2023年01月31日
今日のお散歩18km

自宅から広域農道を越えて飯島の高い所を渡って与田切公園へ。
子供達が小さい頃にはしょっちゅう川遊びに来たものです。
青空と雪山が美しいです。
空木岳や南駒ヶ岳や仙丈ヶ岳、塩見岳が神々しいです。この山に全部登ったのだから我ながら凄いわ。
本郷駅からの下り道は日陰で凍ってました。
お日様の力は凄い。
バイパスに出ると広い歩道をずっと登って行きます。
たったの18kmなのに結構疲れます。
お遍路の時には毎日この倍の距離を歩いたんだと思うとびっくりです。
歩いた後は心地よい疲労感でご飯が美味しいです。
2023年01月31日
テスト勉強の仕方

「暗記」と「答えの活用」を心がけて下さい。学校からのテスト範囲のプリントを良く見てください。その内容を全部覚えてください。片付けるだけなら多くの人がします。暗記をしてください。コツです。〇△✕を使います。問題集のやったページに○をします。㊴とか⑧といった感じです。そのページの中で自力でできなかった問題には△をつけます。答えを見て納得できた問題は△です。答えを見てもどうしてそうなるのかがわからない問題は✕です。誰かに教えてもらわないといけない問題です。✕の問題が理解出来たら△さらに自力で出来たら消してください。
これをうまくやるためには答えを活用してください。解いていてわからない問題があればすぐに答えを見てください。理解出来たら△をつけて次に行きましょう。ためないことが大事です。ためると後で沢山を理解するのが大変です。暗記だけのページやプリントは先に答えをみて覚えてください。その上で解いてください。覚えてない所は△をつけてください。答えを隣に広げておいてすぐに見られるようにしてください。
これをやれば80点は取れます。「応用問題しか出ない」「問題集からは出ない。」私の塾の人は私を信じてこれをやってください。国語も英語も数学もです。
余談です。社会人になった後ある資格試験を受けることになりました。実務経験が無いので問題文の意味すら解らない所がたくさんあります。調べるとか先輩に質問することもできたのですが、一つの問題に三つずつ位の解らない言葉があり全部調べるのが面倒でした。答えを完全丸暗記しました。テストにはそれ以外の問題も出るだろうが、準備した分が完全なら合格点には達するだろう、と言うかそれしかないと思ってやりました。内容が解らないものを暗記するのは大変でしたが、子供の頃のテスト勉強で身につけた丸暗記術が役に立ちました。資格試験には合格しました。
余談第二弾です。伊那西高校進学コース二年生の生徒がいました。数学が苦手でした。高校生から教えたのですが、中学の部分に理解出来ていない所が多かったです。しかし勉強時間や意欲には限度がありその中でのテスト勉強です。中学に戻る余裕はないです。学校の問題集を使い出来ない問題は✕をつけさせてやり方を教えました。そして△にしました。翌週までには自力で△を消すように指示をしました。その生徒はこれを実行しました。成績はクラスで一番になりました。元々は赤穂高校に行きたかったのですが自信がなくて伊那西に入ったそうです。元々良くできた生徒という事ではないのです。その後もこの方法でグングンと伸びて助産師になりました。数年後の伊那西のパンフレットに顔写真とともに彼女のお言葉が載っていました。きっとこの勉強の方法を身につけたのでしょうね。
本当の勉強は考える事や自分で作り出す力が必要です。それが出来ますか?学校のテストや受験です。多くのライバルはそれさえ出来ていないのです。ただしちゃんと覚えないとだめですよ。「大体覚えた。」ではなくちゃんと覚えましょう。
上の図は図形の証明の典型的な問題です。2年生と3年生は解き方を覚えて下さい。入試に出た事があります。
2023年01月30日
私は3つの糧を得るために働く

