プロフィール
sawch
sawch
駒ヶ根市赤穂の個人学習塾です

塾以外の雑談や趣味や独り言が多いですが、
どなたでもコメント大歓迎です。


ホームページも是非見て下さい。
https://yoshidakids.com 駒ヶ根吉田塾
< 2024年02>
S M T W T F S
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29    
インフォメーション
長野県・信州ブログコミュニティサイトナガブロ
ログイン

ホームページ制作 長野市 松本市-Web8

アクセスカウンタ

2024年02月29日

2年生は全員辞めてもらった



かつて私はマンツーマンで教える家庭教師をしていた。

1日に3人ずつで週に6日教えたら18回教えられる。
それぞれが2回教えたら9人教えられる。
そんな風に考えた。

しかし思った様にはならなかった。
1番目の人を5時くらいに予定したが何故か時々学校から戻って来ない事があった。
急な学級会や委員会などがあったり生徒がうっかりする事もあった。
厳しく叱れば早い時間は嫌だと言い出す。

遅い時間は9時過ぎからのスタートだった。
終わりは11時くらいになる。
家族は風呂に入ったり寝たりしたくとも私がいると落ち着かない。見送りはお子さんにしてもらうと言ってはいるが嫌がられる。
その上この両方の時間は生徒が学校帰りのすぐで疲れていたり集中しにくかったり、眠かったりする。やはり一旦落ち着いて出来れば夕食を食べて少しした7時半くらいのスタートが良い。
他の習い事や部活動の延長練習などで曜日の融通は効かない。
そのため私が思っているほどはきっちりと予定を埋められない。

受験が近くなるとさらに予定が厳しくなる。
3年生はもっと沢山入れて欲しいと言ってくる人が出てくるからだ。
当時は今よりも受験前はカリカリしていた。
パニックの様な親もいた。
三学期は学校を休ませても良いから昼間でも良いので来て欲しいと言われる事もあった。

週末には朝から5人や6人の家に行く事もあり吉田家は崩壊した。私も体力気力が尽きかけた。

ラインやメールさえもなくて電話で予定を決めたり変更の依頼をしなくてはいけなかった。
勉強が終わった生徒の家で予定の相談をされる事が多かったが次の家へ行かなくてはいけなかった。移動中に公衆電話から連絡する事が多くてそれもストレスだった。

そのため思いついたのが2年生は全員辞めてもらう事だった。一家族毎を説得するのが大変だった。
怒ってしまってケンカの様になって辞めた人もいた。こちらもストレス、相手はもっとストレス。
来年は我が子も3年生だからと納得してくれる人が多かった。

2年生が抜ければ3年生が追加でいっぱいになるかと思えばそうならない事もあり、自分で自分の収入を減らす事になりまたストレス。

スマホがあって希望者を伺って調整出来れば楽だった。

その時思った事。家庭教師では生活が出来なくて他の仕事をしながらのバイト程度しか出来ないがそれではしっかりと教えられない。
今の時代には合わない。
特別な進学をするしかもやる気満々の生徒を高い授業料で教えるのなら意味があるかも知れない。

  
Posted by sawch at 08:29Comments(0)

2024年02月28日

伸びる子 伸びない子 普通の子


「私の解答が合っているかどうかみて下さい。」
ちょっとした記述問題は正解かどうかを自分で判断しにくいので私の所に持ってくるように言っている。

軽く説明をするとすぐに
「わかりました。ありがとうございます。」
と戻って行く生徒が多い。 
逃げられる前につかまえて聞いてみる。
「自分で解答例を見て考えたか?」
たいていはノーだ。
解答例を見れば合っているかどうかはすぐに解る様な問題での話しだ。
少し複雑な計算問題等でも同じだ。
質問をする前に解答を見て考えてから来るのと何もしないで来るのとでは説明を受けた時の理解が大きく違う。

自宅や学校で勉強する圧倒的に多い時間でどうするのかにも関わることだ。
「解らない」で終わる生徒と
「解らないから質問しよう」とチェックしておく生徒には差がある。
さらに「解らない問題は解答と解説を読んで理解しようと努める」という生徒には勝てない。
 伸びない子 普通の子 伸びる子に分かれてしまう。
塾では質問せずに放っておく生徒はいなくなったようだ。
普通の子を伸びる子にしたい。

塾に来ているのだからドンドン質問に来るように促している。
それでも来ないので「問を一つ解いて答え合わせをしたら見せに来て下さい。まちがいがあれば質問ができる様にして来て下さい。」と言ってはいる。
これで全員が来てくれる。
「解答解説を見てから来て下さい」と言うのだが出来ない生徒がいる。

中には答え合わせをせずに持って来る生徒がいる。
言われたから持って来る。
持って来る事がゴールになっているのだ。
持ってきた時にしつこく言う。
少しずつ伸びる子になっている。

しかし間もなく受験が終わりで、塾も終わる。

少しでも伸びる子となってから終わって欲しい。
  
Posted by sawch at 08:59Comments(0)

