2019年10月31日
写真のデジタル化
紙の写真をデジタル化している。
古い紙の写真のアルバムが何冊もあるが場所を取るばかりでほとんど見ることがない。
だからと言って捨てることはできない。
そこで思いついたのがデジタル化だ。
何年か前から少しずつやっている。
以前はCDにコピーしていた。
言われていたほどCDの寿命は長くないらしい。
しかもCDの写真は見る機会があまりない。
やはりクラウドで保存するのが良いらしい。
これなら手軽に見ることが出来るし、送るのも簡単だ。
離れて住む子供たちの誕生日に送るのも簡単だ。
写真を送ると他の離れて住む子供からのコメントが入り、ちょっとした懐かしい話で盛り上がる。
災害にも強いのだろう。
クラウド元が突然辞めることだけが心配ではある。
作業はとても大変で何年もかかっている。
今は20年以上前の写真を整理している。
片手で持てるような小さな我が子が笑っている。
今は俺よりも大きくなって自立してやがる。
俺を支えてくれた人たちも笑っている。
もうこの世にいない人が多い。
なんてことだろう。
いつの間にこんなに時間が経ってしまったんだろう。
浦島太郎じゃあるまいし、、、
俺も若かった。妻も若かった。
俺の人生は目下のところとても幸せだ。
妻のお陰だ。
息子たちのお陰だ。
両親や祖父母、そして世の中の全ての人のお陰だろう。
大げさだが本当にそうだ。
家庭教師で月謝を払ってくれる人がいる。
近所の人がいる。どこに行っても誰かがいる。
テレビで笑わせてくれる人がいる。
道路を作ってくれる人がいる。
パンを焼いてくれる人がいる。
家族だけではなくて世の中の人すべてが良い人生を送って欲しいと思う。
なんてことだろう。
いつの間にこんな事を思うようになってしまったのだろう。
お釈迦様じゃあるまいし、、
昔は自分さえよければそれでよかったのに、、、
去年歩いた四国八十八か所でお大師様に感化されてしまったのだろうか?
パソコンの中の不愛想な顔をした昔の俺は今の俺をどう思っているだろう?
古い紙の写真のアルバムが何冊もあるが場所を取るばかりでほとんど見ることがない。
だからと言って捨てることはできない。
そこで思いついたのがデジタル化だ。
何年か前から少しずつやっている。
以前はCDにコピーしていた。
言われていたほどCDの寿命は長くないらしい。
しかもCDの写真は見る機会があまりない。
やはりクラウドで保存するのが良いらしい。
これなら手軽に見ることが出来るし、送るのも簡単だ。
離れて住む子供たちの誕生日に送るのも簡単だ。
写真を送ると他の離れて住む子供からのコメントが入り、ちょっとした懐かしい話で盛り上がる。
災害にも強いのだろう。
クラウド元が突然辞めることだけが心配ではある。
作業はとても大変で何年もかかっている。
今は20年以上前の写真を整理している。
片手で持てるような小さな我が子が笑っている。
今は俺よりも大きくなって自立してやがる。
俺を支えてくれた人たちも笑っている。
もうこの世にいない人が多い。
なんてことだろう。
いつの間にこんなに時間が経ってしまったんだろう。
浦島太郎じゃあるまいし、、、
俺も若かった。妻も若かった。
俺の人生は目下のところとても幸せだ。
妻のお陰だ。
息子たちのお陰だ。
両親や祖父母、そして世の中の全ての人のお陰だろう。
大げさだが本当にそうだ。
家庭教師で月謝を払ってくれる人がいる。
近所の人がいる。どこに行っても誰かがいる。
テレビで笑わせてくれる人がいる。
道路を作ってくれる人がいる。
パンを焼いてくれる人がいる。
家族だけではなくて世の中の人すべてが良い人生を送って欲しいと思う。
なんてことだろう。
いつの間にこんな事を思うようになってしまったのだろう。
お釈迦様じゃあるまいし、、
昔は自分さえよければそれでよかったのに、、、
去年歩いた四国八十八か所でお大師様に感化されてしまったのだろうか?
パソコンの中の不愛想な顔をした昔の俺は今の俺をどう思っているだろう?

2019年10月30日
自己責任
最近自己責任という言葉を耳にする機会が多い。世間の冷たい風を感じさせるあまり感じの良い言葉ではない。
しかし受験は自己責任だ。不合格や志望校変更の責任はすべて自分で負うしかない。
その不安や危機感があるから夜遅くまで勉強することが出来るのだと思う。
逆に言えばその自己責任を認識していなければ周りの人より頑張るのは難しい。
出来た喜びが自信となって頑張る力が湧いてきて沢山頑張る力となる、といったプラスの力も必要なのかもしれないが、
それと同じかさらに大きい力となるのがこの自己責任から来る危機感ではないか。
むしろ家庭教師などに頼らない方が良いのかもしれない。
少しは頼ってくれても良いが目的である高校入試を念頭に置けばこの自己責任の考えを強く持つことが大事だ。
「全然やる気がない。」
ある生徒の事を親に言ったところ
「やる気を出してくれることを期待して依頼した。」
と言って辞めていった人がいた。
やる気を出すのは自分自身でしかないし、出せなければその程度のものだと親も含めてあきらめるしかない。
まして結果を出せるかどうかはまさに自己責任である。私にはそんな力はない。
塾や家庭教師の業者の中には成績保証ややる気を出させるといったことをうたっているところがある。
興味があるのでサイトを覗いてみた。皆さんも是非覗いてみて欲しい。
沢山のお金を使って沢山の時間指導をしても上がらなければ、、、ということらしい。
一か月に20万円は必要なのかもしれない。
ある話を思い出した。
駒ヶ根近辺の中三生でこの時期である。
五教科合計で100点に届かない生徒がいて月に20万円以上をかけて毎日二回の家庭教師を入れた。
その生徒は点数が増えて近くの高校に行けた。
別の生徒は学校に行っていなかったが、月に40万円以上のお金をかけて昼、夜と連日家庭教師を入れた。
成績が上がることは無かった。
これらは聞いただけの話だが、私の立場で言うとまあそんなものだ。
上がる上がらないの大半は本人の責任である。
私の生徒でも上がる人もあれば上がらない人もある。
年々上がる人が少なくなっている。そうなっている原因はこの自己責任、危機感が少ないからのように感じている。
15年ほど前の赤中の女子だ。
「先生、家庭教師は9時までに終わるように予定を組んで欲しい。」
「なんで??」
「見たいテレビがあるから。」
と言っていた生徒だが、今くらいの時期から
「高校に受かる気がしない、不安で不安でテレビを見る余裕がない。」
と全くテレビを見なくなったそうだ。なぜか最近はその手の話は聞かない。
良かれと思って私や学校があれこれやることがこの危機感の無さに繋がっているという皮肉な事実がある。
受け身になり与えられたことをこなすだけになっていないだろうか?
やり方などを含めて自分で必死に考える努力をしているだろうか?
それを妨げているのが親であるということは無いだろうか?
やりたいこともやり勉強も頑張る、、出来たらよいが本当に出来ますか?
