で夜まで真面目なん?」
「楽しくやればええのに」
我々二人はブツブツ話した。
女子の部長は俺と同じクラスだった。
彼女は卒業すると間もなく俺たちの先輩と結婚した。
高校生の頃には付き合っている事も知らなかった。
きっとあの日の夜も俺たちには一喝して他の女子には説教をしたくせに先輩と二人で仲良ししていたに違いない!
2023年08月25日
運は自分で掴むもの

15年前だが考えられない様な些細な事で脚を骨折した。
救急車で病院に運ばれて手術をしなくてはいけないと告げられた。
この世が終わったと思う程ビビった。
手術も入院も初めてだった。
何とか逃れられないかと抵抗したがダメだった。
入院すると部屋には3人の先輩がいた。
自己紹介としていかにして怪我をしてどんな手術や治療をしたのかを口々に話してくれた。
手術の様子を聞いて怖がる私を面白がっていた。
看護師は皆さん明るくて元気だった。
検査で肺活量を測ると「年齢別で比べると平均よりもずっと高いから大丈夫です。」と褒められた。
「不合格にならないかな?」と言うと、
「無理ですね〜」と笑われた。
不味くて食えないと思っていた食事は美味かった。
親世代の入院患者と子世代の看護師との共同生活の様で楽しかった。
全身麻酔で手術を終えると車椅子生活だった。
車椅子の扱いが楽しくて廊下で暴走していると若い看護師に叱られた。
お金を払っての事とは言え知らない医師や看護師が自分の身体をこれ程丁寧に治してくれるなんて驚いた。
入院や手術への苦手意識は消えた。
世界が拡がった気がした。
すぐに退院で通院での治療になった。
待合室にいると入院の時に一緒だった年配の人とまた一緒になった。
その人は私を見るなり「懐かしい」と涙を流した。
他の入院患者とも仲良くなり高遠の家に招かれて野菜を沢山頂いた。
もう一人の飯島の人の家にも招かれて家庭教師の生徒を紹介して頂いて結局その後10人程に迄生徒が繋がった。
昭和病院のリハビリの先生とも仲良くなった。
その後理学療法士になりたい高校生を2.3人その先生に紹介して話しを聞きに行かせた。
高校生は今では立派な理学療法士だ。
怪我で家庭教師を休んだ事が雇われの身から独立するきっかけの1つになった。お陰で今の自分がいる。
初めて自分で車を運転して与田切公園に行って芝の公園を歩く練習をした。
ヨタヨタ歩く私に公園のおじさんが声をかけてくれた。
いきさつを話して仲良くなった。
しばらく与田切通いが続いたお陰でしっかりと復活した。
『せっかく歩ける様になったのでもっと歩こう。』
そう思って登山を始めた。
また新たな世界が拡がった。
数年後には勢い余って四国一周を歩いた。
脚を怪我したお陰でドンドンと運が開けた。
『あの時救急車で運ばれてなくて自分の車でいつも通りに帰っていたら事故を起こしてたかも?』
本気でそう思えて来た。
ちょっとした積極性で運は掴めると思った。
「このまま一緒にドライブに行かない?」
初めての手術室へ向かうエレベーターの中で恐怖の余り脱出をするために車椅子を押す看護師にそう言った。
「ドライブか〜いいですね~。吉田さんは運転出来ますか?」
看護師は上手に返してくれて私を手術室に運んでくれた。
2023年08月24日
甲子園と部活動

