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駒ヶ根市赤穂の個人学習塾です

塾以外の雑談や趣味や独り言が多いですが、
どなたでもコメント大歓迎です。


ホームページも是非見て下さい。
https://yoshidakids.com 駒ヶ根吉田塾
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2022年06月30日

昭和の大阪はずっと暑かった



夏休みは中学のプール開放があった。
午後の一番暑い時間をプールではしゃぎまわった。
飲む水と言えばプールの水位で水筒を持って行くこともせず水道の水さえ飲まなかった。

帰り道はアスファルトが燃えていた。
陽炎(かげろう)と言うのだろうか、
上昇気流がモヤモヤとしている。

吹きでる汗がアスファルトに落ちてすぐに乾く。

風は全く無い。

何故か暑ければ暑いほど燃えるタイプの子供だった。
何に燃えていたのだろう?

一学期が終わりに近づくこの時期はジメジメとしてさらに暑かった。

朝礼では校長先生の長い話しが炎天下でも容赦なく続く。

前に並ぶ生徒が突然倒れ込む。
慌てて避ける。
先生が日陰に運ぶ。
明治生まれかも知れない校長は知らん顔して話しを続ける。

教室は40人以上の生徒で息苦しい。
制服のズボンの裾を巻き上げる男子生徒。
自分のスカートの上から股の所を下敷きで扇ぐ女子生徒。

俺が燃えていたのはこれだったのか?
燃えていたのではなく、萌えていたのかも知れない。

それを冷ます為に夏休みになるとプール開放に行った。
さらに燃えたのは暑さだけでなく女子生徒の存在もあったのかもしれない。

気温の問題ではなくて昭和の少年は暑かった。
  
Posted by sawch at 07:37Comments(0)昔の話

2022年06月29日

吉田塾に来るとかわいくなれる?


これはあくまでも個人の感想です。
誇大広告として公正取引委員会から是正勧告を受けないかとドキドキしています。

私が関わった人達は数年後に上手く行っているケースが多いのです。

これってもしかすると吉田マジックかも?
つまり私のおかげじゃないかなと思っています。

勉強中のちょっとした会話でもずっと続けていると生徒の皆さんも受け答えが上手になってくる。

話しが面白いと人気者になる。

そうすると表情が良くなり、ますます人気者になる。

さらにそうすると色んな事が上手く行く。

昨日の学習会は参加者18人で半数は初参加だった。数回目以内の人がほとんどだ。

みんないい表情だったよ。
これって吉田マジックじゃないかな?
たまたまか?

もちろん真剣に勉強をしているのみで、
宗教活動も無ければ、漫才をしていたのでもないです。

この繰り返しで、かわいくなるのかな?
そして将来は上手くいく。
誇大広告ではなくて希望的観測です。

でも先輩達はみんなかわいくなってるけどね。


豊橋のブラジル人の経営するレストラン  
Posted by sawch at 05:05Comments(0)

2022年06月28日

夜中に1000回杖をつくおじいさん



隣りのベッドの80代半ばの方は夜中の3時になると目覚まし時計もないのに目が覚めるようだ。

そして杖を突きトイレに行く。
ここでも一悶着をよく起こす。
鍵を閉めずに用を足すので、
たまたま開けてしまった女性が叱られた。
おじいさん曰く、杖を突きながら片手では鍵を締められないらしい。
自分のトイレでナースコールは出来ないとのこと。

部屋に戻ると数を数えて足踏みの練習が始まる。
夜中の3時だ。きっちり1000回をやる。
杖を1000回突きながらだ。

もちろん他の患者は目が覚める。

どうして夜中の3時なのかというと、
年寄りは寝られないらしい。

その方は息子家族が飼っている大型犬を勝手に散歩させて怪我をしたらしい。
大人しく利口な犬だからと思い、近くの林を散歩していた。たまたまタヌキが出てきて犬はパニックになりおじいさんを引きずったままタヌキを追いかけた。
手にロープが絡まって引きずられてあちこちで木にぶつかり全身骨折をしたらしい。
息子達ともおりあいが悪いらしく見舞いにも来ない。
気の毒な人ではある。
数ヶ月入院していて今は随分良くなり歩く練習をしているそうだ。