年代に応じた自己責任と自由を子供に与えないといけない。
サラリーマンとしての安定と収入とふるさとを捨てて子育てを楽しむために駒ヶ根に来たのがもう22年も前である。
全ての責任は私にあった。赤ちゃん2人を考えて誰も頼る人がいない駒ヶ根だ。気合が入ったが、その気合を抜いて生きなくてはいけない。
私の子育てはそこから始まった。よく空回りもした。上手く行かないことが多かった。
子供が小さい頃はとにかくあちこちの公園に行って遊んだ。
小学生になるとゲームは楽しすぎて歯止めが利く年代ではなかったので一切やらさなかった。
三人の息子は中学を卒業すると寮生活に入った。
寮生活に耐えられるように育てたつもりだ。
適当にゲームもしているのかもしれない。もう自己管理は出来ていると思う。
勉強はなぜか得意ではない。親が私なのに、、、、
遅刻もすれば多少の悪さもしているようだ。
色んなことを自分で考えて、失敗をして、その分楽しんで、と自己責任と自由を楽しんでいる。
また自慢になってしまい恐縮だが、私自身が考えて考えて努力した子育てに悔いはない。
中学三年生、あと3年だと思って子育てをしてください。
それ以降も子育てをしなくてはいけないような子は周りに置いて行かれます。
あとわずかです。親御さんは自己責任で必死に考えて下さい。
生徒の皆さんの受験もあとわずかです。自己責任で必死に考えて下さい。
私に頼ってもいいけど頼ってはいけません。
さて言い訳が長くなりましたが、私はのんびりと温泉にでも行ってこようかな???
しかし受験は自己責任だ。不合格や志望校変更の責任はすべて自分で負うしかない。
その不安や危機感があるから夜遅くまで勉強することが出来るのだと思う。
逆に言えばその自己責任を認識していなければ周りの人より頑張るのは難しい。
出来た喜びが自信となって頑張る力が湧いてきて沢山頑張る力となる、といったプラスの力も必要なのかもしれないが、
それと同じかさらに大きい力となるのがこの自己責任から来る危機感ではないか。
むしろ家庭教師などに頼らない方が良いのかもしれない。
少しは頼ってくれても良いが目的である高校入試を念頭に置けばこの自己責任の考えを強く持つことが大事だ。
「全然やる気がない。」
ある生徒の事を親に言ったところ
「やる気を出してくれることを期待して依頼した。」
と言って辞めていった人がいた。
やる気を出すのは自分自身でしかないし、出せなければその程度のものだと親も含めてあきらめるしかない。
まして結果を出せるかどうかはまさに自己責任である。私にはそんな力はない。
塾や家庭教師の業者の中には成績保証ややる気を出させるといったことをうたっているところがある。
興味があるのでサイトを覗いてみた。皆さんも是非覗いてみて欲しい。
沢山のお金を使って沢山の時間指導をしても上がらなければ、、、ということらしい。
一か月に20万円は必要なのかもしれない。
ある話を思い出した。
駒ヶ根近辺の中三生でこの時期である。
五教科合計で100点に届かない生徒がいて月に20万円以上をかけて毎日二回の家庭教師を入れた。
その生徒は点数が増えて近くの高校に行けた。
別の生徒は学校に行っていなかったが、月に40万円以上のお金をかけて昼、夜と連日家庭教師を入れた。
成績が上がることは無かった。
これらは聞いただけの話だが、私の立場で言うとまあそんなものだ。
上がる上がらないの大半は本人の責任である。
私の生徒でも上がる人もあれば上がらない人もある。
年々上がる人が少なくなっている。そうなっている原因はこの自己責任、危機感が少ないからのように感じている。
15年ほど前の赤中の女子だ。
「先生、家庭教師は9時までに終わるように予定を組んで欲しい。」
「なんで??」
「見たいテレビがあるから。」
と言っていた生徒だが、今くらいの時期から
「高校に受かる気がしない、不安で不安でテレビを見る余裕がない。」
と全くテレビを見なくなったそうだ。なぜか最近はその手の話は聞かない。
良かれと思って私や学校があれこれやることがこの危機感の無さに繋がっているという皮肉な事実がある。
受け身になり与えられたことをこなすだけになっていないだろうか?
やり方などを含めて自分で必死に考える努力をしているだろうか?
それを妨げているのが親であるということは無いだろうか?
やりたいこともやり勉強も頑張る、、出来たらよいが本当に出来ますか?
年代に応じた自己責任と自由を子供に与えないといけない。
サラリーマンとしての安定と収入とふるさとを捨てて子育てを楽しむために駒ヶ根に来たのがもう22年も前である。
全ての責任は私にあった。赤ちゃん2人を考えて誰も頼る人がいない駒ヶ根だ。気合が入ったが、その気合を抜いて生きなくてはいけない。
私の子育てはそこから始まった。よく空回りもした。上手く行かないことが多かった。
子供が小さい頃はとにかくあちこちの公園に行って遊んだ。
小学生になるとゲームは楽しすぎて歯止めが利く年代ではなかったので一切やらさなかった。
三人の息子は中学を卒業すると寮生活に入った。
寮生活に耐えられるように育てたつもりだ。
適当にゲームもしているのかもしれない。もう自己管理は出来ていると思う。
勉強はなぜか得意ではない。親が私なのに、、、、
遅刻もすれば多少の悪さもしているようだ。
色んなことを自分で考えて、失敗をして、その分楽しんで、と自己責任と自由を楽しんでいる。
また自慢になってしまい恐縮だが、私自身が考えて考えて努力した子育てに悔いはない。
中学三年生、あと3年だと思って子育てをしてください。
それ以降も子育てをしなくてはいけないような子は周りに置いて行かれます。
あとわずかです。親御さんは自己責任で必死に考えて下さい。
生徒の皆さんの受験もあとわずかです。自己責任で必死に考えて下さい。
私に頼ってもいいけど頼ってはいけません。

さて言い訳が長くなりましたが、私はのんびりと温泉にでも行ってこようかな???
2019年10月28日
ゴールを決めよう
小学校の休み時間のサッカーである。
敵だけではなく味方のボールまで奪い取ってゴールに向かう姿がある。
シュートを決めると高く手を挙げて喜びを爆発させている。
そうやって自信をつけた子たちが地域のスポ少のサッカーチームに入ってくる。
その中でも上手な子が点を取り易いポジションを任される。
体が大きいという理由だけでキーパーを任される。
それ以外の子はディフェンスを任され、メンバーに入れない子も出てくる。
どのチームもそうだということは無いだろうが、私が見たあちこちのチームはそんな風に見えた。
さて中学の部活だ。
だいたいがスポ少と同じメンバーで同じポジションを希望する。
スポ少でメンバー外だった子の中にはサッカーを選ばなかった子もいる。
中学からサッカーを新たに始める子も少しだがいる。
スポ少でのポジションの決め方の延長なので攻撃には守備よりも上手な子が多いように見える。
中学生なので体格差や走る速さがかなり違う。
それなのにあまりドリブルで突破してシュートをするという場面が多くない。
たまに突破を試みる子もいるがフォローする子がおらず守備に囲まれつぶされる。
それを周りが非難している。みんなは仲間なのか?