甲子園が終わった。
『もう夏も終わりだな〜』とも思う。
楽しいテレビ観戦が出来なくなるのが残念だ。
疑問に思う事もある。
『どうして甲子園がこんなに人気なんだろう?』
『高校生の部活動がこんなに人気で良いのか?』
である。
我々が高校生の頃とは異なり多くの人にスポットが当たる時代なのに。
他の部活動の全国大会を応援するのは保護者かそのスポーツをしている人が中心で一般人は少ないのではないだろうか?
野球部が人気な訳ではなくて甲子園が人気なんだと思う。
主催者のビジネスが上手いと言えるのかも知れない。
もう10年以上前の事だ。
息子の高校が甲子園に出る事になった。
生徒の家庭に広く寄付金を募った。
知人の息子はテニス部で全国大会に出る事になったが寄付金を募ってはくれなかった。
それなのに野球部に寄付するのはモヤモヤするというその人の気持ちは納得出来る。
甲子園の予選は地方のテレビでライブ放送される事が多い。
町を上げて応援する。
一時甲子園の観客席がガラガラだった事があった。
最近はまた人気が出て来た様だ。
良い事だと思うが、何となく疑問が残る。
2023年08月23日
伊那市手良四国八十八ヶ所霊場

ここ、とても落ち着きます。
癒やされると言うんでしょうか。
里の端っこの家の脇からちょっと登った所に並ぶ沢山の石仏。
四国八十八ヶ所霊場のお寺の名前が刻まれています。
あの時苦労して辿り着いたお寺の名前をここで見て懐かしいです。
100年以上昔に地域の皆さんが整備されたそうです。
ベンチでもあればのんびり出来る場所です。
少し下った所には湧き水があって冷たくて頭にかけると生き返りました。
暑い中のお散歩でした。
2023年08月21日
夏期講習は酷かった

随分前だが中3対象の夏期講習の講師をしたことがある。
酷い内容だった。
一日4時間を5日続けてやる。
1年生から3年生の夏休みまでの五教科全てをやる。
問題集を配布する。
1クラス5.6人の生徒が学力別でいる。
『めっちゃええやん!』
そんな風に思う人がいるかも知れない。
5日なので一日で1つの教科をやる事になる。
新研究やマイペースとかで説明すれば夏休み迄には20ちょっとの単元がある。
それを一日4時間で終わらせる。
240分といっても1時間毎に休憩があるので210分だ。
それで20ちょっとの単元で割れば1つ10分だ。
どうやってやる?
電流のオームの法則を解かせているとすぐに10分が過ぎる。解らない生徒が1人いればあっと言う間にオーバーする。
英語の受け身を説明して練習問題を解かせると答え合わせの時間が無い。答え合わせで間違った生徒を理解させる時間は全く無い。
この様にしても少しずつオーバーする。
前からやるので3年生の習いたての所が出来ないまま終わってしまう。そこが一番テストに出るのに。
20時間あっても全体を広く浅くやるのは意味が無い。
このやり方はだめだと学んだ。
雇われなので言われた通りにやった。
生徒たちが気の毒だった。
『自分の理解が遅いのでついていけなかった。』
そんな風に思っている顔をしていた。
そうじゃなくてやり方が悪かった。
今は塾で何をやる事を通して自宅での勉強を増やす事を目指している。
夏休み学習時間競争は皆さん沢山やったよね。
自己史上最高にやったよね。
やらされたんじゃなくてやったよね。
あの時の夏期講習が私の考えを根底から変えてくれた。
2023年08月19日
少年スポーツの役員

