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駒ヶ根市赤穂の個人学習塾です

塾以外の雑談や趣味や独り言が多いですが、
どなたでもコメント大歓迎です。


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2022年11月25日

学校は何のために行くのか?



学校は何のために行くのか?

当たり前やろ!
勉強をするためや!

そうだろうか?

勉強なら家でも出来る。
一人でも出来る。
教えてもらわなければ解らないというのは正しくない。
教えて貰ったことをどのくらい理解して覚えているというのか?

中3生の大半は1、2年生の社会や理科を覚えていなくて3年生になってから問題集を使って勉強をして理解をする。

小学校の途中からほぼ学校に行かなかった生徒がいる。
伊那北高校に入って何故かキチンと通えた。
勉強は私が教えたものの学校で習う全てを教える膨大な時間を関わったのではない。
やり方やポイントを教えて自分が中心でやった。

しかし学校でなければ学べない事がある。
社会性だ。同級生の仲間との関わりによって人との距離感を学び、大人の社会に適応出来る人になっていく。
その分個性は失われていくかも知れない。
個性は求められず、協調や我慢を学ぶ。
日本で大人になるのなら必要だろう。
飛び抜けた存在になるのなら要らない。
学校での勉強が無駄だとまでは言わない。

色んな人間が世の中には存在するという事、
理不尽さをどこまで許容するのか、
無駄に思える事から、本当は意味があるのかを考える事も出来る。

体力を養う事にも繋がる。

全てが大人になって日本の社会で生きていくには必要だ。

勝手なイメージだがその中で飛び抜けた芸術家は育たない。
エジソン、シートン、ファーブル、の様な歴史上の人物は育たない。

普通に暮らせる普通の人になるための社会性、というとつまらない様だがそれが当たり前。

勉強という活動を通して社会性を学ぶ。
勉強の能率だけだと自宅で参考書やネットを使ってやるのが一番だ。

しかし自宅で親が出来る事よりもずっと沢山の社会性を少しずつ学ぶのが学校。
通う事や一日そこで耐える事で身につけるのが体力。

コロナ禍でのお休みは大変だよ〜
  
Posted by sawch at 09:47Comments(0)

2022年11月24日

サッカー やっぱり勝つのは良いもんだ



サッカーワールドカップは大して興味がなかった。
3人の息子達がサッカーをしていたので赤穂中学校や駒ヶ根東小学校のグラウンドをはじめ、アルウィン等の県内の沢山のグラウンドや東京の味の素スタジアムまで行って応援したのは大変な思い出だ。

しかし今回のワールドカップはいまいちのめり込めない。息子達がサッカーをしていないためかも知れない。
ウクライナ侵攻やコロナ禍で気分が盛り上がらないのかも知れない。
野球の大谷や村上の様な素人でもわかるスターをサッカーでは知らない事もある。

それでもドイツ戦は楽しみにしていた。
若い頃暮らしたドイツへの想いがある。
滞在していた時のワールドカップではドイツが優勝しドイツ人と一緒に盛り上がった事がある。

『0−3位でドイツの勝ちかな?』
それでも引き分けになって欲しいかな?

ドイツのダイレクトパスには余裕があり、取れそうで取れない所でボールを運んでいる。
それに比べて日本は思うようにボールを回せない。2人3人で日本のボールを奪いに来る。
『日本のゴールキーパーは凄いな〜』

まさか勝つなんて思ってなかった自分にカツ!

テレビで見ているだけなのに勝てばワクワクする。
朝のニュースではサッカーの話題を追いかける。
『次はコスタリカだ。ドイツがスペインに負けたら、、』
等と決勝に出る予想をしている。

やっぱり勝つのは良いもんだ。

ガンバレ、日本のサッカー!!
  
Posted by sawch at 07:42Comments(0)独り言

2022年11月23日

カジノへ行ったことはありますか?



平成初めのドイツの日本人社会のパーティーの席だ。

一人の日本人現地法人の代表が参加していた。
同じテーブルには日本人の男性女性数人がいた。
その代表の会社は日本では数千人の社員がいる大きな会社だがその場では蚊帳の外だった。
領事館等の職員を筆頭に商社や銀行を頂上としてその下にメーカーが続く暗黙のピラミッドがあった。トヨタやソニーは当時は世界トップのブランドだったがそれでもメーカーはメーカーだった。
東南アジアの日本企業は生産拠点だったがヨーロッパは販売拠点だったので日本の本社と変わらない情報が集まる。
それでもメーカーはメーカーだった。
メーカーの中でも業界や企業による序列の様なものがあった。

パーティーのテーブルで蚊帳の外に置かれていたのはそのピラミッドのためだ。

「モナコのカジノにはいつかは行きたいですね。」

そんな話題になっていた。
カジノは一流人の社交場で簡単に入ることは出来なかった。
特にモナコは上流階級の人しか入る事を許されていなかった。
日本人社会でも入った事がある人は限られていた。
「私はモナコのカジノに何回も行ったことがあります。」
その代表が話すと背を向けていたかの様な日本人達が急に向き直って話しかけてきた。
「どんな様子でしたか?」
「どんな方の案内で入場されたのですか?」
ドンドンと質問がやってくる。