私は数日で退院した。

定期的なリハビリで通院したときそのおじいさんに偶然会った。
その人は私を見るなり懐かしいといって言って泣いた。
きっと寂しいのだろう。  
Posted by sawch at 12:26Comments(0)昔の話

2022年06月27日

周りの塾は敵ではない



挑発的なタイトルだが目を引くためにしたもので、友好的な意見です。

駒ヶ根の人口は3.2万人位です。多分中学生の1つの学年の生徒数は320人程度です。

中川、飯島、宮田、の人口を加えると5万人は超える。生徒数は500人を超える。

中学生3学年では1500人が見込み客だ。
さらに周りの伊那や松川からも来てくれるチャンスはある。

私が関わることが出来るのは多くても30人程度だ。

1500人以上の中から30人が来てくれたら充分だということになる。

なんということでしょうか?

他の塾に生徒を取られたとか取ったとか、、
そんな事を言う必要は無い。

同業者として仲良くしたい。

塾なんて孤独な商売だ。
コロナ禍の休校が続く時には強く思った。
周りの塾やピアノ教室、ダンス教室等はどうしているのだろう?
全然情報が無いので其れ等に通う生徒に尋ねて、同じ様にしようと思った。

随分前には駒ヶ根で個人塾を営む先輩3人に声をかけて勉強会と称する愚痴会を定期的に行った。

それだけでも良い刺激になるし、孤独が解消される。
その先輩達も2人はもうやめてしまった。

フランチャイズのオーナーの方でも遠くの方でも構いませんが、お友だちになりませんか?
決して大阪弁で儲かる話しを持ちかけたりはしません。

お互いに意味のある事だと思います。
自分がレベルアップすれば生徒や地域の方に還元することも出来ます。
元気でいるだけでもそうです。  
Posted by sawch at 07:46Comments(0)

2022年06月26日

塾をやっている方への質問



塾に入りたい人が見学したいと言ってきたらどうしてますか?

私はこれまでは全て断ってきました。

今いる生徒が見学者を気になって勉強に集中できなくならないかなと心配です。

あの子もここに来てるんだね、と来るかどうかもわからない人に知らせるのは良くないとも思ってしまいます。

私は入会金はないのでお試しということではないものの一度来て気に入らなければ次の予定を入れなければ良いだけです。
いわばそれが見学です。

でもその時のメンバーで雰囲気は変わるので見学しても何がわかるのかも不明です。

皆さんの塾で見学はどうされてますか?

どなたか教えて下さい。  
Posted by sawch at 19:53Comments(0)

2022年06月26日

入院の思い出



10年以上前のこの時期に足を骨折して入院、手術をしたことがあった。

入院も手術も初めてだった。
怖くて怖くて泣きそうだった。
もうこのまま歩けないのかもと思った。
病室で知らないお年寄りと一緒に寝るなんて考えられなかった。

しかし入院は意外と快適だった。
伊那中央病院は新しくてキレイだった。
看護師は若くて元気な人が多かった。

「育児休暇を終えて復帰したばかりなんですけど、幼い我が子が不憫で仕方ないんです。」
そう話す看護師を夜の廊下で励ましたこともあった。
同室の先輩達は長くいる人ばかりでおかしな人ばかりだった。
入院のいきさつや手術の様子を細かに話してくれて、私が嫌がるとますます嬉しそうに話してくれた。

救急車の到着時刻を全部メモしたり、看護師のローテーションをメモして、今日の担当を予想して遊んだりしていた。

「俺の財布は看護師に預けたはずだが盗んだろう?」
2つ向こうの病室で叫んでいる患者がいる。
私の病室の人達は面白がって見に行こうとするが歩ける人はいない。

「ほふく前進しよう!」

誰かが言ったが年配で足が悪い人がほふく前進を出来るのか?

