2025年05月02日
小津の散歩道

小津安二郎は昭和の日本を代表する映画監督だ。
その小津さんの別荘があり、散歩をしながら構想を練っていたと言われる散歩道が整備されています。
写真は笠智衆さんの山荘です。
笠智衆さんは「男はつらいよ」の御前様です。
『カッコいいおじいちゃんやな』と思って見ていました。
放蕩な寅さんが御前様の前では小さくなっているのが面白かったです。
俳優さんや脚本家などの映画関係の人達を招いて意見を交わしたり、酒を呑んだ建物もあります。
辺りは古い別荘地ですが一区画は1000坪ほどもある広い別荘地なのでとても落ち着いています。
多少の上り下りがある林の中を歩いている印象です。
観光客はほとんどいません。
小津監督が愛した一本桜も残っています。
静かな本来の蓼科を感じる散歩道です。

2025年04月27日
蓼科



蓼科は別荘地として人気だが、少し前は寂れている印象だった。
道の駅が出来てからだろうか、沢山の人がやって来るようになりオシャレな店が増えた。
特に昨日は蓼科湖に隣接するお寺の桜が見事だった事もあり沢山の人がいて広い駐車場に車を止めるのに苦労するほどだった。
小さな湖の周りには遊歩道があり犬を連れた人などが散歩している。
乙女の滝までの5キロくらいの遊歩道があるので歩いた。
しっかり整備された、と言うか全てがアスファルトの道だ。あちこちに案内看板がある。
林の中を歩くが道は広く開けている所が多いので自然の恐怖感はあまり感じない。
八ヶ岳が雪を被っているのが時々見える。
ほぼ平坦で歩きやすい。
それにも関わらず歩いている人とは出会わなかった。
どこへ行ってもそんなものだ。
人が集まる場所とそうでない場所との差がますます大きくなっている。
私は人が集まる場所は苦手だ。
2025年04月25日
北アルプスてんぼうの道




安曇野池田美術館から駅まで歩いて大町まで鉄道に乗る。
朝の大町駅前で昭和の感じの良い喫茶店でトーストとコーヒーを頂く。ついでに年配のママさんから元気を頂く。
そこから北アルプスを横目に山麓の道を延々と歩く。
大町駅には立山へ向かう人の群れがあったがこの道は誰もいない。
道祖神や神社や古い農家や景色が良さそうな新しい家が並ぶ。
桜や花桃、チューリップ、芝桜、沢山の花が庭先を飾っている。
それほどの傾斜はないが疲れた。
温泉旅館の風呂と食事が一層身体に沁みる。
2025年04月21日
サムライロード

木曽の馬籠と妻籠の間の旧中山道を歩くのが外国人に人気だ。外国人向けのガイドブックにサムライロードと載っているらしい。
10年くらい前までは歩いていても一組の外国人に会うかどうかといった程度だったが昨日は日本人が数組で外国人率は90%を超えていた様に思う。
南木曽の駐車場に車を止めて駅に行くと数組の外国人がいた。日本人は一組。各駅停車に乗るとほぼ外国人で座る席がないほどだった。
前に座る人に話しかけた。
マレーシアからの70歳でサムライロードを歩くと話してくれた。10人のグループで来ていて1週間の日本滞在だそうだ。
鉄道とバスを使うので私とは下りる駅は違う。
私が下りた駅からでは距離が長く高低差があり少しキツイためかこれまでに歩く様な人を見かけた事はない。
馬籠までは上りがキツく車道もあってそれほど良い道ではない。
馬籠はすごく沢山の人がいた。
ほとんどが普通の観光客で日本人も多い。
石畳の急な坂をスーツケースを押して上る外国人もいた。
リュックサックを背負った人はほとんどいない。
馬籠を過ぎると一気に人は減る。
ここからは外国人率が90%で、どの人もしっかりと歩く準備が出来ている。
この馬籠と妻籠の間は石畳の上り坂となだらかな林間の遊歩道の様な道だ。
熊よけの鐘がアチコチにある。
トイレや休憩所も多い。
馬籠と妻籠の間だけなら10㌔くらいなので歩くにはちょうど良い。
外国人は若い人が多い。
若い頃に外国に住んでいたがこの様なハイキングをしようとは思わなかった。
複数の男女のグループで歩く外国人もいる。
日本人はそんなグループで旅をするだろうか。
妻籠近くで高齢の日本人ハイキンググループを抜かした。
どこかのツアーの様だが黙々と速足で歩く。
お喋りを楽しみのんびり歩くという感じではない。
外国人は常にお喋りをして歩いている。
「こんにちは」と挨拶をして来る外国人も多い。
日本人はただ黙々とゴールを目指す。
妻籠の街はまた観光客が沢山だった。
馬籠と比べるとやや少ないのは食べ歩きの店が少ないからだろうと思った。
妻籠から南木曽の間はまた誰もいない。
対向して来る外国人女性が1人いただけだ。
馬籠から妻籠がサムライロードで、その前後の旧中山道はそう呼ばれていないためかも知れない。
あのマレーシア人グループは馬籠から妻籠を過ぎて南木曽まで歩くと話していた。
奥さんは膝が痛くて長い距離をあるくのはイヤだと話していたからきっと文句を言っている。
南木曽では小さな五平餅屋さんで食べさせて貰ったが、沢山歩いた後のご褒美の様でとても美味かった。
2025年04月19日
自分を保つ為に歩く

