2025年03月29日
高校入試本番で最高得点を取る

高校入試も終わり発表も終わり塾も明日で終わりだ。
「入試本番で3年生になってからの最高得点を取った人には旅行のお土産をあげるから教えてね」と告げたところ何人もが言ってきてお土産がなくなってしまった。
昨日、一昨日の勉強会に来た人だけなので来ていない人も合わせると受験した人の半数くらいが該当する勢いだ。
「よくがんばった!」
素晴らしい!
普段の学校のテストよりも100点も良かった人がいる。
3年生の悪い点数と比べると倍くらいの点数を取った人がいる。
でもな、全員じゃないんだよ。
まあまあなら良いけど良くない点数の人もいる。
『何でかな?』
3年生の学校のテストでも良かったり悪かったり、
過去問題集でもそうだ。
一言で言えば「まだまだ」ということになる。
良かった人もそれがそのまま実力ということではなくて「たまたま」と考える方が良い。
悪かった人はその「たまたま」が悪い方に出てしまった。
学校のテストも過去問題集も全部がいつも悪いのなら実力不足だが、良かった事もあるから「まだまだ」の実力で「たまたま」悪いのが出てしまった。
良かった人は「たまたま」良いのが出た。
これが中学生の怖いところだ。
これがいつも良いのが出れば本当の実力だ。
高校生はスタートダッシュが肝心だ。 最初のテストの順位がそのまましばらく継続する。
それはそうとして、良かった時は素直に喜ぼう!
2025年03月28日
中学生の成長

昨日は久しぶりに吉田塾があった。
「春休み宿題応援会」
新中学1年生から新高校1年生までの4つの学年が集まってくれた。
初めて来る人が何人かいて、この日が最後の人が何人かいる。
この年代で学年が3つ違うと大人と子どもの様な差がある。
高校入試を終えた人達はゆったりしている。
ホンネで言えばたるんでいる。
少し前は鍛え上げた学力と本番前の緊張感があったが、
あの時の様子にはもう一生ならないだろう。
やり遂げた満足感がすこしずつ寂しさにつながる人もいるだろう。
一方で新中学生1年生はまだチョコチョコしていてヒヨコの様だ。
私に対してもタメ口の子もいる。
放っておくと漢字練習帳をやる人もいる。
自分で考えて欲しいので厳しくとがめないが、
「お金を払って来てるので。ここでしか出来ない事をやろう」と何度も全員に対して言う。
3年生くらいになると塾で漢字練習帳をやる生徒はいなくなる。
「勉強の仕方」とよく言うが、マニュアルの様に説明出来るものでもなければ一度伝えたから出来るものでもない。
「丸付け」1つをとってもそうだ。
基本は1ページやれば丸付けをするのが良いが、
その1問が合っているのかどうかが気になれば1問で丸付けをしても良い。
「ノートの取り方」もそうだ。
1ページのノートを幾つに分けるのかを聞かれるが
「3つくらいで良いと思う」と提案はすれど、
中1の数学「正負の計算」の易しい問題ならそれでも良い。
一次関数の応用問題をやるのは2つに分けるくらいで良い。
つまり「勉強の仕方」を教えるということはその時々で考えて正しいやり方でやるということだ。
そのための提案や基本的な例は言うが強制はしない。
丸付けが面倒でやらない3年生がいた。
私が言ってもやらない。
昨日は伊那北高校に進学する2人が近くにいた。
「この人は丸付けをしないんだけど2人もしないか?」
と聞くと「します」と答えてくれた。
それを聞いていた3年生に「『後でまとめてやれば?』と2人に言うか?」と聞くと「それはさすがに出来ません」と答えてくれた。
「俺の言う事よりもこの人達の言う事を聞くんかい?」と3年生に言ってやった。
来年にはこの3年生が後輩に教える立場になっているだろう。
この2人の新高校1年生も少し前は丸付けなんてしなかった。
みんな成長する。
俺も頑張ろう!
2025年03月26日
「ワンランク下げた高校で上位を目指せ」はウソ