取引先のイタリアの大会社の社長に気に入られて個人的な友達として一緒に行ったらしい。

そのテーブルにいた日本人達の憧れと尊敬が集まった。
「水戸黄門の印籠みたいなものだったよ。」
その代表は私に話してくれた。

そんないびつな日本人社会が存在していたのはバブルだったからかも知れない。  
Posted by sawch at 09:09Comments(0)昔の話

2022年11月22日

天下一品のラーメン



「天一のラーメンって何か変なもんが入ってんとちゃうか?」
「お〜俺もそう思うわ。夜中に突然めっちゃ食べたなって久御山に走る事あるわ。」
「あるある、俺なんかこの前夜中寝てたのに本店まで走ったわ。」

本店は銀閣寺のそばにあり家から車で夜中でも1時間では着かない距離だ。

「あのこってりは2日続けて食べたいとは思わんな。」
「一週間位したら急に食べたなるな。」
「なるなる、ホンマ一週間やな。」

20歳の頃の俺たちでも一週間だった。

  
Posted by sawch at 20:16Comments(0)昔の話

2022年11月21日

餃子の王将



20世紀の終わり頃の京都の営業所。
月末恒例の棚卸しだ。
営業所にある商品を数えて台帳と合うことを確認する。
何故か合わない事が多い。
商品の種類と数が多いので大変な作業だ。
この生産性がない作業は嫌だった。

「俺はミスなんてしない。きっと先輩だ。」
ワガママな新人の私はそう感じて、ますます嫌になった。

その日は一日棚卸しだった。
唯一の楽しみは夜食の王将だった。

京都王将は顧客の一つで、商品クーポンが送られてきた。贈り物ではなくて売り上げの一部をクーポンで送って来るというその頃には珍しくない持ちつ持たれつの取り引きだった。

そのクーポンを使っての夜食だった。
営業なので残業代は出ない。

もう一人の新人と二人でみんなの注文をまとめて電話をする。
営業車で店に取りに行く。
レジの人は沢山のクーポンにいつも驚く。
電話で注文をしているので店に着くと商品は出来ている。
出来るだけ長く営業所を離れていたいので、
ゆっくりしたいがそうさせてくれない。

持ち帰ったメニューが冷めているとブツブツ言われる。
「吉田君達はサボってたやろ?」

『ごちゃごちゃ言わずに自分でミスした在庫を合わせろ!』

そう思うとイライラしたがこの王将の夜食の時間は和気あいあいとした。

営業所の余ったクーポンは所員に売りに出された。500円のクーポンは450円で所長から買う。
営業担当値域の京都と滋賀には沢山の王将があるので、わずか50円の差額でも嬉しい。

「クーポンを失くしてしもうた。」
先輩が叫んでいる。 
きっと来月も棚卸しは大変だ。  
Posted by sawch at 08:22Comments(0)昔の話

2022年11月19日

私の子育て 学校に顔を売る



子供達の保育園から小中高の学校には沢山顔を出した。

『どんな風にしてるかな?みんなと遊んでるかな?』
そんな興味から保育園の送迎は出来るだけ行った。
私の息子はサッサと走って行ってしまう。
「ボール投げれるよ、」
知らない女の子が突然言ってくる。
「誰?」
しばらく游んだ後で突然言われた。
「パパはお仕事に行ったよ。行けば?」
そう言って消えていった。

3人の息子の全員が小1の時にクラス役員をした。
希望者がいないと推薦で選ぶ。
その時には名簿の最初と最後が選ばれると聞いた。吉田だと2年生か3年生で回ってくる。
それならと思って立候補した。
学年懇談会の司会になった事もある。
他の司会はスーツを着て台本を読んでいて、やたらと丁寧だ。
「もっと近くに座って下さい。襲わないから大丈夫ですよ。」
そんな風に始めるのは私位だ。
『どの保護者も我が子がカワイイから来ているし、我が子の友達や先生のことも大好きだろう。』
そう思っているから緊張はしない。

ベテランの先生から宿題の量について相談されたり、学級崩壊の学年では無関係なのに教育長に1人で訴える役を任されたり、お泊り会ではカメラ係になったり、運動会でもクラスの沢山の児童の写真を撮った。

赤穂中学校でも1年生で役員をして学校登山には3回も引率した。
校長に直談判をして夏休みの勉強会を第一理科室でやった。

松商学園のサッカー部の焼き肉会では、集合写真を撮るから並んで〜と突然呼びかけた。

我が子がどんな風に過ごしているのか、友達とはどんな関係だろうか、どんな先生か、どんなクラスか、という興味がある。

結果としてだが先生からは一目置かれる。
多少の悪さは多目に見てくれる。
他の生徒にはキツく言う事でも、まずは私に相談して穏便に済ましてくれた事もあった。
お陰で子供達は歪まずに成長出来た。

「得意な人は良いが私は苦手です。」
そう言って役員を回避しようとする親が多い。
そんなことを言ってると子供も発言出来ない人になる。
親がまずは頑張らないといけないんです…
学校に協力して盛り上げる事が必要なんです。

それが我が子に帰って来ます。
一生に一度の子育てですよ。
運動会や音楽会だけだはない我が子の様子を見たくはないのかな?

