2019年10月30日
自己責任
最近自己責任という言葉を耳にする機会が多い。世間の冷たい風を感じさせるあまり感じの良い言葉ではない。
しかし受験は自己責任だ。不合格や志望校変更の責任はすべて自分で負うしかない。
その不安や危機感があるから夜遅くまで勉強することが出来るのだと思う。
逆に言えばその自己責任を認識していなければ周りの人より頑張るのは難しい。
出来た喜びが自信となって頑張る力が湧いてきて沢山頑張る力となる、といったプラスの力も必要なのかもしれないが、
それと同じかさらに大きい力となるのがこの自己責任から来る危機感ではないか。
むしろ家庭教師などに頼らない方が良いのかもしれない。
少しは頼ってくれても良いが目的である高校入試を念頭に置けばこの自己責任の考えを強く持つことが大事だ。
「全然やる気がない。」
ある生徒の事を親に言ったところ
「やる気を出してくれることを期待して依頼した。」
と言って辞めていった人がいた。
やる気を出すのは自分自身でしかないし、出せなければその程度のものだと親も含めてあきらめるしかない。
まして結果を出せるかどうかはまさに自己責任である。私にはそんな力はない。
塾や家庭教師の業者の中には成績保証ややる気を出させるといったことをうたっているところがある。
興味があるのでサイトを覗いてみた。皆さんも是非覗いてみて欲しい。
沢山のお金を使って沢山の時間指導をしても上がらなければ、、、ということらしい。
一か月に20万円は必要なのかもしれない。
ある話を思い出した。
駒ヶ根近辺の中三生でこの時期である。
五教科合計で100点に届かない生徒がいて月に20万円以上をかけて毎日二回の家庭教師を入れた。
その生徒は点数が増えて近くの高校に行けた。
別の生徒は学校に行っていなかったが、月に40万円以上のお金をかけて昼、夜と連日家庭教師を入れた。
成績が上がることは無かった。
これらは聞いただけの話だが、私の立場で言うとまあそんなものだ。
上がる上がらないの大半は本人の責任である。
私の生徒でも上がる人もあれば上がらない人もある。
年々上がる人が少なくなっている。そうなっている原因はこの自己責任、危機感が少ないからのように感じている。
15年ほど前の赤中の女子だ。
「先生、家庭教師は9時までに終わるように予定を組んで欲しい。」
「なんで??」
「見たいテレビがあるから。」
と言っていた生徒だが、今くらいの時期から
「高校に受かる気がしない、不安で不安でテレビを見る余裕がない。」
と全くテレビを見なくなったそうだ。なぜか最近はその手の話は聞かない。
良かれと思って私や学校があれこれやることがこの危機感の無さに繋がっているという皮肉な事実がある。
受け身になり与えられたことをこなすだけになっていないだろうか?
やり方などを含めて自分で必死に考える努力をしているだろうか?
それを妨げているのが親であるということは無いだろうか?
やりたいこともやり勉強も頑張る、、出来たらよいが本当に出来ますか?
年代に応じた自己責任と自由を子供に与えないといけない。
サラリーマンとしての安定と収入とふるさとを捨てて子育てを楽しむために駒ヶ根に来たのがもう22年も前である。
全ての責任は私にあった。赤ちゃん2人を考えて誰も頼る人がいない駒ヶ根だ。気合が入ったが、その気合を抜いて生きなくてはいけない。
私の子育てはそこから始まった。よく空回りもした。上手く行かないことが多かった。
子供が小さい頃はとにかくあちこちの公園に行って遊んだ。
小学生になるとゲームは楽しすぎて歯止めが利く年代ではなかったので一切やらさなかった。
三人の息子は中学を卒業すると寮生活に入った。
寮生活に耐えられるように育てたつもりだ。
適当にゲームもしているのかもしれない。もう自己管理は出来ていると思う。
勉強はなぜか得意ではない。親が私なのに、、、、
遅刻もすれば多少の悪さもしているようだ。
色んなことを自分で考えて、失敗をして、その分楽しんで、と自己責任と自由を楽しんでいる。
また自慢になってしまい恐縮だが、私自身が考えて考えて努力した子育てに悔いはない。
中学三年生、あと3年だと思って子育てをしてください。
それ以降も子育てをしなくてはいけないような子は周りに置いて行かれます。
あとわずかです。親御さんは自己責任で必死に考えて下さい。
生徒の皆さんの受験もあとわずかです。自己責任で必死に考えて下さい。
私に頼ってもいいけど頼ってはいけません。
さて言い訳が長くなりましたが、私はのんびりと温泉にでも行ってこようかな???