「ワンランク下げて上位を目指せ」は中学の先生が志望校の変更を促す為に使う常套文句だ。
これはウソだと言えるほどそうならない。
既に高校が決まった時期だがあえてこのことを書く。
高校は学力で輪切りをされて入学してくる。
よく似た成績の生徒が多くなる。
少し頑張れば上位に行けるが、少しサボると下位に落ちる。
中学よりも学ぶ量が多いので一度下位に落ちると元に戻すためには物凄く沢山の内容をやり直さなくてはいけない。
「入学して夏休みまでには伊那北の下位の30%は模試で弥生の上位30%に負ける」伊那北高校の先生がこう話した。
下位になるとヤル気がなくなり、『頑張ろう』とたまに思っても同レベルの生徒がコツコツとやっている中で復活するのは難しくやがてまたヤル気がなくなる。
「弥生は危ないから変えなさい」と言われたが何とか弥生に入り、上位の成績を維持して現役で国立大学の理系に入った人が複数人いる。
弥生を落ちて赤穂に入りその悔しさから頑張って上位の成績を取って夢を実現した人もいる。
「受験から自分は逃げた」と志望校を変更した事を悔やんで高校で頑張って夢を実現した人もいる。
結局は高校で頑張るかどうかが大事で入った時の成績が物凄く重要ということではない。
最初に上位に行くことが大事だ。
その高校の一番には必ず誰かがなれる。
中学の時の成績順位は幼い頃の成績が引き継がれるのでやってもやっても大きくは上がらない。
高校は同じ成績の人が多いので上がりやすい。
最初が肝心なので浮かれすぎずに頑張ってください。
2025年03月25日
私が旅行をする消極的な意味

無事駒ヶ根に戻って来ました。
最後の方は良い天気になってきたと思ったら花粉に黄砂に冒されています。
もしかするとPM2.5も混じっているのかも。
咳とくしゃみと目のショボショボにやられています。
7年くらい前からこの時期にまとめて旅行に行ってます。
旅行が楽しいから1年間頑張ったあとに旅行に行くというのが積極的な意味なら、もう一つの消極的な意味があります。
引退の準備をしているのです。
自分の子どもと遊ぶ為に駒ヶ根に移住しましたが
子どもがいなくなり、駒ヶ根にいる意味はなくなりました。
しかし私を師事してくれる多くの人がいます。
とても嬉しいです。
大きな生き甲斐です。
ずっとやっていたい気もあります。
かつては小学生から高校生まで教えていました。
不登校の人や養護学級の人も教えてきました。
どれも楽しくてやり甲斐がありました。
しかし手を広げると畳むのが大変になるというのは分かっていました。
人を雇うともっとやめられなくなります。
コンパクトにしておきたいという気持ちとやるなら沢山の人に喜んで欲しいという気持ちがあります。
その抑える気持ちを出すのが旅なんです。
休んでの旅に行かなければずっと継続して塾をやっていることになるのですが、そうなるとどんどんと大きくなってしまいます。
割と営業は得意でガンガン行くので、やり続けるとヤバくなります。自分の能力でカバーできなくなるのにも気が付かずに拡がってしまいます。
そして引退出来ないのでは?というストレスが増えていきます。
旅行に行くことでそのストレスであり恐怖から逃れています。
『辞めるタイミングは自分で決められる』と安心して仕事に臨むことが出来ます。
受験本番を前にして新たな生徒の春期講習のことも考えないといけない他の塾の様にやるのは私には無理です。
2025年03月21日
ゲゲゲで社会科を学ぶ

祖父母の家は大阪の農村部にあった。
村の中は寺を中心に沢山の家と何軒かの商店があった。
村を貫く道を歩くと家に代わって田畑が現れる。
村外れに来ると墓があり、森がある。
森の中には神社もあり、鬱蒼としている。
妖怪がいるのはこの辺りだ。
村へよそ者が入ってくることは一大事であり、
村社会を維持するには村人が出ていかないことも大事だ。
村の出入口を妖怪が守っているとも言える。
ゲゲゲは公害や自然破壊にも厳しい。
金儲けだけを考える人間を妖怪が懲らしめて、
その妖怪を鬼太郎は退治するが、
同時に人間もキツく諭す。
作者が戦争で片腕を失うなどの悲惨な体験をした事がゲゲゲの中にもでてくる。
戦争を経験した人と時代をともにしている今の子ども達にとって、歴史を学ぶことはもっと大切ではないだろうか。
ゲゲゲを読んだりテレビで見たことが学校で習った文字だけの社会科よりもずっと印象に残っている。
2025年03月19日
松下村塾と吉田塾との共通点

久坂玄瑞、高杉晋作、伊藤博文、山県有朋、山田顕義、品川弥二郎 など総理大臣2人を含む有名人を沢山輩出した塾が松下村塾だ。
吉田塾からはまだ総理大臣は出ていないので早く誰かになって欲しい。
それでは共通点は何か?
松下村塾は吉田松陰先生で
吉田塾は吉田耕司が先生です。
書いていて恐れ多すぎて寒気がした。
せっかく書いたからそのままにさせてください。
塾の広さは吉田塾の方が広いかも?
2025年03月13日
社会科見学 明石市市立天文科学館

