2019年12月26日
頑張るのはお好きですか?
頑張るのはお好きですか?
私はあまり好きではありません。
どちらかというと楽な方に逃げていくタイプです。
その逃げ道を見つけることに関しては天才的かもしれません。
それにも関わらず毎日のように他人には頑張れと言っています。
息子たちにもさんざん言ってきました。
生徒の皆さんにもいつも言っています。
小学校のマラソン大会をイメージしてください。
ごくわずかな子は最初からすごい勢いで走っていきます。
多くの子はそれなりに頑張って走っています。
もう少し先にゴールがあります。
あるのはわかっていますが、カーブの先にあるので見えていません。
そのためなのでしょうか?
皆でおしゃべりをしながらのんびり走っています。
時々ダッシュする子がいます。
すぐに疲れてまたおしゃべりをしています。
友達と手をつないで走っている子もいます。
そんなことをしている間に抜かされてしまいます。
でも抜かした子もすぐにおしゃべりをしています。
みんなかなり疲れています。
歩いている子もいます。
「あとちょっとじゃん!!頑張れ!!」
高校受験を控えた中学生たちのイメージです。
みなさんなかなか頑張ることが出来ません。
親や先生や我々のような職業の人はいつも「頑張れ!」と言います。
あまり言い過ぎると疲れ果ててしまって走ることを辞めてしまうかもしれません。
私たち大人は走ることさえしません。
「昔は頑張って走った。他で頑張っている。」
そう言っても走っている子供には伝わりにくいようです。
頑張った先には極楽のような世界が待っているので我々は頑張ろうとするのでしょうね。
人はそもそも楽することが好きなんですね。
だから極楽を目指すのでしょうね。
色んな宗教も地獄ではなくて極楽や天国に行くために辛い修行や祈りを続けるのかもしれません。
でも辛いものは辛いし、本当に天国や極楽ってあるのかもわかりません。
「もういいや、無理!」
元々の体力がないと特に辞めたくなりますね。
「う~ん。私はよくわかっているつもりです。多分。」
でもね、でもね、隣で走っている人も前の人もみんな辛いし辞めたいんですよね。
ここまで走って同じあたりを走っている人はみんな同じようなものです。
その人たちよりも先にゴールするか後になるか、そこが大きいのです。
走ることの意味とか考えなくてもいいから、、
カーブを曲がるとすぐにゴールだから、、、
ゴールしたらもう走らなくてもいいから、、、
好きであっても無くても、
得意であっても無くても、、
とにかく頑張れ!!

私はあまり好きではありません。
どちらかというと楽な方に逃げていくタイプです。
その逃げ道を見つけることに関しては天才的かもしれません。
それにも関わらず毎日のように他人には頑張れと言っています。
息子たちにもさんざん言ってきました。
生徒の皆さんにもいつも言っています。
小学校のマラソン大会をイメージしてください。
ごくわずかな子は最初からすごい勢いで走っていきます。
多くの子はそれなりに頑張って走っています。
もう少し先にゴールがあります。
あるのはわかっていますが、カーブの先にあるので見えていません。
そのためなのでしょうか?
皆でおしゃべりをしながらのんびり走っています。
時々ダッシュする子がいます。
すぐに疲れてまたおしゃべりをしています。
友達と手をつないで走っている子もいます。
そんなことをしている間に抜かされてしまいます。
でも抜かした子もすぐにおしゃべりをしています。
みんなかなり疲れています。
歩いている子もいます。
「あとちょっとじゃん!!頑張れ!!」
高校受験を控えた中学生たちのイメージです。
みなさんなかなか頑張ることが出来ません。
親や先生や我々のような職業の人はいつも「頑張れ!」と言います。
あまり言い過ぎると疲れ果ててしまって走ることを辞めてしまうかもしれません。
私たち大人は走ることさえしません。
「昔は頑張って走った。他で頑張っている。」
そう言っても走っている子供には伝わりにくいようです。
頑張った先には極楽のような世界が待っているので我々は頑張ろうとするのでしょうね。
人はそもそも楽することが好きなんですね。
だから極楽を目指すのでしょうね。
色んな宗教も地獄ではなくて極楽や天国に行くために辛い修行や祈りを続けるのかもしれません。
でも辛いものは辛いし、本当に天国や極楽ってあるのかもわかりません。
「もういいや、無理!」
元々の体力がないと特に辞めたくなりますね。
「う~ん。私はよくわかっているつもりです。多分。」
でもね、でもね、隣で走っている人も前の人もみんな辛いし辞めたいんですよね。
ここまで走って同じあたりを走っている人はみんな同じようなものです。
その人たちよりも先にゴールするか後になるか、そこが大きいのです。
走ることの意味とか考えなくてもいいから、、
カーブを曲がるとすぐにゴールだから、、、
ゴールしたらもう走らなくてもいいから、、、
好きであっても無くても、
得意であっても無くても、、
とにかく頑張れ!!
2019年12月25日
クリスマス
スマホを開くと子供たちの幼い頃の写真がいきなり出てきて驚いた。
ケーキやおいしそうな料理を前に笑っている。
グーグルの機能で時々勝手に昔の写真を表示してくる。
おせっかいだが少しうれしい。
「去年はベランダにあったぞ。」
そう言ってプレゼントを探して走り回っていた。
クリスマスの随分前から欲しいものを紙に書いて親には見つからないように隠してお祈りをしていた。
料理は何を作ろうかと図書館で借りた本を見て相談していた。
家の中をあれこれと飾りつけをしていた。
そんなことを思い出しながら笑っている彼らを見ていた。
自分の人生では子育ての時代が黄金期だ。
大変なことが多くて、怒ってばかりいたように思う。
でも楽しかった。
今でも愛すべき息子たちには変わりはないが、あの頃の子供たちはもういない。
子育て中の皆さん、受験生を抱えている皆さん、きっとそうですよ。
皆さんも同じ思いになりますよ。
受験勉強もそんな素敵な時代の1ページです。

ケーキやおいしそうな料理を前に笑っている。
グーグルの機能で時々勝手に昔の写真を表示してくる。
おせっかいだが少しうれしい。
「去年はベランダにあったぞ。」
そう言ってプレゼントを探して走り回っていた。
クリスマスの随分前から欲しいものを紙に書いて親には見つからないように隠してお祈りをしていた。
料理は何を作ろうかと図書館で借りた本を見て相談していた。
家の中をあれこれと飾りつけをしていた。
そんなことを思い出しながら笑っている彼らを見ていた。
自分の人生では子育ての時代が黄金期だ。
大変なことが多くて、怒ってばかりいたように思う。
でも楽しかった。
今でも愛すべき息子たちには変わりはないが、あの頃の子供たちはもういない。
子育て中の皆さん、受験生を抱えている皆さん、きっとそうですよ。
皆さんも同じ思いになりますよ。
受験勉強もそんな素敵な時代の1ページです。

2019年12月24日
子どもの体力低下
長男が小学校の低学年の頃学校で保護者の集まりがあった。
100人以上の保護者が集まって話をした。
ゲームとの関わり方について議論していた。
「ゲームばかりやって宿題をしない。」
「ルールを決めるべきだ。」
「決めても守ってくれずに親子でケンカになる。」
「親が家に帰るまでの時間はずっとゲームをしているので管理することが出来ない。」
「友達にゲームを借りてきているがトラブルにならないかが心配。」
どちらかというと高学年の親が活発に意見を出していた。
「そんなに良くないものなら取り上げたらどうですか?」
「もともと与えなかったらよかったんちゃいますか?」
結果の出ない議論にうんざりしていた私はやや面倒くさそうな表情で言ってしまったのかもしれない。
皆凍り付いてしまって沈黙が続いた。少しは空気を読むべきだった。
我が家にはゲーム機は無かった。
ゲームが恐ろしく楽しいことも知っているし、そこから脱出できない中高生が多いことも知っていたからだ。
息子たちは欲しがったし、友達の家ではやっていたようだった。
「あの時はゲームが出来なくてつらかった。」
大人になってからそのように言っていた。
あの集まりからしばらくして一人の同級生の親から言われた。
「息子さんのおかげで皆でサッカーをするようになってくれてありがとうございます。」
うちの息子が言い出してみんなでサッカーをしたところ楽しかったのでゲームの頻度が減ったらしい。
この団地では伝統的に子供たちが元気に遊んでいた。
引っ越してきたころは保育園にも上がらない息子を10歳くらい上の小学高学年の子が引き連れて遊んでくれた。
誰かが中庭に出て遊んでいると部屋からその様子を見て年齢に関係なく一緒に遊んでいた。
ボールで遊んだり、木に登ったり、鬼ごっこをしたり、遅い時間まで子供たちの声が絶えなかった。
長男が3年生の頃だっただろうか?他の所に住む同級生を何人か呼んで団地の中で鬼ごっこをしていた。
「こら、待て!!許さんぞ。。」
大人の声で叫んでいるのが家の中にも聞こえてきた。
驚いて窓からのぞいたところ、同じ団地の高校生が友達らしき仲間とともに息子たち小学生グループと鬼ごっこをしている。
高校生の方が先にばてていた。息子たちは元気だった。みんなとても楽しそうだった。
この団地の子は小学校のリレーの選手だったり、マラソン大会で優勝するような子が多い。
我が家の三人の息子もそうだ。きっとこの環境のお陰だろう。
そんな息子たちはクラスでは一番運動が出来るつもりでいるが俺から見ればへぼい。
出来るのはサッカーと長距離走だけで、50m走の記録も俺の方が速い。
卓球やバドミントン、テニス、何でも下手だ。野球は特に下手だ。遠くに投げられてもフライが受けられない。バットに当たらない。ゴロは取れない。クラスの他の子たちはどんなだろう?
習い事としてやっていることはとてもすごいものがある。しかしその分野だけの子が多い。私の生徒でもスポーツで全国大会に行く子が何人もいる。
昔のように野球が上手い子は何でもできるというタイプは少ないようだ。
やはり遊ぶ量が少ないからだろう。
団地であってもかけっこは出来るが、人数が集まってもせいぜいサッカーだ。
野球は出来ない。野球は工夫すれば6人も集まれば出来るのだが、みんなが下手過ぎてやらなくなるらしい。
サッカーもスポ少の子とそれ以外の子の差が大きいのでつまらないらしい。
大阪から移住する前に思い描いていたことと違ったことがいくつかあるが、その一つがこの外遊びだ。
田舎の子は木に登ったり、畑を駆け回ったり、川で魚を捕まえたりしているものと思っていた。
ほとんど家から出ない子が多いのが問題らしい。子供の数が少なく地域が広いので友達の家が遠く、遊びに行けないらしい。
皆でグラウンドでサッカーや野球をする集団はなかなかいない。
学校の休み時間でさえあまりやらないらしい。
場所取りのルールが有ったり、怪我の心配があったり、出来る子との差が大きかったり、元々興味が無かったり、、、らしい。
放課後は習い事で忙しいから遊べない子が多い。
子供の体力が落ちた要因は塾などの習い事、ゲームやスマホ、公園が使えない等の社会環境、猛暑、少子化などらしい。
赤穂中学2年生の学校登山には3回保護者ボランティアとして同行した。
体力の前に気力というか、興味というか、その部分で全くやる気のない生徒が多かった。
嫌で嫌でたまらない子が何人もいた。
元々参加しない生徒もいて、その子たちへの恨み節があるようだった。
宮田村から赤穂高校へ通うのに一度も電車に乗ったことがないという高三の女子生徒がいた。
家に大勢の大人がいて誰かが送迎してくれるらしい。歩けよ!!