みんなで大爆笑をして聞き耳を立てた。

伊那警察署に電話をかけて来てもらっていた。

よくある話しらしい。
警察は呼ばれたら来るそうだ。
看護師は財布を預かることはないそうだ。

車椅子を押してもらい手術室へ向かう時だ。

「看護師さん、手術をやめてドライブへ行こう。」

「ドライブか〜良いですね、吉田さん運転出来ますか?」

エレベーターの中で無駄な抵抗をしてみた。

看護師は患者の不安を取り除いてくれてありがたかった。

「血とか見て怖くないの?」

「自分のじゃないですから、」

入院という苦手だったモノを経験してマイナスのイメージが消えたのは愉快な同室の先輩達と何と言っても伊那中央病院の看護師の皆さんのお陰です。  
Posted by sawch at 12:24Comments(0)昔の話

2022年06月25日

女子高校生とのたわいない会話

吉田 ホームページはどうでしょうか?

女子高校生 びっくりしました!
カレンダーに飛べるんですね!
先生のコメントセンスにところどころ吹き出しました。笑
また、大阪劇場開演ですね。
私みたいに先生に救われてる人がまた増えるんだろーなぁ

吉田 信ずるものは必ずお救いします。

女子高校生 すごい名言✨

吉田 宗教をやるかな?
学校で布教活動をしてくれる?
女子高校生だけを集めた宗教かな?
男子はちょっと、、、

女子高校生 えー、私は男子校生ばっか布教活動して彼氏探しします

吉田 却下(却下)却下(却下)

女子高校生 えぇー

この子、たわいないやり取りが上手いな〜
きっと色んな人に可愛がられて伸びて行くな〜
こっちまで楽しくなる。
  
Posted by sawch at 06:06Comments(0)

2022年06月24日

吉田塾における21世紀初頭の通信手段



家の電話しかない時代の家庭教師の連絡はとても大変だった。

「雨でサッカーの練習がなくなって代わりに明日になったので家庭教師を出来れば木曜日に変えて頂けないでしょうか?」

留守番電話にこんなメッセージが入っていたとする。

結構大変だった。

木曜日と明日とを入れ替えるだけで済めば良いがそれぞれの都合があるので木曜日の人を金曜日に変えて金曜日の人を明日に移動する。

まずは金曜日の人に連絡だ。

家の固定電話にかけるのだが、昼は親も子もいないので夜の家庭教師の合間に公衆電話からかける。生徒と生徒の移動の合間に公衆電話からである。移動時間に余裕はない。公衆電話ってどこにある?

「ピアノに行ってるので帰って来たら連絡します。」

その場で本人がいなくて決めてくれない時もある。
いちいち本人に聞かなくても親なら決められるやろ、と思うがこちらはお願いする立場だ。

先方から私の留守電か家族に伝言がある。
OKならまだしもだめならかなり大変だ。
夜の遅い時間にだめだというメッセージを聞くので次の連絡は翌日だ。ラインと比べて電話は遅い時間はNGなのは何故?

朝の7時位を狙ってかける時もある。

日中におばあさんに伝えてややこしくなったこともあった。
本人か母親と直接喋りたい。

要件を書いたメモを日中ポストに入れた事もあった。わざわざその為に家まで行くのだ。
親が日中在宅しているお宅は少ないので
こんな方法を取らないと間に合わない事もあった。

こうして必死に希望通りの予定にしたらその事を当事者に伝えないといけない。

それを伝えるのももちろん家の電話だ。

「今日の木曜日も雨なのでまた練習が延期で明日の金曜日になりました。すみません」

「すみませんじゃねーし。お前なんかやめちまえ!サッカーを休めよ!こっちは先に予定しとんねん!」

そう言えれば良いのだが派遣業者の身なので下から接しなくてはいけない。

公衆電話で楽しげにおしゃべりをしている人がいると切れそうになったこともあったかも?
「さっさとして〜」

公衆電話って駒ヶ根のどこにあったんだろう。  
Posted by sawch at 06:10Comments(0)

2022年06月23日

1000円塾のための経費削減




「暑いわ〜」
思わず声がでる。
折り畳みの自転車でヘルメットをかぶり
日除けのために長そで長ズボンで走る。
首にタオルを巻いた完全防備は暑いわ。
オマケに坂道が多い。