パスをつないでつないで完全に崩してからのコロコロのシュートやサイドからのクロスに合わせてのシュートが多い。
あるいは入る可能性が低い位置からのミドルシュートも目立つ。
小学校の休み時間のようなゴールへ向かう姿はあまり見ない。
逃げているような雰囲気を感じる。楽しいのだろうか?
ゴール前でボールを受けても何故かパスをしてしまう。
シュートをしたくないのかな?
ゴールを決めてもそれほど喜ばない。
コーチの方針でパスサッカーをしたいとか、ミスをすると叱られるとか、周りから言われるとか、
そういうことが多いらしい。
ラグビーのワールドカップを見て今書いた事を思い出した。
ラグビーのワールドカップでは日本チームも含めてパスを回すだけではなく、
隙があればどんどん突っ込む、それを味方がフォローする、倒される、すぐに起き上がってまた突っ込む、誰かがフォローする、の連続だ。
パスを回すにしても仲間が次々とフォローしていく。隙があれば突っ込み、倒され、フォローされる。
何度も何度もこれを試みる。この姿に感動した。
相手にとって一番いやな攻撃はこれだろう。
言い換えれば効果的な攻撃はこれだろう。
ワールドカップと子供のサッカーとを比較するのではない。
この姿勢は誰にとっても見習うことがある。
勉強をするにしても同じだ。生きていくにしても同じだ。
情熱をもって攻撃する。
攻撃しているふりをして逃げたりしない。
攻撃している仲間を全力でフォローする。
あきらめずに続ける。
勝つということを意識すれば大きく勝ちに近づくということだ。
一つ学ばせてもらった。
さあ、今日も頑張ろう!!
敵だけではなく味方のボールまで奪い取ってゴールに向かう姿がある。
シュートを決めると高く手を挙げて喜びを爆発させている。
そうやって自信をつけた子たちが地域のスポ少のサッカーチームに入ってくる。
その中でも上手な子が点を取り易いポジションを任される。
体が大きいという理由だけでキーパーを任される。
それ以外の子はディフェンスを任され、メンバーに入れない子も出てくる。
どのチームもそうだということは無いだろうが、私が見たあちこちのチームはそんな風に見えた。
さて中学の部活だ。
だいたいがスポ少と同じメンバーで同じポジションを希望する。
スポ少でメンバー外だった子の中にはサッカーを選ばなかった子もいる。
中学からサッカーを新たに始める子も少しだがいる。
スポ少でのポジションの決め方の延長なので攻撃には守備よりも上手な子が多いように見える。
中学生なので体格差や走る速さがかなり違う。
それなのにあまりドリブルで突破してシュートをするという場面が多くない。
たまに突破を試みる子もいるがフォローする子がおらず守備に囲まれつぶされる。
それを周りが非難している。みんなは仲間なのか?
パスをつないでつないで完全に崩してからのコロコロのシュートやサイドからのクロスに合わせてのシュートが多い。
あるいは入る可能性が低い位置からのミドルシュートも目立つ。
小学校の休み時間のようなゴールへ向かう姿はあまり見ない。
逃げているような雰囲気を感じる。楽しいのだろうか?
ゴール前でボールを受けても何故かパスをしてしまう。
シュートをしたくないのかな?
ゴールを決めてもそれほど喜ばない。
コーチの方針でパスサッカーをしたいとか、ミスをすると叱られるとか、周りから言われるとか、
そういうことが多いらしい。
ラグビーのワールドカップを見て今書いた事を思い出した。
ラグビーのワールドカップでは日本チームも含めてパスを回すだけではなく、
隙があればどんどん突っ込む、それを味方がフォローする、倒される、すぐに起き上がってまた突っ込む、誰かがフォローする、の連続だ。
パスを回すにしても仲間が次々とフォローしていく。隙があれば突っ込み、倒され、フォローされる。
何度も何度もこれを試みる。この姿に感動した。
相手にとって一番いやな攻撃はこれだろう。
言い換えれば効果的な攻撃はこれだろう。
ワールドカップと子供のサッカーとを比較するのではない。
この姿勢は誰にとっても見習うことがある。
勉強をするにしても同じだ。生きていくにしても同じだ。
情熱をもって攻撃する。
攻撃しているふりをして逃げたりしない。
攻撃している仲間を全力でフォローする。
あきらめずに続ける。
勝つということを意識すれば大きく勝ちに近づくということだ。
一つ学ばせてもらった。
さあ、今日も頑張ろう!!

2019年10月21日
ワールドカップラグビー
ワールドカップラグビーで日本が負けてしまいましたね。早い時間の得点チャンスをモノにできていれば流れが日本に向いていてかもしれない、と思って残念でなりません。
にわかファンの私も十分楽しませていただきました。決勝までの試合も是非楽しみたいと思います。
選手たちの表情が良いですね。本気度、頑張る力の強さ、が伝わってきて感動します。
あの頑張る力はどこから生まれてくるんだろう?
ラグビーのような肉弾戦ならではのものでもあるかもしれませんが、我々の小さな日常でも頑張る力を持つ参考に出来ないものかと考えてみました。
応援の力、言い換えれば称賛のタスク、もう一つ言い換えれば褒められて伸びる、と言うことではないでしょうか?
それだけではないでしょうけど、応援は大きな力になることは感じることが出来ます。
無理やり私の仕事に話を持ってきます。
私自身も褒められて伸びています。
家庭教師なんて学生のアルバイトの仕事で、子供もいるお父さんの一家を支える仕事ではない。
そんな風に言われたこともあります。
「先生のお陰で今の自分があります。」
「先生が応援してくれたから高校に受かることが出来ました。」
「就きたかった仕事で働けて嬉しいです。」
私は単純なのでそういうお褒めの言葉を頂いてここまで頑張っていられるのでしょう。
生徒の皆さんはどうでしょうか?
中学三年生、体は大きくなってきましたが、まだまだ心は子供です。
頼りなくて弱いです。少し何かがあると一気にやる気がなくなってしまいます。
遊びたいし、逃げたいし、ごまかしもしたいです。
だいたい受験勉強なんてつまんないです。。。。
よく家庭教師に教わるなんて面倒くさいことをやっているな、、、と私の方で思うこともあります。
彼らの頑張る力はどうでしょうか?
全体的にとても弱いです。
「ちょっと頑張れば行きたい高校に行けるのに、、、」
それでも少しずつ頑張る力がついています。
2年生くらいだと90分大人しく、集中して私の前に座っていることさえできない人が多いです。
今年の三年生は全員今は集中していられます。
まだまだですが、家でも勉強しているようです。
頑張る力をつけるために叱咤激励もします。褒めることもします。
叱るのは簡単ですが、褒めるのは難しいです。
まして大人か子供かの狭間の中三生です。
「そう言えば最近は忘れ物で叱らなくてよくなってきたな。」
そんなぶっきらぼうな言い方が良いのかもしれません。
「あれ?歴史は全然覚えていなかったのに、かなり覚えてきたじゃん。」
「今回のテストは計算ミスが少なくなったな。」
よく観察して覚えておいてあげて些細な変化に目を向けて褒めるということでしょうか?