2024年02月27日

大阪の高校入試は地元集中だった



大阪の一部の地域で一時期において地元集中という高校入試の進め方が行われていた。
私は丁度その地域でその時期に高校入試だった。

駒ヶ根に置き換えて説明するとこうなる。
赤穂中の卒業生は赤穂高校か駒ヶ根工業高校に進む様にしなさいというものだ。
あなたが勝手に伊那北や弥生に進むと伊那に住んでいる人が近くの高校に行けなくなるからという考えだった。

松川に住んでいる人は松川高校、高遠に住んでいる人は高遠高校に行く事でそれぞれの高校の格差がなくなるという事だ。

特に私がいた枚方はひどかった。
中学の学級会で進学校へ行く生徒を教師が中心となって吊し上げていた。
「お前が自分勝手に市外の進学校に行くから俺らが地元の高校に行かれへんねん。」成績の悪いヤツらは教師の後押しでそう言った。
成績の良いヤツらは悪い事をしたかの様だった。
多少は反論を言っても教師も相手では分が悪い。

成績の悪いヤツらは頭も悪かった。
当時の大阪は公立高校に行けるのは半分程度の生徒だった。成績下位のヤツらはいずれにせよ私立高校に行くしかなかった。地元集中は彼らには関係なくて成績が中くらいの生徒に関係していた。それに気づいてなかった。

「お前らが遊んでる時にコイツらは頑張って勉強しとんねん。それでええ点数を取ってるのにお前らが同じ高校に行けると思うのは甘いんちゃうか」
そんな格好いい正論を言ったのは私だった。
たまたま司会をしていてそこそこ点数は良かったが地元の高校を近いからという理由で選んでいた。
そんな私の意見には教師も何も言えなかった。むしろ個人懇談で教師は「進学校に行けば?」と言った。
成績の悪いヤツらは私に反論する会話力がなくて、逆らうと後で殴られるだろうと思っていたのかも知れない。成績の良いヤツらは大人しい人が多かったので攻撃しやすいが私はそうではなかった。

結局ほとんどの成績の良いヤツらは市外の進学校に進む事を決めた。
勉強をするだけでもキツイのにこうした嫌がらせがあってどれほど辛かっただろう。

酷いのが卒業式だ。
進学校に進む数十人を親の前で教師が名指しで非難した。

進学校に進むという生徒には内申点を悪く付けるという噂さえもあった。

この運動はそれほど盛り上がらずに終わったらしい。
憲法で守られている自由や権利に反しているので当然だろう。
中学の教師と高校の教師では考え方が違う事もあった。
教える側にすれば生徒の学力差は大きくないのが望ましい。
数年後に高校に教育実習に行った時は地元集中は全く影響してなかった。
中学のかなりの教師だけが騒いでいたのだ。

高校受験というとこの時の事を思い出して嫌な気持ちになる人が今でもかなりいるだろう。

  
Posted by sawch at 08:49Comments(0)昔の話

2024年02月26日

親のために勉強をする



昨日の塾は明るい時間に来てもらった。
あと10日で高校入試がある10人ほどが来てくれた。

どの生徒も集中している。
間もなく終わりの時間になる頃に窓のカーテンを開けた。

雪の降る中でお迎えの車が何台も並んでいる。

「みんな、少し手を止めて見て下さい」
「雪の中お家の人が待ってくれてるよ」
「送り迎えも大変だし待つのも大変だ」
「親に感謝して親の為に頑張るというのもありだと思うよ。」

まだまだ幼い中3生にとっては上伊那のそれほど競争が激しくない高校入試でも辛く長いものだ。
家族が応援しているという事に気づいて欲しい。
私なんてお金を貰ってやっている他人に過ぎない。
無償の愛を持って応援してくれる家族がいる。
それを考えると少し暖かい気持ちになって最後の頑張りが出来るはずだ。

あと10日もすれば受験生も終わりだ。
全力でいこう。  
Posted by sawch at 07:29Comments(0)

2024年02月25日

塾で感謝を学ぶ



「この問題が解りません」
そう言う生徒に解き方を教えると

「ありがとうございます」
と言ってくれる。

気がつけば多くの生徒が言ってくれる。
『前はそんな事を言ってたっけ』

誰かが言い始めてそれを周りの人が真似ている様に思う。
こうした真似る事が学ぶという事だ。

生徒が「ありがとうございます」と言えば
私もつい「ありがとうございます」と出ることもある。
「はい」とか、「はい、頑張って」とか、何らかの返事をする事は多い。
こうした挨拶や返事のやり取りはこれから大人になる生徒の皆さんにはとても大事だ。

『学習塾なので解らない所を教えるのは当たり前だから言わなくても良いよ』とは思う。
それでも悪い気はしない。

教えてくれてありがとう
言ってくれてありがとう
塾に来てくれてありがとう
塾に入れてくれてありがとう

少しでもそんな連鎖が出来て塾以外にも広げられたら生徒の皆さんの将来は明るい。


  
Posted by sawch at 08:49Comments(0)

