2024年11月30日
頭が悪いのではなくて勉強が苦手なのだ

私の塾には沢山の中学生が来てくれる。
「この問題が出来ません。」
ある生徒がそう言う。
易しい計算問題で何ヶ月か前に苦労して出来る様になったはずだ。
説明をしながら書いたメモを置いて、
「下にも同じ様な問題があるからそこまでは同じ解き方だよ」
と言ってしばらく様子を見る。
メモに書いたところまではノートに写したがその先で止まっている。
『ここまで説明したからもう出来るだろうから先へ進め』と思ったのだがそうではなかったのだ。
『あとは中1レベルの計算をして答えを出すだけなのに。』
そう思うが、また普通に説明をして答えまで導く。
『次の問題をやらせて出来る様にするべきか、この問題には目をつぶって他の問題に行くべきか』と悩む。
幾らも進まないうちに時間が来てしまう。
一方で出来る生徒は同じ時間の中でどんどんとプリントをこなしていく。
やればやるほど差が開いていくように感じる。
塾でさえそうなのだから学校の授業ならもっと差が開くだろう。
自宅での学習ならさらに開くだろう。
きっと苦手な生徒は学習障害等とレッテルを貼られるのだろう。勉強が苦手なだけなのに。
とりとめのない会話は他の人と変わらない。
行動も変わらない。
ただ勉強が苦手なのだ。
コレまでの勉強での積み重ねの差が10年分ほど開いているのだろう。
苦手で出来ないとその上に積み重ねるものは積めない。
むしろ苦手な事からは逃げてしまう。
かけっこが遅いと走らなくなり、太ってしまい、外へ出なくなってしまい、「走れ」と言われても恐怖でしかなくなるだろう。
勉強なんてそれと同じどころかさらに点数や順位をつけられてあからさまにされてしまう。
辛いだろう。
それなのに塾へ来れるのはエライ。
序列をつけるのが日本の教育なので全員が機嫌良く出来る事は期待しにくい。
出来る子と出来ない子が存在してしまう。
出来ない子は悪の様に言われてしまう。
出来ないのにやらされるのは辛いだろう。
太ってしまってから速い子と一緒に走らされる様なものだ。
親はそこを理解して欲しい。
何とか高校入試さえ突破すればあとは何とかなる。
この辺りならどこかの高校へ行けるさ。
2024年11月29日
駒ヶ根がなくなる日

駒ヶ根の市報を読んでいたら
「11月の出生数14人」
という所に驚いた。
「え?1ヶ月に14人だけ?」
単純に12を掛けると168だ。
一学年がそれだけしかいなくなる可能性があるという事だ。
多少は転入があっても転出もある。
『ウチのコ達の頃は倍くらいいたやろ』
と思って調べた。2000年は346人だった様だ。
25年で半分じゃん。
1人の女性が一生に産む子どもの数を出生率というがその出生率がかなり減っているのは周知の通りだが、その元の女性の数そのものが減っているという事に気付いた。
と言うことは加速度的に減っているという事だ。
一度減れば戻すのはかなり難しい。
まずは産婦人科や助産院が潰れる。
すると産むところが減るので産む事が大変になり、産む事を躊躇するだろう。
保育園が潰れる。
良い保育園を求めて移住する人も出てくるだろう。
学校が潰れる。
駒ヶ根は小学校が5つあるが一学年が150人になれば一つの学校では一学年が30人になる。
2つくらいの小学校は潰れる。
学習塾が潰れる。「満員御礼」「商売繁盛」の吉田塾だが子どもが減れば潰れる。
そして駒ヶ根が潰れる。
日本が潰れる。
高校を卒業したら地元の企業に就職して
素敵な人と出会って早めに結婚しましょう。
写真は寒そうな大沼湖。
2024年11月28日
大阪をさまよう

大阪市役所がある淀屋橋から大阪駅がある梅田まで歩く。御堂筋を歩けば20分程で着く距離で子どもの頃から何回も歩いた事がある。
せっかくなので脇道にそれて歩こう。
方向は分かるので適当に歩けば着くだろう。
飲食店が並ぶ小道に入った。
心斎橋がある「ミナミ」は外国人を含む観光客が多くて煩わしいが、この辺りは近くで働く人や住んでいる人が多くて落ち着いているのが良い。
イラストはちょっとオシャレだが、実際はもっと泥臭い雰囲気だ。
『こんなにいっぱい店があって、やっていけるんかな?』と思うほど飲食店が多い。
道は少しずつ北を目指さず左にカーブしてきた。
『適当に北の方向へ歩けば梅田に着くやろ』
そう思って大きな商業ビルに入った。
『今は何階や?』
地下街があったり歩道橋があったりで商業ビルに入った所が一階ではなかった。