「私を待ってる人がいる〜」

いい日旅立ちの鼻歌さえも出ない。

この一枚のチラシを見て生徒になってくれて
ご縁が始まった人が何人もいる。

業者に頼んだり、広告を出すとその分生徒からの料金を高くしないといけなくなる。

太ももの筋肉が痛い。

今年はリクエストに応じて顔写真を載せたから引き合いがないかも知れない。
小さめにしたんだけど。
  
Posted by sawch at 18:30Comments(0)

2022年06月23日

子育てなんて上手く行くはずがない



「ゲームばかりしていて全然勉強をしないんです。どうしたらいいでしょうか?」

良く受ける相談だが、本音を言うと
「わからん」

「それじゃ塾の先生の意味ないじゃん。」

そう言われてもわからんものはわからん。

テレビに出てくる偉い先生方でも
いつどこで地震が起こるのか?
いつになったらコロナは終わるのか?

「は?先生なのにわからんの?」

素人の私はそう思うが先生方は
「わかりません。」
と言う。

大リーガーの大谷選手の様に、背が高くてイケメンで、打って走って投げて、性格まで良くて、、

そんな風に育てるのはどうすれば良い?

「わかるはずがない。」

そこまでは望んでない。

「せめて普通に学校へ行って、普通に部活をして、普通の高校へ行って、、、」

そう言う人が多いが、普通というのがまた大変だ。

サッカー部に入っても、練習が嫌だと辞めたがる。続けて欲しい、試合に出てほしい、勝ってほしい。勝ち残ってほしい、

テストの点数も高くは望まないが普通には出来て欲しい。
普通の高校に行ってほしい。

これが全部出来たら大谷選手レベルかも?

そんなに上手く行くはずがない。

それを聞かれてもわかるはずがない。

お母さん、そんなものですよ。

上手く行くはずがない。
わかるはずがない。

そんなものだと思う事が上手く行く秘訣かも知れない。
塾や学校の先生や吉田先生に期待しすぎない事が上手く行く秘訣かも知れない。

私が去年関わった高校受験の生徒は全員かなり本気で頑張ってくれた。
私が過去に関わった生徒はかなり世のため人のために役立っている。

大谷選手レベルがたまたま集まって俺は運が良いのかな?  
Posted by sawch at 07:36Comments(0)

2022年06月22日

部長の自慢は江川に三振!



昔いた会社は四国に本社があった。
名刺を出すと多くの人が言った。
「甲子園に良く出てる高校がある町ですね。」

部長は嬉しそうに微笑み語りだすのだ。

「実はね〜私も野球部だったんですよ。」

当時の四国は野球王国と言われていて強豪校が幾つもあった。
年中野球が出来る温暖な環境が土壌としてあるからだそうだ。

その四国大会で優勝した部長達の高校は自信満々で甲子園に乗り込んできた。

作新学院の江川が凄いと聞いているけどビデオを見る機会もなくて
「江川?何ぞ?」

部長は3番や5番を任されていた。
甲子園でも順調に勝ち進み江川との対戦となった。

「バッターボックスに立ったらね、球が見えないんですよ。」

そう話す部長に商談相手は前のめりになってきいている。
江川ですから。

「ゆったりとしたフォームで投げるんですが、シュッーとボールの音がして、バチンとミットに入る音がするんですが、球が見えないんですよ。」

部長の語り口が饒舌になり、手振り身振りまで入ってくる。

「バットを振り回しても当たらなくて私は三振でした。」

お客は目を輝かせて聞いている。
今で言うと大谷君の様な存在の江川だが、
国民の多くが野球大好きだったのでもっと有名人だったかも知れない。
その江川である。

「私らはノーヒットノーランを食らったんです。


当時の多くの人はこの甲子園での江川のノーヒットノーランを覚えている。

その当事者が語るのだから相手は前のめりになる。

今なら後日談や裏話も報道されるが当時はなかったので、一層貴重だ。

私でも語れる位隣りで何度も部長の自慢を聞いた。
それがことごとく受けるから驚いた。  
Posted by sawch at 08:04Comments(0)昔の話

2022年06月21日

マジ?もう夏至なの?