3人の息子が小学校の1年生の時にクラス役員をやった。
仕事柄親御さんと喋る事が多くて、
「低学年の時にやっておいた方が良いですよ」と教えて貰ったからだ。
名前の五十音が前の方や後ろの方の人は当たりやすいそうだ。
中1の時にもやった。
赤穂中学校の学校登山の引率ボランティアは3回やった。一緒に山に登り一緒に小屋に泊まるのだ。
スポ少やクラブチームでは出来るだけ監督コーチには挨拶や声をかけた。
好きな訳ではない。
どちらかというとシャイな性格だと思っている。
我が子が頑張っている。
その頑張りを先生、監督、コーチが支えてくれている。
そうすれば応援するのが当然だろう。
先生にだけ任せて知らん顔をする親もいる。
忙しいとか、苦手だとか、言う親の子どもはやはり忙しいとか苦手だとか言う。
我が子の為に協力すればきっと我が子に帰ってくる。
実は私の塾もそうだ。
皆さんからお金を頂いているので塾では同じ様に対応する。
ラインを使って報告やアドバイスをしても何も言ってこない親がいる。それはそれで良い。
方やアレコレと返してくれる親がいる。
理由も良く告げずにお休みが多い家庭がある。
あらゆる手段を使って塾に来る事を最優先にする家庭がある。
これらを同じ様にする事が平等だろうか?
来て欲しい人を優先にしてはいけないだろうか?
教員や監督、コーチと喋る機会は多いが皆さんは私以上に応援してくれる家庭の子どもを優先に考えている様に思う。
私以上に大変なので極端に言えば応援してくれるか足を引っ張ってくれるか位の差を感じているのかも知れない。
そしてもっと大事な事。
我が子の頑張る様子を見たくはないのだろうか?
みんなの中でどんな風にしているのだろうとか、
レベルは周りと比べてどうなんだろうとか、
楽しそうだろうかとか、
見たくはないのだろうか?
子供達は必ず我が親の存在を意識している。
親が役員だったり、良く応援していたり、
監督コーチと関わっている場合は子供が活躍する事が多い。
張り切るからだろう。
子供が暑い中で必死に走っているのに親の私がエアコンの効いた部屋でのんびりとテレビを見る事に罪悪感がある。
頑張っているわが子、支えてくれている先生、監督コーチと共に頑張っていたい。
それも子供が子供でいる僅かのあいだだけです。
2023年08月18日
大人の自習室

都会では大人の自習室が人気だそうだ。
資格取得や学び直しだったり生涯学習だったり、語学学習だったり、そこへ行く目的は様々だ。
転職志望の20代から趣味の学習をする60代と様々な年代の男女がやってくる。
早朝から空いていて出金前に学んでいる人もいる。
昔から資格取得は流行りだがなかなか続かない。
大人の自習室で知らない誰かが頑張っている隣の席だと頑張れるらしい。
周りの人に干渉されることはなくて自由に学べば良いが休憩室等で知り合いになって一緒に切磋琢磨する事もある。
教室によってはそれぞれの目標をホワイトボードに書き込む。
知らない誰かの無関係者な目標であっても頑張っている人は自分が頑張るモチベーションになる。
1ヶ月で一万円以上も払ってもそこで勉強する価値はある。
吉田塾もそうだ。
私が教える部分もあるが自分で学ぶ時間もある。
違う中学で同じ問題集をやっている生徒は同じ志望校だったりもする。
時には競い合う事もあれば助け合う事や雑談をする事もある。
『みんな頑張ってるんだ。』
そう感じる事が自宅での勉強に繋がる。
人間はそういうものだ。
一人でやるよりも何人かいた方が良い。
一対一でやってきた私が一番良く分かる。
向き不向きでは無い。
誰もがそうだ。
だから私は塾に変えた。
だから大人の自習室が流行るのだろう。
2023年08月17日
ビッグモーターに行ってきたよ