写真はオシャレだが実際はこんな風ではない。
昭和に出来たオフィスビルはオフィスにも飲食店にも空きが多くて古臭い。
自転車でやって来た近所のおっさんが散髪する様な店もある。
壁のタイルは目地が黒ずんでいてジメジメしている。
『こっちが北やな。』
と思って歩くが出口がないまま方向が違ってきた。
仕方ないのでエレベーターで上に移動してみた。
喫茶店なのか食堂なのか居酒屋なのか、ほぼオープンなスペースには背もたれがない四角い椅子が目立つくらい客は少ない。
行きたい方向にその店があるので仕方なくまたエレベーターに乗る。
やたら動きが遅いエレベーターがやっと来た。
驚いたことに中にはエレベーターガールがいた。
『客はおらんのにお姉さんがおるんやな。』
そのエレベーターガールは両手に沢山の紙袋を持っていた。
客が少ないので何かの手伝いをしている様だった。
「梅田に行きたいんやけど何階に行ったらエエかな?」
私がそう言うと、
「梅田へ向かう出口は8階でございます。」
とちゃんとエレベーターガールらしい言葉遣いで答えてくれた。
『それにしても8階に出口があるなんて本当だろうか。』
彼女はそう教えてくれるとエレベーターから出て行った。
『エレベーターガールがエレベーターにおらんのかい?』
と何かと自由なこの商業ビルを不思議に思った。
彼女が出て行ったあとには紙袋が2つも落ちていた。
8階へ行く前に一度すぐ上の階で止まって、さっき彼女がおりた階へ行き何も入っていない紙袋を手に彼女を探さなくてはいけなかった。
いつまで経っても梅田には着けないが『大阪ってこんな感じやな〜』と楽しかった。
2024年11月27日
テストの点数が低い原因

中学生はケアレスミスが多い。
何故8たす3が12になるのか。
(4)までやったら次に(7)まで飛んでしまうのは何故か
距離を求めなさいと書いてあるのに時間を求めるのは何故か。
理由は「中学生だから」かも知れない。
こうした事は特定の生徒だけに見られるのではなくて全員に見られる。
昨日の塾では私は頑張った。
14人が様々な数学のプリントを解いたが全てを私1人で答え合わせをした。
そうするとほぼ全員がこうした「ケアレスミス」をする。
という事は「ケアレスミス」はみんなするものなのかも知れない。
2y + y = 2y² とテストに書いたのは中3の時の私だ。
これが高校生になると随分と減って来るような気がする。
個人差はあるにせよ意外と小学生よりも中学生に多く見られて高校生になると減って来るのかも知れない。
「思春期に見られる貴重な特徴」として受け止めるべきなのか。もしかすると本当にそうなのかも知れない。
中学生は色んな事に気を取られていて注意力が散漫な時期だ。勉強面では急に学ぶ内容が多くなり頭の中で消化しきれない様になっているとも感じる。
「あまり難しい問題はやらんでもエエよ」と私は言うが、私自身がはっきりと認識してなくても生徒達の消化不良を感じているからかも知れない。
難しい問題が出来ない失点よりも易しい問題での失点を無くせば良い。
どうすれば良いのか?
「ケアレス」にならない様に「ケア」するのだ。
「マイナスをつけ忘れただけです」と昨日言った人達はその事を家に帰っても覚えてますか?
私の様に何十年経っても悔しくて覚えているとちょっとだけ良くなります。
意識する事です。言い換えればその事をどのくらい思っているかという事です。
家で自分のノートを見て、『何故こんなバカなミスをしたのか』と思い起こすだけでも他の人とは差が出ます。
少し逸れますが忘れ物もそうです。
塾に来る前に持ち物の意識が無いからです。
さらに逸れますが以前は塾の時間を間違えて来る人がいました。夏休み等は変化をつけようと色んな時間帯でやったらかなりの人が間違えたのです。
そこで同じ時間帯に統一しました。
この様に「ケアレスミス」をしないための準備と言うか方策を考えるのも良いです。
勉強で言うと「1行多く書く」です。
良く塾で言ってますね。
−3y= 7は3y=−7にしてからやればケアレスミスはかなり減ります。
言い換えれば雑なんです。
一問への執着心が足りません。
失礼な事を言えば30点しか取ってなければ少しばかりのケアレスミスはそれほど悔しくもないでしょう。
もっと悔しがってください。
自慢になりますが私の中学生の時のケアレスミスはそのために100点を逃して97点でした。
そりゃ悔しかったです。
ヤンキースのジャッジ選手が平凡なフライを落としましたがきっと彼は一生忘れずに必死で基本練習をするはずです。
気合いを入れて塾に来てください。
中学生はもちろん送り出す親御さんもです。
2024年11月26日
モロッコの物乞い女性