これを学校の友人に言ってもらえたらさらに頑張る力が身につきます。
「やばい、、数学の点数で負けた。。」
「なんで英語の長文が読めるの?」
ご家庭の影響も大きいです。」
学校の先生よりも誰よりも生徒とご家庭の様子の両方を把握しているのが私です。
子供が今ある姿のかなりの部分はご家庭の影響です。
こういう言い方をすると、
「うちの子の成績が悪いのは私の育て方が悪かったからです。」
と落ち込むお母さんが時々いて困る。
その様にマイナス思考でいることを改めればこれから子供は良くなっていく。
今からでも全然遅くはない、今からできることはこれからを良くしていく事しかない。
前向きで肯定的な考え方をして発言をすれば子供もそのように変わっていく。
ママさんバレーでもマラソンでも何でもよいので頑張っている姿、夢中になっている姿を見せるだけでも違う。
その姿が子供に力を与える、子供が頑張る姿が親の生活にも力を与える。。。
ワールドカップラグビーと一緒だね。。。
さて、頑張って俺もジョギングをしてくるかな、、、?
でも寒いかな?暑いかな?風が強いかな??やめておこうかな??
誰か俺に力を与えて下さい。。笑
にわかファンの私も十分楽しませていただきました。決勝までの試合も是非楽しみたいと思います。
選手たちの表情が良いですね。本気度、頑張る力の強さ、が伝わってきて感動します。
あの頑張る力はどこから生まれてくるんだろう?
ラグビーのような肉弾戦ならではのものでもあるかもしれませんが、我々の小さな日常でも頑張る力を持つ参考に出来ないものかと考えてみました。
応援の力、言い換えれば称賛のタスク、もう一つ言い換えれば褒められて伸びる、と言うことではないでしょうか?
それだけではないでしょうけど、応援は大きな力になることは感じることが出来ます。
無理やり私の仕事に話を持ってきます。
私自身も褒められて伸びています。
家庭教師なんて学生のアルバイトの仕事で、子供もいるお父さんの一家を支える仕事ではない。
そんな風に言われたこともあります。
「先生のお陰で今の自分があります。」
「先生が応援してくれたから高校に受かることが出来ました。」
「就きたかった仕事で働けて嬉しいです。」
私は単純なのでそういうお褒めの言葉を頂いてここまで頑張っていられるのでしょう。
生徒の皆さんはどうでしょうか?
中学三年生、体は大きくなってきましたが、まだまだ心は子供です。
頼りなくて弱いです。少し何かがあると一気にやる気がなくなってしまいます。
遊びたいし、逃げたいし、ごまかしもしたいです。
だいたい受験勉強なんてつまんないです。。。。
よく家庭教師に教わるなんて面倒くさいことをやっているな、、、と私の方で思うこともあります。
彼らの頑張る力はどうでしょうか?
全体的にとても弱いです。
「ちょっと頑張れば行きたい高校に行けるのに、、、」
それでも少しずつ頑張る力がついています。
2年生くらいだと90分大人しく、集中して私の前に座っていることさえできない人が多いです。
今年の三年生は全員今は集中していられます。
まだまだですが、家でも勉強しているようです。
頑張る力をつけるために叱咤激励もします。褒めることもします。
叱るのは簡単ですが、褒めるのは難しいです。
まして大人か子供かの狭間の中三生です。
「そう言えば最近は忘れ物で叱らなくてよくなってきたな。」
そんなぶっきらぼうな言い方が良いのかもしれません。
「あれ?歴史は全然覚えていなかったのに、かなり覚えてきたじゃん。」
「今回のテストは計算ミスが少なくなったな。」
よく観察して覚えておいてあげて些細な変化に目を向けて褒めるということでしょうか?
これを学校の友人に言ってもらえたらさらに頑張る力が身につきます。
「やばい、、数学の点数で負けた。。」
「なんで英語の長文が読めるの?」
ご家庭の影響も大きいです。」
学校の先生よりも誰よりも生徒とご家庭の様子の両方を把握しているのが私です。
子供が今ある姿のかなりの部分はご家庭の影響です。
こういう言い方をすると、
「うちの子の成績が悪いのは私の育て方が悪かったからです。」
と落ち込むお母さんが時々いて困る。
その様にマイナス思考でいることを改めればこれから子供は良くなっていく。
今からでも全然遅くはない、今からできることはこれからを良くしていく事しかない。
前向きで肯定的な考え方をして発言をすれば子供もそのように変わっていく。
ママさんバレーでもマラソンでも何でもよいので頑張っている姿、夢中になっている姿を見せるだけでも違う。
その姿が子供に力を与える、子供が頑張る姿が親の生活にも力を与える。。。
ワールドカップラグビーと一緒だね。。。
さて、頑張って俺もジョギングをしてくるかな、、、?
でも寒いかな?暑いかな?風が強いかな??やめておこうかな??
誰か俺に力を与えて下さい。。笑
2019年10月18日
お散歩
昨日は家の近くを散歩した。
近くの水路には草や藁のようなものがへばりついている所があちこちにあった。
田圃への取り込み口の脇にはその様なものが山積みにされていた。
詰まることを避けるために取り除いたのだろう。
もし取り除かなかったら水路があふれて田や畑や住宅に水が出てしまっていたのかもしれない。
そう思いながら歩いているとかなり大きな木の枝が水路の脇に置いてあったりした。
ニュースで水路の様子を見に行って流された人がいる、という内容のものを見かけることがある。
どうして見に行くのかな?と何も知らない私は思っていた。
当事者でなければ分からないということだ。
自分の畑の草刈りをしておいてあった草が台風で飛んで水路に流れて周りに迷惑をかけてはいけない。
そう思うと危険を冒して出ていく事もあり得るだろう。
激流になってしまった水路に引っかかる枝や草を大雨強風の中取り除くお年寄りの姿を想像した。
今もまた雨が降っている。そういう状況にならないことを祈るばかりだ。
近くの水路には草や藁のようなものがへばりついている所があちこちにあった。
田圃への取り込み口の脇にはその様なものが山積みにされていた。
詰まることを避けるために取り除いたのだろう。
もし取り除かなかったら水路があふれて田や畑や住宅に水が出てしまっていたのかもしれない。
そう思いながら歩いているとかなり大きな木の枝が水路の脇に置いてあったりした。
ニュースで水路の様子を見に行って流された人がいる、という内容のものを見かけることがある。
どうして見に行くのかな?と何も知らない私は思っていた。
当事者でなければ分からないということだ。
自分の畑の草刈りをしておいてあった草が台風で飛んで水路に流れて周りに迷惑をかけてはいけない。
そう思うと危険を冒して出ていく事もあり得るだろう。
激流になってしまった水路に引っかかる枝や草を大雨強風の中取り除くお年寄りの姿を想像した。
今もまた雨が降っている。そういう状況にならないことを祈るばかりだ。
2019年10月17日
私が心配してもどうにもならないのかもしれませんが、、、、
地球温暖化、少子高齢化、この二つは現代の日本に住んでいると多かれ少なかれの危機感を持つ。
もう一つ危惧することがある。
人間力の衰退とでも言うのが正しいだろうか?