買った車の1ヶ月点検の為に松本のビッグモーターに行ってきたよ。
トヨタ、日産、ダイハツで新車を買ったら定期検査であってもハガキや電話で連絡を貰った様に覚えている。
今回は私の携帯の電話番号を使ってのメッセージでの連絡だった。
『予約は要らないの?』
『16日はやってるの?』
と思ったのでメッセージに返信したが返信出来ない仕様になっている。
やっているのかどうか不安なまま2時間かけて店に着いた。
「オイル交換は無料ですがしますか?フィルターの交換はどうしますか?気になる所はありますか?」
受け付けの女性が事務的に聞いてきた。
アレコレと異常を見つけては交換や修理を促すといった報道で見たので不安だったが全て無料の範囲内での点検で無事に済んだ。
広い店内には他の客は3組で皆さん点検やオイル交換の様だった。
40分位いたが買いに来た客はいなかった。
待っている間に展示車を見て回った。
私が下取りに出した車も並んでいた。
間違いなく私の車だったものだが見た目に違和感があった。
もう私の車ではないので詳しく書けないが残念な気持ちになった。
店の前の50メートル位には街路樹はなかった。
以前沢山いた若い男性の営業らしい人達はいなかった。
パソコンに向かう女性が数人、幹部らしいやや年配の人が数人だった。
私が幹部なら来てくれた客には挨拶に出て行く。
オイル交換であっても来てくれる客を大事にしていく事で信頼を回復しようとする。
しっかりとお詫びと会話をして自分達がどう思われているのかも知りたい。
この部分に関してはどこの会社にも欠けている。
営業であっても教員であってもお宿であっても成功する人はお客と会話をして声を聞く。
ツナギを着た外国人らしい人が車の鍵と一枚の紙を渡してくれた。
紙には点検項目が書いてありチェックが入っている。
説明は無い。
前回来た納車の時は車検も受けたが説明は全くなかった。
バッテリーやブレーキパッドの残量等もチェックだけだ。
他の所では数字が書いてあり、「この数字が幾つになれば交換した方が良い。」と説明をしてくれる。
車の外側や内側をキレイにして返してくれると嬉しかった。
道路に出て行く時は見送りをしてくれると嬉しかった。
「1ヶ月乗ってみてどうですか?」
「どこか遠くへドライブとか行きました?」
「お客様の車はしっかりとフォローしますのでご安心下さい。」
この位の話しをしてくれると嬉しかった。
他の客を見ていても営業らしい人との会話はなかった。
そもそも営業らしい人はいない。
「こんな時だからこそ精一杯頑張りますので是非お知り合いの方にも来て貰って下さい。」
そんな風に話しながら名刺を何枚か渡す位の事をしてくれたら少しは安心する。
次に来る事はあるだろうかとか、この車達がかわいそうだなとか、あの営業の人達はどうしているだろうかとか、国道を通る人達は店にいる私をどう思っているだろうか、せめて車が調子良くいてくれたらうれしいとか様々な事を考えながら松本の街を走り出した。
2023年08月16日
山に棲む女の幽霊

何年か前の土曜日に山に登った。
朝の5時半に登山口の駐車場に着くと誰もいなかった。
『ちょっと早すぎたか?』
と思い、ゆっくりと歩く準備をして誰かを待った。
先頭を歩くのは嫌なのだ。
クマは前からやってきて先頭の人を襲うというのが私の持論だ。
何の根拠も無い。
仕方ないのでゆっくりと歩き始めた。
明るくなってはいるが陽がさしてはいない。
どんよりとしてジメジメしている。
いつものように淡々と歩く。
多少霧がかかってきた。
ますますクマと遭遇しそうだ。
熊よけの鈴は他力本願で頼りない。
『きっとボーっとしたクマもいて鈴に気がついてくれないかも。』
1時間半くらい歩いただろうか。
ゆっくり歩くが後ろから来る人はいない。
前から誰か歩いてきた。
「こんにちは〜」
と声をかけるが無視された。
挨拶のルールがある訳ではないがこんな誰もいない山で挨拶をしないと不気味だ。
『チェっ!』
少しだけ嫌な気持ちになってそのまま歩いた。
10分位して気がついた。
『何で前から来るんや?』
駐車場に車は無かった。
『どういう事?』
考えた、考えた。
テントを持っての縦走という推測をした。
他の山の登山口に車を置いて登り、
山頂からこの山の山頂へは尾根を歩く。
どこかでテントを張り下りてくる。
『あり得るな〜』
と思ったが、
『テントとか持ってたか?』
良く見なかったが大きな荷物を持っていた印象はない。
『女やったか?女かも知れない。』
荷物が少ない女だという事で推測をした。
『ダンナさんが登山口まで車で送ってきて、歩いたものの途中で疲れてしまって山頂に着かずに戻ってきた?』
そう推測すると女の顔は疲れてげっそりしていた様な気がしてきた。
荷物をほとんど持たないげっそりした女で結論づけようとした。
『登山口まで送るダンナなんておるか?』
結論に納得出来なくなった。
登山の服装じゃなくて白い服じゃなかったかな〜と思えて来たらさっきの人は幽霊じゃないかと思えて来た。
そうだ、きっと幽霊だ、と結論づけようとした。
『どんな幽霊だろうか?』
と推測した。
山で遭難して亡くなったと思うのが普通だが山の服装ではなかった事からそうではなくて自分から山に入って命を終えてしまった人だと推測した。
『ほんならあの人はどこへ行くんや?』
追いかけようかどうしようか?
せっかくの登山を確率の低い推測で終えたくはない。
『散歩してはるんや。』
山に入って自分から亡くなってしまった女の幽霊が散歩していた。
だから挨拶をしてくれなかった。
それで納得して山頂を目指した。
山頂に着いた頃には晴れてきた。
結局他の登山者には会わなかった。
下り道であの女性に会うことを少し楽しみで少しドキドキしていたが誰にも会わなかった。
すっかりと忘れていたがクマにも遭わなかった。
出来ればもう一度会ってお喋りをしたいが、挨拶もしてくれないのできっと無理だろう。
2023年08月15日
平和ボケ