写真は当時の僕です
20代の頃、年末年始を北アフリカのモロッコで過ごした事があった。
写真の様にレンタカーを借りてサハラ砂漠や大西洋岸の街を旅して周った。
海沿いのリゾート地にはヨーロッパの観光客が沢山いた。
一人旅の私は観光客の水着姿を眺めたり、海を眺めたりしてボーっとして過ごした。
ふと1人の物乞い女性に目が行った。
20代だった私と同世代に見えた。薄汚れたワンピースで片膝を立てて座っていた。
髪はボサボサで長く、浅黒い肌で少しシワがよった様な顔で私と同様に観光客と海を眺めていた。
目の前には空き缶を置いて誰かが小銭を入れてくれるのを待っている。
金髪でビキニ姿のヨーロッパ人観光客女性よりもその物乞い女性の方がセクシーに見えた。
ヨーロッパの街では物乞いは珍しくはなかった。
多くは年配の人だったが若い人もいたので、この女性に興味を持ったのは年末のモロッコだったからかも知れない。
大阪城公園には沢山のホームレスがいたが物乞いではなかった。
ヨーロッパで物乞いを見た時は多少のショックだった。
目の前にいる彼女に小銭を与える勇気はなかった。
時々チラッと目を向けるしか出来なかった。
突然彼女に話しかけた。
片言の英語で道を尋ねた。
何故そうしたのかはわからない。
彼女は無視をするか、現地の言葉でののしるかのどちらかだろうと思いながら話しかけた。
ところが彼女はやはり片言の英語で丁寧に道を教えてくれた。
その事に私はショックを受けた。
上から目線で彼女を見ていた自分が恥ずかしかった。
当時の日本は裕福な国でヨーロッパでも一目おかれる事が多かった。なかでも自分は企業の駐在員としてドイツで暮らしていた。
貧しいモロッコのましてや物乞い女性を自分よりもずっと下の人間の如く好奇の目で見ていた。
モロッコはフランスの植民地だったのでフランス語を話す人は多いが、英語を話すなんて驚いた。
しかもちょっとエッチな考えで彼女を見ていた自分はなんと卑しいのだろうと憂鬱になった。
「メルシーボクー、オールボワール」
と自分が知るほぼ全てのフランス語で「ありがとうございます。さようなら」
と言うと
「バーイ」と答えてくれた。
よほど彼女の目の前の空き缶に小銭を入れようかと思ったがその事がさらに自分を凹ませると思って何もせずに立ち去った。
少し歩いてから振り返ると彼女はそれまでと同じ様に海岸に戯れるヨーロッパ人観光客と海を眺めていた。
「カッコええな〜」と思いながら海岸を去った。
2024年11月25日
駒ヶ根吉田塾歩く会 宮田天竜川


宮田村役場から天竜川まで緩やかなな下りだ。
はじめは新しい住宅街が続きやがて農家が続く。
天竜川に架かる吊り橋は車で渡る事が出来るが初めての人はかなりの勇気がいるだろう。
その吊り橋のたもとから天竜川の遊歩道を歩く。
思いのほか整備されていて気持ち良い道だが一部傾斜がキツイのでしっかりした靴で歩くのが良い。誰も歩いていないので初心者が1人で歩くのはオススメしない。
屋内運動場にはトイレがある。
ここからそのまま戻るのも良いかも知れないが、この日はさらに駒ヶ根方面へ歩いて神社まで行き戻ってくる。
この時期なら良いコースだ。
2024年11月24日
ギヴミーチョコレート!