どう表せばよいのかわからないくらい多くの意味を含んでいるが、人間の能力の衰えである。危機とも言えるかもしれない。
私の両親は5人、7人の兄弟がいる。祖父母の兄弟の人数は覚えていないが、同じくらいの数がいたように思う。
その時代の数としては普通なのではないだろうか?
私世代から下はそれだけ兄弟姉妹がいる人は珍しいだろう。
それまでの人類は沢山子供を産んで育てて来たのに、ここ数十年でその数が半減かそれ以下になったと言えるのかもしれない。
このことが少子高齢化につながったのは当然だが、社会的な意味合いだけではなく生物としての人類が子供を産んで育てて、という数が極端に減っているということだ。社会の変化などの理由はともかく事実として減っていることは重大なことのように思う。
二つ目は運動能力の低下である。身体機能と言うべきかもしれない。
オリンピックの記録は更新されているし、球技などにおいても昔よりも技術が向上しているとは思う。
野球少年がスライダーやフォークボールまで投げる。
サッカー少年で100や200のリフティングはごく普通だろう。
しかし、サッカー少年に野球をやらせてみると投げ方がおかしい。フライが取れない。ゴロを腰を落として取れない。
クラスのみんなで野球をしようものなら怪我をしそうでやらせることすら危なっかしい。
そう、跳び箱、マット運動などの器械体操が一番危険かもしれない。
鉄棒にぶら下がれない子もいるらしい。
アメリカ人の家族がハンバーガーを食べているところをテレビで見た。
父も母も息子も娘もすごい体格だ。運動以前の問題で、生活習慣病が心配になる。
日本の子供でも最近はそれに近い子を見かける。
赤穂中学の登山の引率に行ったがどれほど大変だったことか、、、、
それに引き換え畑で作業をしているお年寄りは小柄で細身で動きが軽快な方が多い。
三つめは技術力の低下と言うべきだろうか。
今の子供で自転車のパンク修理を自分でやる子がどのくらいいるだろう。
一応私は自分でできた。
親世代、祖父世代はどうだろう。
ちょっとした小屋などは自分で作ってしまう人は普通にいる。
さらに電気の線を引き込んでスイッチまでつけてしまう。
車のエンジンは電気製品もバラバラにして直してしまう。
今はコンピューターを使っているなどで自力では直せないのかもしれない。
色々を自分でやってのけていた親世代くらいまでの人と比べると我々世代は何も出来ない。
四つ目は行動力の低下。
中学二年生のころ、親、担任を説得した上で近くの新聞屋さんに一人で行き朝刊の配達のアルバイトをした。
夜中の3時に起きて、一人で軽くご飯を作って食べて二時間かけて配達した。
その給料とお年玉を合わせて30万円をためて高校に入ったころにステレオを買った。
その程度の自慢だが上の世代とは比較にもならない。
駒ヶ根でも開拓記念碑があちこちに立っている。重機の無い時代に開墾して水を引いて、田畑を作る作業がどのくらい大変なのか想像もつかない。
以前の女子生徒で宮田村役場近くに家があるが、赤穂高校には電車で通ったことがない人がいた。
毎日家族の誰かが送り迎えをしていたらしい。
バスタ新宿が出来る前だが、駒ヶ根に住む女子高生がバスを降りて新宿駅に行けずに、親に電話して親がガイドブックで調べて電話を通して道案内をしたらしい。コミュニケーション力の低下と言った方が良いのかもしれない。
最後に学力、知力の低下。小学校では1000余りの漢字を習います。書けますか?私も全部書ける自信がありませんが、笑
九九は間違わずにすべて言えますか?これは私は大丈夫です。多分、、、、
英語を始めて一年位の中学二年生です。書ける単語はごくわずかしかありません。
外国人に言われたことがあります。日本では英語を学校で習いますね?何故ほとんどの人は話せないのですか?ここの部分は昔も今もきっと変わらずダメでしょうね。
私の仕事内容について外国人に説明したことがあります。学校で学んでいるのに、どうしてあなたが教える必要がありますか?
ある中学生に6年生レベルの日本語の文章を読ませて内容について尋ねてみるとほとんど読み取れていないことがあります。
私があれこれと話をしてもきっと後で何も覚えていない人もいるのでしょうね。
問題集を一度解いただけで出来る様にしろとは言いません。でも本当はその前に学校で一度やっているのですよね。どうして学校で理解できていないのでしょう?授業はそれほど難しいことはしないはずです。もし理解できないとしたら、先生や友人に聞いて理解しようとしないのでしょう。家に帰ってもう一度確認をしないのでしょう?
私が教えて解ったはずの事を翌週には出来なくなっているのでしょう?
一度やって出来なかった問題は二度三度やって出来る様にしないのでしょう?
わからないところがあればチェックをして質問をしないのでしょう?
行きたい高校があるのなら入れるように努力をしないのでしょう?
学校の先生も私も所詮、お仕事です。そこをうまく利用しつつも結局は自分で頑張るしかないと気づかないのでしょう?
親と子供で何とかするしかないのです。ご両親は仕事をきちんとされていると思いますが、仕事はしごとであってそれ以上でも以下でもないということと同様に教員も私も同じです。そこに気づいて自分たちで何とかする力が必要です。
これらのいくつもの心配事を考えたときに、私自身の無力さを感じる。
俗世間から離れて修行をするか、悠々自適な暮らしをするか、、、私自身の知力、行動力、体力、様々なものが必要だ。
もう一つ危惧することがある。
人間力の衰退とでも言うのが正しいだろうか?
どう表せばよいのかわからないくらい多くの意味を含んでいるが、人間の能力の衰えである。危機とも言えるかもしれない。
私の両親は5人、7人の兄弟がいる。祖父母の兄弟の人数は覚えていないが、同じくらいの数がいたように思う。
その時代の数としては普通なのではないだろうか?
