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2022年01月15日

トラウマ



90歳代の仲間の次は10歳のお友だちです。

小学4年生のお宅に勉強を教えに行く事があります。
勉強を教えると言うよりも宿題片付け応援隊です。
「先生、進撃の巨人って知ってますか?」
「知ってるよ。10年くらい前の中学生が良く話してた。内容は知らないけどね。」
「僕は保育園の頃に見て、凄く怖くてトラウマみたいになって5日位は変でした。」
「そんなに怖いんだ。」
「先生はトラウマになった事はありますか?」
『トラウマって何や?』
そう思ったが俺は先生だ。4年生が知ってるトラウマを知らないとは言えない。
「俺も保育園の頃、ゲゲゲの鬼太郎の大きな看板を大阪の街で見て凄く怖くて、おんなじ経験をしたな。」
多少話しを合わせて、多少の記憶を織り交ぜて話した。
「プライムビデオでゲゲゲの鬼太郎を見たけど、あまりおもしろく無かったです。」
話しがトラウマからそれてくれて良かった。

トラウマとは心的外傷、つまり「心の傷」を指します。 トラウマは単なるストレスとは意味が異なり、過去に起こったストレスフルな事象が、後の人生に様々な影響を及ぼしているような意味で使われます。
家に戻って調べた。

勉強が苦手な生徒にはトラウマを持っている子が多い様に思う。
文字を書いては消し、書いては消し、を繰り返す。
右手にシャーペン、左手に消しゴムを持つ。 
右手で書きながら常に左手で隠している。
ノートの罫線をはみ出して斜めに文字を書く。
出来る時は普通に出来るが一つ躓くと元に戻れなくなる。
問題文の一部だけしか読まずに理解出来ないと苦しむ。
人名を聞かれているのに、問題文の事柄を答える。
答え合わせをしたノートを見ると、全く正解とは違う答えなのに○をつけている。
普通では考えられない所で止まっていて、全く前に進まないのだ。
この中でどれがトラウマにあたるのかはわからない。
ただ、勉強での辛い体験から落ち着いて問題と向き合えなくなっているという事は言える。
親、クラスメート、先生との関わりの中で強烈に嫌な思いをしたのだろう。

勉強と向き合って、出来るようにしてあげるためには見過ごせないポイントだ。
時には勉強から避難した方が良い場合もあるだろう。
つまらない、いや、つまる面白い話しをして、
心の氷を溶かす事からスタート。
人間関係の構築だ。

簡単な問題を解いたり、宿題を私が大きくアシストをして楽に片付けたり、楽しいと思ってもらうと信頼度が増す。

気がつけば消しゴムから手が離れる様になっている。
そうなるとすっと入って行くようになる。
簡単には行かないけどね。

  
Posted by sawch at 09:23Comments(0)

2022年01月15日

伊沢さん


 
伊沢さんというテニスの仲間が亡くなって2年になる。
仲間と呼ぶのは失礼かも知れない。
今も健在である私の祖母と変わらない年齢の方だった。
一緒にテニスをしたのは伊沢さんが80歳を過ぎた数年間だった。
それでも仲間は仲間だ。
私の事を何故か先生と呼んだ。
伊沢さんは国立病院のレントゲン技師だったらしく、伊沢さんが先生と呼ばれた人だ。
奥さんは学校の先生だったらしく、教え子は80代の方もいるらしい。
二人とも私が生まれる前からずっと先生だ。
このお二人が揃って私を先生と呼んだ。
「やめてください。」
何度もそう言ったが、嬉しそうに
「吉田先生、良く来てくれました。」
いつもそんな風に言ってくれた。
10年間位、年末になると伊沢さんのお宅に行き、
年賀状をパソコンでプリントアウトしてあげた。
その事で二人してそう呼んだのかも知れない。
年賀状のプリントアウトで伺うとリストの整理から始まる。
去年のリストを見て、
「この人は死んだ。これは生きてる、これは?」
奥さんの教え子の方は年々減っていく。
3人でこの作業をしていると、突然顔を見合わせ、
爆笑した。
いったい何をやっているのでしょう?
言葉には出さないが空気がそう言った気がした。
かんてんぱぱの会長さんもリストにある。
お友達かと思ったら、伊沢さんの義理の弟にあたるらしい。
「あの人は自分から動く人で凄く頑張って偉くなった。」
他の方についても色々と説明してくれた。
国立○○病院の院長だった人とか、
○○大学の学長だった人とか、
弁護士だった人とか、
年賀状にも長い人生の歴史が感じられる。
お喋りをしながらなのでなかなか進まないが年末恒例の楽しい時間だった。

伊沢さんは幼い頃身体が弱くて農業が出来ないので大阪に丁稚奉公に出たらしい。
丁稚奉公って吉本新喜劇でしか聞いたことがない。
大阪の商業高校を出た頃に戦争が始まり、
満洲に行き、その後シベリア抑留を経験したらしい。
会うたびにシベリア抑留という言葉は出るが、
その内容は一言も喋らなかった。
尋ねてもボケてしまったかの様にサラッと流された。

別のテニス仲間が伊沢さんの話をしてくれた。
伊沢さんと初めて会った時の話しだ。
年齢の話しになり、
「14年生まれです。」
「14年?僕も14年です。」
伊沢さんがそう答えたのがおかしかったそうだ。
『同じ年に見えたのか?俺は昭和で、伊沢さんは大正や。』
そう思ったが年上の人に言えなかったと笑っていた。
「俺の息子は平成14年です。」
そういう俺に昭和14年の仲間は笑った。
この人で私の父と同世代だ。
この人も大阪の移住者であり俺を息子の様に可愛がってくれた。
この昭和14年の仲間も亡くなった。
伊沢さんは子どもがいないので、私を先生と呼びながら子か孫の様に思ってくれていたのかもしれない。
甥っ子という私と同世代の人と伊沢さんの家で行き会う事があった。
駒ヶ根辺りでコンビニをしているらしい。
「伊沢さん、あの人に年賀状を作って貰えないんですか?」
「あの人は色々と忙しいんですよ、吉田先生。」
伊沢さんが言うので、
「伊沢さん、俺も結構忙しいんですよ。」
そう言うと、得意のボケた様な風に知らん顔をする。
そして一緒に笑う。  
Posted by sawch at 06:50Comments(0)独り言