2024年02月22日

高校に受かってしまった人達へ



既に高校に受かった皆さんは今頃はどんな気分でしょうか。
学校では後期試験を控えた人達がピリピリしているでしょうね。
志望校の変更という現実を突きつけられて泣いている友人がいるかも知れません。
先生達は合格者には目もくれずに「周りを気遣っておとなしくしていろ」と言うかも知れません。
勉強をする気もあまりしないでしょう。
既に1ヶ月はこの中途半端な時間を過ごしていますよね。

我が子も3人ともそうでした。
それも1月には決まっていました。
僅か10分の面接で終わりでした。
発表は郵便で送られてきて終わりでした。
そこから高校に入るまでは2ヶ月以上もありました。
ダラダラと特にやる事の無い毎日でした。
赤穂中ではストーブを片付けたり、何かと雑用を与えられました。
【高校に合格した】という喜びは一瞬だけでした。
そんな息子達がかわいそうにさえ感じました。

中学生活の最後まで受験勉強をして、みんなで一緒に受験をして、高校に張り出される合格発表を見て感動するのが最高です。
私でさえあの日を覚えています。

なぜみんなが一斉に受験をしないのか、
なぜ学力試験を課さないのか、
その事での心の不完全燃焼をどうしたら良いのか、
たかだか塾ですが受かって辞めると途中で辞めてしまい卒業したように扱われない雰囲気です。
かと言って残っても中途半端で、後期試験の人達の迷惑にならない様に気を遣わなくてはいけません。

受かっている皆さんこそ早く後期試験が終わって欲しいと思っているでしょう。

皆さんの選択が悪いのではなくて制度に問題があります。

一部の人に2度の受験チャンスを与える事で全員が徐々に収まっていく事が一番の目的かも知れません。

きっとまた制度は変わります。

受かった人はせっかくの自由な時間を有効に使って好きな事をして下さい。ゲームも良いんじゃないですか。
後期試験の人と同じ様にあと僅かな日を勉強に費やせると一番落ち着きます。
大手を振って過ごして下さい。
先生にも友人にも遠慮はいりません。
ただ先に受かっただけなのです。
  
Posted by sawch at 08:10Comments(0)

2024年02月21日

仮眠



「これで京都に帰ります。ありがとうございました」
「吉田くん、気ぃつけてな〜、ありがとう」
滋賀県の湖西辺りのお客さんは優しい。
自分の親くらいの年齢の人が多いためか親切にしてくれる。
比良の山並みからの日差しが琵琶湖に差していて美しい。
一日の仕事を終えた達成感と幾らかの疲労感がある。
ここから2時間をかけて京都の営業所まで帰る。
片側一車線の道をラジオをかけてボーッと走る。
雄琴温泉にはソープランドが並んでいてタクシーで出勤する派手な女性が対向車線で右折待ちをしている。
その女性達を見ようとしての追突事故が多いと聞いた。
男はバカだ。
雄琴温泉辺りはそのためかいつも渋滞している。
段々と眠くなる。
営業所はまだ先だ。
路肩に車を停めて運転席のシートを倒す。 
ラジオの音楽が一気にまどろみの世界へ誘う。
暑くて小窓を開けているので走り去る車の音で目が覚めた。
熟睡出来た様ですっっきりとしている。
驚いた事に寝る前にかかっていた曲がまだかかっている。
『3分も寝てないのか』

こうして居眠り運転の危険を回避して京都の営業所へ帰る。

この技?を中学生にも覚えて欲しい。
「一度寝たら起きられないから寝ません」と言ってウトウト勉強しているのだろう。
3分は無理でも30分で起きるんだと思って寝ると起きられる。そしてすっきりして集中出来る。

不謹慎で失礼だが、学校で授業をしてくれるとすぐに眠くなる。中学生の頃は朝刊の配達をしていたからこの技を身につけたのかも知れない。

『仮眠だ。すぐに起きるんだ』と脳に指令をしてから仮眠すると良い。

吉田塾が教える勉強の仕方の一つは仮眠だ。
塾でも仮眠の時間を設けるかな。  
Posted by sawch at 08:18Comments(0)昔の話

2024年02月20日

学習塾は絶滅危惧種



今の中学生が産まれた15年前の駒ヶ根市の出生数は年間で300人位だ。
その頃は赤穂中だけで300人いた。
それがここ数年は200人程度だ。

出生数と中学生の数はそのまま等しい訳ではないが大まかには同じだろう。

この先15年もしない間に中学生は300人から200人に減ってしまう可能性が高い。
ヤバいくらいの減り方だ。
因みに駒ヶ根市が特別なのではなくて全国的には平均点な減り方だろう。

そして日本は円安もありかつての勢いを失っている。
国は賃金上昇を目指しているが多くの人は財布の紐をキツくする。

家計から削れる所を削る。生命保険、ブランド品、豪華な自宅と庭、あとは何を削るだろう。
まさか塾は削るまいと思う人もいるだろうが、本来は必需品ではない。
日本人の子ども達の学力低下と教育現場の大変さは言われるが学習塾ではどうなのかはわかっていない親が多い。
その実態が明らかになれば塾のお金を削る事を考える人が増える。