職場にも行きたい。  
Posted by sawch at 09:16Comments(0)

2022年11月18日

私の子育て ゲームとの関わり



ゲームは楽しい。楽し過ぎて時間制限を守るのは難しい。ゲームをせずに本を読んだり勉強をしたりするのは難しい。だから我が家にはゲーム機は無かった。

昭和の大阪郊外。中3生の私はインベーダーゲームに夢中だった。1つの喫茶店に同じ中学の3年生が入り浸っていた。髪の色を染めたり、パーマをかけたり、剃り込みを入れたりした不良が多かった。不良以外はボスザルピラミッドで上にいる様な奴がいて私もそのうちだった。
2年生は2人程の学年トップの不良だけがいた。
プレーは一回100円だったが不良の奴らは上手かったので1プレーで30分位はやっていた。
彼らは学校に行かずに一日中ゲームをしていた。
私らは放課後に喫茶店へ行った。
私を含めて周りには何人もが取り囲みゲーム台を覗きながらアレコレと喋っていた。タバコを吸ってるやつもいた。店主は何も言わない。
不良の温床として目をつけられて教師が時々まわってきたが、店主が追い払っていた。
当時の親達はどれほどゲームをやめさせたかった事だろう。

平成初めのデュッセルドルフ。企業の駐在員だった私は勤務を終えてマンションに戻るとネクタイも外さずにゲームを始めた。たまごっち位の小さなゲーム機を知人から借りたのだ。テトリスだったと思うが単純なゲームだった。
頭がクラクラしてゲームを終えるのは深夜2時位だった。食事も風呂も要らなかった。

その数年後の平成の駒ヶ根。家庭教師先の家庭での悩みは決まってゲームだった。ルールを決めても守らなくて、勉強等はやらない。ゲームが終わるとあとは寝るだけ。叱ってくれるはずの父親とゲーム機を取り合うケースもあった。
一階の居間にいると、突然庭で大きな音がした。
母親が激怒して息子のゲーム機を窓から投げ捨てたらしい。

あちこちでそれに近い悲鳴の様な話しを聞いた。

さらにその数年後の我が家の子育てにはゲーム機を取り除いた。外遊びやボードゲーム、読書をさせた。
息子達はゲーム機を欲しがった。
私が見てきたものを話した。
「俺の家に来て保育園児の息子達と話してくれない?」
あるゲーム好きの中学生に話した。
「なんで?」

「ゲームばかりやってるとこんなんになるんだと息子達に見せたいからだよ。」

「ひで〜事を言う。でも確かにそうかも知れない。」

当時の中学生はみんながやり過ぎだと自覚していたがどうすることも出来なかった。

息子達が欲しがったり、怒ったり、時には友達のを借りたり、仲間外れにされたり、と色んな事があった。

それでもゲームを我が家に置かないのは良かった。
大人になり自由になった今はゲームをしているのだろうか?
そんな話題にすらならない。  
Posted by sawch at 08:07Comments(0)

2022年11月17日

上伊那の子供はテストに弱い



「上伊那の浪人生は凄く伸びるそうですね。」
ある校長が全国校長会でそう言われて悔しかったと個人的に話してくれた。
裏を返せば現役高校生のレベルが低いという事だ。
私に関係する中学生を見ても学力レベルは高くない。
どうすれば良いのか?
何が欠けているのか?

色々あるが大きいのは競争心だろう。
何をするにしても競争心が無いと人には勝てない。みんなで手を繋いでかけっこをしていても速くはならない。
息子達が松本の高校に通っていた頃、
「上伊那は気候も人も穏やかで良い所ですね。」
松本の親達によく言われた。
「松本も気候はともかく人は穏やかですよ、大阪と比べれば。」と言うと皆さんは笑っていた。

私はこの穏やかさが気に入って25年ここにいる。
私も穏やかに進化できつつある。

その分競争には弱くて逞しさは感じない子が多くて、「良い子」が多い。
穏やかな親が穏やかな環境で育てた。競争が無い学校で育った。それなりに頑張るが、もっともっと頑張る事は出来るはずだ。

子供の頃の雑誌で西城秀樹さんが思い出として語っていた。
「中学生の頃は徹夜でテスト勉強をした。」
『中学生になったら徹夜で勉強するんだな。』
そう覚悟をしたものだ。