「こんなこと勉強しても大人になったら役に立たない。」
そう愚痴る子供は多い。
「外で遊ばなければ大人になってヤバいことにならない?」
小さい頃に遊んだ経験はきっと将来役に立つ。
これからの吉田塾は外遊びにするかな?
まずは団地の階段を10往復だ。
大雪で外に出られない日に往復してみたが、五階までを60回往復程度で2時間以上かかった。結構疲れた。

100人以上の保護者が集まって話をした。
ゲームとの関わり方について議論していた。
「ゲームばかりやって宿題をしない。」
「ルールを決めるべきだ。」
「決めても守ってくれずに親子でケンカになる。」
「親が家に帰るまでの時間はずっとゲームをしているので管理することが出来ない。」
「友達にゲームを借りてきているがトラブルにならないかが心配。」
どちらかというと高学年の親が活発に意見を出していた。
「そんなに良くないものなら取り上げたらどうですか?」
「もともと与えなかったらよかったんちゃいますか?」
結果の出ない議論にうんざりしていた私はやや面倒くさそうな表情で言ってしまったのかもしれない。
皆凍り付いてしまって沈黙が続いた。少しは空気を読むべきだった。
我が家にはゲーム機は無かった。
ゲームが恐ろしく楽しいことも知っているし、そこから脱出できない中高生が多いことも知っていたからだ。
息子たちは欲しがったし、友達の家ではやっていたようだった。
「あの時はゲームが出来なくてつらかった。」
大人になってからそのように言っていた。
あの集まりからしばらくして一人の同級生の親から言われた。
「息子さんのおかげで皆でサッカーをするようになってくれてありがとうございます。」
うちの息子が言い出してみんなでサッカーをしたところ楽しかったのでゲームの頻度が減ったらしい。
この団地では伝統的に子供たちが元気に遊んでいた。
引っ越してきたころは保育園にも上がらない息子を10歳くらい上の小学高学年の子が引き連れて遊んでくれた。
誰かが中庭に出て遊んでいると部屋からその様子を見て年齢に関係なく一緒に遊んでいた。
ボールで遊んだり、木に登ったり、鬼ごっこをしたり、遅い時間まで子供たちの声が絶えなかった。
長男が3年生の頃だっただろうか?他の所に住む同級生を何人か呼んで団地の中で鬼ごっこをしていた。
「こら、待て!!許さんぞ。。」
大人の声で叫んでいるのが家の中にも聞こえてきた。
驚いて窓からのぞいたところ、同じ団地の高校生が友達らしき仲間とともに息子たち小学生グループと鬼ごっこをしている。
高校生の方が先にばてていた。息子たちは元気だった。みんなとても楽しそうだった。
この団地の子は小学校のリレーの選手だったり、マラソン大会で優勝するような子が多い。
我が家の三人の息子もそうだ。きっとこの環境のお陰だろう。
そんな息子たちはクラスでは一番運動が出来るつもりでいるが俺から見ればへぼい。
出来るのはサッカーと長距離走だけで、50m走の記録も俺の方が速い。
卓球やバドミントン、テニス、何でも下手だ。野球は特に下手だ。遠くに投げられてもフライが受けられない。バットに当たらない。ゴロは取れない。クラスの他の子たちはどんなだろう?
習い事としてやっていることはとてもすごいものがある。しかしその分野だけの子が多い。私の生徒でもスポーツで全国大会に行く子が何人もいる。
昔のように野球が上手い子は何でもできるというタイプは少ないようだ。
やはり遊ぶ量が少ないからだろう。
団地であってもかけっこは出来るが、人数が集まってもせいぜいサッカーだ。
野球は出来ない。野球は工夫すれば6人も集まれば出来るのだが、みんなが下手過ぎてやらなくなるらしい。
サッカーもスポ少の子とそれ以外の子の差が大きいのでつまらないらしい。
大阪から移住する前に思い描いていたことと違ったことがいくつかあるが、その一つがこの外遊びだ。
田舎の子は木に登ったり、畑を駆け回ったり、川で魚を捕まえたりしているものと思っていた。
ほとんど家から出ない子が多いのが問題らしい。子供の数が少なく地域が広いので友達の家が遠く、遊びに行けないらしい。
皆でグラウンドでサッカーや野球をする集団はなかなかいない。
学校の休み時間でさえあまりやらないらしい。
場所取りのルールが有ったり、怪我の心配があったり、出来る子との差が大きかったり、元々興味が無かったり、、、らしい。
放課後は習い事で忙しいから遊べない子が多い。
子供の体力が落ちた要因は塾などの習い事、ゲームやスマホ、公園が使えない等の社会環境、猛暑、少子化などらしい。
赤穂中学2年生の学校登山には3回保護者ボランティアとして同行した。
体力の前に気力というか、興味というか、その部分で全くやる気のない生徒が多かった。
嫌で嫌でたまらない子が何人もいた。
元々参加しない生徒もいて、その子たちへの恨み節があるようだった。
宮田村から赤穂高校へ通うのに一度も電車に乗ったことがないという高三の女子生徒がいた。
家に大勢の大人がいて誰かが送迎してくれるらしい。歩けよ!!
「こんなこと勉強しても大人になったら役に立たない。」
そう愚痴る子供は多い。
「外で遊ばなければ大人になってヤバいことにならない?」
小さい頃に遊んだ経験はきっと将来役に立つ。
これからの吉田塾は外遊びにするかな?
まずは団地の階段を10往復だ。
大雪で外に出られない日に往復してみたが、五階までを60回往復程度で2時間以上かかった。結構疲れた。

2019年12月23日
サンタさん
中三の男の子のお宅のリビングで勉強を教えていた。
大きなクリスマスツリーに沢山の飾りつけがついていた。
保育士のお母さんのお手製らしい可愛い絵が貼ってあった。
幼い弟が作ったのだろう。大きな靴下のようなものも飾ってあった。
「サンタさんに何をお願いしたん?」
「? 何を言ってるんですか?サンタさんなんていませんよ。」
「え?弟はなにかお願い事をしてるんじゃないの?」
「弟は小さいからまだわかんないんです。」
「じゃ、プレゼントは?」
「親が入れているんです。。」
「見たことあるの?」
「無いですけど、そうなんです。」
「でも昨日のテレビでサンタさんが赤い服を着て配達してたよ。」
「テレビでの中ではいても本当はいないんです。」
「メッシってサッカー選手がいるけど、あれもいないの?」
「メッシはいます。」
「メッシも実物を見たことがないんならいないんじゃないの??」
「メッシはいます。」
「あっ、この家には煙突がないからサンタさんが来れないんだね。」
「そういう事じゃなくて、、、とにかくいないんです。」
「弟にそれを教えてあげるの?」
「いや、教えません。弟はまだ小さいから。。」
「何歳になったらサンタさんはいなくなるのかな?」
「5年生か6年生かそのくらいですよ」
「ところで、幽霊とかネッシーとかツチノコとか妖怪とか、、、いるのかな?」
「幽霊はいるけどネッシーはいない」
「あの世はあります。」
「あとUFOとか宇宙人は絶対にいます。」
サンタさんの話を振った時よりもすごい勢いでみんなで話をしだした。
いつからだろう?そういう話をしなくなったのは。。。
ノストラダムスの大予言を信じて怯えていた少年だったのに、、、、
サンタさんが見ていますよ。
大きなクリスマスツリーに沢山の飾りつけがついていた。
保育士のお母さんのお手製らしい可愛い絵が貼ってあった。
幼い弟が作ったのだろう。大きな靴下のようなものも飾ってあった。
「サンタさんに何をお願いしたん?」
「? 何を言ってるんですか?サンタさんなんていませんよ。」
「え?弟はなにかお願い事をしてるんじゃないの?」
「弟は小さいからまだわかんないんです。」
「じゃ、プレゼントは?」
「親が入れているんです。。」
「見たことあるの?」
「無いですけど、そうなんです。」
「でも昨日のテレビでサンタさんが赤い服を着て配達してたよ。」
「テレビでの中ではいても本当はいないんです。」
「メッシってサッカー選手がいるけど、あれもいないの?」
「メッシはいます。」
「メッシも実物を見たことがないんならいないんじゃないの??」
「メッシはいます。」
「あっ、この家には煙突がないからサンタさんが来れないんだね。」
「そういう事じゃなくて、、、とにかくいないんです。」
「弟にそれを教えてあげるの?」
「いや、教えません。弟はまだ小さいから。。」
「何歳になったらサンタさんはいなくなるのかな?」
「5年生か6年生かそのくらいですよ」
「ところで、幽霊とかネッシーとかツチノコとか妖怪とか、、、いるのかな?」
「幽霊はいるけどネッシーはいない」
「あの世はあります。」
「あとUFOとか宇宙人は絶対にいます。」
サンタさんの話を振った時よりもすごい勢いでみんなで話をしだした。
いつからだろう?そういう話をしなくなったのは。。。
ノストラダムスの大予言を信じて怯えていた少年だったのに、、、、
サンタさんが見ていますよ。

2019年12月19日
不登校は豊かさの表れ
長野県での不登校の生徒児童の数がここ5年で急激に増えているというニュースを見た。
数字を見れば約1,5倍くらい増えている。中学生ではクラスに1人以上は不登校という割合だ。
昔は登校拒否といったが不登校と呼ぶようになってその言葉もあまりいい印象ではないが、他の言葉がないので不登校という言葉を使わせていただく。
不登校は社会が豊かになって家庭の中が暖かく心地よいことが一つの原因としてあるように思う。
社会が豊かになると集団での生活から個を重視する生活になる。
集団生活の厳しくストレスが溜まる社会から離れると戻るのは難しい。
いじめが原因であれば別だが、特別な理由のない不登校が最近増えていると聞くのでその理由を考えてみた。
朝起きて早い時間から準備をして歩いて学校へ行く。これだけで大変だ。
大人も歩いてみるとわかるが、毎日これを歩いてから一日が始まるのかと思うとその大変さがわかる。
学校ではハイテンションでいなくてはいけない。
大勢の人がいれば色んなことがある。
先生にしても複雑な沢山の子供たちを前にして丁寧に関われないのも当然で多少雑な扱いにもなる。
こなさなければいけない内容が沢山あるが、そこにどれほどの意味を感じることが出来るのだろう。
大人の仕事ならお金がもらえるので理解も出来るが子供にはそれがない。
一日の授業を受けるだけでも大変だ。
部活や委員会があってようやく帰宅し、ゆっくりする間もなく塾や習い事、社会体育、さらに宿題、提出ノート、、忙しすぎる。
やってもやっても片付かないイメージだ。
貧しい社会では学問をすれば豊かになれるという側面はある。
しかし現代の日本の子供がそこを理解するのは難しい。
豊かな生活が当たり前になっているので学問とは結び付かない。
そのため学校に意義を感じにくい。
その反面家庭はどうだろう。
昔は怖い家長がいて色んなルールがあり、自由はある程度制限されていた。
今は少ない人数で子供といえども大切にされている。
ちょっとした距離でも車で送ってくれる。
しょっちゅう外食が出来る。
夜でさえ親がいない時間も多く、孤独ではあるが自由でもある。
テレビも自由にみられるうえに、パスコン、スマホ、ゲームなど好きなことが出来る。
嫌なことがあれば自室に閉じこもっていればよい。
豊かな世の中になったものだ。
大人さえ歩かない中で子供は歩いて学校へ行かなければいけない。
お金をもらえない勉強という仕事が将来のお金に繋がり世の中の役に立つと言っても理解するのは難しい。
学校に行かず家にいる方が良いという選択をするのも理解できる。
友達がいないとつまらないかもしれない。
でもその友達は嫌ではないが煩わしいこともある。
ネットの友達の方が付き合いやすい場合もある。
社会が大きく変わったのに学校での集団生活はいくらも変わっていないので子供たちには大きな違和感があるのかもしれない。
本来は学校の在り方を変えていくべきだろう。
学校の時間を短くしてそれ以外の居所を増やしてそこを選択できるようになれば良いと思う。
地域でのクラブチームによるスポーツだったり、趣味のサークルのようなものが昼からあってそこに子供が参加しても良い。
行きたくなければ昼からは家でゴロゴロしていても良い。
大人の社会がそんな感じを目指しているようなので子供もそれでよい。
不登校は至極当然の行動のように思う。
そうは言ってもすぐには変わらないのでとりあえずの策としての提案だ。
不登校のお子さんがいるおうちの方は視点を変えてみよう。
平日天国を謳歌してみてはどうでしょうか?