『チラシを配りながら歩こう』
いや
『歩きながらチラシを配ろう』
と思った。
歩くのがメインでついでに塾のチラシを配ろうということだ。
たいして家のない地域をのんびりと歩いた。
数年前に93歳くらいで亡くなった知人の家が気になったので近くを通った。
誰もいないはずの家の庭がキレイに片付いていて、見知らぬ人車が止まっている。
『気になるな』
子どもはいないはずだ。
家の周りを一周した。
トラクターを押して人が出て来た。
軽く会釈してやり過ごして、すぐにUターンして後をつけた。
トラクターはゆっくりなのでゆっくり歩いた。
『俺ってめっちゃ妖しくない?』
仕方なく追い抜かして声をかけた。
「この家の知り合いの方ですか?」
怪訝な顔をされた。
「私は散歩中で◯◯さんとはこういう知り合いで、」
と話した。
その方は甥に当たる方で片付けや庭の維持に来ているらしい。
「お時間があれば会っていって頂けませんか?」
そう言われて何年かぶりに知人の家に入った。
とてもキレイに片付けられていた。
老夫婦の住まいだったので足の踏み場もないくらいだったのが「売却物件」の様に片付いている。
「トラックで4回も荷物を運び出しました。」
「庭の竹は業者に切って貰ったんです。」
お線香を上げさせて頂いた後でお茶を貰いながらそんな話しをしてくれた。
その知人は大阪に丁稚に行き、戦争で満州に行き、戦後はシベリア抑留を強いられた。
その話しを聞いていたがその内容を詳しく教えてくれた。
亡くなった知人も喜んでくれているだろう。
「施設の奥様にも宜しくお伝えください」と話した。
この奥様は戦後間もない頃から駒ヶ根市役所で働き、ずっと教員をしていたそうだ。
知人も医療の仕事でお二人とも先生と呼ばれるお仕事だった。
それなのに私の事を「吉田先生」と呼ぶ。
「先生なんて、やめてください。」
私からすれば親というよりも祖父母に近いお二人の先生から「先生」と呼ばれるのは居心地が悪かった。
そんな話しもして初対面の人と随分と話しが盛り上がった。
「先生」なんて呼ばれる人種はろくなヤツがいないと思っていた。
私は職業は「先生」だが、エライ「先生」ではないと常に自覚している。
しかし自営業を長くやっていて、生徒集めにもさほどの苦労をしなくて良いくらいの経験を積んでしまったので、すぐに自分を見失って「エライ先生」になったかの様な横着な気持ちになる。
歩いて辛い想いをして、新鮮な発見をして、知らない人と喋ることで、「先生」ではなくて「吉田」だと自覚出来る。
2025年03月01日
吉田塾歩く会の復習

昨日金曜日は吉田塾歩く会の復習をした。
秋に塾のお母さんたちと歩いたルートを辿ってみた。
一心館から中沢の急坂を登り、コマカッパがある水道施設を通り過ぎる。
捨て猫を置いていかれて死にそうに弱っていたので獣医に連れて行ったが次の日に死んじゃった。ひどいことをするもんだ。と坂の途中の家の人が憤っていた。
ネコ飛び出し注意とのぼりを立てている家だからネコ好きの人がいるかと思って置いていったのかも知れない。
元の持ち主がすてずに医者に連れて行ってれば助かったかも知れない。
林道を通り過ぎると下り坂になる。
大曽倉への舗装道路だ。
その日陰にこの写真の水路があった。
随分と暖かくてずっと登りを速足で歩くとかなり汗が出るくらいだが日陰はまだ真冬だった。
昨日の夕方に火事があったのはきっとこの水路の近くの家だろう。
火事は怖い。
Minoriでサンドイッチを作って貰っている間に中央アルプスを眺めた。
「俺って贅沢やな〜」と思わず呟いた。
例のぶどう屋の道よりも一つ南を下って天竜川へ出た。
暖かった。
2025年02月25日
頑固じじいでなくて優しいおじいちゃんになる為に四国を歩け