皇后陛下の雅子様が外交官の試験の前には
毎日20時間の勉強をしたという記事を読んだ。
『一日って何時間だ?』
他人事としか思えない俺もノンビリしている。

「うちの子は沢山やっている割には点数が上がらない」
「うちの子は勉強の仕方がわかっていない。」
そう言う親は多い。
その発言には楽して良い成績を取らせて上げたいと他力本願で競争心の無さを感じる。

徹夜をしたり、20時間も勉強すれば、仕方を身につけるし、点数は上がるだろう。
何せ周囲はノンビリしている。

元々人口が少なくてさらに少子化でさらに少なく
個々を尊重している。とても良い事だ。
しかし競争心は育ちにくい。

学年1番の点数の生徒を何人か教えたことがある。周りからすれば親の遺伝だとか、やらなくても出来る天才だとか言う。既に競争を放棄して別次元だと諦めている。

「臥薪嘗胆」「打倒学年全員」
半紙にそう書いて貼っていた中学生がいた。
放課後は友達と遊べずに親が問題集を沢山やらせていた小学生時代を過ごした子もいた。
赤穂中学校、駒ヶ根東中学校、の生徒だった。
とりあえず学年で1番だった。
楽しい子供時代を送れずに過ごして、
都会に出て熾烈な競争に打ちひしがれてしまう人もいる。
個人的にはノンビリと楽しく過ごすのが良いと思う。

親が良い成績を求めるのなら多少の競争心が必要だ。
小さい頃からの育て方が大事だが、とりあえず中学生になった今から出来る事がある。

吉田塾へようこそ。
私にまだ僅かに残っている競争心を感じて貰える。
大した事は無い私だが、そこらの人には負けない気持ちはある。
少しでも伝わると、周りの生徒よりは有利だ。
親も子供も気合いを入れてあげます。
猪木さんの様なビンタは出来ませんが、
言葉と文章で気合いを入れてあげます。
素直な気持ちと少しのヤル気を持って来て下さい。
間もなく締め切ります。

吉田塾の広告でした。  
Posted by sawch at 08:33Comments(0)

2022年11月16日

私の子育て モンスターペアレント?



「先生なぁ〜 小学1年生から落ち着いてたらそれは死んでんのとちゃいますか?」
息子の学級懇談会で多少の大阪弁を交えて発言する私に先生や他の保護者は凍りついていた。
私の息子が落ち着きが無いと言われた事に反論した。
コロナ禍のずっと前だが、学校では黙って話しを聞こう、特に授業中は静かに、と言われる。
それが出来ないとアレコレ言われる。
教える側の都合だけで言われる。
どこに出しても恥ずかしい息子ではない。
納得行かない事にははっきりと声を上げて子供を守ってきた。

小学校の地区懇談会というものに初めて参加した。駒ヶ根市の南割地区の保護者が1年生から6年生まで数十人が学校に集まり、教師も参加して学校生活等の話しをする。
「ゲームの時間制限を守ってくれない。」
「ゲームばかりで宿題をしない。」
「友達と遊んでもみんなでゲームばかりしている。」
その日はゲームとの関わりがテーマだった。
何となくイライラした私が発言した。
「ゲームがそんなに良くないのなら取り上げたらどうですか?」
私が言えば
「それが出来たら苦労はしませんよ。」
と反論してくる。
「自分の子供でしょう?どうして出来ないのですか?」
「子供は怒るし、ゲームが無いと仲間外れにされます。」
「そもそも親がゲームを与えたんですよね?」
「そう仰る吉田さんのお宅ではどのようにゲームと付き合ってるのですか?」
「うちはゲームはありません。」

ここで会場はざわついていた。

数年後に一人の親から言われたことがある。
「大洋君のお陰でうちの子もゲーム機を置いてサッカーをするようになりました。ありがとうございます。」
私の息子もゲーム機を欲しがった。
ゲーム機が悪いのではない。
面白すぎて、刺激が強過ぎて、親が管理出来ないと思うので与えなかった。
与えてから管理が出来ないと言う親たちに思わず意見を述べてしまった。
1年生の保護者なのに物言う保護者としてマークされてしまった。

まあ、ええんとちゃいますか?
  