日本の標準子午線はこの場所を通っている。
この写真の明石市市立天文科学館の玄関の脇の線がまさにそれだ。
東経135度の線だ。
イギリスのグリニッジ天文台を0度として地球を東西180度ずつに分ける。
360度を24時間で割ると15なので15度が1時間だ。
日本とイギリスでは9時間の時差だ。
中1でやりましたね。
その日本の標準子午線に行ってきました。
つまり遊びや観光ではなくて社会科見学です。
生徒のご家庭で経費をご負担頂けないでしょうか。
このあとも皆さんのための社会科見学は続きます。
2025年03月12日
私は入試問題を見ない

「全然出来ませんでした〜」
「結構出来たかも?」
「きっと大丈夫、でもヤバいかも?」
受験を終えた人は色んな感想を送ってくれる。
『みんな受かってると良いな〜』
『どんな問題立ったのかな?』
そう思うが今の時期に問題を見返す気力がない。
私が問題を見返すのは今の2年生がしっかり力を付けた冬休み辺りからだ。
その頃になるとヤケに気合いが入って解説を何枚も作ったりする。
25年くらい前か、この仕事を始めた頃には同業の先輩数人の勉強会に参加させて貰っていた。
高校入試の予想から始まり入試が終わると反省会が始まる。
新聞に載った入試問題を切り抜いてアレコレと話し合うのだ。
「今年の問題は難しかった」
「地学が出たが天文は出なかった。」
「国語の作文は量多くて準備が必要」
「吉田先生はどう思う?」
「イヤ〜。、普通ですかね?」
とごまかすしかない。
見てないのだから。
終わったら一旦離れてパァーッとしたい。
今年も美味しいものを腹一杯に食べてこんな景色を見ながらブログを書いています。
やる時はやるので大丈夫です。
2025年03月11日
人事を尽くして天命を待つ

やれる事をやり切って、あとは運に任せることだと私は理解している。
そうしようと心がけている。
努力が苦手な私だが心がけるとちょっとはがんばれるし、ちょっとはドキドキしない。
今日受験の人もやり切ったか?
ちょっとはやり残してるよね。
でもまあまあがんばったよね。
そしたらちょっとはドキドキしないんじゃないかな?
それで良いやん。
人間だもの。
最後は別の人の名言で締めました。
2025年03月10日
高校入試の変化

明日は長野県の県立高校入試だ。
塾の22人の皆さんは私がパワーを送るのでしっかり受け取ってくれて実力を出しさえすれば大丈夫です。
「駒ヶ根には大学に行ける高校がなくて伊那まで行かないとダメなんですよ」
移住して来た頃に近所の人に言われた。
息子はまだ赤ちゃんだったのでそんな事は考えてもなかった。
中学生や高校生の勉強に関わる仕事をするようになってその言葉の意味がわかった。
駒ヶ根工業や赤穂高校からは大学に行けずに伊那北高校か弥生ヶ丘高校に行きなさいという意味だったのだ。
そのことが正しいのかどうかは分からないが当時の地元の人の中にはそんなふうに思っている人がいたのは事実だ。
「みんながせめて200点は取って入って来て欲しいわ」
これは上農の先生が上農の新入生に言った言葉らしい。
私にこれを伝えた生徒も200まではかなりあった。
当時の中学生は勉強をしない人は全くせずに五教科で100点を大きく下回る人はクラスに何人かいた。
そうした点数でもたいていは公立高校に入れた。
言い換えればほとんど勉強しなくても入れた。
その反対に進学校と呼ばれる学校は人気があり定員をかなりオーバーした受験生がいた。それらを受験する生徒の勉強量は今の生徒よりも多かった。新研究の基礎的な内容は全部頭に入っていた。
しばらく年数が過ぎた。
少子化で高校の生き残りが言われる様になると駒ヶ根工業も赤穂高校も大学に入れる学校になった。大学から指定校推薦の枠を貰って来たのだ。高遠高校や箕輪工業からも大学へ行った生徒が出た。美術や工業などの大学に推薦で入った。私の生徒だった中学生の時はほとんど勉強をしなかったがきっと高校生では真面目にやったのだろう。
コース制にしたり、商科=簿記 だけでなくてマーケティングを学べる様にした。どの学科も地域の人と関わったり、研究発表をする機会を増やした。
「おもしろそう」と中学生から人気が出た。
その結果どの高校も人気が出た。少子化の影響は進学校の競争率に表れた。どの高校もほぼ定員くらいの志願者で本番を迎える様になった。そしてきっとどの高校に入っても勉強をしっかり出来るし、しなくてはいけなくなった。
それが関係しているのか世の中の流れなのか、勉強を全くしない中学生はきっといなくなった。
そのためかやってもやっても上がらないし、やらないとすぐに下がる。それなのにどっかの高校には入れるしどこに入っても進学も就職も出来る。
進学が就職よりも上だ、という風潮は少しずつなくなってきた。それでもまだ強く残ってはいる。個人的な意見だ。高卒で就職した人は豊かな暮らしをしている。大学へ行くのは凄く勉強が出来て沢山やれる人だけで良い。他の多くの人は早く働いて家族を作って楽しく暮らすと良い。そんな先輩が地元には沢山いる。
学習塾をやる身としては頑張らせるのが難しい。
偏差値ピラミッドみたいなのがあると塾は流行りそう。
まあ、良い。
沢山詰め込んで、明日は出来る限り沢山書いてきてください。
2025年03月08日
卒業