子どもと一緒に買い物に行く、公園に行く、ドライブに行く、レストランに行く、良いですよ。。。
私も平日天国を謳歌しているので強くお勧めします。
お子さんが学校を休むようなり、元気がなくなれば現代の社会では親も心配をして大変な思いをするのは当然のこと。
その分何か良いこともないと悔しいではないですか?
お母さんも仕事を休んでしまう状況ならいっその事一緒に遊びに行きましょう。
温泉旅館も平日は安いですよ。
家でゆっくりとビデオを見たり、料理を作ったり、、、素敵な時間です。
そんな中で子供たちの夢中になれるものを見つけられるかもしれません。
もし見つかったら全力で応援してあげましょう。
親が仕事を辞めて引っ越ししてもいいじゃないですか?
お子さんはそのくらい素晴らしい存在ですよね。。
あっという間に大人になりますよ。
再びまとめますが、学校の意義が薄くなっていることに多かれ少なかれ気づいている人は多い。
その一方で普段の豊かな家での生活と比べて学校へ通うことはとても大変である。
さらに学校以外の生活の場も増えている。ここをプラスにするかマイナスにするかです。
これらを考えると不登校は豊かさの表れであり、受け入れるべきことなのだ。不登校という言葉自体も変えるという話もある。
尤も学校に行ってくれたら保育園のように預かってくれて給食を出してくれるので楽であることは現実だと思う。
お休みしているという現実をプラスに考えて本当の我が子の幸せを真剣に考えて、かつ楽しむきっかけに出来れば素晴らしいことではないでしょうか?
きれいごとかもしれませんが豊かだから学校を休めるのです。私の時代には休めずに地獄のような日々を過ごしている人がいたはずです。
数字を見れば約1,5倍くらい増えている。中学生ではクラスに1人以上は不登校という割合だ。
昔は登校拒否といったが不登校と呼ぶようになってその言葉もあまりいい印象ではないが、他の言葉がないので不登校という言葉を使わせていただく。
不登校は社会が豊かになって家庭の中が暖かく心地よいことが一つの原因としてあるように思う。
社会が豊かになると集団での生活から個を重視する生活になる。
集団生活の厳しくストレスが溜まる社会から離れると戻るのは難しい。
いじめが原因であれば別だが、特別な理由のない不登校が最近増えていると聞くのでその理由を考えてみた。
朝起きて早い時間から準備をして歩いて学校へ行く。これだけで大変だ。
大人も歩いてみるとわかるが、毎日これを歩いてから一日が始まるのかと思うとその大変さがわかる。
学校ではハイテンションでいなくてはいけない。
大勢の人がいれば色んなことがある。
先生にしても複雑な沢山の子供たちを前にして丁寧に関われないのも当然で多少雑な扱いにもなる。
こなさなければいけない内容が沢山あるが、そこにどれほどの意味を感じることが出来るのだろう。
大人の仕事ならお金がもらえるので理解も出来るが子供にはそれがない。
一日の授業を受けるだけでも大変だ。
部活や委員会があってようやく帰宅し、ゆっくりする間もなく塾や習い事、社会体育、さらに宿題、提出ノート、、忙しすぎる。
やってもやっても片付かないイメージだ。
貧しい社会では学問をすれば豊かになれるという側面はある。
しかし現代の日本の子供がそこを理解するのは難しい。
豊かな生活が当たり前になっているので学問とは結び付かない。
そのため学校に意義を感じにくい。
その反面家庭はどうだろう。
昔は怖い家長がいて色んなルールがあり、自由はある程度制限されていた。
今は少ない人数で子供といえども大切にされている。
ちょっとした距離でも車で送ってくれる。
しょっちゅう外食が出来る。
夜でさえ親がいない時間も多く、孤独ではあるが自由でもある。
テレビも自由にみられるうえに、パスコン、スマホ、ゲームなど好きなことが出来る。
嫌なことがあれば自室に閉じこもっていればよい。
豊かな世の中になったものだ。
大人さえ歩かない中で子供は歩いて学校へ行かなければいけない。
お金をもらえない勉強という仕事が将来のお金に繋がり世の中の役に立つと言っても理解するのは難しい。
学校に行かず家にいる方が良いという選択をするのも理解できる。
友達がいないとつまらないかもしれない。
でもその友達は嫌ではないが煩わしいこともある。
ネットの友達の方が付き合いやすい場合もある。
社会が大きく変わったのに学校での集団生活はいくらも変わっていないので子供たちには大きな違和感があるのかもしれない。
本来は学校の在り方を変えていくべきだろう。
学校の時間を短くしてそれ以外の居所を増やしてそこを選択できるようになれば良いと思う。
地域でのクラブチームによるスポーツだったり、趣味のサークルのようなものが昼からあってそこに子供が参加しても良い。
行きたくなければ昼からは家でゴロゴロしていても良い。
大人の社会がそんな感じを目指しているようなので子供もそれでよい。
不登校は至極当然の行動のように思う。
そうは言ってもすぐには変わらないのでとりあえずの策としての提案だ。
不登校のお子さんがいるおうちの方は視点を変えてみよう。
平日天国を謳歌してみてはどうでしょうか?
子どもと一緒に買い物に行く、公園に行く、ドライブに行く、レストランに行く、良いですよ。。。
私も平日天国を謳歌しているので強くお勧めします。
お子さんが学校を休むようなり、元気がなくなれば現代の社会では親も心配をして大変な思いをするのは当然のこと。
その分何か良いこともないと悔しいではないですか?
お母さんも仕事を休んでしまう状況ならいっその事一緒に遊びに行きましょう。
温泉旅館も平日は安いですよ。
家でゆっくりとビデオを見たり、料理を作ったり、、、素敵な時間です。
そんな中で子供たちの夢中になれるものを見つけられるかもしれません。
もし見つかったら全力で応援してあげましょう。
親が仕事を辞めて引っ越ししてもいいじゃないですか?
お子さんはそのくらい素晴らしい存在ですよね。。
あっという間に大人になりますよ。
再びまとめますが、学校の意義が薄くなっていることに多かれ少なかれ気づいている人は多い。
その一方で普段の豊かな家での生活と比べて学校へ通うことはとても大変である。
さらに学校以外の生活の場も増えている。ここをプラスにするかマイナスにするかです。
これらを考えると不登校は豊かさの表れであり、受け入れるべきことなのだ。不登校という言葉自体も変えるという話もある。
尤も学校に行ってくれたら保育園のように預かってくれて給食を出してくれるので楽であることは現実だと思う。
お休みしているという現実をプラスに考えて本当の我が子の幸せを真剣に考えて、かつ楽しむきっかけに出来れば素晴らしいことではないでしょうか?
きれいごとかもしれませんが豊かだから学校を休めるのです。私の時代には休めずに地獄のような日々を過ごしている人がいたはずです。
2019年12月16日
旅
夏休みにサイクリングに行こう!!