しかし受験は自己責任だ。不合格や志望校変更の責任はすべて自分で負うしかない。
その不安や危機感があるから夜遅くまで勉強することが出来るのだと思う。
逆に言えばその自己責任を認識していなければ周りの人より頑張るのは難しい。
出来た喜びが自信となって頑張る力が湧いてきて沢山頑張る力となる、といったプラスの力も必要なのかもしれないが、
それと同じかさらに大きい力となるのがこの自己責任から来る危機感ではないか。
むしろ家庭教師などに頼らない方が良いのかもしれない。
少しは頼ってくれても良いが目的である高校入試を念頭に置けばこの自己責任の考えを強く持つことが大事だ。
「全然やる気がない。」
ある生徒の事を親に言ったところ
「やる気を出してくれることを期待して依頼した。」
と言って辞めていった人がいた。
やる気を出すのは自分自身でしかないし、出せなければその程度のものだと親も含めてあきらめるしかない。
まして結果を出せるかどうかはまさに自己責任である。私にはそんな力はない。
塾や家庭教師の業者の中には成績保証ややる気を出させるといったことをうたっているところがある。
興味があるのでサイトを覗いてみた。皆さんも是非覗いてみて欲しい。
沢山のお金を使って沢山の時間指導をしても上がらなければ、、、ということらしい。
一か月に20万円は必要なのかもしれない。
ある話を思い出した。
駒ヶ根近辺の中三生でこの時期である。
五教科合計で100点に届かない生徒がいて月に20万円以上をかけて毎日二回の家庭教師を入れた。
その生徒は点数が増えて近くの高校に行けた。
別の生徒は学校に行っていなかったが、月に40万円以上のお金をかけて昼、夜と連日家庭教師を入れた。
成績が上がることは無かった。
これらは聞いただけの話だが、私の立場で言うとまあそんなものだ。
上がる上がらないの大半は本人の責任である。
私の生徒でも上がる人もあれば上がらない人もある。
年々上がる人が少なくなっている。そうなっている原因はこの自己責任、危機感が少ないからのように感じている。
15年ほど前の赤中の女子だ。
「先生、家庭教師は9時までに終わるように予定を組んで欲しい。」
「なんで??」
「見たいテレビがあるから。」
と言っていた生徒だが、今くらいの時期から
「高校に受かる気がしない、不安で不安でテレビを見る余裕がない。」
と全くテレビを見なくなったそうだ。なぜか最近はその手の話は聞かない。
良かれと思って私や学校があれこれやることがこの危機感の無さに繋がっているという皮肉な事実がある。
受け身になり与えられたことをこなすだけになっていないだろうか?
やり方などを含めて自分で必死に考える努力をしているだろうか?
それを妨げているのが親であるということは無いだろうか?
やりたいこともやり勉強も頑張る、、出来たらよいが本当に出来ますか?
年代に応じた自己責任と自由を子供に与えないといけない。
サラリーマンとしての安定と収入とふるさとを捨てて子育てを楽しむために駒ヶ根に来たのがもう22年も前である。
全ての責任は私にあった。赤ちゃん2人を考えて誰も頼る人がいない駒ヶ根だ。気合が入ったが、その気合を抜いて生きなくてはいけない。
私の子育てはそこから始まった。よく空回りもした。上手く行かないことが多かった。
子供が小さい頃はとにかくあちこちの公園に行って遊んだ。
小学生になるとゲームは楽しすぎて歯止めが利く年代ではなかったので一切やらさなかった。
三人の息子は中学を卒業すると寮生活に入った。
寮生活に耐えられるように育てたつもりだ。
適当にゲームもしているのかもしれない。もう自己管理は出来ていると思う。
勉強はなぜか得意ではない。親が私なのに、、、、
遅刻もすれば多少の悪さもしているようだ。
色んなことを自分で考えて、失敗をして、その分楽しんで、と自己責任と自由を楽しんでいる。
また自慢になってしまい恐縮だが、私自身が考えて考えて努力した子育てに悔いはない。
中学三年生、あと3年だと思って子育てをしてください。
それ以降も子育てをしなくてはいけないような子は周りに置いて行かれます。
あとわずかです。親御さんは自己責任で必死に考えて下さい。
生徒の皆さんの受験もあとわずかです。自己責任で必死に考えて下さい。
私に頼ってもいいけど頼ってはいけません。

さて言い訳が長くなりましたが、私はのんびりと温泉にでも行ってこようかな???