営んでいる立場でも『要らんのちゃうか』と思う。
医者の様に治して貰わないといけないわけではない。
先生と呼ばれるが本来は学校があれば要らない。
「学校には行きたくないが塾には行くので助かる」と言ってくれる人は多いが、本当の望ましいのはそうではなくて学校を充実させる事だ。

子ども中心の国造りと言ってお金を配るよりも学校の改革と充実が必要だ。何をやって何を得るのが良いのかを見直す必要がある。

学習塾への時間とお金を削って家庭での豊かさに繋げるのが良い。

吉田塾では学校の教材を使って自分でやる。
「解らない所を教えて貰えるから良い」と言ってくれる人がいるがそうではない。
「答えと解説を見て自分で理解して、」
「それでも解らなければ放っておいても良いよ」
こんな風に言うので結局は自分で家で出来る事を塾にお金を払って来てやっている。
営む私が『要らんのちゃうか』と思う。

色々のやってみてこのやり方が一番良い。
そのやり方ならそもそも要らないという事になる。

子どもの数が大きく減り、家計が苦しくなる事も踏まえると学習塾は絶滅危惧種だと思う。  
Posted by sawch at 08:39Comments(0)

2024年02月19日

懇談会




昨日は塾で懇談会をした。
個別ではなくて任意参加のグループ懇談会だ。
こういうのに参加してくれる親御さんはありがたい。
意思の疎通が図れるからだ。
親が思っている事や望んでいる事と違う事をやるのは良くない。
しかし親の考え方を改めてもらわないといけない場合もある。
まずは親がどんな風に思っているのかを知れる良い機会だ。

20年前位は謎が多かった。
「駒ヶ根の高校からは大学へは行けない」
「少しでも可能性を広げる為に最低限弥生が丘」
「やる気を出してもらう為に依頼した。」
「勉強の方法を教えてもらいさえすれば良い」
「心の指導は要らない」
「伊那北高校へ行けなければ人生終わり」
「私立高校は下の人が行く所なので行かさない」
「成績保証をして欲しい」
「上の子は1年間お願いして上農なので下の子は2年お願いするから赤穂に入れてほしい」

申し訳ないが思い出すと笑ってしまう。
結果優先で本質が見えてない人が多かった。
その考え方が我が子をダメにしていると気がついていない人が多かった。

私もわからなかった。

今の親は進化している。
子どもを所有物ではなくて人格を認めている。
言い換えれば私が思う事を思ってくれている人が多い。

成績や結果だけを求めるのなら私には無理です。
あなたの子どもは私には無理です。
そう言わなくてはいけない様な親は私の塾にはいない。
その分は楽だ。

しんどいのは心身共に弱い人が多いと云うことだ。 
世の中がややこしくて住みにくくなってるのかな。
少子高齢化で大事にされすぎているのかな。

雑草の様な逞しさを持つ人は少ない。

その部分では親は大変だ。  
Posted by sawch at 10:18Comments(0)

2024年02月17日

街の居酒屋の様な学習塾



お遍路を歩いた時だが夕食に小さな街の居酒屋に入った。
カウンターには高知の男達が楽しげに大声で喋りながら飲んでいた。
「ここ、良いですか?」
年配の4人が座る並びに座った。
他の席はなかった。
客達はチラチラとこちらの様子を伺っていた。
「飲めないんでウーロン茶を下さい」
と言ってから料理を頼んだ。
「お仕事ですか」
「いえ、歩きでお遍路です」
そう言うと客達が一気に話しかけてきた。
「ずっと歩いてるんですか」
「酒を飲まないのはお遍路中だからですか」
「小さい頃からお遍路さんはよく見かけるんですけど喋るのは初めてです」
「失礼ですが仕事はどうされてるんですか」
そんな事を大声の高知弁で話しかけてきた。

楽しかった。
「次に来たらうちに泊まって下さい。」
「会社をやっていて寝る場所なら幾らでもあります」
と電話番号を書いてくれた人もいた。

客だけでなくて店主も一緒に盛り上がった。
馴染みの客以外はほとんど来ないそうだ。
住宅街にある小さな居酒屋なので当然か。
やはり住宅街にある小さなゲストハウスに泊まってもう歩きたくないので勇気を出して入ったが普通なら知らないこの店は選ばないだろう。

「自分が近所の人と楽しみたいからやってるんです」
と店主は言った。

私もそんな塾を作りたい。
友達の様に関わることが出来る親御さんや明るく元気な子供達と少ない人数でやりたい。

誰でも気軽に来て名前も知らない誰かが食べている様なレストランではない。
その分値段は安くても美味しいものを出す。

来年度はそういう塾を作りたい。  
Posted by sawch at 08:48Comments(2)