中学三年生になったころに友人たちと何となく決めた。
『受験生になるときっと勉強ばかりで遊べなくなるから夏休みに想い出を作ろう。』
集まるたびに地図をもって議論をして結局淡路島に行く計画を立てた。
5人で夜中の二時に出発した。
京都との境にある家から淡路島までは120km。
幾らゆっくり走っても夕方までには着くと思った。ちなみに駒ヶ根から120kmというと長野市辺りまでの距離だ。
みんなが持っているのはサイクリング車だが多くの荷物を積んで旅をするためのものではなく子供が普段乗っている自転車だった。
1人は自転車が壊れたとのことで直前にどこかで失敬してきたミニサイクルでやってきた。一同唖然とした。
テントや調理道具、釣り竿にリール、ラジカセなどたくさんの荷物を積んだ。水は持たなかった。
走り始めて1,2時間でミニサイクルがパンクをした。
修理道具は無かったのでガムテープでタイヤをぐるぐる巻きにして応急処置をして空気が減るまでダッシュをした。
交代でダッシュをした。荷物を分担して乗った。
それでも段々一回で走れる距離が減ってきた。
地図はあるものの大阪郊外は中学生にとっては未知の道だったので大変だった。
想像以上に道は複雑だった。
甲子園辺りまで来て作戦を立てた。
電車が走る時間になったので一人がそれに乗っていくつか先の駅まで行く。
自転車に乗りながら片手でパンクした自転車を引っ張るという作戦だ。
皆でやってみたらまっすぐ走れるのは俺しかいない。
俺が片手でパンクした自転車を引っ張って走った。
しばらく走ったところで対向車のトラックが来てぶつかりそうになったので自転車を離したらその自転車がトラックにぶつかった。
トラックのおっさんがおりてきて怒っている。
何故か俺がその倍くらいの勢いで怒っている。
「こっちはパンクした自転車を引っ張っているんやからおっさんがよけろや!!」
滅茶苦茶な言い分だ。
「警察に行くか?」
「誰が行くか!俺らは淡路島に行くねん!!」
この滅茶苦茶なやり取りは大人になってからも友人に突っ込まれることがある。
何度道に迷ったことか、、、
片側だけで4つも5つも車線がある道を右折するのに一番左側から右手を出して合図をしながら右折レーンに入って曲がっていた。
神戸は大型トレーラーが多くて怖かったが、きっと運転手の方が怖かっただろう。
何度もクラクションを鳴らされたが、そのたびに何か言い返した。
こんな走り方をしていれば若いとはいえ疲れる。
朝になり自転車屋をたたき起こして修理をしてもらい、再び皆で淡路島に向かった。
明石から船に乗り淡路島に渡った。
その辺りから急激にペースが落ちた。
そもそもこんな形で120kmも走ること自体が無茶なのだ。
ほとんど徹夜で飯さえまともに食べていない。
コンビニもない時代だ。淡路島に着いた安心から気力もなえた。
目的は淡路島。その中のどこかは決めていなかった。
どこか知らないが海のそばに着いた。砂浜にみんなで倒れこんだ。夕日がきれいだった。
そこで泊まることにした。
持ってきた缶詰を食べてビールを買って飲んだ。
酔っぱらってしまいテントを布団代わりにして砂浜で寝た。
目が覚めると海が二メートル先まで迫っていた。
慌てて皆をたたき起こして荷物を上げた。
足や頭などあちこちがいたくてみんな動けなかった。
日差しがきつくて辛かった。
砂浜を上がると店があったので食パンとマーガリンそして牛乳を買った。
どうして牛乳やマーガリンなのか?
買ったものの食欲がなくて寝たり悶え苦しんだりして誰も動けなかった。
昼くらいになり今度は空腹で死にそうになったのでみんなで食べた。
無理やり押し込んだという感じで旨くはなかった。
しばらくして一人が「腹がいたい」と言い出した。
彼はその日一日アウトだった。トイレにいる時間の方が長かったかもしれない。
その後半年くらい体調が悪くなってしまったらしい。
2,3日淡路島の中を転々としながら遊んだ。
帰宅予定は決めてなかった。
一度も家には連絡をしなかった。
一度もテントを張らなかった。
最後の日に桟橋で夜釣りをした。
ルアーをリールで引っ張った。
当然のように何も釣れなかった。
しかし突然大きなアタリがあり、引き揚げてみると1m近くある刀のような銀色の魚だった。
何だかわからない俺たちは大興奮して必死に釣った。
もう一匹同じものが釣れた。太刀魚だった。
翌日この魚のために帰ることにした。
その場で焼いて食べるという頭がなかった。
夏の日中の神戸、大阪を走り抜けることは更に過酷だった。
それでも太刀魚を塩焼きにして食べたらおいしかった。
腹を壊すことは無かった。
中学三年生になったころに友人たちと何となく決めた。
『受験生になるときっと勉強ばかりで遊べなくなるから夏休みに想い出を作ろう。』
集まるたびに地図をもって議論をして結局淡路島に行く計画を立てた。
5人で夜中の二時に出発した。
京都との境にある家から淡路島までは120km。
幾らゆっくり走っても夕方までには着くと思った。ちなみに駒ヶ根から120kmというと長野市辺りまでの距離だ。
みんなが持っているのはサイクリング車だが多くの荷物を積んで旅をするためのものではなく子供が普段乗っている自転車だった。
1人は自転車が壊れたとのことで直前にどこかで失敬してきたミニサイクルでやってきた。一同唖然とした。
テントや調理道具、釣り竿にリール、ラジカセなどたくさんの荷物を積んだ。水は持たなかった。
走り始めて1,2時間でミニサイクルがパンクをした。
修理道具は無かったのでガムテープでタイヤをぐるぐる巻きにして応急処置をして空気が減るまでダッシュをした。
交代でダッシュをした。荷物を分担して乗った。
それでも段々一回で走れる距離が減ってきた。
地図はあるものの大阪郊外は中学生にとっては未知の道だったので大変だった。
想像以上に道は複雑だった。
甲子園辺りまで来て作戦を立てた。
電車が走る時間になったので一人がそれに乗っていくつか先の駅まで行く。
自転車に乗りながら片手でパンクした自転車を引っ張るという作戦だ。
皆でやってみたらまっすぐ走れるのは俺しかいない。
俺が片手でパンクした自転車を引っ張って走った。
しばらく走ったところで対向車のトラックが来てぶつかりそうになったので自転車を離したらその自転車がトラックにぶつかった。
トラックのおっさんがおりてきて怒っている。
何故か俺がその倍くらいの勢いで怒っている。
「こっちはパンクした自転車を引っ張っているんやからおっさんがよけろや!!」
滅茶苦茶な言い分だ。
「警察に行くか?」
「誰が行くか!俺らは淡路島に行くねん!!」
この滅茶苦茶なやり取りは大人になってからも友人に突っ込まれることがある。
何度道に迷ったことか、、、
片側だけで4つも5つも車線がある道を右折するのに一番左側から右手を出して合図をしながら右折レーンに入って曲がっていた。
神戸は大型トレーラーが多くて怖かったが、きっと運転手の方が怖かっただろう。
何度もクラクションを鳴らされたが、そのたびに何か言い返した。
こんな走り方をしていれば若いとはいえ疲れる。
朝になり自転車屋をたたき起こして修理をしてもらい、再び皆で淡路島に向かった。
明石から船に乗り淡路島に渡った。
その辺りから急激にペースが落ちた。
そもそもこんな形で120kmも走ること自体が無茶なのだ。
ほとんど徹夜で飯さえまともに食べていない。
コンビニもない時代だ。淡路島に着いた安心から気力もなえた。
目的は淡路島。その中のどこかは決めていなかった。
どこか知らないが海のそばに着いた。砂浜にみんなで倒れこんだ。夕日がきれいだった。
そこで泊まることにした。
持ってきた缶詰を食べてビールを買って飲んだ。
酔っぱらってしまいテントを布団代わりにして砂浜で寝た。
目が覚めると海が二メートル先まで迫っていた。
慌てて皆をたたき起こして荷物を上げた。
足や頭などあちこちがいたくてみんな動けなかった。
日差しがきつくて辛かった。
砂浜を上がると店があったので食パンとマーガリンそして牛乳を買った。
どうして牛乳やマーガリンなのか?
買ったものの食欲がなくて寝たり悶え苦しんだりして誰も動けなかった。
昼くらいになり今度は空腹で死にそうになったのでみんなで食べた。
無理やり押し込んだという感じで旨くはなかった。
しばらくして一人が「腹がいたい」と言い出した。
彼はその日一日アウトだった。トイレにいる時間の方が長かったかもしれない。
その後半年くらい体調が悪くなってしまったらしい。
2,3日淡路島の中を転々としながら遊んだ。
帰宅予定は決めてなかった。
一度も家には連絡をしなかった。
一度もテントを張らなかった。
最後の日に桟橋で夜釣りをした。
ルアーをリールで引っ張った。
当然のように何も釣れなかった。
しかし突然大きなアタリがあり、引き揚げてみると1m近くある刀のような銀色の魚だった。
何だかわからない俺たちは大興奮して必死に釣った。
もう一匹同じものが釣れた。太刀魚だった。
翌日この魚のために帰ることにした。
その場で焼いて食べるという頭がなかった。
夏の日中の神戸、大阪を走り抜けることは更に過酷だった。
それでも太刀魚を塩焼きにして食べたらおいしかった。
腹を壊すことは無かった。
2019年12月13日
内申書
内申書って高校受験のお子さんを持つ方にとってかなり重要なワードですよね?
どういうものなのか説明できますか?
俺はよくわかりません。
「わ、わからんのんかい!!」
大阪のよくあるボケと突っ込みです。
実際よくわかりません。
内申点には関心、意欲、態度、や思考、判断、表現、等々の項目があり、成績に加えて評価の対象となるそうです。
実にわからん。。。
提出ノートも重要だそうです。
この提出ノートがまたよくわからん。
出せば何でもいいってこと?内容も見るそうだけど、実際見ている?
学校の授業中に内容が理解できていて家での勉強はせずにいい点数を取れても提出ノートを出す必要はあるの?
出さないとテストの点数からの減点方式?
大学入試の共通テストで記述式にした時の公平性が話題になっている。
この内申点は公平性が保たれているのだろうか?
ちなみに内申書には9教科の評価である内申点があり、これはほぼ2学期の通知表と考えても良いという事らしい。
正確にはわからん。
それに加えて部活や委員会活動、英検などの資格、等を書いて内申書とするらしい。
この内申書には1,2年の成績も書かれるらしい。
わからん。
俺の頭が悪いのか?
皆さんはわかっているのかもしれない。どなたか教えて下さい。
基準はあるけど結局は各教科担任のお気持ち一つってことかな?
同じような点数の2人がいて、片方は3の上でもう片方は4の下ということもある。
わずかな点差であっても内申点は4と3だ。
たまたまこれがいくつもの教科で続くと大きな差になる。
これまで多くの人のテストの点数と内申点、さらにその人の人となりを見てきた。
残念ながら学校での態度は見ていないが、想像はつく。
基本的には内申点はテストの点数に大きく比例している。
思ったよりいい生徒やその逆の生徒がいるのも事実だ。
可愛い子は内申も良いような気がすると言えば問題だろうか?
でも先生も人間だ。可愛い子には良い評価をつけて応援したくなるだろう。
そこは意欲だったり、態度だったりと言葉を変えての評価になるが、結局は可愛いということだろう。
中三生のあたりだと男子よりも女子の方が可愛いことが多い。
「受験勉強は頑張っているか?」
こういう先生の言葉に対して、
男子「いや、全然」
女子「頑張っているんですけど、数学がわからないんです。先生、教えて下さい。」
この手の反応をしがちである。
提出物とその丁寧さにおいても女子の方が良いことが多いので良い評価をつける理由はいくらでもある。
生徒の中には学校の授業をおろそかにして、
「塾の方が全然良くわかる。」などとおっしゃるお利口な人もいるらしい。
俺ならこの一言で1をつけてやる。
ひとりひとりはいい奴なのだが集団になると調子に乗ってしまうのが中学生だ。
特に男子はそうだ。みんないい奴なのに、、、
挨拶や返事をしないのも駄目だろう。
俺なら絶対に1をつけてやる。
そのような関係が有るような無いようなよくわからんところでついているのが内申点なのではないだろうか?