私世代から下はそれだけ兄弟姉妹がいる人は珍しいだろう。
それまでの人類は沢山子供を産んで育てて来たのに、ここ数十年でその数が半減かそれ以下になったと言えるのかもしれない。
このことが少子高齢化につながったのは当然だが、社会的な意味合いだけではなく生物としての人類が子供を産んで育てて、という数が極端に減っているということだ。社会の変化などの理由はともかく事実として減っていることは重大なことのように思う。
二つ目は運動能力の低下である。身体機能と言うべきかもしれない。
オリンピックの記録は更新されているし、球技などにおいても昔よりも技術が向上しているとは思う。
野球少年がスライダーやフォークボールまで投げる。
サッカー少年で100や200のリフティングはごく普通だろう。
しかし、サッカー少年に野球をやらせてみると投げ方がおかしい。フライが取れない。ゴロを腰を落として取れない。
クラスのみんなで野球をしようものなら怪我をしそうでやらせることすら危なっかしい。
そう、跳び箱、マット運動などの器械体操が一番危険かもしれない。
鉄棒にぶら下がれない子もいるらしい。
アメリカ人の家族がハンバーガーを食べているところをテレビで見た。
父も母も息子も娘もすごい体格だ。運動以前の問題で、生活習慣病が心配になる。
日本の子供でも最近はそれに近い子を見かける。
赤穂中学の登山の引率に行ったがどれほど大変だったことか、、、、
それに引き換え畑で作業をしているお年寄りは小柄で細身で動きが軽快な方が多い。
三つめは技術力の低下と言うべきだろうか。
今の子供で自転車のパンク修理を自分でやる子がどのくらいいるだろう。
一応私は自分でできた。
親世代、祖父世代はどうだろう。
ちょっとした小屋などは自分で作ってしまう人は普通にいる。
さらに電気の線を引き込んでスイッチまでつけてしまう。
車のエンジンは電気製品もバラバラにして直してしまう。
今はコンピューターを使っているなどで自力では直せないのかもしれない。
色々を自分でやってのけていた親世代くらいまでの人と比べると我々世代は何も出来ない。
四つ目は行動力の低下。
中学二年生のころ、親、担任を説得した上で近くの新聞屋さんに一人で行き朝刊の配達のアルバイトをした。
夜中の3時に起きて、一人で軽くご飯を作って食べて二時間かけて配達した。
その給料とお年玉を合わせて30万円をためて高校に入ったころにステレオを買った。
その程度の自慢だが上の世代とは比較にもならない。
駒ヶ根でも開拓記念碑があちこちに立っている。重機の無い時代に開墾して水を引いて、田畑を作る作業がどのくらい大変なのか想像もつかない。
以前の女子生徒で宮田村役場近くに家があるが、赤穂高校には電車で通ったことがない人がいた。
毎日家族の誰かが送り迎えをしていたらしい。
バスタ新宿が出来る前だが、駒ヶ根に住む女子高生がバスを降りて新宿駅に行けずに、親に電話して親がガイドブックで調べて電話を通して道案内をしたらしい。コミュニケーション力の低下と言った方が良いのかもしれない。
最後に学力、知力の低下。小学校では1000余りの漢字を習います。書けますか?私も全部書ける自信がありませんが、笑
九九は間違わずにすべて言えますか?これは私は大丈夫です。多分、、、、
英語を始めて一年位の中学二年生です。書ける単語はごくわずかしかありません。
外国人に言われたことがあります。日本では英語を学校で習いますね?何故ほとんどの人は話せないのですか?ここの部分は昔も今もきっと変わらずダメでしょうね。
私の仕事内容について外国人に説明したことがあります。学校で学んでいるのに、どうしてあなたが教える必要がありますか?
ある中学生に6年生レベルの日本語の文章を読ませて内容について尋ねてみるとほとんど読み取れていないことがあります。
私があれこれと話をしてもきっと後で何も覚えていない人もいるのでしょうね。
問題集を一度解いただけで出来る様にしろとは言いません。でも本当はその前に学校で一度やっているのですよね。どうして学校で理解できていないのでしょう?授業はそれほど難しいことはしないはずです。もし理解できないとしたら、先生や友人に聞いて理解しようとしないのでしょう。家に帰ってもう一度確認をしないのでしょう?
私が教えて解ったはずの事を翌週には出来なくなっているのでしょう?
一度やって出来なかった問題は二度三度やって出来る様にしないのでしょう?
わからないところがあればチェックをして質問をしないのでしょう?
行きたい高校があるのなら入れるように努力をしないのでしょう?
学校の先生も私も所詮、お仕事です。そこをうまく利用しつつも結局は自分で頑張るしかないと気づかないのでしょう?
親と子供で何とかするしかないのです。ご両親は仕事をきちんとされていると思いますが、仕事はしごとであってそれ以上でも以下でもないということと同様に教員も私も同じです。そこに気づいて自分たちで何とかする力が必要です。
これらのいくつもの心配事を考えたときに、私自身の無力さを感じる。
俗世間から離れて修行をするか、悠々自適な暮らしをするか、、、私自身の知力、行動力、体力、様々なものが必要だ。
2019年10月16日
学力低下を憂う
この仕事を始めたころ、中学生の学力の低さに驚いた。
学力の低さというより意識の低さ、理解力の低さと言えるかもしれない。
あれから20年、さらに低下しているということは間違いない。
中学三年生なのに、球の体積や表面積の求め方はおろか、小学生で習う円の面積や円周の求め方も知らない人もいる。
「お前が教えているのだからお前の責任だろう。」
そうかもしれない。でもね、、、ちょっと私の言い分を聞いてほしい。
どこにでも書いているような公式を伝えて、何問か例題を解かせる。
皆が当たり前の様に解ける。
しかし翌週同じことをやらせると既に忘れてしまっている人が多い。
「どうして覚えていない?覚えられないのなら覚えようと意識しない?」
覚えようとする意識が低い。
そう、意識が低い。
寝る前に頭の中で復習してはどうだろう?
「球の体積を求める公式は、、、江戸時代の三大改革は、、、、」
等とその日勉強した内容を思い起こしてみると良い。
学校の授業中でももっと意識して覚えて欲しい。
どうせそこに座っているんだったら、その場で理解できれば家でやらなくて済む。
受験生でやるべきことが沢山あるんだから、もっと沢山の時間勉強しないと、、、、
そうしたら私のような奴のところに来ずに済んでお金が助かる。
勉強がアルバイトのようにお金を稼いでいるのと同じということにもなる。
そこで浮いたお金をお小遣いとしても上げても良いのではないだろうか?
自分で出来る様になれば私の所など辞めてもいい。
20年間でそうして辞めた人は誰もいない。
問題を解いたら覚えたかどうかを自分で確認する。
寝る前に頭の中でもう一度確認する。
12時前に寝るのはやめよう。
朝やる、はやらない人の決まり文句のように思える。
子供が頑張っているんだから親も頑張ろう。
先に寝てはいけない。
勉強するのは子供だけど、我が子は自力で頑張れる子かどうかを考えて欲しい。
頑張れないのであれば今は一緒に頑張ってあげるしかない。
何もできなくても出来ることを親として見つける。
その姿を見て、子供なりに何かを思ってくれたら儲けもの。
スマホ、ゲーム、漫画、テレビ、は受験までお預けにする。
そんな人がいたのはもう何年前だろう?
あと半年足らずだ。
沢山我慢して結果を出して楽しい春を迎えて欲しい。
学校の先生も私も偉そうに言うだけで所詮他人だ。
あてにし過ぎても駄目だ。
我が子を教えることだけを考えてくれるものではない。
無償の愛情を与えるのは親のみ。
雪に覆われた赤穂南小学校

子供たちがこの学校の低学年の頃、マラソン大会の前にはコースを一緒に走った。
長男の時は5年生くらいでついていけなくなった。
三男の頃は3年生から無理だった。
あいつら、俺と走ると普段以上に頑張るんだから、、、笑
学力の低さというより意識の低さ、理解力の低さと言えるかもしれない。
あれから20年、さらに低下しているということは間違いない。
中学三年生なのに、球の体積や表面積の求め方はおろか、小学生で習う円の面積や円周の求め方も知らない人もいる。
「お前が教えているのだからお前の責任だろう。」
そうかもしれない。でもね、、、ちょっと私の言い分を聞いてほしい。
どこにでも書いているような公式を伝えて、何問か例題を解かせる。
皆が当たり前の様に解ける。
しかし翌週同じことをやらせると既に忘れてしまっている人が多い。
「どうして覚えていない?覚えられないのなら覚えようと意識しない?」
覚えようとする意識が低い。
そう、意識が低い。
寝る前に頭の中で復習してはどうだろう?