子供の頃良く言われていたのが「平和ボケ」という言葉だ。
もう少し上の年代の人が自由を謳歌して主義主張をしている様子を戦争経験者が怒りを込めて使っているのだと思っていた。
「戦争がなくて平和やったらそれでええやん。」
私はそうな風に思ったいた。
『そんな考えがまた戦争を招くんだ。』
そんな声に
『まさか!』
と思っていた。
自分の身の回りの事しか考えていない様で恐縮だがどこか後ろに戦争の不安が隠れている気がする。
平和ボケとかボケボケしていられない。
かと言って何をして良いのかわからない。
ウクライナの人達はどうすればこの戦争を避ける事が出来たのか、どうすれば終わる事が出来るのか?
一人一人の心がけとか、平和を願う気持ちとかの問題なのだろうか?
どこかの国がいきなり攻撃をしてきて戦争が始まる。
戦わないと一方的にやられる。
今の我々は自分達が平和でいるために何が出来る?
平和ボケのふりをして普段通りに暮らす事しか出来ないのか?
過去の戦争について学び考え反省すると戦争に巻き込まれないで済むのか?
成す術が無いと悲観的になってしまう。
2023年08月13日
お盆

今年もお盆がやってきます。
お父さん、おじいちゃん、おばあちゃん、ひいじいちゃん、ひいばあちゃん、お義父さん、お義母さん、そして妹よ、お帰りなさい。
今の俺は皆さんにはどう映ってますか?
すっかりとええ子になってしもうたんとちゃいますか?
もうちょっと悪い事をしてもええかな?
自分の好きなようにやってもええかな?
ちゃうねん。
俺が年を取ったんとちゃうねん。
世の中と言うか周りがそんなんやねん。
みんな大人しくて静かやねん。
三崎も枚方も稲取もみんな静かやねん。
流石に一人で煩くできひん。
みんなええ人言うたらええ人やねん。
昔は三崎も稲取も浜に出たら柄の悪いおっさんがタバコを吸って立ちションしてケンカをして大きな声で喋ってたな。
大阪なんか人が多過ぎて電車に乗るだけでもケンカしたり怒鳴ったりしてたな。
あんな元気な人はおらん。
街はキレイで静かでびっくりするやろ。
そっちの方が煩いんとちゃうか?
おまけに暑い。
今年はさらに暑い。
お父さん、もう草刈りはキツイで。
お義父さん、もうミカンはキツイで。
桟橋で釣りなんかする人はおらんのとちゃう?
みんながキライやったエアコンが無かったら生きて行かれへん。俺はエアコンが大好きになってしもうた。
コロナや外国の戦争はまだ終わらん。
おばあちゃんは5年前のお遍路の時に会ったのが最後になってしもうたな。ゴメンな。言ってた通りお葬式には行けなんだ。
お墓参りには行ったから勘弁してくれる?
100年生きて楽しかった?
またおじいちゃんの世話をやいてるんか?
小さい頃にいつも蒸しパンや寒天を作ってくれてありがとう。
お礼を言えんかったな。
そっちの世界がわからんのやけど、一番後に生まれた妹がそっちでは一番の先輩になるんか?
もしそうやったらみんなの事をよろしく頼むわ。
まだ俺はしばらくは行かんよ。
お母さんも行かんけどもうちょっと我慢して。
2023年08月11日
同調圧力教育の弊害