「卒業」って映画があって花嫁を元の恋人がさらって行って「サウンドオブサイレンス」が流れて、、
ご存じですか?
『大人になったらアレやろう』と思っていたのですが
すっかり忘れたまま年を取ってしまいました。
昨日で塾は終わりでした。
勉強会は月曜までありますがそっちはなんとなく気が楽なんです。オマケというか追加サービスというか、最悪やらなくても大丈夫かな、と考えています。
勉強会に来る人はご心配なく。やる以上は気合いを入れて行きます。
レギュラー日程の塾は『絶対にやすまないぞ』だけでなくてベストコンディションを維持して臨む様にしていました。
身体も心も頭も準備していました。
その塾を卒業出来たのでホッとしています。
卒業したのは生徒だけではなくて私も卒業したのです。
『今年も何とかやり遂げた』と思っています。
これまで御縁があった生徒は600人を超えています。
その中で卒業したと言える生徒はどのくらいだろう。
ほとんどの人は卒業すれば何の音沙汰もない。
私のことなど覚えていない人も多いだろう。
『顔を合わせたくない』と気まずい形でお別れした人もそれなりにいる。
「先生のおかげです。」と言ってくれた人も何の連絡もない。
そんなもんだ。それで良い。
皆さんその先の人生の方が大事で頑張らないといけないないので振り返っている暇はない。
私だって同じだ。
次の生徒もいるし、むしろ次の生徒を探さないといけない。
自分の次の人生を探さないといけないのかも知れない。
振り返るのはほんの一瞬で、チラッと見るだけで良い。
人生の僅かな一瞬のその中の一部分を一緒に過ごしてまた離れていく。それが卒業だ。
さらりといこう。
2025年03月05日
「社会科」の問題

社会科の長野県の高校入試の問題はとても物足りない。
去年の入試問題を見た。
歴史は「平安」の1つしか単語を書く答えがない。
記述が1つで他は全部記号だ。
公民は「共助」の1つで記述問題ばかりだ。
それも環境や社会保障に偏っている。
地理は記述が4つあるがどれも知識を問うのではなくて
問題の中の資料やグラフを見て答えるので読み取れば出来る。
知識の量を問うのではなくて「考える力」を問うのが目的なのだろう。
公立高校の入試は義務教育で学んだことを問うべきだ。
中学生の社会科の知識が乏し過ぎる。
近隣の市町村の名前や駒ヶ根の中の小学校の名前にある「中沢」「東伊那」の地名を「赤穂」に住む子どもは知らない。
都道府県や主な都市や川や山の名前を知らない。
まして世界地理はほぼ入試に出ない。
入試に出ないので3年生のテストにはほぼ出ない。
「この地域はこんなに素敵なんだね。行きたいな〜」
「この地域にはこういう問題があるんだね」
興味を持つことで将来行きたいと思って欲しい。
「今の自分達の生活はこうした先人の営みの上で成り立っている」ということと「教養」として身につけたい。
「少子高齢化」「地球温暖化」しか公民で学んだ知識がない。
どの分野でも学んだ知識があまりにも少ない。
知識があってその上で「考える力」を問うのは良いかも知れないが知識がなくても問題の中の資料を見て解くコツを知っていれば答えられるのではつまらない。
「暗記」は悪いもので「考えること」は良いことだとするのは間違いだ。
沢山暗記して答案用紙に沢山書くことは充実感や達成感を得ることが出来る。
この問題が最終到達点なら学校の授業は何をするのだろう。
20年前の赤穂高校では世界の全ての国名を暗記させた。
白地図に書き込むのだ。200近くある国の多くは聞いたこともなく覚えにくい名前が多い。私が教えていた生徒は嫌になって「こんな事をしても意味がない」と泣いてしまった。
私が高校生の時は古文や漢文を丸暗記させられた。
今でも微かに覚えていて賢い気がして何となく心地よい。
「暗記」する事を訓練する為にも社会科はひたすら覚えると良い。単語の意味を授業で説明してそれを覚えさせてテストに出す。これなら生徒も教師もやりやすいのではないか。
受験勉強をしやすく、やった甲斐がある様な問題にして欲しい。
2025年03月04日
PL学園は大阪人の誇りだった