昨日は19時40分から家庭教師のスタートだった。

スタートの時にはまだ真っ暗じゃ無かった。

毎週同じ時間に訪れるので日が長くなったり短くなったりするのが良くわかる。

どんどんと日が沈むのが早くなるんだ。
何となく愉快じゃないな〜
もうそんななの?

冬至のあとは日没が遅くなっていき、正月を過ぎると違いがわかる位になる。

7月の途中位からは日没が早くなったのがわかる。
1週間飛ばして同じ時間に訪問するので良くわかる。

昨日行った山の中の場所だと19時30分は真っ暗だろうな。
危ないから素振りはやめた方が良いね。  
Posted by sawch at 06:07Comments(0)

2022年06月20日

昭和生まれの生徒Hくん



15年ほど前までは私と家庭教師のご家庭との連絡は電話だった。
それもほとんどが家の電話に連絡をした。
これがなかなか大変だった。
一つの予定を変更する場合にところてん式に複数の生徒の予定を変更しなくてはいけない事がある。
皆さんそれぞれの都合があるので簡単にはいかなかった。
その変更を家の電話にするので大変だった。
日中は電話をしても親も生徒も不在だ。
おばあちゃんに伝言を頼んで大失敗したこともあった。
家庭教師の移動の間で公衆電話からかける事が多かった。
時間の余裕が無い中での電話連絡はストレスだった。

「来週の水曜日の予定を木曜日の7時40分からに変更して貰えるかな?」

「ハイ、、、」

たいていの生徒はこれしか言わない。

『大丈夫か?わかってるのか?メモしたか?親に言ったか?』

こちらから依頼した変更とはいえストレスだ。
そもそも変更のきっかけは私ではなく別の生徒の都合による場合がほとんどだ。

「来週は水曜日じゃなくて木曜日の7時40分からですね。わかりました。宜しくお願いします。」

こう答えてくれる生徒が1人だけいた。
今もその生徒とのやり取りを覚えているのでよほど嬉しかったのだろう。

中学生なのに軽トラを運転して、ショベルカーにも乗れた。
自宅の畑でそれらを使って親の手伝いをしていた。

勉強は苦手だった。かなり苦手だった。
Hは水素、Cは炭素といった化学記号を5つ覚えようとしたが10分間真剣に取り組んでもだめだった。

地元高校には入ることが出来ずに松本の私立高校へ入った。
朝は5時台発の電車で通った。

「勉強がわかるようになって嬉しい。英語はレベル別で5クラス中の3番目で、数学は、、」
高校生になった生徒は嬉しそうに話してくれた。
「長野県の色んな所に友達が出来て楽しいです。」
 
その後は普通の会社員になり普通に結婚した。
  
Posted by sawch at 07:30Comments(0)

2022年06月19日

教育実習で教師になるのをやめた



教育実習は実に楽しかった。
実習生は15人程いて部活動の様なノリでみんな仲良かった。

生徒達とも仲良くなり授業前の休み時間には廊下で雑談の輪に混じっていた。

高校生の時の担任が30代後半の女性でこの先生が教科主任だった。
私の担当教官は30歳を過ぎた男性教師だった。
「吉田君が高校生の時には勉強をしてくれなくて困らされたんですよ。」
教科主任は担当教官にそんな話しをするくらい和気あいあいとしていた。

じゃなぜ?

出身校だったので半分は知っていたり見たことのある先生だった。
その先生達を職員室で同じ教師の立場から見るのだ。
20代の先生は頑張っていた。
きちんとしていて生徒の事を考えた熱い先生が多かった。
30代の先生は変な先生が多かった。
体育の先生の脳は筋肉で出来ていると私に言った先生がいた。
京谷先生にそれを言ってみろって思った。
発表授業の時はよく出来る生徒を指名するのが良いと言って具体的に指名しない方が良い生徒を教えてくれた。
朝は遅く来て夕方は早く帰る常勤の先生がいた。
実習生に他の先生の悪口を言う先生がいた。

実習生仲間からの情報はこんな感じだった。
どうして実習生の前だけでもちゃんとしないのか?