15年前の話しだ。
赤穂南小学校の授業参観に行った。
低学年の息子のクラスは元気いっぱいだ。
先生の問いかけに大きな声で返事をして手を上げる子供たち。
後ろに並ぶ保護者をチラチラと見てはニコニコしている。親に手を振る子もいる。
続いて赤穂中学校の息子の授業参観に行った。
みんな死んだような顔をしている。
先生はそれでも知らん顔で淡々と授業をしている。
寝ている子もいる。
僅か数年でどうしてこんなに元気が無くなったのか?
面白味の無い人になってしまったのか?
自分自身も面白くないのだろう。
思春期はそんなもんだと言う人もいるだろうが病気でもないのにそんな風になる事が当然だと考えるのが普通なのか。
赤穂中学校の無言給食という方針は驚いた。
コロナ禍だからではなく昔からそうだ。
「落ち着きがない。」
3人の息子は小学校の1年生の時に担任からそう言われた。
私自身も小学校の時にそう言われた。
「1年生から落ち着いてたら死んでるんとちゃいますか?」
息子の担任にこう言ってやると言葉を失っていた。
昔の軍隊式教育の延長に学校教育があると感じる。
軍隊と現在の学校とは全く別だ。
因みに「落ち着きが無い」と言われた息子は海上自衛隊にいる。
管理する側が楽なのが同調圧力をかける事だ。
無言給食や無言清掃、無言入場もそうだ。
無用なトラブルを避ける為のやり方だ。
学校は何の為に行くのかと考えると先生が管理する為に行くのではなくて子供たちが成長する為に行くのだと思う。
同調出来ない子は社会性が無いので大人になったら困るのだろうか?
小学校2年生の時に授業中はいつも廊下に立たされていた私はかなり同調出来ない子だ。
サラリーマンとしてもそれなりにやれたと思う。
塾には沢山の生徒が来てくれる。
同調圧力教育に負けなかった人が世の中で活躍しているという事は言えないか。
無言なんとかで元気を失った子供たちの方はどうだろうか。
毎日楽しく元気で過ごしているだろうか?
夏休みだというのに外で遊ぶ子供は見かけない。
元気があれば何でも出来る!とまでは思わないが元気が無いと面白くない人生を送ることになりはしないか。
学校を変えないといけない。
2023年08月10日
塾の選び方