2024年02月16日

ある天才の今の立ち位置



かつて私の生徒には天才と呼ばれる生徒がいた。
中1で漢検の準二級を取り、テストは学年一位、伊那北理数科でも上位だったので周りがそう呼ぶのはわかる。

しかし本人も親御さんもそして私もそうは思ってない。
中1の頃に学校で少しいじめられていた。
「ケンカの練習をするか」とボクシングの様な格好をする私の方には目もくれずに言った。
「そういうのは苦手なんです」
どうすればいじめられないかを考えた。
まだ親には知られたくないがもっとやばくなれば知らせる事を約束してくれた。
その上で考えた。
勉強で見返そうと考えて漢検を取ることにした。
中1なら五級かなと思っていたらはるかに上の級を選んだ。
めちゃくちゃ頑張った。ノート2冊が漢字でいっぱいになった。意味の解らない単語は私に質問してそれを丁寧に書き込んだ。
一発で合格したら学校の先生が漢検ブームを作り私の生徒は天才扱いをされた。いじめもなくなった。

中3では通信ゲームにハマった。
親や祖母を悩ませた。
時々酷い点数を取った。
それでも理数科には受かった。
高校でも常に上位だったのは吉田先生に勉強の仕方を教えてもらったからだと言ってくれた。
しっかり大人になってくれたと嬉しかった。
大学受験は失敗だった。
普通の大学なら受かるのにさらに上を目指して何年も浪人した。
何とか大学に入ると大学院まて行った。

それを終えたらそれなりの年齢になっていた。
研究者にはなれなくて研究の仕事に就いた。
上手く行かない。
頭がガチガチな人ではなくてユーモアや挨拶が出来るちゃんとした人だが、学生時代が長すぎたのか。
今は家で悶々としているのかも知れない。
私は一緒に酒を飲んでやる事は出来ない。
酒が飲めない。
その能力を世界の為に使う様に自分で何とかして欲しい。
自分の力で飯を食うって簡単じゃない  
Posted by sawch at 10:01Comments(0)

2024年02月15日

怖かった卒業旅行




学生時代は卒業旅行が大流行だった。
大学生はもちろん短大生や高校生まで卒業旅行に行く人が多かった。
往復の飛行機の予約だけのフリープランで20日のヨーロッパ旅行を計画した。
友人と2人で大阪から成田へ行きそこからはBA006便で行き、005便で帰ってきた。不思議な事はやたら覚えている。
飛行機は全員と言って良いくらい卒業旅行らしい人ばかりだった。
隣には女の子が独りでいた。
『何故独りなんだろう』
一緒に来るはずの友人が都合で遅れての合流となりそこまでは一人旅だと言う。
私の友人と同じ滋賀県のそれも近くに住んでいる短大生だとの事で途中まで一緒に旅をする事になった。
思いがけずカワイイ年下の女の子が一緒になってウキウキした。
アラスカのアンカレッジという街に給油の為に立ち寄るのが当時の飛行機だった。
アンカレッジはアメリカだ。それだけで興奮した。
空港には混雑するほどの日本人学生がいた。
3メートルほどもあるホッキョクグマの剥製の前は写真撮影の列が出来ていた。
ほとんどの学生が「地球の歩き方」というガイドブックを持っていた。
「飛行機の中のスプーンフォーク等の備品を持って行くと役に立つ」と誰かがコメントをしていて多くの人が実行した。実際に使う事はなかった。
未明の時間のロンドンは空から見ると美しかった。
街の灯りがオレンジ色だった。
白い灯りやネオンは無くて街灯までもオレンジ色だった。
空港が近くなると飛行機の中はかなりざわついた。
私と同じで美しい街灯に対する感動といよいよ始まる旅の緊張感をみんなが持っている様に思えた。

「地球の歩き方」で予習をした入国審査の通り方をもう一度読んでから無事に通過出来た。
荷物を無事に受け取った。

そこまではみんな同じだ。
沢山いた日本人の仲間達は広い空港の中でバラバラになった。
我々3人は急に心細くなった。
「地球の歩き方」を見た。
両替だ。
日本で用意した旅行小切手をポンドに替えた。
空港を出ると明るくなっていた。
ロンドンは寒くて少しだけ日本と違う匂いがしているような気がした。恐らくはタバコや香水の匂いがきついのだろうと気がついたのは数年後だ。

せめて初日の宿だけでも予約しておけば良かったがその術を知らなかった。毎日の仕事のかなりが宿探しだった。
「地球の歩き方」で評判の良い安宿はあまり快適ではなく、探す事自体に苦労する様な小さくてわかりにくい宿ばかりだった。
もっと困ったのが食事だった。
現地のレストランに入る勇気はなかった。
英語のメニューやチップが必要との事前情報にビビって入れなかった。
「今日こそはマクドナルドには行かないぞ」と決意がいるくらいにお世話になった。
マクドナルドに行かない日は冷たく硬いパンとまずいジュースを狭くて古くて少し匂いのする部屋で食べた。
女の子が別の部屋を取ったのは初めだけだった。
宿主が勝手に一部屋にしてしまいそれを覆す語学力や気力がなかった。女の子はひとりは怖いから同じで良いと言ったのもある。
男2人と年下の女が1人。
何も起きないはずがない。
しかし私の友人は優しくて紳士だった。
彼は私よりも2つ年上で女の子よりも4つも上だった。
隣のベットで寝て、すぐそこでシャワーを浴びるという日が何日か続いた。