「球の体積を求める公式は、、、江戸時代の三大改革は、、、、」
等とその日勉強した内容を思い起こしてみると良い。
学校の授業中でももっと意識して覚えて欲しい。
どうせそこに座っているんだったら、その場で理解できれば家でやらなくて済む。
受験生でやるべきことが沢山あるんだから、もっと沢山の時間勉強しないと、、、、
そうしたら私のような奴のところに来ずに済んでお金が助かる。
勉強がアルバイトのようにお金を稼いでいるのと同じということにもなる。
そこで浮いたお金をお小遣いとしても上げても良いのではないだろうか?
自分で出来る様になれば私の所など辞めてもいい。
20年間でそうして辞めた人は誰もいない。
問題を解いたら覚えたかどうかを自分で確認する。
寝る前に頭の中でもう一度確認する。
12時前に寝るのはやめよう。
朝やる、はやらない人の決まり文句のように思える。
子供が頑張っているんだから親も頑張ろう。
先に寝てはいけない。
勉強するのは子供だけど、我が子は自力で頑張れる子かどうかを考えて欲しい。
頑張れないのであれば今は一緒に頑張ってあげるしかない。
何もできなくても出来ることを親として見つける。
その姿を見て、子供なりに何かを思ってくれたら儲けもの。
スマホ、ゲーム、漫画、テレビ、は受験までお預けにする。
そんな人がいたのはもう何年前だろう?
あと半年足らずだ。
沢山我慢して結果を出して楽しい春を迎えて欲しい。
学校の先生も私も偉そうに言うだけで所詮他人だ。
あてにし過ぎても駄目だ。
我が子を教えることだけを考えてくれるものではない。
無償の愛情を与えるのは親のみ。
雪に覆われた赤穂南小学校
子供たちがこの学校の低学年の頃、マラソン大会の前にはコースを一緒に走った。
長男の時は5年生くらいでついていけなくなった。
三男の頃は3年生から無理だった。
あいつら、俺と走ると普段以上に頑張るんだから、、、笑
2019年10月08日
K君の勘違い
私の作り話です。
k君は中学2年生。勉強は良く出来る。クラスで2,3番だ。
毎週一回の家庭教師に行った時のことだ。
「今日はチャレンジをやってもいいですか?」
チャレンジというのは人気の通信教育で彼は数年前からやっている。
「どうして?」
「ちょっとさぼっちゃって、お父さんに叱られて提出が明日までなんです。」
これまでそんなことを言ったことがない彼なので、
「じゃ、今日は特別ね、良いよ。」
彼は英語、数学の問題を解いた。
せっかくなので彼の答案を見た。
良く出来ていたが、それぞれ2,3問間違っていた。
何気なく彼にはそのことを指摘して、訂正させた。
一か月ほどたったある家庭教師の日の事。
「先生見て下さい。英語も数学も全問正解です。」
私が着く早々すごい勢いで彼がそう言う。
何事かと思えばチャレンジの結果が戻ってきたらしい。
「両方とも全問正解なんて初めてです。」
『これって俺が教えたやつじゃん。』
そう思ったのだが、彼の勢いに押されて、
「すごいじゃん。天才かも?」
と言ってしまった。
気を良くした彼は何か商品がもらえるとか、名前が載るとか話をしてくれて大変うれしそうだった。
「お父さんも喜んでくれました。」
「これまでも90点とかはあったんですけど、満点なんて、それも英語も数学も、、、。」
『俺が教えたんじゃん。』
俺が褒めて欲しいくらいだったが、ぐっと堪えていた。
その日、彼は上機嫌で、あの問題はこうだった、などと突然思い出したようにチャレンジの話題をしてくる。
それにも関わらず私が教えたことはどうやら忘れている様子だ。
その後の彼は勉強にやる気が出てきた。
次のテストではクラスで一番になり、
目標が学年で一番だというようになった。
勉強が出来ることで皆が褒めてくれて頑張る力が出来てきたようだ。
しばらくすると本当に学年で一番になってしまった。
地元の一番の進学校に行き、その中でも上位の成績でいたようだ。
高校生3年生の頃、彼とご家族とで談笑する機会が有った。
あの時のチャレンジ満点の話をした。
「満点で嬉しかったのは覚えていますけど、先生に教えてもらいましたっけ?」
やはり忘れていた。
めいど ばい よしだ の お寿司です。

k君は中学2年生。勉強は良く出来る。クラスで2,3番だ。
毎週一回の家庭教師に行った時のことだ。
「今日はチャレンジをやってもいいですか?」
チャレンジというのは人気の通信教育で彼は数年前からやっている。
「どうして?」
「ちょっとさぼっちゃって、お父さんに叱られて提出が明日までなんです。」
これまでそんなことを言ったことがない彼なので、
「じゃ、今日は特別ね、良いよ。」
彼は英語、数学の問題を解いた。
せっかくなので彼の答案を見た。
良く出来ていたが、それぞれ2,3問間違っていた。
何気なく彼にはそのことを指摘して、訂正させた。
一か月ほどたったある家庭教師の日の事。
「先生見て下さい。英語も数学も全問正解です。」
私が着く早々すごい勢いで彼がそう言う。
何事かと思えばチャレンジの結果が戻ってきたらしい。
「両方とも全問正解なんて初めてです。」
『これって俺が教えたやつじゃん。』
そう思ったのだが、彼の勢いに押されて、
「すごいじゃん。天才かも?」
と言ってしまった。
気を良くした彼は何か商品がもらえるとか、名前が載るとか話をしてくれて大変うれしそうだった。
「お父さんも喜んでくれました。」
「これまでも90点とかはあったんですけど、満点なんて、それも英語も数学も、、、。」
『俺が教えたんじゃん。』
俺が褒めて欲しいくらいだったが、ぐっと堪えていた。
その日、彼は上機嫌で、あの問題はこうだった、などと突然思い出したようにチャレンジの話題をしてくる。
それにも関わらず私が教えたことはどうやら忘れている様子だ。
その後の彼は勉強にやる気が出てきた。
次のテストではクラスで一番になり、
目標が学年で一番だというようになった。
勉強が出来ることで皆が褒めてくれて頑張る力が出来てきたようだ。
しばらくすると本当に学年で一番になってしまった。
地元の一番の進学校に行き、その中でも上位の成績でいたようだ。
高校生3年生の頃、彼とご家族とで談笑する機会が有った。
あの時のチャレンジ満点の話をした。
「満点で嬉しかったのは覚えていますけど、先生に教えてもらいましたっけ?」
やはり忘れていた。
めいど ばい よしだ の お寿司です。
2019年10月05日
勉強が出来る人と出来ない人との違い
「頑張って勉強をしてテストの点数を上げて希望する高校に行きたいです。」
私の生徒になってくれた人のほぼ全員がそう言う。
私としても何とか願いを叶えて上げたいがなかなかそうはならない。
上がった人とそうでない人との違い、勉強が出来る人を見本としたときに出来ない人との違い。
よくそんなことを考える。
「頭が良いかそうでないか。」
結局はそこに行きつく。
「え?そこ?それを言ったらおしまいじゃん。」
お母さん方のそんな声が聞こえてきそうだが、頭が良い人になって願いをかなえて欲しい。
「頑張って勉強をしてテストの点数を上げて希望する高校に行きたい。」のならそれを実現しようとして欲しい。
漠然と思い描いているだけよりも実現に向けて取り組みをした方が可能性が高くなる。
まずは強く意識することだ。
「〇〇高校合格」などと墨で書いて毎日復唱するという昭和方式も良いかも知れない。
「何をしたらよいのかわからない。」
それを言ったらおしまい。必死になって自分の頭で考える。
すべきことはそれぞれ違うので、私や学校の先生や親が言ったことを参考にしながらも自分で必死になって考える。
私が言ったことをやらなくて、自分で考えもせずに、「わからない、わからない」と言うのは頭が良いとは言えない。
まずは私が言ったことを思いっきり実践してみてはどうだろうか?
