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駒ヶ根市赤穂の個人学習塾です

塾以外の雑談や趣味や独り言が多いですが、
どなたでもコメント大歓迎です。


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2022年01月18日

親って幸せだわ、



海上自衛隊では金曜日はカレーライスと決まっている。

そんな記事を読んで、息子達に確かめたくなった。
いつまで続くのかわからないが今のところでは二人の息子が海上自衛隊にいる。

家族ラインで、カレーの件を問い合わせた。

「そうだよ〜」

「入港したら隣に兄貴の船が停まっているよ。」

たったこの一言でグッと来た。

この狭い部屋でいつも一緒だった2人が隣合わせの船にいるんだ。

たったそれだけだ。

何故だろう?
それだけでグッと来る。
そんな俺じゃないはずなのに、
そう言えば松商学園の寮でも二人は同じ部屋の同じベッドだった。
ただの偶然じゃん。

でもなぁ、グッと来るんだよ。

二人とも2年も会ってないからな、
次男は年末に帰省してくれた。

春になったら横須賀に行くぞ。

コロナさん、何とか、何とか、堪えたって下さい。
ホンマ、お願いしますわ。  
Posted by sawch at 21:43Comments(2)独り言

2022年01月18日

御堂筋線の朝のホームにて



大阪市営地下鉄の中央線を本町駅で乗り換えて御堂筋線で通勤していた時期があった。

朝の本町駅は人で溢れていた。
ベルトコンベアで運ばれて来たかの様に次々と人がホームに降りてくる。
みんな無言だ。
サラリーマンが目立つが、OLと呼ばれた女性会社員もいる。高校生もいる。
みんな黒っぽい服装で、黙ったまま硬い表情で、降りてくる。
電車がやって来ると沢山の人が降りてきて、沢山の人が乗り込んで行く。
電車が出て行くと、すぐに次の電車の到着を知らせるアナウンスが流れてくる。
長いホームのいつもの場所まで着くと長い地下鉄が目の前で扉を開ける。
そのためなのか、走ったり、慌てたりする人は少なく、淡々とうつむいたまま、やや暗い表情で固く口を閉じた人が降りてきて、そして電車に乗り込んで行く。
眩しい光を帯びた電車が、やって来てすぐに暗闇に消えて行く。その繰り返しがずっと続く。

電車が消えて行ったほんの僅かな時間だけに沈黙が訪れる。そして冷たい風が吹き抜ける。

私もその電車の中で暗闇に消えて行くうちの一人だった。
電車の中は重苦しい。寿司詰め状態で、黙って窓の外に消え行くホームを眺めている。
ホームには何も無い。
ベンチがあり、そこには下を向いたサラリーマンが座っている。
毎日の様にそうしたサラリーマンがいる。
多分同じ人では無い。
いつも違う誰かがそこに座っている。
きっと会社に行きたくない、行けないのだろう。
電車内の人の視線はその人に集まる。
そしてさらに重苦しくなる。
ベンチの人の気持ちが痛い程理解出来て、
自分も明日はそこに座っているかも知れないと思っているのだろう。
ふと横を向くと知らない人と目が合う。
そして目をそらして、黙って暗闇の窓の外を見る。






  
Posted by sawch at 08:58Comments(0)昔の話

2022年01月17日

阪神淡路大震災の体験

1995年当時、私は東大阪市に住む会社員だった。
東大阪の営業所から神戸に近い西宮の営業所への転勤を指示されていた。本来は有無を言わさずの承諾だったが、何故か私は引き伸ばしていた。
本社の部長から電話で何度も「早くしろ」と言われた。
渋々住む所を探しに行った。
宝塚線沿線の急な坂道にある景色の良いマンションが気に入った。
ちょっとした崖っぷちに建ち、古いが眺めが良かった。
『ここに決めるかな?』
そう思ったが、決められずにいた。
モタモタしていたある日不動産会社から電話があり催促された。
「明日会社で正式な転勤の日を聞いてから連絡します。」
その明日というのが1月17日だった。