Posted by sawch at 08:10Comments(0)

2022年11月15日

私の子育て 旅が育てる



信州に移住して以来数え切れない位旅行に出かけた。
まずは県内。
陣馬形山がお気に入りの一つだったが、当時の道は酷かった。
狭い道はコンクリートで崖側半分が傾いている所が多く命懸けだった。
子供達は車内で山側に体を寄せ合っていた。
山頂に人は少くてGW中の写真を見ても写りこんでいる人はいない。広い空の下で思い切りサッカーや鬼ごっこが出来た。

2泊以上の旅行を年に20回以上行った年もあった。
1週間旅行を恒例行事にした。夏休み前の時期に学校を休ませて旅に出た。先生の心中は??だったと思うが、学校の勉強では学べないものがあると思っていた。本当は単に私が好きだったからだ。子供達には大いに刺激になり、準備段階から地図や図書館で旅先の情報を調べた。
戻ってきたら日記の様にまとめた。

旅先では沢山の人と関わるようにした。
少年自然の家等を使った。
学校の宿泊訓練や部活動の合宿で来る子が多くて、朝のミーティングがあり、廊下や食堂では挨拶し合うルールがあり、集団生活のメンバーに入れて貰ったようだ。
3月のスキー場の施設での利用ではヤマダ電機の新人研修の皆さんと同宿で沢山のお兄さんお姉さんに可愛がって頂いた。
東北旅行では宮古水産高校の女子達と仲良くなった。震災の前だった。
北海道では施設の活動で登山をした。トランシーバーで施設に安全確認をしながら登った。
保育園児には過酷だったが偶然自衛隊の訓練と一緒になり、沢山の人が追い抜かしざまに声をかけてくれた。

旅先での刺激と人との交流は子供達の視野を拡げた。

中学を卒業すると3人の息子達は家を離れて寮に入った。他人との生活に不安が少なかった事もあるだろう。
子供の頃から1人で東京や大阪に行ける子達だった。

私も子供達も今も旅の途中である。
  
Posted by sawch at 08:08Comments(0)

2022年11月14日

私の子育て 団地が最適だった



近所に住む小学校高学年の女の子が何人かの小さな子ども達を整列させて行進の練習をしている。
私の息子も緊張したような嬉しいような顔で並んでいる。団地の外の林に行き兵隊さんの様に行進している。

中庭に一人で遊んでいると部屋から見た仲間が加わる。二人揃うと賑やかになり声を聞いてドンドンと人が集まる。
2棟の団地には80戸あったが小学生だけで20数人いてそれより大きい子達、小さい子達も含めると凄い数の子供がいた。駒ヶ根でこれ程沢山の子供がいる所はないだろう。他からも友達が集まりいつも賑やかだった。

団地の周回路でリレーをして遊んでいた。
一回やった結果でメンバーを変えたりハンディをつけていい勝負になるように工夫していた。
本気で走り、本気で応援して、道路に倒れ込んで休んでいた。疲れを知らないかの様にずっと繰り返していた。

息子達がよその友達と数人で鬼ごっこをしていた。
「おい、こら、待て!」
大人が叫ぶ声が聞こえる。
部屋の窓から覗くと高校生が友達を交えて息子達の鬼ごっこに参加していた。小学生の方がすばしっこくて無尽の体力があるようで、高校生がむきになって追いかけていた。

赤穂南小学校のリレーの選手やマラソン大会の上位には団地の子達が並ぶ。
上下関係やいたわりの心や時には理不尽さも学ぶ。

ブラジル人の住民がいた。お父さんとはタトゥーをしていかつい車に乗り、ベランダでバーベキューをするなどでお騒がせ住民だった。
そこの子供は息子の友達だった。日本人のリーダー格の息子が友達になってくれている事に親は大いに喜んでくれた。息子を見るとむりやり捕まえてハグをして頭を撫でた。
「タバコ臭え〜」
息子は照れていた。

南小では会長と自らを呼び偉そうにしていた息子だった。
学校帰りに団地の入口で低学年の女の子に捕まっていた。
縄跳びの相手をさせられていた。
縄の片側をフェンスに結び片側を息子が持って回す様に言われていた。
「もっと速く!」
「私が飛んだら次を回して!」
めっちゃ指示されていた。
部屋から見る私に気付き困った様な嬉しい様な照れ笑いをした。
「お前が会長ならあの子は南小のゴッドファーザーだ。」
後で私が言う言葉に
「あいつマジうざい。」

うざいなら放っておいたらいいはずだけど。

子供は親が育てるものだ。
しかし親だけではいけない。
周りの大人が必要だ。
それ以上に周りの子供が必要だ。
多少年代の異なる子供が必要だ。

自分らで遊ぶ事で人との関わりを学び、
体力が付く。

団地のお陰で息子達は逞しく育った。  
Posted by sawch at 07:56Comments(0)

2022年11月13日

私の子育て 移住



田舎で子育てをしたくて駒ヶ根に来て25年。
息子達は元気で体力がある少年時代を過ごした。
私の望んだ通りの子育てが出来た。
学業成績は望みには無かった。

子供達とはひたすら外で遊んだ。
ごく近所から駒ヶ根市内の公園は全て何度も行った。
本屋で長野県の地図を買い公園と名前のつくところはどこへでも行った。
公園だけではなくて市役所でもスキー場でも駅でもベルシャインでも生徒宅の広い庭でもどこでも遊んでくれた。