裏側から見た職員室は高校生の時に見たのとは少し違っていた。

自分もあの中にずっといて30代になると変な先生になってしまうのか。

社会に出たこともないのに人に社会を教えても良いものか?

幾つも年が変わらない高校生達がかわいいだけにいい加減な教師として関わる事は出来ないと思った。

社会人になると厳しい世界で頑張らなくてはいけない。
それなのにいきなり先生と呼ばれて楽をしても良いものか?

当時の先生は今と違って楽だったと思う。
部活動に顔を出す事もほとんどなく、
試合は年に数回の公式戦位だった。

バイクで北海道を旅したときに学生らしい奴以外の大人と思しき人はほとんどが教師だった。

そういう場所に身を置くときっと俺は流される。

とりあえずいったんは社会の荒波とやらに揉まれてみようと思った。  
Posted by sawch at 06:45Comments(0)

2022年06月18日

体育の先生は怖いわ



「先生〜バドミントンしてもええ?」

「誰も使ってないからええんとちゃうか?」

「一緒にやりましょ〜」

昼休みの体育館で高2の女子生徒と教育実習生との楽しいバドミントンの時間が始まった。

「5時間目の準備があるから先に行くわ〜」

5時間目の授業を終えて職員室にいるとさっきのバドミントン仲間の生徒達がやってきた。

「先生〜、あの後京谷先生に怒られました。」

京谷先生は私が高校生の頃にも担当してくれた体育科の鉄人の様な怖い先生だ。

「吉田先生が許可しても昼休みの体育館は使用禁止や。」

「え〜京谷先生に俺の事を言うたんか?」

高校生の時に何度も叱られた事を思い出した。

実習期間が終わるまで体育教官室には近づかない様にしていた。

高校生から見ればどちらも同じ先生だが、
実習生から見れば自分はむしろ生徒の立場なのだ。  
Posted by sawch at 09:18Comments(0)

2022年06月17日

教育実習の日に生徒をナンパ 誤解です



「地理の授業を選択してくれた皆さんありがとう。女子は特に少ないけどよく選んでくれたね。」

「受験に関係ないから先生で選んで国語にしたんですけど抽選で外れちゃったんです。」
「吉田先生が最初からいてくれてたらみんな地理を選択してますよ」

女子高校生のこの言葉でテンションが上がり、
授業案を担当教師に提出しながら雑談をする作戦で夜も寝られない程だった。

授業のかなりは雑談だが居眠りする生徒がいなかった分担当教師よりも生徒の為になったと思う。

5時を過ぎると実習は終わる。
すぐ近くの家に帰りバイクで遊びに出かけた。
部活動が終わった生徒達が自転車で帰宅している。
『今日の5時間目のクラスの子だ。』

自転車で走る生徒を驚かそうと真後ろにつけた。
しばらく走るが気がつく様子がない。
おかしくなってアクセルをふかしながら真横に並んだ。
まだ気がつかない?
「オーイ、俺や!」
まだ?

少し前に出てバイクを止めて降りた。
そしてヘルメットのシールドを上げた。

彼女も自転車を止めて降りてきて、
「先生〜」
そう言いながらなんと抱きついてきた。

多くの生徒が通る通学路だ。
『え??いくらなんでもこんな場所ではあかんやろ。』

「怖かった〜」

そう言うと彼女は私から少し離れた。

「前にも学校帰りに暴走族みたいな人にしつこくつきまとわれたんです。」

「またあのときの人かなと思いました。」

「ヘルメットを被ってるから先生だと思わなかったです。」

『そういう事か、、、』

一瞬何かを勘違いした自分が恥ずかしかった。  
Posted by sawch at 07:38Comments(0)

2022年06月16日

首のない登山者の幽霊



高校生の時に付き合っていた女の子は霊感が強かった。良く幽霊を見ると言う。

中学校の修学旅行でも幽霊を見たらしい。
戸隠のペンションでは女子数人の部屋だった。
部屋の隅にボヤーっと影が見えて、それが段々と人の形になってきたらしい。
赤いチェックの服を着ていた。襟があってボタンで止めるヤツだ。いかにも登山者が着る服だ。
顔の辺りは良く見えなかったらしい。
見えなかったというより無かったようだった。
こうした霊を見る経験は時々あるので修学旅行の部屋で騒いではいけないと考えて黙っていた。
他の人には見えないだろうと思っていた。
彼女は部屋から出てリビングにいた。
2人の女子生徒が叫び声を上げて彼女達の部屋からリビングに出てきた。
「幽霊がいる」
そう叫んだ。