まず大事な事は塾へ行くのかいかないのかだ。
行けば何かの足しにはなるだろうと考えると失敗する。
下手に行けばマイナスになる。
学校の授業が中心で勉強方法等は学校の先生が話してくれる。それを自分でやれば良い点数になる。当たり前だ。
塾に行く事でそこがくずれる。
本来は崩れるのではなくてプラスアルファにするべきだが多くの場合は崩れる。
学校の先生や学校の教材よりも塾のものを重要視する。
中には塾の宿題をやっていて学校の宿題をやらない子がいる。
これは必ず成績が下がる。
中学生になって急に勉強が難しくなり英語が入った事もあり慌てて塾に入る生徒がいる。
部活動、新たなクラス等の環境に馴染むのも簡単ではない。
帰宅後の塾は負担にならないだろうか?
塾をプラスアルファにできる程余裕がある生徒なら塾は要らない。
言い換えると勉強についていけない中1生が塾に行って成績を上げるのは極めて稀だ。
ではそういう生徒はどうするか?
成績までは期待せずに学校や部活動で逞しくなる事だけを考えるのが良い。
2年生も同じだ。
学校生活に余裕があるのなら塾も良いかも知れない。
入ったら簡単に辞めてはいけない。
簡単に辞めるとそういう人間になる。
人とのご縁や感謝の心を持たずに自分の事だけで辞めると学力がどうのと言う以上の大きなマイナスになる。
塾に入ったら中学を卒業するまで通うべきだ。
3年生になれば入るのも良い。
公立高校の受験と言っても自分ではどのくらい大変なのかがわからない。
中学に受験の指導まで期待してはいけない。
中学は中学の勉強を教えてくれる所だ。
中3になって積み残して来た1年生の所はもう一度やってはくれない。
高校入試に出る様な応用問題は時々プリントはくれるもののきちんと解説をしてくれたとは聞いた事が無い。
学校はそういう場所ではない。
塾に行けば入試問題の解説はしてくれる。
周りの人の頑張りが自分の頑張るエネルギーになる。学校も同じメンバーなのだが学校では周りの人の頑張りは見えなくしている。
もちろん1人や少人数で学ぶ塾ではエネルギーは貰えない。
何を教えてくれるのが塾ではなくて頑張らせてくれるのが塾だ。
その為にはある程度の人数が一緒に学ぶ塾を選ぶと良い。
入るのは3年生、場合によっては2年生が良い。
1年生や2年生は塾へ行くよりも身体と心に負担をかけずに余裕を持たせるのが良い。
疲弊すれば学力どころか気力も自信もなくなる。
良く考えないといけない。
2023年08月09日
良く歩く子は賢くて運動が出来る!

「良く歩く子は賢くて運動が出来る!」
そんなの俺を見ればわかるやろ!
「知らんけど。」
1980年にNHKが調べた所では5年生の平均で毎日23000歩も歩いていたそうだ。
それが2010年では13000歩まで減ったらしい。
2023年だともっと少ないかも知れない。
放課後にみんなで集まってボール遊び等をしなくなった事が原因だという事だ。
車で移動し、自宅でゲームかスマホ、おまけにコロナ禍に猛暑、学校さえも車で送迎の人も多い。
歩く事で生活習慣が整いヤル気が出る。
沢山歩くと運動能力が高く自信を持てる。
集中力、忍耐力、失敗に耐える力が身につく。
人や自然と関わることで脳が活性化される。
ストレス耐性が付きキレにくくなる。
めっちゃ俺やん?
今日も雨が降る前に10km歩いた。
出来るだけ知らない道を選ぶ。
途中でまた山道に突っ込んでしばらく歩いて戻ってきた。ドキドキと不安になる。そんな経験は脳を刺激する。自分で地図を見て知らない道を歩いてみよう。
2023年08月08日
歯医者で感じた2つの事

歯医者へ行った。
定期検診だ。
半年に一度行ってレントゲン写真等を撮る。
口の中の写真を撮られる。
歯肉の状態をチェックされる。
問診をされる。
虫歯が無いかのチェックをされる。
歯石取りをされる。
歯のぐらつきのチェックをされる。
歯ブラシのアドバイスをされる。
柔らかいブラシで小刻みに動かして歯茎を下げずに歯石が着かない様に丁寧に磨くのが良いらしい。
いつも同じ事を言われる。
半年に一度、同じ事を言われるのが良い。
雑になった頃に気をつける。
帰りに早速歯ブラシを買った。
解っているのと出来るのとは違う。
何度も何度も言われないと出来なくなってしまう。
中学生に勉強を教えるのも同じだ。
『前に言ったから出来ているだろう。』
ではなくて定期的に様子を見て同じであっても言わなくてはいけない。
もう一つは子供がいない事だ。
昭和の頃夏休みの歯医者には子供がわんさかいた。
学校での健診で虫歯を指摘されて夏休みに通うのが常だった。
予約制ではなくて午前中いっぱいは待たされるものだった。
待合室には子供が溢れていた。
今日は一人もいなかった。
今の子は虫歯にはならないのか?
いくら少子化と言っても少しはいるはずだ。
歯医者を出て赤中の前を通ると部活帰りの子たちが沢山いて何故か少しホっとした。
2023年08月08日
丸付けの重要性