私の同級生は皆さんえらくなっている。
会社の社長や市役所の部長や議員、医者や弁護士、裁判官、校長に支店長、
年齢的にえらくなるのは特別なことではないだろう。
数年経ては仕事と肩書を奪われてしまう。
その時に攻撃的で融通が効かず、気配りが出来ない、さらにネット社会から落ちこぼれた頑固じじいになる懸念がある。
近隣住民とのトラブル、カスタマーハラスメント、ネットでの過激な書き込み、などはこの年代の男性に多いらしい。年齢とともにだんだんそうなる人が多いらしい。
肩書や役職や会社の名前がなくなり、出来ないことがあからさまになるとそうなるとらしい。
『気をつけないといけない』と思う。
そうなると人が離れていき、出来ることがさらに減ってくる。
数年前に四国を歩いた時にはその年代の先輩が多かった。
頑固じじいは見かけなかった。
四国一周1200㌔を歩き通すには頑固じじいでは無理だ。
肩書などは全く通用しない。
お金さえも通用しない。
弘法大師に触れる為には謙虚でなくてはならない。
皆さん、優しいおじいちゃんだった。
「あのトンネルは凄く怖かったですよね。後ろからトラックのごう音が聞こえてきたら痛い足を引きずるように走りましたよ。」
少年の様に目を輝かせてそんな話しをしてくれる。
60代で退職して数年は顧問とかで出社して、やがて完全に仕事が無くなると自分の周りには何もないことに気がつく。その状態が数年続くと頑張って夢中になっていた頃を思い出して何かを頑張りたくなる。
四国お遍路を歩くことにチャレンジすることを選ぶ人がいる。
1200㌔、40~50日間、すっと30㌔とかを歩く。
飯や宿や道さえも自分で探さなければいけない。
何よりも足が痛い。
登山の様な山道が幾つもある。
私の様な若造?でさえきつかった。
宿や食堂がある事に感謝した。
「お接待」として飲み物などを頂くと感動する。
知らない人と話せる様になる。
通学の小学生が挨拶してくれる。
ネコやらタンポポにまで話しかける。
お地蔵さんにも話しかける。
私も沢山の歩く人と喋ったが現役の時にどんな肩書だった人なのかは全く知らない。そんな話しよりも「トンネルの話し」や「寝るところの話し」「山道の話し」の方が重要だ。
お遍路を終えて家に帰りしばらくするとまた歩きたくなり体を鍛えるそうだ。「お遍路病」というらしい。
優しいおじいちゃんで居続けるのはなかなか大変なのだろう。
俺もそろそろ歩かないと。
写真の怪しい格好は日差しと花粉を避ける為です。
2025年02月23日
光前寺

2日前に自宅から光前寺まで歩いた。
境内には誰もいなかった。
三重塔の下にある東屋が好きな場所だ。
すぐ後ろの小川は半分凍っているが水が流れる音がしている。
真冬だと完全に凍っているが今日は少しだけ春を感じる。
写真はその小川だ。
この場所は夏は涼しく、秋は紅葉が美しい。
そして間もなく訪れる春には桜と鳥と川のせせらぎが心地よい。
帰りは光前寺を出て数年前に出来たフルート工場の横から水路沿いを歩く。
水路沿いの道は夏でも涼しい。
クマが出そうで怖いので声を出したり、手を叩いたりしながら歩く。
野球場の手前で下り坂を行く…
スピードを出して歩くと心地よい。
正面には南アルプスが見える。
振り返ると千畳敷が見える…
少し大回りをして往復10㌔だ。
宜しければどなたでもご一緒しますよ。
2025年02月18日
十二天の森の伐採