翌朝ペンションのオーナーや先生にその話しをした。
その部屋に泊まった登山客が登山中に滑落して亡くなった。身体は発見されたが首が見つからなかった。
赤い登山服を着ていた。

しかしこの部屋で亡くなった訳ではないのにどうしてここに出たのだろうと話してくれた。

ちなみにその夜はリビングに布団を持ってきて寝たらしい。

高校生の彼女はそんな話しをしてくれた。
  
Posted by sawch at 07:24Comments(0)昔の話

2022年06月15日

戸隠のペンション



修学旅行専用列車で長野駅に降りた我々はバスで戸隠へ行った。

登山をしてお蕎麦を食べてクラス毎にペンションに泊まった。

夜遅くに不良のクラスメイトが「10組に遊びに行って来るわ。」と言って葉巻きをくわえて出ていった。
彼はほぼ一瞬で戻って来た。
「あかん、真っ暗や。怖いわ。」

先生達に良いようにやられた。

クラスで別けられ移動は出来ず、他校とのトラブルも起こさず、登山で疲れさせる。
おまけにペンションの親父さんはクマの様な人で登山の時にはクラスの障害のある小柄な女子生徒を背負子に乗せて歩いた。これには不良も一目置くしかなかった。

数十年が過ぎた一昨年のことだ。
飯縄山へ登り、戸隠神社を歩き、こだわりを持っていそうな喫茶店に入った。
マスターに修学旅行の思い出を話した。
スマホを探すと当時のペンション前でのクラス写真があった。
「この人は身体を悪くして引退しましたが娘さん夫婦があとを継いでます。」
あのときのペンションがまだ残っているなんて驚いた。  
Posted by sawch at 06:15Comments(0)昔の話

2022年06月14日

修学旅行専用列車



大阪の郊外の中学校の修学旅行は長野だった。
京都駅から修学旅行専用列車で行った。
不良の先輩達が何度も列車を停止させてしまうので国鉄が怒ってしまって私達の学校には使わせないとの事だった。
それが5年ぶりにお許しが出たのだ。
「お前ら〜絶対に止めるなよ、」
先生はそう言うがそれは止めたいという欲求を増幅させたに過ぎなかった。
長野市に着くまでだけで既に5回も列車は止まった。
国鉄さんと後輩の皆さんすみません。

長野駅はお寺の様な屋根があったと思う。
解き放された猟犬の様な大阪の田舎の子供達は長野市の人達にアチコチで絡んでいた。

不良「こら〜お前はどこの学校や?」
長野市の人「・・・・」
俺「この人の学校聞いてもお前は知らんやろ」
不良「・・・」

修学旅行専用列車はこういう生徒ばかりを長野に運んで来たのだろう。
  
Posted by sawch at 13:47Comments(2)昔の話

2022年06月13日

三六災害




大鹿村では大西山で大規模な土砂崩れが起きて大勢の方が亡くなった。

15年前辺りの時期は大鹿村の自然に惚れ込んで家族で何度も遊びに行っていた。
大西公園で遊び、時には南アルプスの雪解け水が流れる川で泳いだ。

その頃年配のご夫婦に仲良くして頂いた。
湧き水を求めて大西公園からしばらく南の地区へ行った。
村内で教えて頂いた水場で子供たちとはしゃいでいた。
近くの家から年配の男性が水質検査の紙のコピーを持ってきてくれて色々と水の話しをしてくれた。
その方の庭からの景色は素晴らしかった。青木川と大西山がよく見えた。
「三六災害の時にはここで見ていた。」
「大西山が崩れた時はものすごい音がした。」
「この下の田んぼも全部泥水に浸かった。」

その時の話しを私や子供たちにしてくれた。
  
Posted by sawch at 07:43Comments(0)昔の話