高校3年生女子生徒。
大学の看護系を目指して受験勉強をしている。
進学校に在籍しているがやたら明るくて可愛らしい。
少し問題を解くと丁寧に答え合わせをして赤色のボールペンで丸付けをする。
「学校に提出するわけじゃないから丸付けは要らんのとちゃうか?」
そう言う私に、
「自分へのご褒美です。」
と言う彼女。
流石だ。
丸付けは自分を盛り上げる意味もあると教えてくれた。
中学3年生男子生徒。
ノートは文字で溢れていて真っ黒だ。
一行も空けずにただひたすら答えを書いている。
丸付けはしていない。
ノートはメモ帳でしかない。
このタイプは多い。
点数が上がる気配は無い。
こういう所から改善しなくてはいけないと親は気がつかない。
答えを取り上げる親や教師。
後でまとめて答え合わせをしてもやった時の事等覚えていない。
その場で答え合わせだ。
凄く解らない問題が解けたらすぐに答え合わせをしたいだろう。
難しい問題なら途中まで出来たら答えを見てこのまま進んでも良いかを確認したいだろう。
テスト形式でやるのなら一つのまとまりが終わればどの位出来たのか知りたいだろう。
間違えた問題に得点アップの可能性がある。
間違えた問題が出来る様になれば得点は増えるのだ。
宝探しの様に答え合わせをしよう。
答えが徳川家康だったとしたらついでに調べて豊臣秀吉と織田信長も書いておこう。
関連する項目は同時に覚える。
やったらやった日付と点数を記入しよう。
ほとんどの問題集は記入するようになっている。
それも自分を盛り上げる方法だ。
ここまでは塾の中学3年生は皆さん出来る様になっていると思う。
ノートのとり方はまだまだの生徒はいる。
そういう生徒は点数を数えるのが大変なので少しずつ良くはなっている。
丸付けをしながら間違えた所は覚えよう。
「俺はほとんど間違わないからたまに間違えてもすぐに覚えられる。皆さんはいっぱい間違えるから覚えるのが大変やな。」
冗談だかイヤミだかわからない私の言葉には耳を貸さなくても良い。
丸付けは赤色のボールペンが良い。
赤色を見ると興奮してやる気が出るからだ。
「マジか?」
2023年08月07日
松本山雅 松田直樹選手

12年前、息子は松商学園のサッカー部に入り松本山雅の練習の球拾いをさせて頂いた。
初めて目の前で見るプロのサッカーに目を輝かせた。
グランドの周りに等間隔に並んでこぼれてきたボールを拾って選手に渡すのが仕事だ。
息子は背番号3の松田選手のそばにいた。
松田選手は日本代表にもなった事のある横浜マリノスのスター選手だった。
松本山雅に移籍して間もない頃だった。
溢れてきたボールを松田選手に渡した。
「ボール行きます。」
「おお、」
と息子の目を見て受け取ってくれた。
「頑張れよ。」
そう声をかけてくれた。
息子はサッカー選手としてはそれほどの活躍はしなかった。
今は海上自衛隊の護衛艦に乗っている。
コロナ禍前には海外での訓練の合間に現地の軍隊との親善サッカーをしたそうだ。
ベトナムやミャンマーの軍隊の人としたそうだ。
日の丸を付けてのサッカーを海外でさせて貰えるのもあの時の松田さんの一言があったからだろう。