昭和の時代は大阪には外国人はいなかった。
きっといたのだろうが私は見たことさえなかった。
そのくらい少なかった。
大阪と言っても市内ではなくて田舎だった。
田舎と言っても松本よりはずっと沢山の人が住んでいる。
近所には外国語大学もあった。
それでも外国人を見たことはなかった。
韓国人や中国人で普通に日本語を喋る2世とかの外国人はいたのだと思うが、子どもの私にとっての外国人はイラストの様に肌の色や髪の色や目の色が異なる人のイメージだった。
小学4年生の遠足で京都の植物園に行った時に初めて外国人を見た。林の中をカップルで散歩していた。
「外人や〜外人や〜」
「みんな〜集まれ〜外人や〜 」
外国人カップルを取り囲んで大騒ぎになった。
「ハロー」
と恐る恐る言ってみた。
「ハロー」
その外国人は笑顔で答えてくれた。
「うわ〜ハローって言いよった〜」
と大変な大騒ぎになり
「ハロー、ハロー、」とみんなが口々に叫んだ。
その外国人はにこやかに相手をしてくれた。
戦後すぐにGHQが日本にやってきて沢山の日本の子どもに囲まれている映像を見たことがある。
「ギヴミーチョコレート!」
と子ども達が叫んでいるその映像を見ると京都植物園でのあの日の外国人との出会いを思い出す。
2024年11月23日
1歳児もなかなかやるぜ!

近所の保育園の朝の風景だ。
1歳児と思われるよちよち歩きの赤ちゃんの様な子どもが数人遊んでいる。連れてきた親はおらず先生もいない。囲まれた敷地内で三輪車で遊んでいる。
敷地には手作りの橋がある。
幅は50センチ、高さは30センチ、いや20センチか?3メートルくらいの長さだ。
そこを上って下って渡るのだ。
それをよちよち歩きの赤ちゃんが三輪車で渡ろうとしている。
『大丈夫か?先生はいないのか?』
声をかけようかと悩んだ。
1人の子どもが橋の上で止まっている。
横から落ちたらケガをしないか。
『やっぱり怖くて止まっているのか』
次の子どもが上って来て前にいる子どもの三輪車に追突した。
「わ〜」
と私の声が出た。
追突された子どもは振り返り何か言っている。
『2人して横に落ちないか?』
そう思って先生の登場を待った。
前の子どもはなんと後ろを向いたまま下りて行った。
『落ちなくて良かった』
三輪車を押して上ってきて橋の上で乗り始める子どもが現れた。
横幅が無いのにとても危なっかしい。
『何故そこで?』
『橋なんかいらんやろ。平地なら落ちないやろ』
ハラハラ、イライラして先生の登場を待った。
先生はすぐ横の扉が開いた教室から見ているのかも知れない。
その後も何人もの1歳児らしき園児がよちよち三輪車を押したり乗ったりして橋を渡って行く。
逆走するヤツまでいる。
橋の上でごっつんこしてバックしている。
「危ないやろ〜、あかんやろ〜」
1歳児はなかなかやるぜ!
2024年11月22日
5時間目の授業は無理 5時の塾も無理

「午後の授業は居眠りが多くてちゃんと出来ない」
多くの教員がそう実感しているそうだ。
私が子どもの頃は夜の10時になると親も子どもも寝ていた。
中学生になると私だけが遅くまで起きている様になって授業中は眠くなる事を初めて体験した。
今から20年ほど前の中学生だが、「理科の通知表に2がついているので弥生ケ丘高校は受けられない」と学校で言われた。夜遅くまでゲームをしているその生徒はたまたま5時間目に多かった理科の授業で居眠りする事が多かった。
「5時間目の数学はほとんどの子が寝ています」と話す最近の生徒もいる。
今の学校のテストの平均点はとても低いのだがテストが難しすぎるというだけではなくて寝ていて何も身についていないという事が関係していると考える。
生徒はとても辛いだろう。そんな生徒に授業をする教員も辛いだろう。
『じゃ、どうすんねん?』
難しい。
学校は午前中だけにするのか。
それとも午後は体育や音楽だけにするのか。
私の塾でも夕方の学校帰りすぐに予定を入れていた事があった。生徒は真面目にやろうとしていても眠さとの戦いになる場面が多かった。私と生徒との関係が良好であってもヤル気があっても眠いものは眠い。
そんな眠い時間をリセットせずに塾に放り込むのはお金のムダだけでなくて悪習慣になる。一度家に戻りリセットしてから来るとかなり違う。
5時間目が無理なのと同様で「5時の塾は無理」
2024年11月21日
親としての後悔