「ワシはPLの四番やったんや」
昔の大阪にはそう自慢するおっさんがあちこちにいた。
PLというのは高校野球の強豪校で大阪代表だった。
四番というのは四番打者でチームで一番のホームランバッターということだ。
この酔っぱらいのおっさん達の発言は100%嘘だが、そのくらい大阪人の憧れであり誇りだった。
当時はプロ野球の巨人がとても強くて阪神はなかなか勝てなかった。東京に勝てるPL学園が誇りだったのだ。
写真は当時の雑誌の表紙だがそこにある名前はPL学園出身の有名な野球選手だ。
松井稼頭央はPL学園出身でプロ野球で活躍し楽天の監督をした人だ。その松井と大リーグパドレスのダルビッシュの対談が面白い。ダルビッシュはPL学園がある大阪の羽曳野市の出身だが東北高校に進んだ。「なんでPLに来てくれなかったんや?」と松井は言う。「PLの練習が厳し過ぎて僕にはついていけないと思ったんです。」とダルビッシュは答えた。あのダルビッシュがついていけないとおもったなんて。朝の練習のために6時に目覚ましを合わせるが目覚ましが鳴る5分前には起きなくてはいけない、といった様な謎のルールが沢山あった。
「PLの練習と比べるとプロ野球の練習はとても楽だった。」と松井は話した。
この部分に私は感銘を受けた。
厳しい経験をしているとあとが楽なのだ。
大して厳しいことを経験してない私だが納得する。
無理やり高校受験に持ってくるが、過去問題集を3回ずつ全部やるということには厳しいことを経験するといったメリットもある。
2時間の勉強会に耐えられる人が多くなった。
自分の実力を超えた難しい問題を解くことも同じメリットがある。
中学の授業が解るようにして高校受験を突破する事が吉田塾の目標だが楽しいことと厳しいことの両方を経験することが後の人生に役に立つ。『一生の財産』である。
PL学園は日本中から優秀な中学生を集めたエリートチームだから強いというわけでもなければ、優秀なコーチが素晴らしい環境で完成された指導方法を使って指導しているというわけでもない。
理不尽な厳しさが果てしなく存在していた。
当時の「PLの四番」と語ったおっちゃん達もそのことを知らない。
2025年02月28日
私の子どもは私よりも勉強が出来ないのはなぜ?

「私の子どもは私よりも勉強が出来ないのはなぜ?」
塾の親御さんから問い合わせがあったので考えてみた。
実際に親御さんの方が得意なのならその理由は私にはわからない。
しかしそうではない場合がある。
まずは勘違いというか思い込みだ。
私の様な厚かましい性格の大人は自分に都合が良い様に過去を作り変えてしまう。
「勉強が出来て、スポーツが得意で、ケンカが強くて、モテた。」と息子達に語っていたが、「全然そうではなかった」と実家の母が息子達に話した。
嘘をついた覚えはなく、「あれ?そうやった?」と思った。この様な勘違いはありがちだ。
次は子ども全体の学力低下だ。
20数年前にこの仕事を始めた時に子どもの学力低下を感じた。教育に関わる仕事をしていなかったので自分の子どもの頃との比較だが、のんびりしていて、数字の競争に強い関心が感じられない子どもが多かった。
都会と比べて数が少ない子どもの数が少子化でさらに減り、誰もが近くの公立高校に進める地域だからかと思った。
それはそれで幸せかとも思った。
当時は駒ヶ根や伊那の塾や家庭教師の先輩数人と話したがどの人も「学力低下、幼児化」を嘆いていた。
それから20年が経ってさらにその傾向が進んだと感じる。
『子どもが少ないなら学校でしっかりとみて貰える』と考えたが、そのメリットよりも『競争心の無さ』のデメリットの方が大きい様だ。
競争心を育てるのかのんびりとした環境で育てるのか、どっちが良いかはそれぞれの判断だが、テストの点数に影響を与えるのは間違いない。
もう一つは学校の勉強が難しすぎることだ。
「仮定法過去」という英語の文法があるが今の中3はこれを習う。「もし私が鳥ならば、あなたの元に飛んでいくのに」というやつだ。
これって去年はあった?
数年前には高2で習った範囲だ。
学校で習う内容が増えている。難しいことを沢山習う。
積み残しが多くなっている。
テスト自体も難し過ぎる。
20年前のこの辺りの中3のテストを見ると驚くことにたった1枚しかない。当時の「良くできる生徒」は100点や90点以上を取ることも珍しくなかった。
五教科合計で400以上はザラにいた。
ちなみに平均点は今と大して変わらない。
ヤンチャな人は五教科で50点程度しか取らなかったからだ。
なぜあんなに難しくひねくったテストなのだろう。
学校の授業ではそのテストに対応するための準備はしていないだろう。
20年前の中3の社会のテストで「新研究」の歴史年表がそのままコピーして出された。「ここが出るぞ〜」と予め授業で言ってくれた様で多くの生徒が満点だった。
『それで良いやん』
難しいテストにしても考える力は付かないよ。
むしろヤル気がなくなる。
さらに教師の問題もあるだろう。
心身の不調で学校を休む教師が多くて授業が成立しないのはもはやどの生徒も経験する。
休む教師の何倍もの心身不調で悩む教師は多いだろう。
そんな人がどこまでちゃんと授業が出来るだろう。
厳しくすれば「パワハラ」と言われる。
子どもなのにプライバシーや人権を必要以上に訴える。
教師は事なかれ主義になるしかない。
この様に学校が上手く機能せずにいる。
教科書の内容をきちんと理解して覚えている生徒は少ないだろう。それをさらにひねってテストにするので点数は低くなり、基本内容さえも覚えようとしない。
「基本なんかやってもテストには応用しか出ない」と言う。
「基本が出来ず、すぐに音を上げる君に応用なんか出来るか」と言いたい。
この様に本当に勉強が出来ないのもある。
まあ、焦ってもしゃーないんとちゃう?
それがわが子や。
お母さんが産んで夫婦で育てた子や。
「元気で明るく友達が沢山いる人に育って」と産まれた時には思ったた子や。
その通りになってる。
まだ少しだけ子育ては続く。
ストレスを溜めすぎない様に楽しんでください。
2025年02月26日
義務教育の充実を望む