散歩ルートに十二天の森を抜けるものがある。
十二天の森は住宅地にありながら自然がそのまま残っている貴重な森だそうで駒ヶ根市や住民が管理して、憩いの場となっている。
それがこの冬はずっと立ち入り禁止になっていた。
森林伐採作業と書いてあった。
チェーンソーで木を切る音がずっとしていた…
先日ようやく終わったようだ。
伐採と言っても全部切るのではなくてごく一部だ。
遊歩道はスッキリとして歩きやすい。
冬で葉っぱがない事もあるが随分と明るい。
あちこちに薪が積んである。
『持って帰るか?』
うちは団地だからいらないけど貧乏性か?
自然の森なのに切っても良いのか?
薪に何か貼っている。
ならの木を食う虫を退治する為に伐採して乾燥しているから触るな、と書いてある。
『なるほど』それなら仕方ないか。
駐車場とトイレがある。大きさは近くの駒工と変わらないだろう。
クマはきっといない。
歩いている人は時々しかいない。
2025年02月14日
20㌔のお散歩



この時期は真夏よりは歩きやすい。
飲み物がなくても歩くことが出来る。
山がきれいなので歩いていて気持ちが良い。
田畑の周りを焼いている人があちこちでいて煙たい。
アスファルトではない道を歩く場合は夏場は草が多くて大変だがこうして焼いていてくれると歩きやすい。
自宅から飯島の高速道路下を歩いて七久保の道の駅に立ち寄った。本郷へ下りる急な斜面は日陰に雪が凍っていて歩きにくい。
『ここで滑って転んでケガをしたらブサイクだわ』と小股で慎重に歩いた。
バイパスに出ると速度を上げて一気に歩く。
自分では高速道路を歩いている気分だ。
上りの橋が幾つもあり適度な運動になる。
真っ黒な雲が増えてきた。
雪なら良いがそれほど寒くないので雨が降るかも知れない。
急いで歩く。
夏の暑い時にシルバーの皆さんがアスファルトに這いつくばって草刈りをしていたので街路樹が美しい。
駒ヶ根に入ると街路樹よりも草の方が生い茂っていて歩きにくい。
3年前に売りに出ていた中古住宅はまだそのまま残っている。売れずに更地になっているところもある。
畑作業や庭いじりで外に出ている人はほとんどいない。
車は走っているが生身の人間は自分しかいない様な気さえする。
20㌔歩いただけなのに疲れる。
四国お遍路の時は毎日30㌔とか40㌔を歩いた。
身体は眠たいが足が疲れて夜も寝られなかったくらい疲れていたか。
歩くしかなかった。
歩いていると沢山時間があるので色んなことを考えて色んなことを思い出す。
2025年02月05日
飯田の丘の上の散歩
飯田市内を散歩した。
月曜日なので動物園や博物館は休みなのが残念。
動物園の隣りの市営駐車場に車を置いて歩き始める。
扇町公園から崖の中段を東へ歩く。

追手町小学校前の飯田城赤門、長姫のヒガンザクラを見る。
長姫神社の隣りの三宜亭の玄関の脇の小道を抜けると写真の様な廃れた登山道の様な道を下る。

水の手の信号辺りで丘をぐるりと周る様に写真の旧測候所を目指して上る。そこには小さな公園とトイレがあるので休憩出来る。

春草通りから菱田春草生誕地公園から写真のくつわ小路を通る。

中央公園のそばの上海楼のラーメンを食べたかったが時間が早いので駅に向かう。
焼肉研究所に立ち寄り丸山食品でお肉を買って飯田駅へ行く。
来る度に賑わいが少なくなっているのは気のせいであって欲しい。丘の上結いスクエアという新たなセンターはキレイだ。
上海楼は12時過ぎだったので何とか待たずに入れた。ラーメンの並でもかなり多いのにギョウザも美味いので満腹になる。写真が下手で美味しそうに見えないが美味しかったです。お店の方、下手な写真ですみません。

あちこちに和菓子屋さんや喫茶店があるので次回は立ち寄りたい。
この一周は6㌔ほどしかないので気楽に歩く事が出来る。
月曜日なので動物園や博物館は休みなのが残念。
動物園の隣りの市営駐車場に車を置いて歩き始める。
扇町公園から崖の中段を東へ歩く。