不良は意外と悪い点をつけられない。そんな噂さえあった。
それもそう思う。最近は不良そのものが絶滅危惧種なのだが、かつてはそういうのが何人もいて、
合唱コンクールで他の子と一緒にステージに上がれたことが評価され、80点のテストと合わせて5がついた不良気味の生徒がいた。
「これで高校に行ける」と喜び、実際に行った。
同じクラスの優等生で合唱コンクールのピアノ演奏をして、90点のテストだったが4だった生徒がいた。
部活の顧問が担当する生徒には厳しく接するが評価は良いものをつける。
少し外れるが兄や姉がいると○○高校に入りやすい、等ととんでもないようないろんな噂をお母さん方から聞く。
お母さん方は真剣なのでいろんな噂を信じる。内申のために部活に入れるなんて話もいまだに残っている。
長野県の評価基準は絶対評価になったので全員が5の評価がつくことが教師としての理想かもしれない。
でもバランス良く?5と2を配分して、時には1もつけておくのが大人の忖度なのかもしれない。
極端な評価をすると校長からの評価が怖いのかもしれない。
自分の生徒が可愛くて、他校生徒に受験で勝たせたいのならやや良い評価にはならないかな?
やはり俺には教員は出来ない。きっとひいきをしてしまう。
挨拶や返事、相談をしてくれる生徒は2つくらい上の内申をつけてしまいそう。
本物の先生はきっとそんなことは無いんだろうな。。。
「よーわからんけど、、」
「わからんのかい!!」
どういうものなのか説明できますか?
俺はよくわかりません。
「わ、わからんのんかい!!」
大阪のよくあるボケと突っ込みです。
実際よくわかりません。
内申点には関心、意欲、態度、や思考、判断、表現、等々の項目があり、成績に加えて評価の対象となるそうです。
実にわからん。。。
提出ノートも重要だそうです。
この提出ノートがまたよくわからん。
出せば何でもいいってこと?内容も見るそうだけど、実際見ている?
学校の授業中に内容が理解できていて家での勉強はせずにいい点数を取れても提出ノートを出す必要はあるの?
出さないとテストの点数からの減点方式?
大学入試の共通テストで記述式にした時の公平性が話題になっている。
この内申点は公平性が保たれているのだろうか?
ちなみに内申書には9教科の評価である内申点があり、これはほぼ2学期の通知表と考えても良いという事らしい。
正確にはわからん。
それに加えて部活や委員会活動、英検などの資格、等を書いて内申書とするらしい。
この内申書には1,2年の成績も書かれるらしい。
わからん。
俺の頭が悪いのか?
皆さんはわかっているのかもしれない。どなたか教えて下さい。
基準はあるけど結局は各教科担任のお気持ち一つってことかな?
同じような点数の2人がいて、片方は3の上でもう片方は4の下ということもある。
わずかな点差であっても内申点は4と3だ。
たまたまこれがいくつもの教科で続くと大きな差になる。
これまで多くの人のテストの点数と内申点、さらにその人の人となりを見てきた。
残念ながら学校での態度は見ていないが、想像はつく。
基本的には内申点はテストの点数に大きく比例している。
思ったよりいい生徒やその逆の生徒がいるのも事実だ。
可愛い子は内申も良いような気がすると言えば問題だろうか?
でも先生も人間だ。可愛い子には良い評価をつけて応援したくなるだろう。
そこは意欲だったり、態度だったりと言葉を変えての評価になるが、結局は可愛いということだろう。
中三生のあたりだと男子よりも女子の方が可愛いことが多い。
「受験勉強は頑張っているか?」
こういう先生の言葉に対して、
男子「いや、全然」
女子「頑張っているんですけど、数学がわからないんです。先生、教えて下さい。」
この手の反応をしがちである。
提出物とその丁寧さにおいても女子の方が良いことが多いので良い評価をつける理由はいくらでもある。
生徒の中には学校の授業をおろそかにして、
「塾の方が全然良くわかる。」などとおっしゃるお利口な人もいるらしい。
俺ならこの一言で1をつけてやる。
ひとりひとりはいい奴なのだが集団になると調子に乗ってしまうのが中学生だ。
特に男子はそうだ。みんないい奴なのに、、、
挨拶や返事をしないのも駄目だろう。
俺なら絶対に1をつけてやる。
そのような関係が有るような無いようなよくわからんところでついているのが内申点なのではないだろうか?
不良は意外と悪い点をつけられない。そんな噂さえあった。
それもそう思う。最近は不良そのものが絶滅危惧種なのだが、かつてはそういうのが何人もいて、
合唱コンクールで他の子と一緒にステージに上がれたことが評価され、80点のテストと合わせて5がついた不良気味の生徒がいた。
「これで高校に行ける」と喜び、実際に行った。
同じクラスの優等生で合唱コンクールのピアノ演奏をして、90点のテストだったが4だった生徒がいた。
部活の顧問が担当する生徒には厳しく接するが評価は良いものをつける。
少し外れるが兄や姉がいると○○高校に入りやすい、等ととんでもないようないろんな噂をお母さん方から聞く。
お母さん方は真剣なのでいろんな噂を信じる。内申のために部活に入れるなんて話もいまだに残っている。
長野県の評価基準は絶対評価になったので全員が5の評価がつくことが教師としての理想かもしれない。
でもバランス良く?5と2を配分して、時には1もつけておくのが大人の忖度なのかもしれない。
極端な評価をすると校長からの評価が怖いのかもしれない。
自分の生徒が可愛くて、他校生徒に受験で勝たせたいのならやや良い評価にはならないかな?
やはり俺には教員は出来ない。きっとひいきをしてしまう。
挨拶や返事、相談をしてくれる生徒は2つくらい上の内申をつけてしまいそう。
本物の先生はきっとそんなことは無いんだろうな。。。
「よーわからんけど、、」
「わからんのかい!!」
2019年12月12日
三者懇談
この辺りの中学で三者懇談が始まった。
「何を言われるんだろう?」と沈んだ気持ちで臨む親が多いのかもしれない。
「成績が良い子はいいが、我が子は良いところがないので言われたい放題だ。」と言った親もいる。
特に三年生は受験の志望校を宣告されるまさに最初の合格発表の場のように捉えている親もいるようだ。
自分の点数でこの高校に入れるのかどうかを聞いてきて欲しい。
前期試験を受けるのであれば自分の内申点で受けてチャンスがあるのかどうかを聞いてきて欲しい。
受かるかどうかはわからないが、過去の例と比べてどのくらいで受かったという目安を聞いてほしい。
「〇〇高校に変えた方が良い」と言われることが多いが、何点取れば元の志望校に入れるのかを聞いてほしい。
学校の先生も鬼ではない。生徒の味方だ。
しかし現状として伊那北、弥生、赤穂の志願者がオーバーしている。
だいたい毎年同じだ。
このままで受験すると大量に不合格者が出てしまう。
そのため変更を促すというのは間違いではない。
それでも3年間通う高校なので受験勉強の頑張りが喜びにつながる形で納得して決めたいものだ。
受験は点数が取れることが一番重要だ。
しかしどこをどう受けるか、といったテクニック的な事も関係する。
先生によって話が異なることも多い。
「320点を取らないとダメ。」
「300取れば受けてもいいが、自己責任。」
弥生ヶ丘高校を志望する二人の別のクラスの生徒が担任から言われたそうだ。
駒ヶ根の生徒が「弥生を受けるのなら滑り止めで東海を受けなさい。」
飯島の生徒が「弥生を受けるのなら滑り止めで都市大を受けなさい。」
と学校で言われてその気になっていた。
「通えるん?」
私の言葉に親子で固まっていた。
滑り止めでも入学することを前提に考えないといけない。
朝何時の電車で、、、と調べた結果、遠すぎるとわかってどちらもその線は辞めた。
三者懇談の前にこちらからの質問や話を考えていないといけない。
限られた時間を有効に使って学校の先生からプラスになる話を引き出すことも受験で成功するポイントだ。
無駄にケンカをしてもいけない。
子どもが頼りないのであれば親がしっかりとして頑張らないといけない。
親まで頼りないのであれば他の受験生には勝てない。
皆さん、頑張ってください。
「何を言われるんだろう?」と沈んだ気持ちで臨む親が多いのかもしれない。
「成績が良い子はいいが、我が子は良いところがないので言われたい放題だ。」と言った親もいる。
特に三年生は受験の志望校を宣告されるまさに最初の合格発表の場のように捉えている親もいるようだ。
自分の点数でこの高校に入れるのかどうかを聞いてきて欲しい。
前期試験を受けるのであれば自分の内申点で受けてチャンスがあるのかどうかを聞いてきて欲しい。
受かるかどうかはわからないが、過去の例と比べてどのくらいで受かったという目安を聞いてほしい。
「〇〇高校に変えた方が良い」と言われることが多いが、何点取れば元の志望校に入れるのかを聞いてほしい。
学校の先生も鬼ではない。生徒の味方だ。
しかし現状として伊那北、弥生、赤穂の志願者がオーバーしている。
だいたい毎年同じだ。
このままで受験すると大量に不合格者が出てしまう。
そのため変更を促すというのは間違いではない。
それでも3年間通う高校なので受験勉強の頑張りが喜びにつながる形で納得して決めたいものだ。
受験は点数が取れることが一番重要だ。
しかしどこをどう受けるか、といったテクニック的な事も関係する。
先生によって話が異なることも多い。
「320点を取らないとダメ。」
「300取れば受けてもいいが、自己責任。」
弥生ヶ丘高校を志望する二人の別のクラスの生徒が担任から言われたそうだ。
駒ヶ根の生徒が「弥生を受けるのなら滑り止めで東海を受けなさい。」
飯島の生徒が「弥生を受けるのなら滑り止めで都市大を受けなさい。」
と学校で言われてその気になっていた。
「通えるん?」
私の言葉に親子で固まっていた。
滑り止めでも入学することを前提に考えないといけない。
朝何時の電車で、、、と調べた結果、遠すぎるとわかってどちらもその線は辞めた。
三者懇談の前にこちらからの質問や話を考えていないといけない。
限られた時間を有効に使って学校の先生からプラスになる話を引き出すことも受験で成功するポイントだ。
無駄にケンカをしてもいけない。
子どもが頼りないのであれば親がしっかりとして頑張らないといけない。
親まで頼りないのであれば他の受験生には勝てない。
皆さん、頑張ってください。
2019年12月10日
問題は英語だ。
公立高校受験の中三生を教えていての一番の問題は英語だ。
30点の壁が越えられない生徒が多い。
1,2年生のうちは一問一答のような文法問題が中心なので少しの勉強によってある程度の点数が取れる。
学校の問題集と教科書をやればある程度の点数が取れる。
3年生のテストは教科書よりも長い英文が読めるかどうかが勝負のほとんどを占める。
もちろん教科書の文ではないので英文がきちんと読めないと出来ない。
読めるか読めないかで大きな差になる。
一部の生徒は何も読めないので点数にならない。
私のような人間が教えても残念ながら出来るようにはならない。
少し言い訳をさせて欲しい。
私の生徒はほとんどが3年生になってから私と関わる。
今学校で習っている所だけではなくて1,2年生の復習をしなくてはいけない。
1,2年生の事を覚えていない生徒が多い。
それなのに家での学習時間はわずかだ。
学校への提出ノートが英、数、漢字とある。
学校によっては理科や社会も定期的にノートを出させる。
部活では新人が入ってきてで少しざわざわしたり、中体連があり、社会体育、遠征などが入る。
生徒は学校の課題さえギリギリ出す忙しさなので内容を充実させる余裕はない。
英語の提出ノートはただ教科書を写すだけということが多い。
ほとんど何も頭に入ってはいない生徒が多い。
私が教えるのは1,2年生の数学や理科が中心になる。
生徒によってはその時学校で習っている因数分解や平方根が出来ずにそのフォローに時間を取られることも多い。
テストの点数に直結するのでそちらが優先になり、英語はほとんど教える余裕がない。
それでは私が教える時間を増やして週に二回とか三回とか教えれば英語も出来る様になるのだろうか?