中学生を見ているとテストがドンドン難しくなる一方で知識がドンドン減っている様に思う。
高校入試が難しくなっているのを見越して中学のテストが難しくなっている。
平均点が40点とか50点で、100点を取る人などほとんどいない。
『義務教育って何?』と思った。
「必要な基礎学力と必要なルールを身に付けることと日本人としての人格形成をすること」らしい。
義務教育は基礎学力を身に付けるためのものだったらテストはその人の学力を計るものではなくて身に付けさせるためにやるべきものだ。つまり教えることは全員が全てみにつけなくてはいけない。
「ひらがなを読む、足し算引き算が出来る」
この辺りは大丈夫だろう。
「九九が出来る、漢字が読めて書ける」
ここはヤバい。
九九が怪しい中学生は沢山いる。
漢字に至っては義務教育で習うものさえも無理だ。
私もきっと無理だ。
少し前に創立150年だった小学校が多い。
明治維新後の学制で出来た学校が150年になった。
国家の近代化を進めるのに役立つ人を育てるために必要な学力をつけるための学制だ。
義務教育は自分のために、国のために、より良い社会のために必要なことを学ぶものだ。
そうであれば個々人の習熟度の差を計る高校入試とは別物で全員が満点にならなければならない。
ひらがなや九九を学んだ時の様に家庭での頑張りも不可欠だ。
学校はきっかけを与えて、自宅で頑張って、学校で披露する。
親も学校に丸投げではいけない。
学校でやる内容はかなり減らして易しいものにしなくてはいけない。
そして内容を吟味して常に更新していかなくてはならない。
東北の震災があったり、コロナ禍があったり、地球温暖化、少子高齢化、ウクライナ侵攻、様々な出来事があると義務教育でやるのかどうかを吟味しなくてはいけない。
運動能力の低下や集中力の低下にも対応しなくてはいけない。
先生が黒板で教える必要はない。
「教科書を読んでいるだけ」やろ。
デジタル機器を使えば良い。
先生の役割りも見直さないと先生そのものがいなくなりそうだ。
中学生の勉強は高校入試のためではなくて、
知識と教養を身につけて、世の中を良くするためでなくてはならない、そのための義務教育にしてほしい。
テストを難しくし過ぎて子ども達の学ぶ意欲がなくなり、元気がなくなるのはダメでしょう。
100点をもらうと嬉しいと思うのだが。
2025年02月24日
社会科から学んだこと

私はあまり優秀な学生ではなかった。
学校は遊びに行くものだと思っていた。
学生時代に勉強したことで世の中に活かしていることと言われても思い浮かばない。
覚えていることさえもあまりない。
社会科で覚えているのが帝国の存在だった。
資料集を眺めると大英帝国やモンゴル帝国やインカ帝国、オスマン帝国などの装飾品が載っていた。
『トルコが力を持っていたのはそんな昔々のことじゃないんや』と驚いた。
色んな国が戦って大きな力を持ったり滅びたりした。
「栄枯盛衰」というやつだ。
社会人になった頃は日本の景気は良かった。
サラリーは毎年3%ずつ上がるものだと思われた。
定期預金の金利は10%だった。
『定期預金や株に投資するとめっちゃ増える』と思った。
世界一の大国であるアメリカさえも日本が買おうとしていた。
友人達はローンを組んで家を建てたり、会社を作ることに躊躇がなかった。
「日本の時代はずっと続くわけではないだろう」と何となく思った。
それは帝国の栄枯盛衰を考えてだ。
数百年も帝国が続いた国もある。
日本もそうであって欲しいと思っていた。
やはり不安なので慎重に生きた。
思ったよりも早く日本の衰退が起こっている。
過疎化は予想できても少子化は考えもつかなかった。
『おじいちゃんよりお父さん、お父さんよりも俺ら』の方が兄弟が少ないのに気が付かなかった。
大きな失敗をせずに今まで生きてこられたのは社会科から学んだことが体のどこかに染み付いていて、大きなチャレンジをして大成功を目指そうとしなかったことだろう。
『自分ならやれるやろ』と天狗になっていた自分にブレーキをかけてくれたのは社会科から学んだことだったと思う。
2025年02月22日
私の今の目標