ロンドンの次はギリシャのアテネだった。
このワンフライトは予め決まっていた。
そして迷わず宿のそばのレストランに入る事を3人で決意していた。
アテネはロンドンよりも不思議な匂いがした。
ヒゲをはやした声の大きい人が沢山いる街のど真ん中の宿に入る事が出来た。「地球の歩き方」に載っていた宿だった。
そしてその本に載っていた近くのレストランに勇気を出して入った。
ヒゲのオヤジが片言の英語で対応してくれた。
ギリシャ語ではなくて英語のメニューだったがどっちにしても解らない。
英語そのものも解らないがメニューになると「魚」とか「牛肉」「ロースト」しか解らず単語で適当に決めた。
何が出てくるか全くわからない。
梅干しの漬物の様なものが出てきた。
酸っぱくて不味くて予想外の味に驚いて大きな声を出した。
話し合いの結果オリーブだと思った。
3人で騒いでしまった。
ヒゲのオヤジがやって来た。
『ヤバい、叱られる』と思った。
布をかけた何かを持っている。
何か色々と言ったあとそれを置いて立ち去った。
布を取るとそれはオリーブだった。
3人で顔を見合わせた。
「きっと俺らが喜んでいると思ってサービスしてくれてるんじゃないのか」
「どうするんだ」
「残して帰ると店を出られないか国際問題になるかも」
料理がどんなものだったかも覚えてないくらいオリーブは大問題だった。
私がひらめいた。
「これは美味しいから持って帰ってホテルで食べる」とオヤジに伝えた。
もちろん手振りと日本語がほとんどでかすかな英語で伝えた。
伝わった様でオリーブを袋に入れてくれた。

普通の食事料金と多いか少ないかわからないチップを置いて何か現地語で挨拶をして店を出る事が出来た。
多分「カリメロ」がギリシャ語の挨拶だと「地球の歩き方」に書いてあった。
疲れ果てた私達はシャワーを浴びるとすぐに寝た。
彼女の寝息がすぐそこから聞こえるがもうそれにも慣れてしまった。  
Posted by sawch at 08:47Comments(0)昔の話

2024年02月13日

微妙な嬉しさで受験生を終える



ある女子生徒は赤穂高校の商科の前期試験を受ける事にした。
彼女には親友がいて同じ赤穂高校の商科の前期試験を受けるらしい。
「高校になっても一緒に行こうね」と良く話していたらしい。
「それならその子も俺の塾に来れば良いのに〜」と私は冗談交じりで言っていた。

私の生徒は合格した。
しかしあまり嬉しそうではない。
親友が不合格だったらしい。
「先生、きっと後期試験で受かるよね。」
「俺の塾に来ない子は落ちるやろ。」と冗談で言えない程深刻な雰囲気だった。

数日後その生徒はさらに深刻に悩んでいた。
親友とケンカしたらしい。
「受かって嬉しいのになんで嬉しそうにしないの?」
突然親友がそう言ってきたらしい。
「一緒に赤穂高校に行ける様になるまで嬉しいと思えないんだよ。」
そう言う生徒に親友は言ってはいけない一言を言ってしまった。
「そういうところがウザいんだよ。」

そのまま数日口をきいてないそうだ。
「あの子は大事な受験なのに私のことでイライラして勉強は大丈夫かな?」と親友を心配する生徒。

親友は後期試験で合格して念願だった2人揃っての赤穂高校の商科に入る事になった。

しかし例の事があったから2人の距離は縮まらず親友ではなくなってしまった。

私の生徒は合格の嬉しさに浸る事もないまま受験生を終えてしまった。  
Posted by sawch at 07:57Comments(0)

2024年02月12日

サイトウ・キネン・オーケストラ


1992年頃のドイツのケルンという街でサイトウ・キネン・オーケストラのコンサートがあるけど一緒に行こうと日本語を学ぶドイツ人の友人から誘われた。
ケルンには日本文化会館があって現地の人に日本の文化をていた。
寅さんの英語や日本人音楽家のコンサートに何度か連れて行ってくれた。

パンフレットを見ると斎藤さんという音楽の先生の教え子の演奏家が集まって小澤征爾という指揮者を中心にコンサートをしている。長野県の松本がホームグラウンドだとも書いてあった。
全てが初耳だった。
ドイツやオーストリアの街角では市民オーケストラのコンサートの演奏が多い。
心地良くて眠くなる事が多い。
「良い音楽は心地良くて眠くなる」と言っていた。
 
音楽が全く解らない私だがこのオーケストラは違った。
音がとてもきれいだった。
感動する美しさだった。
初めて見る小澤さんという方の指揮は迫力満点だった。
「カッコイイ」と思った。

もう一度パンフレットを読んだ。
『小澤征爾さん、ファンななったわ〜』と思った。
『クラシック音楽も悪くないな〜』とも思った。  
Posted by sawch at 18:06Comments(0)昔の話