今の私は3つの糧を得るために働く。
1つ目は生活の糧。
お金だ。
元々贅沢には興味が無くて、少しのお金でも生きていけるのでこの部分の比率は他の人よりも少ないのかも知れない。
最低限の糧を得たい。
2つ目は心の糧。
中学生が来てくれて出来ればやりたくないかも知れない勉強を一生懸命やってくれる。一年もすれば立派に成長してくれる。若さや元気を与えてくれる。
音楽を聴いたり、テレビを見たり、旅をしたり、走ったり、歩いたり、人と喋ったり、日々の活動でも心の糧を得ている。
心の糧を多くしたい。
3つ目が体の糧。
何をするためにも体が健康でないと出来ない。
体の糧を得るために歩いたり、走ったり、登ったり、暴飲暴食をやめたり、時には筋トレをしたり、病院で予防して貰ったり、アドバイスを貰ったり、している。
この3つの糧は密接に関係している。
歩いたり、ユーチューブを見たりする事が塾をやることに関係している。
という事で、今日は歯医者、ウォーキング、ドラマ、昼寝、塾、生徒の親へのラインを予定してます。
2023年01月29日
中沢からの駒ヶ根市

同じ駒ヶ根市内だが天竜川を挾んだ向こう側の中沢という集落を歩いていると急に開けた場所に出た。
りんご畑から中央アルプスが美しい。
空木岳から宝剣岳、さらに駒ヶ岳も見えているような気がする。
2023年01月29日
受験後の風物詩

ガラケーからスマホに移行したしばらくの間はそうだったと思う。
伊那西高校の受験が終わると駒ヶ根のドコモショップとauショップには行列が出来ていた。
当時の伊那西高校は受験の日に制服採寸をしていたと記憶している。
っまり中学校の校長から推薦されたらほとんど合格だった、
余談だが公立高校の推薦入試にもそういう時代があった。中学校から推薦を貰えるかどうかが勝負で受験自体は大きな意味がなかった。
中学生の間近で勉強を見ている立場からすれば違和感があった。
公立高校の受験が終われば携帯ショップは順番待ちで大変だったらしい。
ここ数年はそうした風景は見られなくなった。
中学生の頃からスマホを持っているからだ。
携帯を持ったばかりの中学生がメルアドを交換してメールを沢山送り合い、高校生になった頃には女子から返事が来なくなると話してくれたのも懐かしい。
もう一つ余談だが赤穂高校に入った生徒はバイパスのショップでなんちゃって制服を買うのが常だったが今もそうなのだろうか?
2023年01月28日
合格者第2.3.4.5.6号

私立高校の受験生から合格の連絡を頂きました。
東海大諏訪、都市大塩尻、伊那西、飯田女子の各高校に合格した皆さん、おめでとうございます。
私の子供も私立と国立でこの時期には受験が終わってました。
友達がこれから最終の追い込みに入る時期に終わってしまって良かったのか?と思ったものです。
3月までしっかりと勉強をして学力試験と面接試験の両方で合格するのがその人が大きく成長する事に繋がります。
どうせなら前期選抜で不合格になって一度泣いてから色々考えて、泣きながら勉強して後期試験で合格するのが大きな成長になると思います。
来週からは学校でも注目されます。
勉強を頑張ろうと思ってもなかなか難しいものです。
まずは喜びを遠慮なく表して下さい。
せっかく与えられた2ヶ月のアドバンテージに何をするのかを考えて下さい。
2023年01月27日
2023年01月27日
勉強が苦手な生徒の大きな一歩

勉強が苦手な生徒の大きな一歩。
それは「解らない」と言える事です。
勉強が苦手な生徒は凍りついた様に萎縮している事が少なくない。
『これならちょっと考えたら解るやろ?』
と思うような簡単な事さえも答えられない生徒が多い。
一度間違うともう何があっても正解しない様な事もある。
落ち着いた様子でも頭の中がパニックになっているのかも知れない。
ちゃんとした答えが出来なくて叱られたり恥ずかしい思いをした経験の積み重ねでそうなってしまったのだろうか。
これを溶かして「解りません。」と言える様にするのは大変だ。
一対一だと溶かしやすいと思われがちだがそうではなかった。
一対数人の友達グループでの学習でも溶けなかった。
現在の様に大勢がいる環境が一番溶かしやすい。
今の3年生は全員が自分から「解りません。」と言えている。
最初の頃は塾に来る様に促しても「まだ入ってばかりなので徐々に参加したいです。」何とも消極的な反応が親から届いた生徒がいた。
昨日は基礎の英語の問題で単純な間違いをしていて、「単語の後ろに付けるのを全部間違ってました。」と自らニコニコと教えてくれた。
自らミスに気付いてそれを言葉で私に言えると同じミスをする事が減るだろう。
何故大勢の中だと「解りません。」と言えるのか?
逆ではないのか?
そこが吉田マジック!!
まずは良く出来る生徒達がリードしてくれる。
しつこい位に質問をしてくれる。
苦手な生徒は黙っている。
「解らない所は無い?」
「大丈夫です。」
この状態からのスタートだ。
一人一人の部活動や趣味や一度した話し等を覚えておく事がポイントかも知れない。
雑談をしてくれると一歩前進。
その為には親からのラインでの雑情報も有効だ。
前回の塾での勉強内容を覚えておく事がまた一歩前進。
「この先生はスゴイ!」
そう思わせる事がまた一歩前進。
こうした前進を続ける事が大きな一歩に繋がる。
簡単な事の様で、出来る人は少ないと思う。
少しでも関心を持った人は勇気を出してお問い合わせください。
間もなく塾は終了で、現在は新規生徒は募集してません。
それでも関心のある人は勇気を出して大きな一歩を今のうちに。
2023年01月26日
高校入試まであと40日