一緒に走ったり、探検したり、戦ったりした。
駒ヶ根の保育園には3年保育で入る子が多いが、
3人とも2年保育にした。
幼いあいだは自分が関わりたかった。

「親はみんな一生懸命子供を育てているんです。でも仕事も大事なんです。」

この仕事をしていると良く耳にする。
『俺なんて仕事を捨てて、ふるさとも捨てて子育てをしている。』
そんな自信があった。

何をどう言っても子供を育てるのは親だ。
段々と親が育てる割合いを減らしていき社会に育てて貰う。
保育園、学校、そんな社会に育てて貰う時に自信のある子供であるように育てているかが大事なんです。
周りの子供よりも元気でかけっこが速い事がうちのコの自信となった。  
Posted by sawch at 09:29Comments(0)

2022年11月12日

大鹿村





大鹿村へ行った。
途中で中川村のイチョウ並木を見た。
ここは有名になってきた様でそれなりに人がいた。
人がいるところは早めに切り上げる。

大鹿村の大西公園から国道152号に沿っての里道を歩いた。歩く人はもちろん住民さえいない。
松下家という古い民家を公開しているので行った。
管理人と1時間程しゃべった。
それも建物に入らずだ。
以前入った事があるので外で山を眺めていると出てきてくれた。
その間に訪れる人はいなかった。
60代の管理人は先週お母さんを亡くされたそうだ。
上のお宅のおばあちゃんが乳母車を押して管理人に大根を持って来た。
あっちもこっちも人がいなくなったと寂しい話ししか出てこない。
山の中の道を歩くとポツンポツンと家がある。
固まってないのが大鹿の特徴だ。
農耕でなくて林業で暮らしてたからかと思う。
空き家の方が多い。
立派な家に柿やかりんや柚子まで放置されている。
日本はどうなるのだろう‥
このまま誰もいなくなってしまうのだろうか?

大西公園に戻るが遊ぶ家族は一組のみ。
こんなに景色が良くて整備されていても誰もいない。
山が崩れた跡は何度見ても痛々しい。

車で山の細い道を抜けると四徳温泉のキャンプ場があるが驚くほどの人がいて焚き火をしている。
手前の桑原キャンプ場も賑わっていた。
20年近く前に桑原キャンプ場の管理人と喋ったが、不便な場所で客が来ないと嘆いていたのが嘘のような賑わいだ。
中沢公民館で見た三六災害での四徳の惨状の写真を思い出した。
この山の中に学校が出来る程の人が住んでいた。

その後は中沢の百々目木まではまた寂しい山道だ。

中沢に着いた頃には暗くなっていて人家の灯りと開けた土地を見るとホッとした。  
Posted by sawch at 21:44Comments(0)独り言

2022年11月11日

教えにくい生徒の親の職業は教師?



25年もこんな仕事をしていると色んな傾向が見えてくる。
確実に言えることは子供は親が育てているという事だ。
否定的な事を言って育てると自己評価が低く、
上手くいかない事の多い子供が育つ。

その生徒は医療機関からの診断を受けていたらしい。
学習障害等いくつかがあるとの事だ。
私が関わり出した中学生の時の勉強はめちゃくちゃだった。
円の面積と円周を求める計算に1時間をかけても結局出来なかった。
1時間もかけた私が悪かった。
英単語は見た事もない綴りなのに自分で○を付けていた。
両親ともやたらとキチンとしていて優秀な人という印象だった。
話しの端々に子供を否定し謙遜しすぎる言葉があり、何とかして少しでも上に行かなくてはという現状を受け入れたくない様子がある。

円の面積の出し方が覚えられない生徒なので普通には教えられない。
出来る所を少しずつ、何度も繰り返してやる事が大事だ。
学校の授業が解るようにする配慮も必要だ。

教えた所を翌日等に自分でやってくれないと身につかない。
何回言っても自分ではやらなくて毎回同じ事を教えた。
叱り過ぎると萎縮するので緩めに指導する。
やらなかった理由はモゴモゴと不思議な言い訳をする。

とにかく勉強はまるで進まない。

ある日私は見つけてしまった。
問題集に大人の文字で説明がかいてある。
私が教えていた所よりもずっと先の難しい所だったので気が付かなかった。

教師であるお父さんと毎晩勉強をしていると彼は白状した。
生徒は怯えていた。
私が本気で怒ると大阪弁でお父さんよりもずっと怖いから頑張りなさいとお母さんから聞いていたらしい。

お父さんと話した。
焦る気持ちはわかる。
しかし是迄沢山やって上手くいかないから依頼したんでしょう?
是非私に任せて欲しい。
私がやった事の復習をして欲しいが、現状ではお父さんの勉強には萎縮しているのでしばらく手を出さないのはどうだろう。
お子さんにもキチンと話しをして、こういう作戦でやると理解させて欲しい。