2024年02月10日

正しく不安がって進化する



長野県公立高校の前期試験の発表があった。合格出来なかった人がいた。
後期試験だけの人も含めてあと僅かだ。
それなのに何故やらないんだろう。
今日みたいな休日なら20時間くらいは出来るだろう。
過去問題集をやれば良いのに何故やらないんだろう。
のんびりしているのは不安じゃないからだろう。
解らない所はラインで無料で教えてくれるなんて過保護なくらいのサービスをしても聞いてくる人はごく僅かだ。
親だって同じだ。
こう書くと「やってます。先生は何も判ってない」と言う親もいるだろう。
そう言うなら何故子供がやらないままなのか。

お子さん達は親が思っているよりのんびりしていますよ。
そこに気がつかないのは親ものんびりしているからだろう。
親だった時の私も不安で仕方がなかった。

今年の生徒ではないが学年で一番テストの点数が良い人がいた。
あるテストで一番じゃなくなって少なからず落ち込んでいた。
「良かったじゃん」と私は言った。
「酷い事を言いますね。」と生徒は言った。
「これでまた頑張れるじゃん」と私は言った。
「そうですね」と生徒は明るく言った。

成績が良い生徒は頭が良いのではなくて、勉強が好きな訳ではない。
たいていは不安がやる原動力だ。
「頑張っていない人は将来は不幸になりますよね。」
受験前なのにのんびりしているクラスメイトを見てそう言った生徒がいた。
辛くて辞めたくて不安で仕方がなくての発言だろう。

私もそうだ。しっかりと運動をして酒もタバコもやらずに休みの日も朝はしっかりと起きる。食べるものにも気をつける。
沢山の生徒が来てくれるのに休めないという不安があるからだ。
『来年は誰も来てくれないかも』
『生徒達は満足して塾に来ているのだろうか』
そうした不安で沢山の事を考えて長文のラインやこうしたブログになる。
時には生徒に厳しい声をかける。 
沢山の問題を解いて準備をする。

不安を沢山感じて下さい。
そしてやって下さい。
過去問題集を三連休で2年分くらいはやって下さい。
親御さんも真剣に不安になって何が出来るかを考えて下さい。

大リーガーの大谷さんなんて不安で不安で仕方ないからひたすら野球の事を考えて夜も寝られないんじゃないだろうか。
  
Posted by sawch at 08:36Comments(0)

2024年02月09日

雪かきで感じた地域社会の重要性



普段はご近所と関わる機会がない。
散歩でもして会えば挨拶をする程度で、車で出掛けるのが当たり前の世の中なので挨拶すらない。

雪かきをすると休憩がてら立ち話をする。
そんな雪かき友達の様なご近所さんはいる。
その程度で困る事はなく、良いと思っていた。

能登での震災の映像を見るとそれだけではなくて地域の方との関わりが重要だと思った。
崩れかけたご近所の家には人が住んでいるのかいないのか、どんな人が何人住んでいるのか。
困った時には互いに助けなくてはいけない。
人口減少や高齢化に外国人の増加などの現在では災害時に役所に依存しているばかりでは済まないのではないかと感じた。
年配の方や古い地域ではまだ大丈夫かも知れない。
若い人が多い新たな地域には必要ではないのだろうか。
私が住む賃貸住宅では近所の人の名前はおろか住んでいるのかさえもわからない。
取り仕切る役員の様な人はいない。
言葉が不自由な外国人や身体が悪い人を導くどころかそういった人の存在さえもわからない。

きっと混乱する。下手すれば生命に関わる。  
Posted by sawch at 12:53Comments(0)独り言

2024年02月08日

吉田塾はどこへ行こうか



「テストの点数が悪くなったので良くしたいから塾に入りたい」
そんな理由で私のところへ連絡をくれる人がほとんどだ。

しかしなかなか点数は良くならない。
私の力不足だと思って色んな事を考える。
元々良い人はなおさら良くならない。
むしろ下がる傾向にある。
周りの人よりも早くからちゃんとやっているので400点を維持するのは難しい。
全体の平均点が学年と共に下がる中でも既にちゃんとやっている人は下がる。周りに追いつかれはしないものの何もやっていない人が少しずつやり出す中で平均点が下がるのは上位が下がる場合が多い。
それも辛いよな。
こんなに頑張っているのに。
こちらから見ればそれ程の頑張りでもないのだが。

そんな中で私に何が出来るのかを考える。
今年の反省から考える。
常に考える。

学力の大半は遺伝によるものらしい。
残りの大部分は環境によるものらしい。
なるほどそんな気はしないでもない。
中学生ともなればほぼ決まっている。

そんな中で私に何が出来るのか考える。
環境が改善されると良くなる事が多い。
と言うよりも受験生になると環境が悪くなり成績がさらに下がる事がある。
つまり家庭で子ども達のやる気を損なう様な事が起きれば成績は下がる。

遺伝の部分は仕方がない。
大半は決まっていると理解した上で出来る事をできる限りやろうとする家庭や私の姿勢と取り組みが中学生であっても環境の改善につながる。
それしかない。