塾に来てくれるご家庭は子育て真っ只中だ。
懐かしく羨ましく思う事が多い。
そんな中でたまたまネットでみつけたので紹介させて欲しい。
親としての子育てでの後悔というテーマで子育てを終えた人達が意見を述べている。
『なるほど〜』と思う。
「もっと丁寧に子育てをすれば良かった」という事なのかも知れない。
感情的になったり、目先の事だけを見てしまったりするのではなくてもっとじっくりと目を向けて上げれば良かったという風に言えるかも知れない。
塾に来る人を見ていると我々世代よりも少し下の親御さんが増えてきて皆さんだんだん賢くなってきた様に思う。この後悔の部分が減ってきて子どもの事をしっかり見ている人が増えている。
しかし「習い事をさせすぎ」「ゲームを与えてしまった」の二つは以前と変わっていないだろう。
どちらも一度入ると抜けられないのが問題だ。
それらに要した時間を会話や体験やしつけに充てると後悔の部分が一気に減る事になる。
いつからでも遅くはない。遅いかも知れないがやらないよりは良いと思ってやるべきだ。
我が家はどうだろう。良い事しか記憶に残らない性格なので後悔はないがこうして並べられると思い当たる所はある。高給のサラリーマン生活と長男としての立場があった大阪生活をやめて、楽しく子どもと遊ぶ事を夢見ての駒ヶ根移住でさらに遊び優先の子育てだった。
子どもを連れての一週間旅行は3人の息子それぞれが中3まで続けた。キャンプや登山や旅行はしょっちゅうだった。
塾へは行かさなかったが私が教える事もあまりなかった。
しつけはあまり出来てなかった。周りには沢山の迷惑をかけた。
一方で厳しくし過ぎたと思う部分はある。
省みるとそれほど上手く行ったとも思えないが後悔しても始まらないので振り返りはしない。
ゲームやスマホは与えず、塾にはいかせず、色んな経験を沢山させたという部分は良かったのかも知れないが、これは子育ての為にではなくて自分が遊びたいからだった。
現在子育て中の皆さんは『先輩の親達はこんな風に後悔してるんだ』と思って改める所はそうすれば良い。
ゲームの世界に放り込んだ子どもをさらに学習塾の世界に放り込むとコミュニケーションやしつけや体験等の大事な事が欠けてしまう様ですよ。
一つ間違えると何もないまま子ども時代を過ごさせる事になるかも知れません。
2024年11月20日
塾生徒のお母さんはヤンキーだった⁉️

「あ〜なんかヤル気が出て来た〜。家でも続きをやろう!」
テスト直前の塾で3年生の1人がそう言った。
「お〜そりゃすごいな、いつもは塾から帰ったらすぐ寝るってお母さんから聞いてるのに。」
「寝ないですよ。帰ってもすぐに頑張ってやりますよ。」
「その言葉を忘れない様に今お母さんにラインしておく。」
と私が言うと
「お母さんはヤンキーなので今は家にいません。」
『ヤンキー??』
私の頭は凄いスピードで想像力が働く。
のどかな景色の良い山里を写真の様に怖そうな人がバイクに乗って走り回っている絵が浮かんだ。
『そんな怖そうなお母さんじゃなかったと思うけど。』
『これからは言葉遣いに気をつけないとな。』
『この子が高校生になれなかったら俺はどうなる?』
「バイクで走ってるのか?」
「車ですよ。」
『寒い所だからヤンキーも車やな。』
「マジでヤンキーなん?」
「何を言ってるんすか?夜勤です。」
「え?ヤンキーじゃないの?」
「どうして俺のお母さんがヤンキーなんですか?」
一同爆笑。
ホッとした。
(少し話しを盛ってます)
2024年11月19日
駒ヶ根吉田塾 歩く会 伊那公園