長野県立高校入試の日まであと40日だ。
泣いても笑っても40日で終わりです。
ラストスパートです。
ラストスパートの秘訣は過去問題集中心で、
新研究での学習です。
生徒の皆さんには具体的なアドバイスをしています。
受験する人の中で下の1割に入らなければ上伊那の高校には受かります。
失敗をせずに普段通りに出来たら大丈夫です。
本音は「400点を取れ〜」「3年生の学校のテストを含んだ自己最高点を取れ〜」とか思います。
「取れ〜」と言われて取れたら苦労はしませんよね。
苦労をしたら取れるんです。
私の生徒の3年生は全員が自己最高に頑張っていると思います。
あんなに難しい過去問題集を何回も繰り返してやってますよね。集中力がついてます。
これぞ吉田マジック!!
結局は自慢です。
もう一つの自慢は私がダウンしないことです。
コロナ禍でなくてもインフルエンザで戦線離脱をしてしまうのがごく当たり前です。
しかし私はそれが全くありません。
私が休んだら、、その週の勉強が全てなくなり何十人もの人が困ります。あと40日なのに2週間も間を空けたら生徒の皆さんの気持ちに危機感が生まれます。
だから私はダウンしません。
という事で今日は歯医者へ行きます。
??と思わないで下さい。
定期健診ですが、歯の健康は身体全体の健康に重要なんです。
それはともかく、今日も歩きます。
走るには寒いです。
2023年01月25日
話せる力を意識しよう

長年塾をやっている。
御縁がある生徒の成績アップに一緒に取り組んでいる。
その過程で成績アップした生徒、元々成績が良い生徒の事を考える事が多い。
集中力、負けん気や丁寧さ、家庭の応援等様々な部分に違いを感じる。
そのうちの一つが話せる力だ。
「テストはどうだった?」
「別に……」
と答える子はいないかな?
私が怒ると思うからだろうか?
「最悪でした。」
「まあまあです。」
普通はそんな感じです。
「時間が足りなくて、問二に難しい問題があったんですけど飛ばしちゃいました。どうしたら時間内に出来ますか?」
「食物連鎖はまだ出ないと思って勉強をしなかったんですけど出ちゃったんです。やっぱりやっておけば良かったです。先生、食物連鎖の所を教えて下さい。」
等等と展開して行ける生徒がいる。
そういう生徒は成績が良い。
時々例外もいるが、成績アップはしなくても生きて行ける安心がある。
親等の親しい人となら話せるが誰とでも話せる訳ではないという人もいる。
話せるというのは成績アップにも生きる力にも大きな有利である。
まずは自分で話す事を意識すれば良い。
勇気を出して私に話しかけて下さい。
必ず2倍で返してあげます。
頑張ってその2倍で返して下さい。
きっと良いことがあります。
2023年01月24日
2023年01月24日
お気楽だった平成初期の地方公務員