塾では暖かく周りや私と関係を築き正当な競争に取り組める様にする事が良いと考える。
私とマンツーマンで沢山教えて貰うと子どもに良い環境になるのではない。この事は長年の家庭教師の経験で言える。

新年度に向けてさらに考えて行く。
そして塾に来てくれる人に理解して貰える様に説明するやり方を考える。

私の所を卒業する人もさらに上を目指す為には同じやり方を続けて欲しい。 
私の塾の卒業生の多くは行った高校で良い成績を取る。
そこからも私のやり方が正しいと自信はある。
しかしそれでも納得はいかない。
来た人の全員が良くなる様に考える。
皆さんも考えて下さい。  
Posted by sawch at 10:21Comments(0)

2024年02月07日

最近の塾の様子



生徒の皆さんは時間の10分前くらいに集まってくる。
みんなじっと座ったままだ。
動かない。
何もしない。
沈黙の時間が流れる。

色んな中学の男女がいる。
同じ学校の友達であっても沈黙が連鎖したように喋ろうとはしない。

それがここのところ少し様子が変わってきた。
近くの席の人同士でお喋りをしている。
『この子達は同じ学校だっけ?』
ふとそう考える。
あっちでもこっちでもお喋りが聞こえる。
それも中3男子同士だ。
青さ真っ盛りの年代なのに。
耳を澄ませば志望校や学校のテストや部活動の話しをしている。
穏やかな表情で楽しそうだ。
ここで私は口を挟んではいけない。
『大人になったな〜』と微笑ましい思いで眺める。
その間にも次々と生徒が来る。
少し前には塾に行くのが嫌だとか言っていたのに。

勉強よりも大事なコミュニケーションの力をつけている。
『うちの塾ってええやん』と思う。
部屋の広さや机の形や生徒の数がリラックス出来る。
こんな田舎なのに7つの中学から来てくれる。
私が時々仲良く出来る様に仕向けてはいる。

それでもなかなか仲良くならないのが過去の生徒だった。

今年の生徒はええやんか。
最近はめっちゃええやんか。
返りの車の中でもそんな話しをしてるんじゃないかな。
親は嬉しいよね。
俺も嬉しいわ。
この前は5人で校歌を歌ってくれた。
罰ゲームじゃなくて、

塾が楽しくなれば集中して勉強出来る。かな?  
Posted by sawch at 20:31Comments(0)

2024年02月06日

地域との共存



久々に雪かきをした。
と言っても自分の車の周りだけだ。

住んでいる団地の前は6mくらいだろうか広い道がある。
そこを地域の方が雪かきをしている。
団地に面しているが団地の人間はやらない。

今日も地域の人が雪かきをしていたので、お詫びと説明をした。
団地には自治会がなくて隣が誰なのか、いるのかどうかも知らない。
以前は自治会があり雪かきは当番でやった。
今はそれがなくてやっていない。
そんな話しを平和的にした。

たまたま管理人がいたので地域の人と引き合わせて話しをしてもらった。
通学路なので子ども達が通る7時過ぎまでにやろうとはしているが高齢者ばかりでやりきれないので困っている。団地の方でもやって欲しいと至極当然の話しをされていた。

管理人は遠くからいくつかの団地を掛け持ちでやってきている。この広い敷地や前の道路を1人ではやりきれるはずはない。
自主的にやる様な人は団地にはほとんどいない。
私は地域の人の為ならやろうと思う。
しかし名前も知らず挨拶もしない団地住民の為にやるのはしゃくにさわる。
人間ができていないのかも知れないが本音だ。

その地域の人と雑談しながら少しだけ道路の雪かきをした。なかなか楽しい。団地の住民は車の雪を落としながら通り過ぎる。

団地を運営する会社は周りの地域の人との共存を考える必要はある。

災害になったら困るだろうな。  
Posted by sawch at 12:40Comments(0)

2024年02月04日

雪が降る



駒ヶ根に移住する時に重要だったのは雪だ。
白馬や野沢温泉等でスキーをした時の印象が強くて長野県と言えば全県で大雪が降ると思っていた。

市役所の移住担当の人は「駒ヶ根は雪が少なくてそれほど寒くないです。」と話してくれたのが移住を決める要因の一つだった。

ところが移住をして間もなく大雪が降った。
写真の様に車は雪だるまの様になり徒歩以外では外出出来なかった。
『雪が少ないとか嘘やんか』と思いながら周りの人と必死に雪かきをした。
近所の地元の人とお喋りをしながら雪かきをした。
自分よりも少し年上の人だった。
「こんなに積もったのは生まれて初めてだ。」と話してくれた。

確かにそれ以降は大雪はあまりない。
『駒ヶ根は雪が少ない』
今では私もそう思う。
特にここのところは急に少なくなった。

テレビをつけると全国各地で大雪が降っている。
『いつかはドカンと降る』と思っているが今年初めてくらいの雪もそれ程でもない。

楽で良いのだが本当にそれで良いのか不安になる。  
Posted by sawch at 10:42Comments(0)昔の話