少し前は暑くて走る気力が無くて、歩くほうが長い時間を炎天下で過ごす事になり『走るのと歩くのとどっちが大変だ?』
と思ったものです。
今日はもはや寒かったです。
寒いのなら歩いても暖まらなくて走った方が良いと思うのですが走らないクセがついてしまいました。
伊那公園から北へ向いバイパスのツルヤまでです。
古い農家が並ぶ街道筋は一段高くて気持ち良いです。
戻る時は天竜川の堤防を歩いたのでかなり早く着きました。
この頃は飲むものが無くても良いです。
2024年11月18日
塾の中での上下関係

昨日の塾は3年生ばかりで満員になった。
90分のスペシャルバージョンだったので途中で休憩時間を入れた。
「お前と俺とどっちが先輩だ?何月生まれ?」
隣りの席の人と笑顔でそんな話しをしている生徒がいた。
それを拾い上げて全員に尋ねてみた。
赤穂女子、中川男子が一番二番誕生日が早くて東男子が一番遅かった。
「敬語を使わないとな。」
「お前はタメ口か?」
他校生とそんな冗談を言って笑っている。
和気あいあいとして良い雰囲気だ。
「そうは言っても俺が一番先輩やからな」
私がそう言うと、
「え〜先生は何月生まれですか?」
私の事を同い年だと思ってくれているのかも知れない。
2024年11月17日
2024年11月16日
民泊

民泊ってご存知ですか?
利用した事がある方はいますか?
個人のお宅の空いている部屋にお金を払って泊まるというのが民泊です。
一時はよく利用していました。
子どものサッカーの試合で遠くへ行く事が多く、観光をする時間がなくて寝るだけなら安い方が良いので探した結果見つけたのが民泊でした。
海外の大きな運営会社にアプリで予約するので少しは安心して利用出来ると考えました。
お子さんが巣立った部屋を使いトイレや風呂は家主と一緒という民泊は2人で泊まって5000円もしなかったと思います。
菅平の元ペンションを利用したものもありました。
ビジネスでやっている人もいました。
古家を買ってリフォームして複数の部屋を民泊にしていた人もいました。
家主との適度な距離感と自由さが魅力な反面、よそ様のお宅に泊まらせて頂いている様な遠慮がありました。
アパートを借り上げて民泊として貸し出している所もありました。料金は日程で大きな差がありますが概ねホテルよりはかなり安かったです。
大きな施設ではないので場所を見つけるのは大変でした。
一度だけトラブルがありました。
学生アパートの一室の様な民泊に予約を入れて行ったら何故か部屋のカギはなくて空いていて中は布団等が散らかっていて泊まれる状況ではなかったのです。前の客が使ったそのままだったのでしょうか?予約先との連絡もつかず苦労しました。
最近は全く利用しません。
何故か料金がとても高くなりしかも民泊サイトに出ているところが少ないのです。
コレでは普通の宿の方が良いです。
小学生の息子さんが発達障害があってその子の将来の為に民泊に使える物件を買ってリフォームしたと話す家主がいました。
コロナ禍を経て今の状況でも思った様な経営が出来ているかとています。
サイトを見てももはやでてきません。
塾の場所は元カラオケボックスなので空いている部屋を使って民泊にしたらどうかな?と他人の持ち物で勝手に妄想しています。
2024年11月15日
漢字は書けますか?

家庭教師に行くとたった今まで漢字を書いていたと思われる生徒がよくいた。
中学から毎日の宿題として漢字を書くことが課せられていた。
「ちょつと失礼、」
そう言ってノートを取り上げて今書いたばかりの漢字を書くように言ってみる。
書けない事が多い。
「たった今書いてた漢字なのに書けないの?」
「ただ書いただけなんで」
とバツが悪そうに言う。
毎日毎日漢字の練習をしているのに書けない。
それが当たり前だった。
『漢字を書くだけの宿題なんて意味がない。』
私はいつもそう言っていた。
今はどうなんだろう。
漢字の宿題は無くなったのかも知れない。
少なくとも以前の様に毎日かなりの量を書くといった宿題は無くなった様だ。
それが影響しているのかも知れないがさらに漢字を書けなくなっている。
「おだのぶなが」は「織田信長」だ。
社会の練習でひらがなで書いて自分で◯を付けている。
学校のテストで漢字を書く事が求められなければ良いという人が多い。
「後醍醐天皇」は「ごたいごてんのー」ではない。
「漢字は無くして全部ひらがなで書けば良いと思います。」と話した生徒がいるがひらがなばかりの文章は読みにくくて仕方ない。
高校入試では以前は読みが10点、書きが20点の30点が漢字だったので中学のテストでも漢字が多く出た。
今はかなり減っている。
スマホで入力する事が多くてその場合は候補が示されるので選択出来る程度の知識があれば良い。
漢字を実際に書く場面は少くて自分の名前や住所くらいを書ければ良いのかも知れない。
学習塾をやっている私も多分幾らも書けない。
それで良いのだろうか?
こうちよーせんせいはぜっこうちょ〜。
こんな文章しか書けなくなるのは意外とすぐ先かも知れない。
2024年11月14日
歯を失う原因第1位 毎日3回歯を磨いているのに歯周病になる