地震はかなり揺れた。
私は平屋に住んでいたためか、周りより揺れが少なかったのかも知れない。
会社は近いのでチャリで通っていた。
近所の家の壁が崩れて車のガラスが割れていた。
社員はほとんどが遅れてきた。
渋滞のため、午後3時に着いて、そのまま帰った社員もいた。
後日談だ。私の同期社員は出張から戻って来たタイミングだった。フェリーで大阪についたものの接岸出来ずにずっと船内にいた。私の近所のマンションには奥さんと産まれて間もない赤ちゃんがいた。奥さんはベッドからおりて布団の上で赤ちゃんにおっぱいをやっていた。
そこに地震が来て、タンスが倒れてきた。
タンスはベッドに倒れて来て、奥さんと赤ちゃんは隙間にいて助かったらしい。
いつもは赤ちゃんをベッドに抱いておっぱいをあげていたらしい。
同期社員が家族の所に着いたのは午後になってからで、会った時は涙がこぼれて言葉が出なかったらしい。
外見は大したことが無いようでもタンスやテレビが飛び、惨事に鳴った家が多かった。

翌日は命令で西宮営業所の支援に向かわされた。
道路は渋滞で西宮まで5時間かかった。
阪急電車をまたぐ高架は先が落ちていて無かった。
西宮に近づくと外見が壊れた建物が増えた。
火が出ている所もあった。
道路にも色んなものが横たわっていて、
さらに渋滞が酷くなっていた。
余震が何度かあった。
高架で止まるととても怖かった。
間もなく産まれる赤ちゃんの顔を見る事も無く死ななくてはならないのかと思った。
後ろの車、対向車、みんな疲れ切っていた。
俺は命をかけて行く必要があるのか?
大阪にいる部長や本社にいる社長はこの状況を知らないからそんな命令をするんや、と憤った。
渋滞の列に並んだまま車をおりて用を足す男性が多かった。他の手段が無かった。
営業所は西宮病院のそばだったので常時救急車のサイレンが聞こえた。
あのサイレンは心にかなりのダメージを与えるという事を知った。
上司の指示で食料品を沢山積んで行った。
営業所近くの人にも配る様に指示されていた。
西宮営業所への指示は全て私からの口伝えだった。

入社間もない顔見知りの後輩社員は大怪我だった。
彼は10ヶ月入院し、そのまま退職したらしい。
後日談だが、木造アパートの2階で一人暮らしをしていて、地震の瞬間気を失ったらしい。
がれきの中で気が付いた。
あちこちが痛くて声が出ない。
人の声が聞こえて、『助かった』と思った瞬間、
「ガス漏れしてるぞ」そう聞こえて、誰もいなくなった。
涙が止まらないまま、また気を失ったか、眠ったらしい。
営業所の人が彼を助け出して病院へ運んだ。
気が付くとベッドにいたらしい。
気が付くまで何日もかかったらしい。
隣の部屋の人は亡くなった。
アパートの場所は瓦や柱、壁、家財道具が山になっていて彼の思い出を探してやる事が出来なかった。

神戸にも支店があったが行くことはおろか、連絡がつかない。
西宮より被害が大きいと思われたが社員の安否が確認出来たのはかなりあとで、人の往来で確認するしか無かった。
西宮でも道路の割れた所から水を汲んでいた。
救急車と消防車が対面して動けずにいた。
普通なら同じ方向へ進むのがこの車だ。
至る所から要請があったのだろう。
火災の横でも渋滞の列は続いていた。
あちこちに様々な貼り紙があった。
安否に関するものが多かった。

国道沿いの吉野家が開いていた。
国道の渋滞の列に車を置いたまま食べに行く人がいた。私の少し前の人が食べ終えて出て来ても渋滞の列はいくらも進んで無かった。
私も食べたかったが、東大阪で普通に生活が出来る私が在庫を減らすわけにはいかない。

翌日も私は西宮へ向かった。
大阪近辺には100人程の社員がいるのに何で俺なんや?マジメな社員では無かったので行かされたのか?
余震が怖かった。

わたしの母と同世代の女性社員がいて、その人のお母さんと連絡がつかないので、救助に行くのが私の任務だった。
西宮営業所の社員が芦屋のアパートからお母さんを助け出していた。
私が女性社員とお母さんを乗せて大阪に戻った。
いつもはよく喋るお局の様な女性社員が、「吉田さん、すみません。」とそれしか言わなかった。
私には間もなく初めての子どもが生まれると女性社員は知っていた。『何かあってお子さんに会えなくしてしまったらどうしよう?』そればかり考えていた、と後日話してくれた。
「トイレは大丈夫ですか?どこか探しましょうか?」
「大丈夫です。」
そう言って二人とも黙っていた。
真冬の時期だ。きっと辛かっただろう。