多分そうはならない。
毎年の生徒にはそれまでの流れで英語塾に通い続ける生徒がいる。
彼らは3年生の初めの頃の易しい英語のテストでは点数が取れる。
2学期辺りになって英文が長くなるとたいていは取れなくなる。
あくまでも受験なので英語が話せるかどうかではなくて勉強としての英語が出来るかどうかだ。
英語だけが極端に苦手な生徒はあまり見かけない。
他の科目が80点以上なのに英語だけが30点行かないとかの生徒は中学生では見かけない。
得意とか苦手とか言っても結局は勉強が出来るかどうかだ。
沢山の時間勉強するか、学校の授業中はどうか、きちんと意識してやるか、丁寧にやるか、
そこがないと点数にはならない。
点数の低い生徒はその辺りが出来ていない。
特に英語は積み重ねの学習が必要なのでコツコツと丁寧にやり続けないと出来る様にならない。
他の科目と比べても積み重ねの度合いが高い。
1年生から2年生になる春休みの生徒を教える機会が時々ある。
英語は習い始めて1年ということだが何も出来ない生徒がいる。
全くといってもいいほど何もできない。
書ける単語はおろか読める単語もほとんどない。
数学や国語なら小さい時からの差もあるかもしれないが、みんな習い始めて1年の英語でこれだ。
能力の差ではなくて意識の差だろう。
3年生になって私の生徒になり、心を入れ替えて頑張ろうとする。
しかし英語の差は埋まらない。
高校受験では英語の点数を期待できない。
困ったものだ。
構文を覚えさせようとするが覚える前に辞めてしまう。
困ったものだ。
そうしている間にテストが近くなり、他の科目に追われてしまい、英語には時間を掛けなくなる。
こういった生徒にせめて30点が取れる方法を知っている方いらっしゃいませんか??
30点の壁が越えられない生徒が多い。
1,2年生のうちは一問一答のような文法問題が中心なので少しの勉強によってある程度の点数が取れる。
学校の問題集と教科書をやればある程度の点数が取れる。
3年生のテストは教科書よりも長い英文が読めるかどうかが勝負のほとんどを占める。
もちろん教科書の文ではないので英文がきちんと読めないと出来ない。
読めるか読めないかで大きな差になる。
一部の生徒は何も読めないので点数にならない。
私のような人間が教えても残念ながら出来るようにはならない。
少し言い訳をさせて欲しい。
私の生徒はほとんどが3年生になってから私と関わる。
今学校で習っている所だけではなくて1,2年生の復習をしなくてはいけない。
1,2年生の事を覚えていない生徒が多い。
それなのに家での学習時間はわずかだ。
学校への提出ノートが英、数、漢字とある。
学校によっては理科や社会も定期的にノートを出させる。
部活では新人が入ってきてで少しざわざわしたり、中体連があり、社会体育、遠征などが入る。
生徒は学校の課題さえギリギリ出す忙しさなので内容を充実させる余裕はない。
英語の提出ノートはただ教科書を写すだけということが多い。
ほとんど何も頭に入ってはいない生徒が多い。
私が教えるのは1,2年生の数学や理科が中心になる。
生徒によってはその時学校で習っている因数分解や平方根が出来ずにそのフォローに時間を取られることも多い。
テストの点数に直結するのでそちらが優先になり、英語はほとんど教える余裕がない。
それでは私が教える時間を増やして週に二回とか三回とか教えれば英語も出来る様になるのだろうか?
多分そうはならない。
毎年の生徒にはそれまでの流れで英語塾に通い続ける生徒がいる。
彼らは3年生の初めの頃の易しい英語のテストでは点数が取れる。
2学期辺りになって英文が長くなるとたいていは取れなくなる。
あくまでも受験なので英語が話せるかどうかではなくて勉強としての英語が出来るかどうかだ。
英語だけが極端に苦手な生徒はあまり見かけない。
他の科目が80点以上なのに英語だけが30点行かないとかの生徒は中学生では見かけない。
得意とか苦手とか言っても結局は勉強が出来るかどうかだ。
沢山の時間勉強するか、学校の授業中はどうか、きちんと意識してやるか、丁寧にやるか、
そこがないと点数にはならない。
点数の低い生徒はその辺りが出来ていない。
特に英語は積み重ねの学習が必要なのでコツコツと丁寧にやり続けないと出来る様にならない。
他の科目と比べても積み重ねの度合いが高い。
1年生から2年生になる春休みの生徒を教える機会が時々ある。
英語は習い始めて1年ということだが何も出来ない生徒がいる。
全くといってもいいほど何もできない。
書ける単語はおろか読める単語もほとんどない。
数学や国語なら小さい時からの差もあるかもしれないが、みんな習い始めて1年の英語でこれだ。
能力の差ではなくて意識の差だろう。
3年生になって私の生徒になり、心を入れ替えて頑張ろうとする。
しかし英語の差は埋まらない。
高校受験では英語の点数を期待できない。
困ったものだ。
構文を覚えさせようとするが覚える前に辞めてしまう。
困ったものだ。
そうしている間にテストが近くなり、他の科目に追われてしまい、英語には時間を掛けなくなる。
こういった生徒にせめて30点が取れる方法を知っている方いらっしゃいませんか??

2019年12月05日
バカ
10年以上前に教えていた中学生の学習机に「バカの壁」というタイトルの本があった。
手に取って少し読んだが何のことやらよくわからない。
「これって面白い?」
「結構面白いですよ。」
「へ~すごいね。。。」
そんなやり取りで終わったがそのころから何故かバカという言葉について考えるようになった気がする。
大阪人は「あほ」と言われることは平気だが、「バカ」と言われると傷つくという話は世間では一般的だ。
大阪人である私にとって「バカ」という言葉に傷つけられはしないがは言葉そのものは理解しにくい。
東京へのあこがれから来る妬みと同じ感覚なのかもしれない。
「バカ」という言葉に傷つけられるのではなくて東京弁でののしられることに傷つけられるのかもしれない。
むしろ「バカ」という言葉にどこか魅力を感じているのは私だけだろうか?
どちらかと言えば「空手バカ一代」という漫画のイメージでもともとあこがれのような感覚があったのかもしれない。
私は時々登山をする。夜中の2時くらいに起きて真っ暗な道を2時間も車で走って山の中の登山口へ着く。
まだ薄暗い誰もいない山の中へ入っていく。
獣の気配に怯えながらきつい坂道を何時間も登っていく。
この時の感覚が「バカ」だ。「あほ」ではない。
こんなバカな事をしている自分が愛おしいのである。
バブルの時代に真面目にサラリーマンをしていたのに、田舎で子育てをしたいなどと言って赤ちゃんを二人連れて駒ヶ根に移住するようなバカな自分は愛おしかった。
老後を見据えて財産形成をしたり年金の計算をするような賢い自分はあまり好きではない。
消費税が2%上がったからといって外食だお持ち帰りだと細かなことを考える自分は嫌いだ。
外国へ移住してまで自分の好きなことをしている日本人や外国人が出てくるテレビ番組が多いが、
それはそういう人たちに憧れる人が多いことの表れではないだろうか?
地球温暖化による災害の多さは誰の目にも明らかだ。
少子高齢化は人類を終わらせることにもつながらないだろうか?
賢くなって計算ばかりして大切なものが見えなくはなっていないだろうか?
これからの自分の人生をどう生きるべきか?
バカな頭で色々と悩んでいる自分はなかなか愛おしい。
もっともっとバカになりたい。
中学生の皆さんはバカになってただひたすらお勉強をしなさい。
コペンハーゲンのセブンイレブン

手に取って少し読んだが何のことやらよくわからない。
「これって面白い?」
「結構面白いですよ。」
「へ~すごいね。。。」
そんなやり取りで終わったがそのころから何故かバカという言葉について考えるようになった気がする。
大阪人は「あほ」と言われることは平気だが、「バカ」と言われると傷つくという話は世間では一般的だ。
大阪人である私にとって「バカ」という言葉に傷つけられはしないがは言葉そのものは理解しにくい。
東京へのあこがれから来る妬みと同じ感覚なのかもしれない。
「バカ」という言葉に傷つけられるのではなくて東京弁でののしられることに傷つけられるのかもしれない。
むしろ「バカ」という言葉にどこか魅力を感じているのは私だけだろうか?
どちらかと言えば「空手バカ一代」という漫画のイメージでもともとあこがれのような感覚があったのかもしれない。
私は時々登山をする。夜中の2時くらいに起きて真っ暗な道を2時間も車で走って山の中の登山口へ着く。
まだ薄暗い誰もいない山の中へ入っていく。
獣の気配に怯えながらきつい坂道を何時間も登っていく。
この時の感覚が「バカ」だ。「あほ」ではない。
こんなバカな事をしている自分が愛おしいのである。
バブルの時代に真面目にサラリーマンをしていたのに、田舎で子育てをしたいなどと言って赤ちゃんを二人連れて駒ヶ根に移住するようなバカな自分は愛おしかった。
老後を見据えて財産形成をしたり年金の計算をするような賢い自分はあまり好きではない。
消費税が2%上がったからといって外食だお持ち帰りだと細かなことを考える自分は嫌いだ。
外国へ移住してまで自分の好きなことをしている日本人や外国人が出てくるテレビ番組が多いが、
それはそういう人たちに憧れる人が多いことの表れではないだろうか?