追手町小学校前の飯田城赤門、長姫のヒガンザクラを見る。
長姫神社の隣りの三宜亭の玄関の脇の小道を抜けると写真の様な廃れた登山道の様な道を下る。

水の手の信号辺りで丘をぐるりと周る様に写真の旧測候所を目指して上る。そこには小さな公園とトイレがあるので休憩出来る。

春草通りから菱田春草生誕地公園から写真のくつわ小路を通る。

中央公園のそばの上海楼のラーメンを食べたかったが時間が早いので駅に向かう。
焼肉研究所に立ち寄り丸山食品でお肉を買って飯田駅へ行く。
来る度に賑わいが少なくなっているのは気のせいであって欲しい。丘の上結いスクエアという新たなセンターはキレイだ。
上海楼は12時過ぎだったので何とか待たずに入れた。ラーメンの並でもかなり多いのにギョウザも美味いので満腹になる。写真が下手で美味しそうに見えないが美味しかったです。お店の方、下手な写真ですみません。

あちこちに和菓子屋さんや喫茶店があるので次回は立ち寄りたい。
この一周は6㌔ほどしかないので気楽に歩く事が出来る。
2025年01月28日
花粉症

数日前の事だが山沿いを歩いていると花粉を感じた。
手のひらが少しカサカサする。手の表面に潤いが無く硬くなる。目がしょぼしょぼして、鼻がムズムズする。
これって明らかな花粉症の症状だ。
まだ1月だ。これから3ヶ月ほどは続くのだろう。
憂鬱だ。
花粉症を感じる様になったのはいつからだろう。10年? 15年?そのくらい前は感じなかった。
生徒の中には花粉症の人がいて
「大変やな」と他人事だった…
南の島に住めば花粉症はないのだろう。
山の木を全部切って欲しい。
花粉症にならない木に変えて欲しい。
受験生は集中力がなくなり勉強をするのが大変だろう。
過去問題集の解説を作らなくてはいけない私も大変だ。
確定申告の準備も進めなくてはいけない。
来年度の塾の段取りもしなくてはいけない。
花粉症は気合いで乗り切れるものだろうか。
追伸 花粉症対策をネットで調べていると嬉しい記事があった。「花粉症の症状がある人はがんになりにくい」そうだ。本当かどうかはわからないが、僅かな朗報だ。
2025年01月26日
農家は職場だった

歩いていると色んな家を見る事が出来る。
建築中の家から誰も住んでなくて朽ち果てた家まである。
びっくりするほど狭い家もあれば『これは学校か?』と思うほどの大きな家もある。
中でも農家は面白い。
母屋があって蔵があってトタン屋根の物置があったりする。池には鯉が泳いでいて牛だか馬だかがいたような小屋があったりもする。
『何故こんなに広いのか?』
『農家は金持ちなのか?』
『今は何人で暮らしているのか?』
興味が尽きなくなって思わずピンポーンと押しそうになる。
少なくとも庭先に人がいれば話しかけてしまう。
思ったよりも相手をしてくれる人が多い。
今のご時世なので怪しいと思っているだろう。
農家にとって家は住処であり職場であり倉庫であり遊び場なのかも知れない。
住処の周りに畑や田んぼがあってそこが仕事場だ。
仕事の道具は全て倉庫にある。
採った作物を貯蔵する場所も必要だ。
加工する作業場も必要だ。
池や庭といった遊び場も必要だ。
鯉を飼ったり松を植える。
牛や鶏を飼うのは食料調達と遊びを兼ねている場合もある、
そりゃ広い場所が必要だ。
しかし農家でなくなったらどうなる?
大阪の本家は私が書いた様な大きな家だが今は農家ではない。
屋敷の中には3つの家がある。
私からすれば親世代のおばさんは部屋が10ほどある家に1人で住んでいる。
私世代のいとこは敷地内に家を建てたが今は1人で住んでいる。
その長男はやはり敷地内に家を建てて家族で住んでいる。
ほとんど手入れがされていないビニールハウスや使われていない倉庫がある。
外トイレや農作業着に着替える部屋もある。
水がなくなった池や松の木がある。
広い家は塀で囲まれている。
枚方花火大会を天ぷらを囲んで大勢で眺めた広いベランダは立ち入る人さえいない。
役割りがなくなった広い家はどの様にすれば維持出来るのだろう。
2025年01月23日
駒ヶ根吉田塾歩く会 高森の山の方