もちろんお父さんの子供なのでお父さんがやっても良いが、それなら私は辞めさせてもらう。

そんな話しをした。
私が任せられる事になった。

生徒は何とか駒工に入った。
奇跡に近い大躍進だった。
それなのに入試の点数が低くてすみませんと侘びてきた。
近所にある駒工の門が高くて輝いていた。
ロボコンで活躍してその後は立派な社会人になった。

教師の父親は話せばわかってくれた。
話さないとそのままだっただろう。
こういう父親と面と向かって話せるのは私が私だからだ。  
Posted by sawch at 08:44Comments(0)

2022年11月10日

高校生になってから塾に来ても遅いわ



高校生になってから塾に来る人が時々いる。
中学生の時の生徒ではない人だ。

弥生や伊那北に入って授業についていくのが大変になって成績が下位にいるというのだ。
女子が多い。数学がわからない人が多い。
英語とか国語だけで入ってしまったからだ。

何人かと関わったがはっきり言って無理だ。
自己流での勉強方法しか身についてなくて
勉強の仕方がわかっていない。

その勉強の仕方を教えて欲しいという事なのだが
無理だ。

中学生の時期なら間に合う事だが高校生は無理だ。高校受験と同じ危機感を高一生に求めるのは難しい。危機感があれば自分でも考えるし言う事を聞く。

成績に危機感を感じているとはいえ部活や青春との両立は簡単ではない。
考えれば当然なのに何故わからないのだろうと思う事がある。
伊那北であれ、弥生であれ、誰かは成績下位になるという事だ。
これまでそういう成績を取った事がないので親も含めてうろたえてしまう。

本当の本当は伊那北や弥生に入る位には塾など使わないで自力で入って欲しい。松本や長野市の進学校とは違っていて300点ちょっとで入れてしまう。
真剣に勉強をしなくても、それほどの実力がなくても入れてしまう。昔はそうではなかったそうだが今はそうだ。
中学生の頃にしっかりと勉強をする習慣がついていれば高校生になってからも危機感で、あるいは習慣として頑張れる。

中途半端がいけない。
そのあとの人生の方向が都会で勉強をしてきた人との競争へ向かうが勝つのは容易ではない。

ずば抜けた才能か頑張る力を持って進学校に行くのが理想だ。
そうではないなら吉田塾に来た方が良い。
中学生の今なら身につく事がある。
上伊那は緩いのでその中で何番とかで喜んでいるのではなくて400点を目標に必死になれる人になると良い。

中2の時には平均点位で私の生徒になり、何とか成績を上げてギリギリ弥生に入り、その先は自力で頑張った結果、現役で信大の理系に入った生徒がいます。
目標とヤル気と親の関わりも必要です。 
半分大人になった高校生になってからのスタートだと全てを捨てて勉強しないと無理です。
  
Posted by sawch at 07:39Comments(0)

2022年11月09日

塾でも夜空はキレイだった



昨日は塾にやってきた何人かと夜空を見上げた。

「赤いね。」
「よく見えます。」
「寒い。」
口々に話していた。
学校や学年が違う男女数人で暗闇の駐車場で夜空を眺めた。

「寒くなったら入っておいで、」
「後から来る人にも教えて上げて、」

その後も駐車場では僅かな時間の素敵な出会いがあったかも知れない。

塾が終わって外に出ると月が高い場所に移動して、さらに暗くなっていた。

「うわ〜」
口々に言いながら親の待つ車に乗り込んだ。
親子でも月を眺めただろうか。

「月がきれかった。」
チャリで来た生徒が家に戻るとそう話してくれたとお母さんから連絡が来た。

大人になってもこの日の夜の空を覚えている人がいてくれたら嬉しい。
  
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2022年11月08日

修学旅行のバイト 本能寺の変



京都でのホテルのバイト、休憩時間に窓の外を見ると本能寺が見える。裏庭の様な所が真下に見える。
『この本能寺が焼かれて織田信長が殺されたのか、』そう思って見ていると炎と逃げ惑う人々の姿が目に浮かぶ。
今は本能寺の変についての様々な研究が進んでいるが昭和の当時はここがその現場だという事に疑いはなく、地元では様々な心霊現象のウワサまであった。

ホテルでのバイトは時には怖い事がある。
まくらが1つ足らないとなれば客がいない他の階に行く。照明が点いていないので非常灯の薄明かりの中を歩き、広い無人の部屋に入る。元を切っているので灯りは点けられない。
押し入れを開ける瞬間が怖い。
『中に何かいるんじゃないか?』
まくらなら早々に退出出来るが布団が2枚とかだととても怖い。
押し入れって怖いです。

バイトは春と秋の修学旅行シーズンだけだ。
それ以外は社員だけでやっている。
私は3シーズン位やった。
新しいシーズンの初出勤の日の事だ。
「○○さんがいないです。」
社員で名物おじさんの様な年配の人が働いていないとバイトの一人が言った。
「どうしたんですか?」
若い社員に聞くが答えようとしない。
しつこく聞くと一言答えた。
「死んだんや。」
「え〜?元気やったのに、なんで?」
「それは言えんわ。」
私がふと呟いた。
「もしかしてここで亡くなったんですが?」
「吉田君、なんでわかるん?」
それ以上の細かい事は頑として話してくれない。