新研究やマイペースはやったと思いますが、出来ますか?
出来る様にしないといけません。
そのためには日付と点数を記入することです。
ここまでは何度も言っていますがやっていますか?やりもせずにわからない、出来ないのはどうなんでしょう?
問題を解く事だけではなく周囲の関連した内容も覚えます。
例えば問題には示準化石が出ていたとして、示相化石も一緒に覚えます。
全範囲の基本的な単語、公式、解き方は全て覚えます。
難しい応用問題はそのあとの課題です。
基本的な事を覚えていない人が多いです。
頭が良い人は覚えようと努力してそして覚えます。暗記です。
暗記を意識するかどうか?
これが頭が良いかどうかの分かれ目です。
公立高校の入試は暗記すればできます。
考える力、はもっと先の話です。
私がやるあれこれの作戦がありますね。
金のシール、7日間の計算プリント、吉田塾、勉強会、グループ学習、勉強時間マラソン、
私の金儲けではありません。このうち無料のものが多いでしょう?私は金が嫌いです。笑
脱線しましたが、これらに乗っかかって受験を盛り上げるも頭の良いやり方です
全てを自力で出来れば乗っかからなくても良いのですが、出来ないから私の生徒でいるのです。
それなのに乗っかからないのは頭が良いとは言えません。
ご家庭も同様です。受験までのわずかの期間です。中三のお子さんを最優先にしてみんなで応援してください。
「受験するのは子だもだから。」
そう言って塾に丸投げをして成績が上がらないと嘆く親が多いです。
そんな中で頭の良い親は親としてできることをしようとします。
お子さんにとって、頭の良い親は強力な味方です。
私もきっと強力な味方のはずです。
生徒の皆さんが頭が良くなれば必ず勝てます。
行きたい高校に行く、これを強く意識してください。
ライバルに勝つためにたくさん時間をかけて勉強する。
暗記を心がける。単語、公式、解き方、です。
過去問などの応用問題の解き方は私に任せて下さい。
皆さんは教えてもらった解き方を覚えて次は自力で解けるように繰り返してください。
頭を使って取り組むことが頭が良い人のやり方です。
疑問があれば何でも私に聞いてください。
今夜、今週分の報告メールを待っています。
私の生徒になってくれた人のほぼ全員がそう言う。
私としても何とか願いを叶えて上げたいがなかなかそうはならない。
上がった人とそうでない人との違い、勉強が出来る人を見本としたときに出来ない人との違い。
よくそんなことを考える。
「頭が良いかそうでないか。」
結局はそこに行きつく。
「え?そこ?それを言ったらおしまいじゃん。」
お母さん方のそんな声が聞こえてきそうだが、頭が良い人になって願いをかなえて欲しい。
「頑張って勉強をしてテストの点数を上げて希望する高校に行きたい。」のならそれを実現しようとして欲しい。
漠然と思い描いているだけよりも実現に向けて取り組みをした方が可能性が高くなる。
まずは強く意識することだ。
「〇〇高校合格」などと墨で書いて毎日復唱するという昭和方式も良いかも知れない。
「何をしたらよいのかわからない。」
それを言ったらおしまい。必死になって自分の頭で考える。
すべきことはそれぞれ違うので、私や学校の先生や親が言ったことを参考にしながらも自分で必死になって考える。
私が言ったことをやらなくて、自分で考えもせずに、「わからない、わからない」と言うのは頭が良いとは言えない。
まずは私が言ったことを思いっきり実践してみてはどうだろうか?
新研究やマイペースはやったと思いますが、出来ますか?
出来る様にしないといけません。
そのためには日付と点数を記入することです。
ここまでは何度も言っていますがやっていますか?やりもせずにわからない、出来ないのはどうなんでしょう?
問題を解く事だけではなく周囲の関連した内容も覚えます。
例えば問題には示準化石が出ていたとして、示相化石も一緒に覚えます。
全範囲の基本的な単語、公式、解き方は全て覚えます。
難しい応用問題はそのあとの課題です。
基本的な事を覚えていない人が多いです。
頭が良い人は覚えようと努力してそして覚えます。暗記です。
暗記を意識するかどうか?
これが頭が良いかどうかの分かれ目です。
公立高校の入試は暗記すればできます。
考える力、はもっと先の話です。
私がやるあれこれの作戦がありますね。
金のシール、7日間の計算プリント、吉田塾、勉強会、グループ学習、勉強時間マラソン、
私の金儲けではありません。このうち無料のものが多いでしょう?私は金が嫌いです。笑
脱線しましたが、これらに乗っかかって受験を盛り上げるも頭の良いやり方です
全てを自力で出来れば乗っかからなくても良いのですが、出来ないから私の生徒でいるのです。
それなのに乗っかからないのは頭が良いとは言えません。
ご家庭も同様です。受験までのわずかの期間です。中三のお子さんを最優先にしてみんなで応援してください。
「受験するのは子だもだから。」
そう言って塾に丸投げをして成績が上がらないと嘆く親が多いです。
そんな中で頭の良い親は親としてできることをしようとします。
お子さんにとって、頭の良い親は強力な味方です。
私もきっと強力な味方のはずです。
生徒の皆さんが頭が良くなれば必ず勝てます。
行きたい高校に行く、これを強く意識してください。
ライバルに勝つためにたくさん時間をかけて勉強する。
暗記を心がける。単語、公式、解き方、です。
過去問などの応用問題の解き方は私に任せて下さい。
皆さんは教えてもらった解き方を覚えて次は自力で解けるように繰り返してください。
頭を使って取り組むことが頭が良い人のやり方です。
疑問があれば何でも私に聞いてください。
今夜、今週分の報告メールを待っています。