高森町の丸山公園から白山公園を周回するコース。
昨日はかなりムダに歩いたが良い道を選ぶとこの写真くらいになる。
車が少ない道で集落や林の中の道なので意外と寒くない。
坂が多いので温まる。
高速道路沿いの高森観音と山の神を通り、瑠璃寺を過ぎるとすぐに白山公園だ。この公園には冬も開いているトイレがある。
帰りはほぼ下り道なので速く歩ける。六地蔵を過ぎて高速道路沿いを歩いて広域農道から戻る。
南アルプスがよく見える。
中央アルプスもよく見える。

2025年01月12日
吉田塾歩く会 富士山と八ヶ岳と南アルプスが見える道





「徳島堰は、柳川堰や箱根堰と並んで日本三大堰に数えられています。徳島堰は、江戸時代に商人・徳島兵左衛門が私財を投じて開削した灌漑用水路で、山梨県韮崎市円野町から南アルプス市曲輪田新田までの約18kmに及びます。甲府代官が引き継ぎ完成させ、維持管理されてきました。」
この堰に沿って歩く為にまずはスタート地点そばのみどり屋食堂でラーメンとモツ煮を食べた。
釜無川からの取り入れ地点は立ち入り禁止で残念だったが、そこからはずっと水路沿いの面白い道だった。桜並木があったり、川を横切る為のサイフォンがあったり、トンネルがあったりと発電設備があったりと盛り沢山だ。
どんな頭の持ち主がこんなものを作れるのか?自分には絶対に無理だ。コンクリートも重機もない時代に水路を作るなんて天才努力家だ。
八ヶ岳と富士山と南アルプスが見える素敵な道だ。
2025年01月09日
私の好きな公園 駒ヶ根 よろずよ公園
駒ヶ根に住んでいる人でもこの公園を知っている人は少ないだろう。誰かにオススメするかと言えばしないと思う。
とても小さくてパターゴルフ場が1つとあずま屋があるだけだ。
道の行き止まりで裏に川が流れていて少しジメジメしている。
夏は草が生い茂っている。

写真を見ても手前の緑は公園ではなくて畑で右手は農家のビニールハウスだ。
木が茂っている裏に川が流れているがその手前の僅かな場所が公園だ。
何十回かは行っているが人に会った事はない。
これが好きな理由だ。
家からずっと下り道を歩いて行けて距離は4㌔だ。
散歩の休憩と折り返しに丁度良い場所だ。

あずま屋は家のソファが置いてあり手作りっぽい。
地域に住む知人に聞いたら30年ほど前に地域の有志が憩いの場所を作ろうと市と協力して作ったらしい。
裏の川に下りる石段があり、子どもが水遊びをする様になっている。川には小さな橋が架かっているが板が腐っているようで昨日を最後にして渡らないでおこうと思う。
「ほたる水路」の看板を進むと両脇に石を並べた水路と小さな池がある。『今でも夏にはホタルが飛ぶのだろうか』夜にここを訪れるのは勇気がいる。
あずま屋に座ると2枚目の写真の眺めだ。
何もないが、包まれている安心感と広がる空の開放感があり、座ってしまうと気持ち悪さは感じない。
とても小さくてパターゴルフ場が1つとあずま屋があるだけだ。
道の行き止まりで裏に川が流れていて少しジメジメしている。
夏は草が生い茂っている。

写真を見ても手前の緑は公園ではなくて畑で右手は農家のビニールハウスだ。
木が茂っている裏に川が流れているがその手前の僅かな場所が公園だ。
何十回かは行っているが人に会った事はない。
これが好きな理由だ。
家からずっと下り道を歩いて行けて距離は4㌔だ。
散歩の休憩と折り返しに丁度良い場所だ。

あずま屋は家のソファが置いてあり手作りっぽい。
地域に住む知人に聞いたら30年ほど前に地域の有志が憩いの場所を作ろうと市と協力して作ったらしい。
裏の川に下りる石段があり、子どもが水遊びをする様になっている。川には小さな橋が架かっているが板が腐っているようで昨日を最後にして渡らないでおこうと思う。
「ほたる水路」の看板を進むと両脇に石を並べた水路と小さな池がある。『今でも夏にはホタルが飛ぶのだろうか』夜にここを訪れるのは勇気がいる。
あずま屋に座ると2枚目の写真の眺めだ。
何もないが、包まれている安心感と広がる空の開放感があり、座ってしまうと気持ち悪さは感じない。
2024年12月23日
鎌倉道遊歩道 諏訪大社上社