同級生の1人は自宅がある近畿地方の市役所職員として社会人生活をスタートした。
「近くに来たらいつでも遊びに来てくれ!」
私の営業担当地域がその辺りだと言うと同級生はそう言ってくれた。
ある日仕事が暇だったので同級生に電話をかけた。
今思うと携帯電話が無いのでどのように電話をかけたのだろう。
彼は公民館勤務だったが公民館に直接かけたのかも知れない。
公民館に行くと同級生とかなり年配の男性と女性がいた。
ニコニコして応接室に招いてくれた。
館長と主事だという名刺を頂いた。
『営業でも何でもなくて、遊びに来たのに、、』
勘違いをされているのかと不安になる位だった。
公民館の3人と私とでお茶を飲んで雑談をした。
「こうしてお茶を飲むのが仕事みたいなもんですからいつでも遊びに来て下さい。」
館長が言った。
途中で年配女性のグループが一組やって来て、同級生が案内した。
いつも来ているサークルの皆さんらしい。
私もサボっていたがまさか上司2人までお付き合い下さるとは驚いた。
あれから時間が過ぎた。
同級生はきっと一番偉い役職になっているだろう。
自分よりもずっと優秀な部下が沢山いるのだろう。
地方公務員はきっとストレスの多い、キチンとした大変な仕事なのだろう。
のんびりスタートした社会人でキチンと仕事をするなんて出来るのだろうか?
私はとうの昔にサラリーマンではなくなった。
2023年01月23日
成績アップにはIT化と根性化

「文明開化って何ですか?」
塾で問題集を解いているときには答えだけだはなくて意味が良く解らない言葉については質問してもらう事にしている。
私はスマホで調べる。
それも音声入力で調べる。
生徒は苦笑いしている。
『先生なのに調べてるの?』
きっとそう思っているのだろう。
もちろん私は調べなくても解っている。多分。
こうやって調べたら自宅でもわかるよね、ということを伝えているのだ。
教科書で調べなさい、との意見もあるが、
ネットの方が色んな情報があって楽しい。
画像が沢山載っていて印象に残りやすい。
何よりも教科書で調べなさいと言ってもそんな面倒な事をしない生徒が多いので簡単に調べられるという事を伝えている。
数学の問題はやはり検索すると似たような問題が見つかる。類題が見つかる事や解説の動画が見つかる事もある。
出来なかった問題が出来る様になった時にはしっかりと覚えるまで何度も繰り返す事が大事だ。
スマホで写真を撮って確認すると良い。
ノートに書いてみるのが良いのだが、手軽に空き時間に確認するにはスマホに入れるのも良い。
「過去問題集は時間をかけたら出来るんですが時間内には出来ないんです。」
伊那北や弥生を志望校にしている生徒は毎年同じ様に言う。
時間をかけたら出来る様になったのが成長なんですよね。
次なるステップアップという事だろう。
同じ問題をもう一度やると良い。
3回やる事をノルマの様に課している。
同じ問題をもう一度やるのでたいていは時間短縮で出来る…
次の年度の1回目でやってみると意外と短い時間で出来る様になる。
時間を意識して沢山やって訓練する事が時間内で出来る事に繋がる。
すぐには出来ない。
行き着くところは根性や。
2023年01月22日
生まれる前の記憶

「力道山が死んだって!」
アパートの前で母が父にそう言った。
父は仕事に行くためにアパートを出たばかりで、
それを見送った母がテレビのニュースで知ったのだろう。
二階建てのアパートの前だ。
「なんと、、、」
父は言葉を失っていた。
この場面を鮮明に覚えている。
しかし力道山が亡くなったのは私が産まれる前だ。
それもかなり前のようだ。
力道山と言う人に特別の思いがある訳ではない。
何故この場面を覚えているのかわからない。
覚えているという表現が間違っているのかも知れない。
もしかすると何かの勘違いかも知れない。
でもな〜覚えているんだよ。
母にその話しをしても、
「そんなん、知らん!」
と言われた。
2023年01月21日
一番古い記憶