半年に一度、歯の定期検診に通っている。
虫歯のチェックはもちろん、歯茎のチェックやレントゲンや歯を叩いてのチェックもしてくれる。
歯石を取ってもくれる。
そして毎回しつこいくらい同じ話しをしてくれる。
歯周病になれば歯を失うだけではなくて身体の健康が損なわれて認知症になりやすい。それを防ぐには半年に一度の健診と日々の歯磨き、歯間ブラシ等を使ってのお掃除等様々な事に気をつけると良い。
それでも寝ている時の歯ぎしりで歯を失ったりもするらしい。
結構面倒だ。でも半年に一度のお説教でいつも同じ事を言われるとその都度『やらなくちゃ』と思う
無理矢理こじつけるが家庭学習や生活習慣も同じだ。
正しい事を丁寧に繰り返し伝えればすこしずつ伝わる。一度や二度では無理だ。誰が言うかも大事だ。親が言うだけではいけない。親は補助程度に言うのが良い。黙って私のラインでの説教を見せる人もいる。生徒にしてもわかっているけどついサボってしまう事なので誰がどういう風に言うかは大事だがしつこく言う事が大事だ。
歯磨きを丁寧に、歯間ブラシを使う、生活習慣を考える、こんなわかりきった事さえもやるのは難しい。
子どもが勉強や日常生活をきちんと送るのはもっと難しい。
2024年11月13日
吉田塾は大阪人がやってるんやで

博報堂DYグループが実施した調査によると、幸福感、元気感ともに関西が関東を上回る結果となった。さらに詳細をみると、関西の方が関東以上に、単に本音で喋るだけではなく、それについて互いに共鳴して、そして行動までシェアすることが大事と感じている人が多いということが見えてきたらしい
吉田塾をやっている私は大阪人だ。
「俺の収入が減るから塾を休まんといて」
「塾に来ても成績なんて上がらんよ」
「カワイイ、賢い、金持ち、の3Kの人に来て欲しい」
とか本音で喋る。
結構やばい事なのかも知れません。
『3Kは本音だったの?』と思われそうです。
「3Kに該当すると思う人は手を挙げてください。」
生徒の趣味や課外活動にはかなり興味を持ち、親の仕事にまで興味を持ち根掘り葉掘り聞いたり、職場を訪問したりもする。
保護者が経営していた喫茶店で何人かの保護者と一緒にたむろしていたのが懐かしい。
楽しいし、幸せだ。
「何が?」と聞かれると特に何もないが、散歩中にしらない人と喋ったり、立ち寄った食堂での雑談が出来るのは元気だからだろう。
塾をやるのにはかなりのエネルギーが必要だ。
塾に限らず人と関わる為には元気さやエネルギーが必要だ。
「なんかエエこと無いかな?」と塾の事もずっと考えている。
ブルートゥーススピーカーを買い自分の声をボイスチェンジャーで一問一答を吹き込んだ。
途中で咳をしてしまいそこばかりが受けた。
録音し直した。それでも笑う中学生。
「やってみなはれ」思いついたらやってみる。
良くなければやめる。時には謝る。
でも何もやらないよりは良い方向に行く。
一度良いものを見つけても人間は飽きるのが普通なので同じ事をずっとやるのはダメだ。
生徒を見ていて「飽きてきたな」と感じたら次へ行く。
そのためには本音で喋り色んな事や人に興味を持ち「面白い」と感じたらやってみる事が必要。
駒ヶ根の人は本当に良い人が多いです。
私が長く住めているのは駒ヶ根だからです。
それはそれとして学習塾なんかは私の様なのが向いているかも知れません。
こんな私がやってます。
こういうのは大阪人の特徴だそうですが、それは大阪を離れるまで知らなかった。
大阪にはもっと不思議な人は沢山いますが40人程度の学級では私が一番変な人でした。
大阪人で移住者なので変な人✕2くらいでしょう。
これって塾の強みです。もしかして弱みかな?
2024年11月12日
吉田塾 歩く会 菅の台