地球温暖化による災害の多さは誰の目にも明らかだ。
少子高齢化は人類を終わらせることにもつながらないだろうか?
賢くなって計算ばかりして大切なものが見えなくはなっていないだろうか?
これからの自分の人生をどう生きるべきか?
バカな頭で色々と悩んでいる自分はなかなか愛おしい。
もっともっとバカになりたい。
中学生の皆さんはバカになってただひたすらお勉強をしなさい。
コペンハーゲンのセブンイレブン

2019年12月04日
行き過ぎた指導
熊本の進学校である高校で先輩からの行き過ぎた指導があったとの報道を見た。
その件についての意見は特にはないが昔のある生徒のことを思い出した。
彼は伊那北高校の生徒会の副会長だった。
いわゆる優等生ではなくて頼れる兄貴というべき存在で俺は彼が気に入っていた。
体が大きく豪快な印象を与えてくれた。
「先生、飲みにつれていって!!」
「俺が飲めないのに高校生にたくさん飲まれたらたまらんわ。。」
そう言って断っていた。
大きな自宅に高校生の男女がたくさん集まっての飲み会が多かったらしい。
ある日とてもまじめな女子生徒の一人がその飲み会中に行方不明になる事件があったらしい。
「あいつは初めて飲んだんじゃないか。。ヤバいかも?」
みんなでそう言いながら家の中や外を探したが見つからない。
なんとお父さんの部屋で二人で飲んでいたらしい。
「この子がビール瓶を手にして突然入ってきたんだ。なぜか一緒に飲んでいるんだ。」
部屋にあるウイスキーなど飲んでいたらしい。
学校帰りに駅前の居酒屋で同級生と飲んでいたらしい。
繰り返すが彼は高校生だった。
そこに高校の先生たちが数人入ってきて滅茶苦茶怒られたらしい。
「お前ら、こんなところで飲むな、他に行け!!」
そう言われた彼らは
「先生、一緒に飲みましょう!」
そう言って思い切り叱られて追い出されたらしい。
学校に戻っての生徒指導は無かったらしい。
当時は文化祭の打ち上げを伊那の公園でやるのが伝統だったらしい。
大勢で酒を飲んで大騒ぎをするそうだ。
「大丈夫なん?」
「ずっと続いていることだからその日だけはみんな大目に見てくれているんじゃないの?」
そう言っていた彼だが文化祭の次の日の新聞に公園で飲酒していた高校生が補導されたという記事が載っていた。
『あいつはきっとつかまっているだろうな』
その日は彼の家に教えに行く日だった。
キャンセルの連絡が無いので彼の家に行くとひどく落ちこんでいる彼がいた。
「どうした?補導されてしまったか?」
「いや、そうじゃないんだよ。。」
彼は文化祭前には準備で徹夜が続いていた。
打ち上げの日は不覚にも家で爆睡していたらしい。
目が覚めると携帯に沢山のメッセージが入っていた。
寝ていないで早く来い、という内容かと思って見るとそうではなかった。
『みんな補導された。お前は来てはいけない。』
飲み会の実行委員長的な存在だった彼は捕まらなかった自分に怒りを覚えたらしい。
そんな彼から教えてもらった行事が歌唱指導と言ったか応援練習と言ったか定かではない。
新入生が入ってくるとみんなを並ばせて校歌を大声で歌い応援の練習をするのだそうだ。
生徒会が主催の伝統行事らしい。
「うちの学校に入ってくる奴らは大体舐めているからね。。」
「初めは全然歌えない奴もいるよ。」
「俺の顔が結構役に立つんだよ。」
叩いたりはしないが気合を入れると泣き出す女子生徒もいるそうだ。
先輩、後輩ともに気合が入りまくり、一体感が出るらしい。
「自分も一年の時はビビったね」
今はもうなくなってしまったのかな?
最近は高校生を教えないからわからない。
余談だが以前は赤穂中学伝統のカバンというのがあった。
学年で一番のワルがそれを持ち、次の学年の一番のワルに受け継いでいくらしい。
俺が教えていた女子生徒がそれを持っていて2年生のだれに渡すのかを真剣に悩んでいた。
卒業生の皆さん、ご存知ですか?
うちの息子の頃には多分なかったと思うのだが、、、、

その件についての意見は特にはないが昔のある生徒のことを思い出した。
彼は伊那北高校の生徒会の副会長だった。
いわゆる優等生ではなくて頼れる兄貴というべき存在で俺は彼が気に入っていた。
体が大きく豪快な印象を与えてくれた。
「先生、飲みにつれていって!!」
「俺が飲めないのに高校生にたくさん飲まれたらたまらんわ。。」
そう言って断っていた。
大きな自宅に高校生の男女がたくさん集まっての飲み会が多かったらしい。
ある日とてもまじめな女子生徒の一人がその飲み会中に行方不明になる事件があったらしい。
「あいつは初めて飲んだんじゃないか。。ヤバいかも?」
みんなでそう言いながら家の中や外を探したが見つからない。
なんとお父さんの部屋で二人で飲んでいたらしい。
「この子がビール瓶を手にして突然入ってきたんだ。なぜか一緒に飲んでいるんだ。」
部屋にあるウイスキーなど飲んでいたらしい。
学校帰りに駅前の居酒屋で同級生と飲んでいたらしい。
繰り返すが彼は高校生だった。
そこに高校の先生たちが数人入ってきて滅茶苦茶怒られたらしい。
「お前ら、こんなところで飲むな、他に行け!!」
そう言われた彼らは
「先生、一緒に飲みましょう!」
そう言って思い切り叱られて追い出されたらしい。
学校に戻っての生徒指導は無かったらしい。
当時は文化祭の打ち上げを伊那の公園でやるのが伝統だったらしい。
大勢で酒を飲んで大騒ぎをするそうだ。
「大丈夫なん?」
「ずっと続いていることだからその日だけはみんな大目に見てくれているんじゃないの?」
そう言っていた彼だが文化祭の次の日の新聞に公園で飲酒していた高校生が補導されたという記事が載っていた。
『あいつはきっとつかまっているだろうな』
その日は彼の家に教えに行く日だった。
キャンセルの連絡が無いので彼の家に行くとひどく落ちこんでいる彼がいた。
「どうした?補導されてしまったか?」
「いや、そうじゃないんだよ。。」
彼は文化祭前には準備で徹夜が続いていた。
打ち上げの日は不覚にも家で爆睡していたらしい。
目が覚めると携帯に沢山のメッセージが入っていた。
寝ていないで早く来い、という内容かと思って見るとそうではなかった。
『みんな補導された。お前は来てはいけない。』
飲み会の実行委員長的な存在だった彼は捕まらなかった自分に怒りを覚えたらしい。
そんな彼から教えてもらった行事が歌唱指導と言ったか応援練習と言ったか定かではない。
新入生が入ってくるとみんなを並ばせて校歌を大声で歌い応援の練習をするのだそうだ。
生徒会が主催の伝統行事らしい。
「うちの学校に入ってくる奴らは大体舐めているからね。。」
「初めは全然歌えない奴もいるよ。」
「俺の顔が結構役に立つんだよ。」
叩いたりはしないが気合を入れると泣き出す女子生徒もいるそうだ。
先輩、後輩ともに気合が入りまくり、一体感が出るらしい。
「自分も一年の時はビビったね」
今はもうなくなってしまったのかな?
最近は高校生を教えないからわからない。
余談だが以前は赤穂中学伝統のカバンというのがあった。
学年で一番のワルがそれを持ち、次の学年の一番のワルに受け継いでいくらしい。
俺が教えていた女子生徒がそれを持っていて2年生のだれに渡すのかを真剣に悩んでいた。
卒業生の皆さん、ご存知ですか?
うちの息子の頃には多分なかったと思うのだが、、、、

2019年12月03日
子どもは毎日自己新記録
長野県の公立高校入試後期試験まで100日を切った。
受験生の皆さんはさぞ頑張っていることだろう。
そう思いたいのだが、頑張れている生徒は一部で多くの生徒はばて気味なのではないでしょうか?
マラソン大会では一定のペースで走り切れるのは本格的な陸上選手だけで多くは速く走ったり、遅くなったり、時には止まってしまい、またダッシュをしたりします。初めての受験なのでこの時期にはばて気味の生徒が多い。
「毎日たくさん勉強しろ!」
「問題集を何回も繰り返せ!」
挙句の果ては、、、
「根性や!!根性!!!」
「親も一緒に頑張ってください!!」
等と好き勝手なことを言う私です。
少しでも願いをかなえて欲しいという気持ちからだとご理解ください。
でもね、、俺は子供たちの本当の姿をご両親よりも知っているつもりです。
学校でどんな風に過ごしているのか、
帰り道に何をしているのか、
親がいない家では何をしているのか、
頭の中はどんなことが占めているのか、
そこには勉強はあまり存在していません。
「ヤバい」はあるもののそれはテストの結果だったり、志望校変更だったり、いわゆる結果についてがほとんどです。
時々はダッシュしますが、すぐに疲れて休んでいます。
休んだ間にライバルに抜かされます。
抜かしたり抜かされたりしてあと100日を過ごすのが多くの生徒です。
中学生にもなると家庭では本当の姿を見せないことが多いです。
見せるとややこしいことになることを知っています。
男子はモノを言わない人も多いです。
女子の世界は複雑です。
特に恋愛関係が難しいです。
この時期の中三生は現実逃避のように恋愛をします。
部活を引退し、受験という現実から逃げたいのですね。
下校途中が一番楽しい時間なのかもしれません。
しばらくすると上手く行かなくなる恋愛がほとんどのようです。
私の息子たちが小中学生の頃は出来るだけ学校に顔を出すようにしました。
授業参観、懇談会、運動会、音楽会、文化祭、部活の試合、などに沢山行きました。
学校登山の引率には三回行きましたがきつい状況で二日間一緒に過ごすので生徒や先生のことが良くわかりました。
我が子が周りの子たちとの間でどんな風な立ち位置にいるのか、クラスの雰囲気はどうか、担任はどういう人なのか、こういったことは休み時間などの自由な時間によくわかります。
先生ともよく話しました。担任はもちろん、教頭、校長、教育長さんとも一対一で話したものです。
皆さん仕事としてではありながらわが子たちと一生懸命に向き合って下さっています。頭が下がる思いです。
教員はブラックな職場でたてまえと実情に多少の乖離がある様ですが、子供たちは幾分その辺りも知っています。大人はあまりわかっていないようです。
生徒のほとんどは真面目でいい子です。勉強を頑張ろうという気持ちがあります。
でもかなり弱いです。すぐに疲れてしまいます。楽しい方に流されます。
そういったクラスや周りの雰囲気を無視して一人だけ頑張ろうとするとトラブルが起こることが多いです。
みんなでおしゃべりをしながらゆっくりマラソンを楽しもう、といったイメージです。
大人の社会でもそうですよね。。。仕事でも地域でもその中の雰囲気を読んで流されて合わせることが必要なのかもしれません。
子供なりに空気を読んでゆるめに頑張る感覚は身につけています。
大人はそこを見てあげないといけません。
結果を残すためには周りを顧みずにひたすら頑張ればいいのですが、我が子に出来ますか?