客がいなくて暗いフロアや○○さんが好きだった控室からの5時過ぎの顔出しや、トイレや荷物を運ぶエレベーター等あちこちがさらに怖くなった。
バイト同士の話題はその事ばかりになった。
社員がいると話してはいけない雰囲気だった。
何があったのかはなぞのままだ。

ホテル本能寺会館 今から数年前に建て替えられて何もかも無くなったのだろう。  
Posted by sawch at 07:59Comments(0)昔の話

2022年11月07日

修学旅行のバイト OL



昭和の終わりの夕方5時過ぎ、バイト先の京都のホテル。

控え室の窓から外を見ると本能寺が目の前に見える。
その隣には銀行が入ったビルがある。
信用金庫だったかも知れない。
そのビルの表は河原町通りに面しているが裏側は本能寺に面していてその両方がホテルの窓から見える。
真上を見ても真下を見てもホテルの窓からバイトが外を見ている。結構な年齢の社員の人も外を見ている。
毎日この時間には同じ様に各階の窓から沢山のバイトが外を見ている。

京都の美しい夕陽を見ている訳ではない。
銀行のロッカー室が見えるのだ。
ロッカーの窓はすりガラスになっていて向こうからこちらは見えない。
こちらから向こうはボンヤリと見える。
窓の近くにあるものはよく見える。

夕方5時過ぎのロッカー室だ。
女性行員がそこにいる。
制服から私服になって外へ出て行く。
こちらのホテルは10階建て位だろうか、
控え室の各階から顔が出ている。
男はみんなバカだ。
修学旅行生のお世話は放ったらかしだ。

因みにこの建物は建て替えられてもう無い。
2年前には赤穂中学校の修学旅行で新しいこのホテルを利用する予定だったがコロナ禍でキャンセルとなった。
恐らく銀行の方も無いかも知れない。
昭和は良かった。  
Posted by sawch at 07:35Comments(0)昔の話

2022年11月06日

長野県中学校駅伝



女子は赤穂中学校が1位、駒ヶ根東中学校が2位
男子は赤穂中学校が2位、駒ヶ根東中学校が9位
小さな駒ヶ根市なのに凄い。
林監督が率いる中沢ランニングクラブの貢献があったのかも知れない。知らんけど。
私の息子も小学生の時はお世話になって夢を見させて頂いた。

赤穂中学校の陸上部にも何人か生徒がいるが長距離ではない。
駒ヶ根東中学校には男子も女子も何人かの長距離選手がいる。
おめでとう。
悔しいのかな?
それでも走り終えて良かった。

3キロを10分を切る位で走るのか。
速いわ。
女子中学生も男子1年生も。
中学生の時の俺は5分20秒位だった。
遅いわ。
陸上部じゃなかったし、短距離の方が得意だし、
今は?3キロか、20分位かかるかも?(笑)

俺の話しは要らない。

みんな良く頑張りました。
今日はゆっくり休んでテスト勉強に頑張りましょう!  
Posted by sawch at 06:45Comments(0)

2022年11月05日

修学旅行のバイト 女子中学生



バイトの仕事は食事の準備片付けと布団の準備だ。

生徒が風呂に行き部屋にいない時に押入れから人数分の布団を出す。

時々散らかった部屋がある。
恐らく風呂に行く時に先生に急かされたのだろう。
女子中学生の下着が部屋に落ちていることが何度かあった。
男子は記憶にない。
そのままでは布団が置けないので部屋の端に置く。
ただそれだけだ。
布団を出し終えてバイト控え室にいると予想通り女子中学生の集団が遊びにやってくる。
「私の下着を触ったの?」
「触ってない」
「えー?じゃどうやって動かしたの?」
「フーフーって息で動かした。」
「え〜〜!」
そっちの方がヤバいかも?

また時には生徒がまだ部屋にいるときに布団の準備をする場合がある。

相手が子供であっても部屋をノックして
「入るよ〜」
叫んでから入る。
入ると女子中学生達がお風呂の準備をしていた。
「早くお風呂に行けよ〜」
「待って下さい!」
誰ともなく顔を見るでもなくそう言いながら布団を出していた。
中学生はギャーギャー言いながら準備をしていた。
少し経ってから
「キャー、出て行って下さい。」
突然叫び声が聞こえた。
顔を上げると何故か下着姿の生徒がいた。
『なんでここで裸になるんや?』
そう思ったが、
『ラッキー』
とも思った。
「早くお風呂に行ってね〜」
事務的にそう言いながら途中でその部屋を切り上げた。  
Posted by sawch at 07:06Comments(0)昔の話