歩くコースを作るのって意外と難しいんです。
一人で歩くのなら適当にどうとでも歩きますが、誰かと一緒ならそうはいきません。
これが塾の生徒のお母さん達ならなおさらです。
私にとっては大事なお客様なのでそそうがあってはいけません。
体力や好みのわからない人を適度に疲れてもらって楽しんで貰えるコースってあるの?
駐車場と途中のトイレがあり、歩道の無い車道は避けて、住宅街ばかりのルートは避けます。
夏場は少しでも日陰がある道を選び、冬場は吹きさらしの道を避けます。
そうすると山道は良いルートなのですが最近はクマの心配があるので気になります。
今回のコースは条件を何とか満たしていると思います。
太田切川やマレットゴルフ場はクマがいるかも知れません。鈴くらいは持って、お喋りしながら歩けば「突然の遭遇」は避けられると勝手に思っています。
休憩したり、お茶や美味しいものもあります。
景色はとても良いです。
今の時期が紅葉がキレイです。

光前寺の東屋も好きな場所です。

ルート上は観光客はほとんどいません。
太田切川を渡る低いコンクリートの堤防は砂が被っていたので靴を脱いで水の中を歩きました。
くるぶしくらいなので何とか耐える事が出来ました。迂回する事も出来ますがこれはこれで楽しいです。
マレットゴルフ場の渓流は私が知る中では一番キレイです。
かなり強くオススメです。

12月1日に歩く会をしますがご一緒に如何ですか?
これだけ書けば皆さん来て頂けますね。
冬休みの勉強会にお子さんを入れる為には参加しておけば特別な配慮があるかも知れません。
2024年11月11日
じっと出来ない大人たち

塾が終わり生徒の皆さんを見送ると教室をサッと掃除して灯りを消す。
真っ暗な駐車場に出ると隣りの建物に灯りが点いている。
教室の大家さんがいるようだ。
『挨拶だけをして帰ろう。』
大家さんは70代になるがとても精力的で忙しい。
市会議員に元市会議長、市の監査役、区長、交番友の会、十二天の森の保存会、元消防団長、等沢山の肩書がありいつも走り回っている。
農家でもある。雪が降ればトラクターで小学校の先生の駐車場や近くの道の雪かきまでしている。
唐辛子味噌を作ってビンに詰めたり、木を焼酎に漬け込んだ酒を作ったりして誰かに上げる為に準備している。ビンはホームセンターで買い、酒を入れるペットボトルは小さなお茶を買って中身を捨てて使っている。
自分の田の管理や草刈りもある。
とにかく忙しい。
そんな大家さんは隣りの建物で何かをしている事が多い。
挨拶だけのつもりがお喋りをしてつい長くなってしまう。とめどもない話ばかりで楽しい時間を過ごさせてくれる。
私は暇人なので良いが大家さんは忙しいのに迷惑をかけてしまう。
「市の監査で色んな施設に行くので資料を確認しなくてはいけないんだよ。」市役所からの資料が山程ある。
市の監査というのは行政がきちんと出来ているかをチェックする事だ。お金が無駄なく使われているかをチェックする事でもある。難しそうな仕事だ。
「監査には勉強会があって全国の市の監査役が集まって朝からずっとお勉強なんだよ。」
「私は自分で話すのは良いんだけど他人の話しを聴くのは辛くて大変なんです。」
と私が言うと
「俺もそうなんだよ。辛くて仕方ないんだよ」と大家さんも言う。
8時半に終わった塾なのに家に着くのが10時を過ぎている事もある。
長くなると悪いと思って挨拶無しに帰ったらすぐに電話があって「渡したいものがあって待っとったのに」と言われた事もある。どこかのお土産だった。
私なんかはそのお返しにスーパーで買った150円のお菓子を持って行くしか出来ていない。
生徒の家庭からのリンゴや柿で少しはお返しが出来ているかも知れない。
私の子どもの頃はイラストの様な子どもだったが
今も本質的には変わっていない。
大家さんもそうだったのかもと失礼ながら思っている。