ご両親は出来ますか?それを希望しますか?
先ほど教育長さんのことを書きましたが、子供のクラスで学級崩壊があったのです。
担任、教頭、校長を囲んで何度も話し合いがもたれました。
らちが明かないので教育長に相談しようということになりましたが、いざとなると誰も行こうとしません。
私の息子はそれほど気にはしていなかったことなのですが、誰も行かないので私が1人で教育長さんと話をして担任の交替が決まりました。
一番喜んでいるのは担任の先生でしょうね。私が行くことで担任やトラブルに巻き込まれている生徒が楽になると思いました。
これは余談ですが、こんなトラブルがなく、出来れば平和に緩くのんびりと楽しく暮らしたいものです。
中三生は彼らなりには精一杯頑張っています。
やってもやっても片付かない勉強という仕事を真面目に一生懸命にやっています。
時には無茶なダッシュのような勉強もします。そしてすぐにばててしまい止まってしまいます。
そして結果が出ずに落ち込んでしまいます。さぞ辛いことでしょう。
周りの多くの人間を見て生きています。周りには色んな人間がいます。色んなことがあります。
今年の私の生徒の皆さんはみんな頑張っています。
点数は上がっている人もいればそうでない人もいます。
マラソン大会と同じです。みんなが勝つことはできません。
言えることは毎日自己新記録を出して頑張っています。
半年ほど前には私の前で90分を大人しく座って勉強出来ない人が多かったです。
自宅では学校の提出ノート以外は何もしない人が多かったです。
勉強のことなどで悩むことすらない人が多かったです。
辛くて嫌なことは取り組みもしなかった人もいました。
今はみんな出来ています。結果に繋がらなければ意味がないのではありません。
結果ばかりに着目するとさらに良くない結果になるものです。
我が子の本当の姿を見てあげて下さい。
本音を聞き出す技量を身につけて下さい。
本当の姿を見せられる自宅の環境を作って下さい。
そうすれば毎日我が子の自己新記録を見ることが出来ます。
とても感動しますよ。。。
受験生の皆さんはさぞ頑張っていることだろう。
そう思いたいのだが、頑張れている生徒は一部で多くの生徒はばて気味なのではないでしょうか?
マラソン大会では一定のペースで走り切れるのは本格的な陸上選手だけで多くは速く走ったり、遅くなったり、時には止まってしまい、またダッシュをしたりします。初めての受験なのでこの時期にはばて気味の生徒が多い。
「毎日たくさん勉強しろ!」
「問題集を何回も繰り返せ!」
挙句の果ては、、、
「根性や!!根性!!!」
「親も一緒に頑張ってください!!」
等と好き勝手なことを言う私です。
少しでも願いをかなえて欲しいという気持ちからだとご理解ください。
でもね、、俺は子供たちの本当の姿をご両親よりも知っているつもりです。
学校でどんな風に過ごしているのか、
帰り道に何をしているのか、
親がいない家では何をしているのか、
頭の中はどんなことが占めているのか、
そこには勉強はあまり存在していません。
「ヤバい」はあるもののそれはテストの結果だったり、志望校変更だったり、いわゆる結果についてがほとんどです。
時々はダッシュしますが、すぐに疲れて休んでいます。
休んだ間にライバルに抜かされます。
抜かしたり抜かされたりしてあと100日を過ごすのが多くの生徒です。
中学生にもなると家庭では本当の姿を見せないことが多いです。
見せるとややこしいことになることを知っています。
男子はモノを言わない人も多いです。
女子の世界は複雑です。
特に恋愛関係が難しいです。
この時期の中三生は現実逃避のように恋愛をします。
部活を引退し、受験という現実から逃げたいのですね。
下校途中が一番楽しい時間なのかもしれません。
しばらくすると上手く行かなくなる恋愛がほとんどのようです。
私の息子たちが小中学生の頃は出来るだけ学校に顔を出すようにしました。
授業参観、懇談会、運動会、音楽会、文化祭、部活の試合、などに沢山行きました。
学校登山の引率には三回行きましたがきつい状況で二日間一緒に過ごすので生徒や先生のことが良くわかりました。
我が子が周りの子たちとの間でどんな風な立ち位置にいるのか、クラスの雰囲気はどうか、担任はどういう人なのか、こういったことは休み時間などの自由な時間によくわかります。
先生ともよく話しました。担任はもちろん、教頭、校長、教育長さんとも一対一で話したものです。
皆さん仕事としてではありながらわが子たちと一生懸命に向き合って下さっています。頭が下がる思いです。
教員はブラックな職場でたてまえと実情に多少の乖離がある様ですが、子供たちは幾分その辺りも知っています。大人はあまりわかっていないようです。
生徒のほとんどは真面目でいい子です。勉強を頑張ろうという気持ちがあります。
でもかなり弱いです。すぐに疲れてしまいます。楽しい方に流されます。
そういったクラスや周りの雰囲気を無視して一人だけ頑張ろうとするとトラブルが起こることが多いです。
みんなでおしゃべりをしながらゆっくりマラソンを楽しもう、といったイメージです。
大人の社会でもそうですよね。。。仕事でも地域でもその中の雰囲気を読んで流されて合わせることが必要なのかもしれません。
子供なりに空気を読んでゆるめに頑張る感覚は身につけています。
大人はそこを見てあげないといけません。
結果を残すためには周りを顧みずにひたすら頑張ればいいのですが、我が子に出来ますか?
ご両親は出来ますか?それを希望しますか?
先ほど教育長さんのことを書きましたが、子供のクラスで学級崩壊があったのです。
担任、教頭、校長を囲んで何度も話し合いがもたれました。
らちが明かないので教育長に相談しようということになりましたが、いざとなると誰も行こうとしません。
私の息子はそれほど気にはしていなかったことなのですが、誰も行かないので私が1人で教育長さんと話をして担任の交替が決まりました。
一番喜んでいるのは担任の先生でしょうね。私が行くことで担任やトラブルに巻き込まれている生徒が楽になると思いました。
これは余談ですが、こんなトラブルがなく、出来れば平和に緩くのんびりと楽しく暮らしたいものです。
中三生は彼らなりには精一杯頑張っています。
やってもやっても片付かない勉強という仕事を真面目に一生懸命にやっています。
時には無茶なダッシュのような勉強もします。そしてすぐにばててしまい止まってしまいます。
そして結果が出ずに落ち込んでしまいます。さぞ辛いことでしょう。
周りの多くの人間を見て生きています。周りには色んな人間がいます。色んなことがあります。
今年の私の生徒の皆さんはみんな頑張っています。
点数は上がっている人もいればそうでない人もいます。
マラソン大会と同じです。みんなが勝つことはできません。
言えることは毎日自己新記録を出して頑張っています。
半年ほど前には私の前で90分を大人しく座って勉強出来ない人が多かったです。
自宅では学校の提出ノート以外は何もしない人が多かったです。
勉強のことなどで悩むことすらない人が多かったです。
辛くて嫌なことは取り組みもしなかった人もいました。
今はみんな出来ています。結果に繋がらなければ意味がないのではありません。
結果ばかりに着目するとさらに良くない結果になるものです。
我が子の本当の姿を見てあげて下さい。
本音を聞き出す技量を身につけて下さい。
本当の姿を見せられる自宅の環境を作って下さい。
そうすれば毎日我が子の自己新記録を見ることが出来ます。
とても感動しますよ。。。
2019年12月02日
保護者の皆様へ 緊急では全くないご連絡です

保護者の皆様へ
大きなお世話で失礼いたしますが運動することを心がけましょう。お互いに、、、、
休めば収入がなくなり、信頼もなくなる。受験生に迷惑をかけてはいけない。体力勝負だ。
サラリーマンを辞めていっそうこの思いが強くなりました。
風邪や病気で休んだことはこれまで一度もないのが自慢です。
多分中学生の時が最後です。
風邪を引いたことはありますが、一晩寝たら治っています。
インフルエンザには罹ったことは無いと思います。
もちろん運だったり環境だったり自分ではどうしようもない部分はあります。
私も足を骨折して休んだことはあります。
大阪の父が亡くなった時も3日だけ休みました。
基礎体力や免疫力をつけるとかなり違うと聞き、心がけを含めて自分なりには努力しました。
年齢を重ねてくると基礎消費量が落ちて来るそうです。
食べるものも意識しないといけませんね。
我慢は好きではないので嗜好を変える様に努めています。
ゆっくり食べて腹八分目で済ませるようにしています。
意味がなくても外に出る様にしています。
スポーツ、登山、ジョギング、散歩、、、
ここ10年ほどで天竜川の堤防を歩いたり走ったりする人の数が増えたように思います。
駒ヶ根市のマラソンコースになったからかもしれませんが、良いことですね。
毎日8000歩とかジョギングは20分以上とか、週に三回の運動とか、いろんな情報を耳にします。
それらはあくまでももう少し頑張る目標と考えています。
それらに縛られるとつまらなくなって辞めてしまいます。
家事の時の姿勢を意識するとか、階段を上る機会を増やすとか、何でも少しでもやらないよりはやった方が良いと思います。
お子さんの通学路を歩いてみるのも良いです。
毎日これだけ歩くのかと思うと、少し優しくしてやろうと思ったものです。
運動が出来ない体になると戻すのが大変なようです。
40代くらいから個人差が大きくなるように思います。
特に歩けなくなると辛いですよね。
大阪にいたときは通勤や仕事で結構歩いたのですが、駒ヶ根に住んでいると意識しないと歩けません。
皆さんの中学生や小学生のお子さんを少しでも長く見守るためにも、、、
数年後に訪れる子育て終了の時を考えても、、、、
運動をする習慣を身につけましょう。
息子がサッカーを引退しました。
登山をするのも冬は大変で、熊が怖い、人が多いで、少し控え気味です。
今日のような天気には団地の階段を2時間くらい登り下りしたこともあります。
あちこちで歩くコースを見つけて歩いています。
この土日で52000歩を歩きました。
昨年は四国で一日6万歩約50㎞を歩いたこともあります。
もっと歩く人もいくらでもいます。
駒ヶ根の人で知人に見られたくないので車でどこかへ行って歩く人もいます。
天竜川の堤防で杖を突いて歩くお年寄りもいます。
自分なりに何でも体を動かすのが良いです。
年をとってからよりも今始めるのが良いです。
出来るときに出来る分だけ、出来ることを、、、、
お近くの方、宜しければご一緒に歩きましょう。。。