2025年04月19日
自分を保つ為に歩く

『チラシを配りながら歩こう』
いや
『歩きながらチラシを配ろう』
と思った。
歩くのがメインでついでに塾のチラシを配ろうということだ。
たいして家のない地域をのんびりと歩いた。
数年前に93歳くらいで亡くなった知人の家が気になったので近くを通った。
誰もいないはずの家の庭がキレイに片付いていて、見知らぬ人車が止まっている。
『気になるな』
子どもはいないはずだ。
家の周りを一周した。
トラクターを押して人が出て来た。
軽く会釈してやり過ごして、すぐにUターンして後をつけた。
トラクターはゆっくりなのでゆっくり歩いた。
『俺ってめっちゃ妖しくない?』
仕方なく追い抜かして声をかけた。
「この家の知り合いの方ですか?」
怪訝な顔をされた。
「私は散歩中で◯◯さんとはこういう知り合いで、」
と話した。
その方は甥に当たる方で片付けや庭の維持に来ているらしい。
「お時間があれば会っていって頂けませんか?」
そう言われて何年かぶりに知人の家に入った。
とてもキレイに片付けられていた。
老夫婦の住まいだったので足の踏み場もないくらいだったのが「売却物件」の様に片付いている。
「トラックで4回も荷物を運び出しました。」
「庭の竹は業者に切って貰ったんです。」
お線香を上げさせて頂いた後でお茶を貰いながらそんな話しをしてくれた。
その知人は大阪に丁稚に行き、戦争で満州に行き、戦後はシベリア抑留を強いられた。
その話しを聞いていたがその内容を詳しく教えてくれた。
亡くなった知人も喜んでくれているだろう。
「施設の奥様にも宜しくお伝えください」と話した。
この奥様は戦後間もない頃から駒ヶ根市役所で働き、ずっと教員をしていたそうだ。
知人も医療の仕事でお二人とも先生と呼ばれるお仕事だった。
それなのに私の事を「吉田先生」と呼ぶ。
「先生なんて、やめてください。」
私からすれば親というよりも祖父母に近いお二人の先生から「先生」と呼ばれるのは居心地が悪かった。
そんな話しもして初対面の人と随分と話しが盛り上がった。
「先生」なんて呼ばれる人種はろくなヤツがいないと思っていた。
私は職業は「先生」だが、エライ「先生」ではないと常に自覚している。
しかし自営業を長くやっていて、生徒集めにもさほどの苦労をしなくて良いくらいの経験を積んでしまったので、すぐに自分を見失って「エライ先生」になったかの様な横着な気持ちになる。
歩いて辛い想いをして、新鮮な発見をして、知らない人と喋ることで、「先生」ではなくて「吉田」だと自覚出来る。
Posted by sawch at 05:41│Comments(0)
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