鎌倉道は鎌倉時代の都である鎌倉と各地を結ぶ道だ。
諏訪大社の上社の前宮と本宮を結ぶ辺りが遊歩道として整備されている。
そこを歩いた。日陰部分は半分凍っていて滑りそうだった。
登ったり下ったりが多くてとても整備された所と解りにくい所があり油断するとルートを外れてしまう。
諏訪大社も年末年始の直前のこの時期はあまり人がいなくてとても静かだ。
帰るルートは特に決められてないので住宅街を抜けて宮川沿いを歩いた。桜並木が続き、八ヶ岳が見える素敵で日の当たる暖かい道だった。少し先まで歩いていれば御柱の川渡りの場所になるらしいので次はその辺りを歩こうと思った。
2024年12月21日
私の好きな公園 信州スカイパーク

空港の周りのほぼ全部が公園だ。
どこにでも車を停められる。
どこから歩いても良いが一周10㌔のコースがあり、
今日の様なミゾレ混じりの日でも沢山の人がジョギングをしたり、ウォーキングをしたり、サイクリングをしている。
途中で疲れたらベンチは沢山あり、トイレもアチコチにある。ショートカットも出来る。
子ども向けの遊具がアチコチにある。
運が良ければ飛行機の離発着を見る事も出来る。
日陰は少なくて夏は暑い。
今の時期の方がジョギング等には良いかも知れない。
バラ園があったり、花のイベントがあったりもする。
整備された美しい公園だ。
アルウィンがあるので試合がある日は歓声がよく聞こえる。
陸上競技場は改装中だが、息子が走ったのが懐かしい。
ドッグランがある為か犬を連れた人が多い。
2024年12月19日
冬の散歩

昨日は久しぶりにしっかりと歩いた。
暑くて歩くのさえ大変だったのはつい最近の事の様に思うのだが、顔や手等の外に出ている所が冷たい。
飯島の山の麓を歩くが山は雪を被っているのがよくわかる。田や周りには色が無い。
ある程度の運動をしている方が調子が良いからしっかりと歩く。
体だけではなくて心も頭も調子が良い。
仕事や家庭が忙しくて運動をする事が出来ない多くの人はきっと体調が良くないのだろうと思うがどうでしょうか?
テニスでも登山でもジョギングでも何でも良い。
それ程楽しい訳ではなくても自分を楽しいと思わせてしっかりと体を動かすと自分には良い。
幸い痛い所はなくて、風邪をひくこともない。
これは運動のお陰だと思う事にしている。
七久保の里の果工房に誘惑されそうだ。
『歩いた自分にご褒美?』
『歩いたカロリーを一口で摂る?』
が頭の中をぐるぐる回ったが何とか素通りした。
本郷の急な下り坂は道が細く、日陰で雰囲気がある。
バイパスに出るとずっと直線で大半が上り坂だ。
ここまで来れば飽きてくる。
『早く着かないかな〜』
とグーグルマップを何度も見てしまう。
2つ目の道の駅を過ぎるとすぐにゴールだと思うがここからまだ遠く、上り坂が急になる。
バイパスの植え込みは飯島はキレイになっている。夏の暑い時に何人ものシルバーの方達が地べたに這いつくばって草を抜いたりしていた。駒ヶ根になると草がぼうぼうと生えていて歩くスペースが狭い。半分朽ち果てた点字ブロックがずっと続くが駒ヶ根区域になると横から伸びる草が覆い被さっている。
歩いていても仕事の段取りばかりを考えてしまう。
3月までは仕方がない。尤も春になると新たな塾の事ばかりを考えてしまう。
お遍路として四国を歩いていた時は毎日40㌔も歩いたが、この日はたった20㌔を1日歩いただけで疲れる。
無理やりでも楽しいと思う事が自分には都合が良い。
2024年11月25日
駒ヶ根吉田塾歩く会 宮田天竜川


宮田村役場から天竜川まで緩やかなな下りだ。
はじめは新しい住宅街が続きやがて農家が続く。
天竜川に架かる吊り橋は車で渡る事が出来るが初めての人はかなりの勇気がいるだろう。
その吊り橋のたもとから天竜川の遊歩道を歩く。
思いのほか整備されていて気持ち良い道だが一部傾斜がキツイのでしっかりした靴で歩くのが良い。誰も歩いていないので初心者が1人で歩くのはオススメしない。
屋内運動場にはトイレがある。
ここからそのまま戻るのも良いかも知れないが、この日はさらに駒ヶ根方面へ歩いて神社まで行き戻ってくる。
この時期なら良いコースだ。