私は砂浜の波打ちぎわにいた。
波が寄せては引く様子を見ていた。
波そのものではなくて砂を見ていた。
引いていく波と一緒に細かな砂の粒がキラキラしながら動いていく。
水と光に照らされて砂には色んな色があった。
赤や青がキラキラしながら動いていく。
その中にいると自分も動いていく様な気がする。
深い海に引きずり込まれそうな気がして一歩二歩と上に上がる。
波が打ち寄せたタイミングでまた一歩二歩と下に下がる。
どれほどの時間が経っただろうか。
波打ちぎわから離れて50メートル位上がって行った。
さっきまでいた父や会社の人がいない。
それなのに私は平気だった。
丁度そのときに1人の大人の男の人が歩いていた。
その人の後をついて行った。
数分歩くと一軒の建物に入った。
きっとその人の家なのだろう。
私は突然一人ぼっちになった。
大きな声を上げて泣いた。
するとすぐに近くの建物から父の会社の人が出て来た。
出て来た人の名前を覚えているし、その瞬間を写真の様に覚えている。
古いアルバムを見ると父は会社の旅行で夏の淡路島へ行っている。
私も一緒に写真に写っている。
会社の旅行で海水浴に行ったのはこの時だけらしい。
という事は私の記憶はこの時のものだろう。
アルバムによるとこの時の私は2歳だった。
2歳の子供がこんなにもはっきりと覚えているだろうか?
オレって天才?
いや、2歳だよ。
波打ち際で1人で遊ばせるだろうか?
放っておいたまま宿に帰ってしまうだろうか?
あり得ない。
私のこの記憶は単なる写真からの妄想なのだろうか?
2023年01月20日
合格者第一号

高校合格第一号が出たよ。
おめでとうございます。
県外の私立高校に合格した。
国際的な視野を持つ人を育てる学校で授業は外国人の先生が教えてくれるものがあるらしい。
生徒の多くは外国人らしい。
日本の学校は昔からあまり変化をしていない。
世の中が大きく変わっている事と比べるとその変化は小さい。
もうちょっと変わった方が良くないか?
1人の先生が一方的に教える立場で30人以上の生徒は受動的な姿勢でそれを聞いている。
デジタル化が進み、ネット環境が整った現代人に必要なコミュニケーション力は議論をする事から生まれる。
勉強だけなら自宅で1人でも出来るが、これらの力は学校等で集団でしか出来ない。
リモートとはかなり違いがある。
国際化の進んだ高校はどんな感じなのだろう。
きっと対話や協力や討論や探求といったこれまでの日本の学校の弱点を補う授業があるのだろう。
公立高校でも少しずつその流れになっているように感じる。
絶対にその方が楽しいし、ためになる。
2023年01月19日
世界の国々

赤穂高校の女子生徒に家庭教師をしていた。
普段は英語と数学を教えた。
「世界地図を覚えないといけなくて困っている。」
助けを求められたので応援することにした。
白地図に国の名前を入れるというものだ。
イギリスやブラジル、オーストラリアなら解るだろう。
世界には200程の国がある。それらをアフリカ、ヨーロッパ等の地域別の白地図に書いていくのが課題だ。
アフリカには50以上の国がある。
サントメ・プリンシペ、ギニアビサウ、カーボベルデ等は私も知らない。
私は社会科教員免許を持っていて地理は大得意だと思っていた。
最も困ったのはメキシコの近くのカリブ海地域だ。
なんと30もの国がある。
アンティグア・バーブーダ、セントキッツ・ネイビス、モントセラト、セントヴィンセント・グレナディーン、
こうして書いてみるとどこで切って良いのかさえ解らない。
何回やっても正解にならない。
「何か良い方法は無い?」
「う〜ん、、、無いかも?」
途中でとうとう泣き出してしまった。
出来ないと補習があり、さらに夏休みに登校しなくてはいけないらしい。
「こんなことをするために学校に行きたくない。」
気持ちは判る。
因みに国の名前の次は各国の首都の名前らしい。
私でさえほぼ知らない。
『これが高校の地理の勉強か?』
先生は授業をせずに済むのだろう。
これを覚えても大学入試には役にたたない。
「サッカーのワールドカップの国が全部知ってました。」
覚えた後はそう言っていたが今頃はほとんど忘れているだろう。
せめて、何か残る様な事が出来ないだろうか?
2023年01月18日
万引きの記憶