公立高校の後期試験まであと2週間と少しだ。
私の今の目標はその2週間までの10回ほどの塾を休まずにやるということです。
『なんだ?その目標は、』と思われる人もいるかも知れませんが、これってかなり大変なことです。
コロナだけではなくてインフルエンザも流行っている中で休まずに塾に来てくれた生徒は少ないです。
休まないというのは簡単ではありません。
私が休めば毎回10人以上の生徒に迷惑をかけます。
今、私が塾を休んでも生徒の皆さんは実質的には大した影響はないでしょう。
それでも気持ちの上では不安でしょう。
やはりあと2週間を休まずに過ごさないといけません。
受験生には受験生の目標があるでしょう。
2年生には2年生の目標があるでしょう。
私の目標はあと2週間を無事に過ごす事です。
この目標を達成すれば私はお休みです。
その先のことはまだ考えられません。
落ち着いたら次を考えます。
2025年02月21日
中学生相手の塾の難しさ

『勉強を教えるなんて簡単なことやろ』
この仕事を始める時にはそう思った。
『解き方を説明して実際にやらせばすぐに出来るやろ』
そう思った。
親御さんの中にもそう思っている人が多いと感じる。
数学や理科の易しい問題なら少し説明すれば
「解りました〜」と言ってくれる。
社会の用語なら「ここは木曽山脈や」と教えるだけ。
英語の教科書を訳すのも出来る。
国語なんて日本語だ。
そしたらなんでテストで40点とか50点なのだ?
難しい問題が出来なかったとしても80点くらいにはならないものか?
きっとそこが中学生に勉強を教える難しさなのだろう。
大人が同じ問題に取組めば80点くらいは取れるだろう。
この仕事を始めた時には連立方程式の普通の計算すら出来なかった私が今はだいたい全部出来るのだから。
各生徒と一緒に勉強の計画を作ったことがあった。
次に教えに行った時には既に計画から遅れていた。
目標を一緒にたてたこともあった。
「頑張る」「400点を取る」「英語を平均点以上にする」
実行されることはなかった。
私が鬼になったこともあった。
「宿題を出してください」と親が言うので出すが、
やらないことが続いた。
私は厳しく叱った。生徒は震え上がっていた。
「次は絶対にやっておきます」
と言ったがそれでも半分くらいしかやらなかった。
頭にきた私は途中でその生徒の家から帰った。
「お前なんかもう辞めてしまえ」
と捨てゼリフを残して。
電話をかけてきて泣きながら叫んでいた。
「今度は絶対にやります。」
今度は確かにやったがその次は足りなかった。
また叱りつけて家を出なくてはいけないのか?
疲れた。
相手は生身の人間だ。
しかも中学生という一番ややこしい年頃だ。
親御さんはわが子の普段の姿を知っているのだろうか?
学校の授業中にどういう態度でいるのか?
「とりあえずそこに座っているのなら何かを身につけよう」
寝てたり、ボーッとしてたり、解らないのを放っていたりしてないか?
学校でやったことは少しだけでも自宅で見直そう。
わざわざ一度全部忘れてから塾で教えて貰うのは間違いだ。
親が寝静まったあとでゲームやチャットやユーチューブ、さぞ楽しいだろう。
学校では人間関係が難しくてそれを頑張らないといけない。
部活動でも色んなややこしいことがおきる。
思い荷物を持って学校まで歩くのもキツイ。
そんな中で勉強を立てた計画通りにやったり、
学校の宿題に加えて塾の宿題まで出来るのか?
親御さんはお子さんの姿を出来るだけ多く見たほうが良い。参観や懇談会、部活動、登下校、塾の懇談会など沢山見たほうが良い。
一緒にご飯を食べて様子を見たほうが良い。
そうすれば杓子定規に計画とか宿題とか塾とかで良くならないのがわかる。
「色んな好きなこともやらせたい」
そう言って部活動をやり過ぎたり、趣味の習い事をさせたりして、家に帰れば切り替えて勉強をするか?
きっと疲れて寝ている。
「新研究をたくさんやろう」
「入試の過去問題集をたくさんやろう」
そう言ってもやるのは塾に来た時だけの生徒がいて、
家でやる生徒がいる。
家でやる生徒にも継続的に丁寧にやる生徒と、片付け仕事の様にやる生徒がいる。
そのまま点数に反映される。
内申点の良し悪しを見れば学校での姿勢がわかる。
それがその人の今の実力だ。
それをしっかりと受け止めて『何とかしよう』と自分で思えば少しずつ良くなる。
その気持ちがあって初めて親や塾の言う事が耳に入る。
やるかやらないかが勝負の大半だ。
気持ちを盛り上げることが塾の仕事だ。
やらせ過ぎるとすぐに潰れてしまう。
「難しい」
「俺も疲れた」
あと2週間で休養に入ります。
2025年02月20日
男子生徒は頑張れ!!