祖母が亡くなり昔の事を思い出していた。
突然万引きの記憶が蘇ってきた。
何故かずっと忘れていた。
保育園生だった頃だ。
祖父母の家の隣には1つ年下の女の子がいた。
反対側の隣には2つ年上の女の子がいた。
夏休みの間は毎日一緒に遊んだ。
「お菓子を取りに行こう。」
年上の女の子が言った。
「いりふねに行こう」
そう言うと集落の小さな食料品店に入った。
女の子達はお菓子を棚から取るとお腹を凹ませてスカートの中に入れた。
何故かお菓子は落ちて来ない。
俺もお腹を凹ませて半ズボンの中に入れた。
お菓子は落ちてしまった。
店のおばさんがやって来た。
「早うあの子らをつかまえてきて。」
私にそう言って店から出した。
私は女の子達を追いかけた。
と言うよりも店から逃げた。
1人の女の子の家でそのお菓子を食べた。
2人とも私を咎めなかった。
何故女の子のお菓子が落ちなかったのかを聞くこともしなかった。
店のおばさんは間違いなく女の子達の事を知っている。
長期で帰省していた私の母の事も知っていたかも知れない。
もしかすると母や祖母にはこの話しをしたのかも知れない。
それでいて叱らないようにしたのかも知れない。
きっとそうではないだろうか?
そう考えるとお詫びに行きたい。
もうお店は無いかも知れない。
お墓参りに行ったらとにかくいりふねを訪ねてみよう。
2023年01月17日
阪神淡路大震災

あの日の翌日と翌々日に私は西宮へ行った。
業務命令で営業所や近隣住民の救助と言うことだった。
食料品をいっぱい積んで向かった。
沢山の社員がいる中で私1人が大阪から車で向かった。
何故私だったのだろう?
男気で手を上げたのか?
記憶には無い。
上司に打診されても嫌なら断る事は出来た。
多分ちょっと調子に乗っていたのだろう。
様子を見たいという野次馬根性もあったのかも知れない。
何の知識も無く、大した意義も無い。
命の危険があり、道路を無駄に渋滞させた事も事実だ。
無知だったのかも知れない。
私も会社も。
西宮の営業所と大阪の支店とは電話でさえ連絡が付かなかった。
明石の営業所には行く事さえ諦めていた。
だから様子を確認する意味もあったと思う。
でも何で俺なん?
何も出来ないのに…
消防や自衛隊といった専門家が通る道を俺がいたら通られへん。
救急車と消防車が対面して通れなくて困っている場面に出会った。
普段の常識だとこの車は同じ方向へ行く。
火災現場、救急要請がアチコチであったのだろう。
営業所の隣は大きな病院で常にサイレンが鳴っていた。
大阪に戻った夜にもその音が耳から離れなかった。
大怪我を負い退社した後輩はその後はどんな人生を送ったのだろう。
彼のアパートから何かを探して渡すという任務も指示されたが、隣の方が亡くなったと聞いたのでその場から何も探せなかった。
2023年01月16日
祖母

先日祖母が亡くなった。
3月になれば100歳になる直前だった。
愛媛県の最先端の辺境の地で100年間を生きてきた。
私は小学生の頃は毎年の夏休みを1ヶ月程をこの祖母の家で過ごした。
大阪を始発電車で出発しても暗くなった頃に最終の渡船に3時間も乗った後で着く様な場所だった。
沢山の蒸しパンがあった。
業務用のかき氷器とシロップは一升瓶に入ったものが3種類あった。
地元の天草を使ったあんみつも美味しかった。
やはり地元のハチミツをたっぷりつけた、地元のパン屋の食パンと紅茶がいまだに一番だ。
祖父は毎日こんなにも美味しいものを食べているのだと思っていた。
小学4年生の時には学校で牛乳瓶のキャップで遊ぶのが流行った。メンコの様に友達とタタキつけたり、拝むように手を合わせて重ねたキャップをひっくり返す様な遊びが流行った。
キャップは大阪地元で色んなものを集めた。
祖母に依頼して牛乳キャップを送って貰った。
みかんの箱にいっぱいのキャップが送られてきた。
向こうの小学校に頼んで集めたらしい。
「こんないっぱいどうすんねん?」
さすがに驚いた。
4年前のお遍路で四国を歩いた時に半日を使って入院していた施設に会いに行ったのが最後になってしまった。
私が行くとおばあちゃんは寝ていたが、しばらくすると目を覚まし、
「あれ、耕司やないか、お前、元気か?」
と何事も無いように言ってくれた。
連絡をせずに行ったのでもうちょっとびっくてくれても良かった。
「私の葬式には来んでもええからな、」
そう言われたので叱られない様に行かない。