長野県公立高校の前期試験の結果が出た。
女子生徒はみんな受かった。
既に私立高校を決めた女子生徒も合わせると
吉田塾では既に半数以上の女子生徒は合格した。
昔々、私が中3だった頃の大阪の公立高校は推薦試験がなくて一発勝負の学力試験に内申点を数字として加算する方式だった。『態度が悪いから内申も悪いやろ』と思っていたが想像以上に悪かった。『教師に嫌われとったんや』と遅ればせながら気付いた。
今の生徒も同じだ。テストの点数と通知表を比べた時に男女で差がある。想像以上に悪い男子と想像以上に良い女子がいる。
「差別じゃん!」とわめく男子よ。そんなのだから先生から煙たがられるんじゃ。
学校の先生も人間だ。孤独で寂しい想いをしている先生が多いので盛り上げる女子、笑顔の女子、に比べて「大丈夫です」と顔も向けずに言う男子とどっちをカワイイと感じるかだ。
塾でも同じだ。女子生徒が来てくれて嬉しいのは私がスケベだからではない。女子生徒は笑顔で「ここが解らないんです」と言って来てくれる。自宅からラインで質問をするのはほぼ女子だ。忘れ物や屁理屈が多く、面倒くさいのが男子だ。
女子率が多い年と男子率が多い年では盛り上がりが違う。
でも男達よ。心配するな。俺も男だ。知っていたか?
私の子どもは3人とも男だ。誰に似たのか皆さんよりも面倒くさい。
俺は差別はしない。男女関係なく応援する。男子生徒も出来るだけかわいくいてくれ。しかしスカートは履いてくるな。
塾はあと2週間で終わるが君たちは高校生となる。
高校生になったら中学の反省で少しだけかわいくなれ。
先生を無視したり、「黙れ!」と怒鳴ったり、授業中に突然出ていったりするな。
「先生〜数学を教えてください!」と甘えてみろ。
半分は冗談の様に書いたが男女関係なくかわいく生きると良いことがある。
俺はいつまでもかわいくなれない。
2025年02月17日
懇談会

吉田塾の本年度2回目の懇談会をした。
私は誰かの為に何かをやるというのは苦手で
自分の為になることをやる方が性に合っている。
吉田塾もそうだ。
「安くてしっかりやってくれてありがとう」と
褒めてもらえると嬉しいが自分のためなので褒めるほどのものではない。
お金を頂いて楽しみや生き甲斐を貰えて若いエキスまで貰えている。(変な意味ではありません)
懇談会も自分のためだ。
『親ってこんなことを考えているんだな』
がわかると
『それならこういう塾にしよう』と思う。
自分のやり方の確認になる。
塾に来てくれるのが一番の応援で、懇談会や歩く会などのイベントに来てくれると私を応援してくれていると思えてさらに嬉しい。
こうして書いているブログを読んでくれるのも応援だ。
懇談会で近い距離で直接の声を聞くとよりホンネが聞けて心に響いてくる。
前回も前々回も15人くらいと大勢来てくれてとても嬉しかった。
今回は半分くらいの人数で締め切ったが一人一人の時間が増えてさらにホンネが聞けた様に思う。
普段入ることがない塾の中を見てもらい様子を伝える事と、自分の気になる事を共有し他の人の声を聞くのは意義がある。
親と子どもと私の間がスムーズになる。
人と人との関わりが塾だ。
「先生」と呼ばれて怖がられるのも学習塾には必要かも知れない。
「吉田さん」と呼ばれる親戚のおじさんの様な距離感もさらに良い。
「先生」なんて孤独な人間への呼び方だ。
あまり好きではない。
俺ってけっこう寂しがり屋なんだ。(笑)
懇談会に来ていない人との距離も近くして卒業後も「吉田さん」でいられるとやり続ける力になる。