電話以外に通信手段が無かった。
こうして直接行くしか無かった。
結果としてその行動が渋滞を招き、
救急車や消防車の進路を妨げた。

私がその会社を辞める事になったきっかけになったのがこの時の体験だった様にも思う。  
Posted by sawch at 08:37Comments(2)昔の話

2022年01月16日

見事な雪像



昨日家の前の広場で雪像を作っている人がいた。

マレーシア人かベトナム人の若い人だ。
音楽をかけて楽しげに作っていた。
5センチ程度の雪しか無いのにこれを作ったのは凄い。
本物よりも大きい。
暖かい国の人だから雪を知らないだろうに見事だ。
皆さんも見て下さい。  
Posted by sawch at 16:06Comments(2)独り言

2022年01月16日

塾はもはや絶滅危惧種なのか、



2年くらい前に駒ヶ根の塾が4つ位だろうか、
一気に無くなった。
その中には知り合いがやっていた個人塾もあった。
40年程塾をやっていて、昔は駒ヶ根唯一の塾で80人位生徒がいて、講師を雇っていた事もあったらしい。
個人塾を営む4人で勉強会をしていたが、その時の人だった。
皆さん私よりも先輩で年齢的な事もあるのかも知らない。
チェーン店の様な塾が台頭し、素人の様な雇われ講師が教える塾に生徒が移っていく事にやる気が無くなるとも話していた。

それ以外にチェーン店の塾も無くなった。
理由はわからない。

コロナ禍が始まった頃なのでその影響かもしれない。

私は自分には関係ないと、他人事だった。

中国では塾禁止令が出た。
過当競争を防ぐためらしい。
まだ他人事だ。

伊那東部中は冬休みの宿題が無い、
学校に問い合わせた人の話しだと自主勉強をするために宿題を無くすというのが国の方針らしい。
結果塾通いが増えている。

私の予想だが、塾通いはいずれは減る。
他の中学や高校、小学校でも同じ動きをする所が増えていき、徐々に自主勉強が浸透する。
国の本音は教員を守る事だろう。
なり手が減り、体調を崩す教員が増えていて、
教員を守る事が大きな課題だ。
部活を減らすのも同じ目的だろう。
宿題を無くし、教員は学校での指導に専念する。
自然な流れだ。

人間が緩くなり、競争を避ける傾向にある。
一時よりも塾に通う割合は減っているように思う。

さらにコロナ禍は終わらない。
少子化は続く。

やはり絶滅危惧種だ。


  
Posted by sawch at 07:45Comments(0)

2022年01月15日

トラウマ



90歳代の仲間の次は10歳のお友だちです。

小学4年生のお宅に勉強を教えに行く事があります。
勉強を教えると言うよりも宿題片付け応援隊です。
「先生、進撃の巨人って知ってますか?」
「知ってるよ。10年くらい前の中学生が良く話してた。内容は知らないけどね。」
「僕は保育園の頃に見て、凄く怖くてトラウマみたいになって5日位は変でした。」
「そんなに怖いんだ。」
「先生はトラウマになった事はありますか?」
『トラウマって何や?』
そう思ったが俺は先生だ。4年生が知ってるトラウマを知らないとは言えない。
「俺も保育園の頃、ゲゲゲの鬼太郎の大きな看板を大阪の街で見て凄く怖くて、おんなじ経験をしたな。」
多少話しを合わせて、多少の記憶を織り交ぜて話した。
「プライムビデオでゲゲゲの鬼太郎を見たけど、あまりおもしろく無かったです。」
話しがトラウマからそれてくれて良かった。

トラウマとは心的外傷、つまり「心の傷」を指します。 トラウマは単なるストレスとは意味が異なり、過去に起こったストレスフルな事象が、後の人生に様々な影響を及ぼしているような意味で使われます。
家に戻って調べた。

勉強が苦手な生徒にはトラウマを持っている子が多い様に思う。
文字を書いては消し、書いては消し、を繰り返す。
右手にシャーペン、左手に消しゴムを持つ。 
右手で書きながら常に左手で隠している。
ノートの罫線をはみ出して斜めに文字を書く。
出来る時は普通に出来るが一つ躓くと元に戻れなくなる。
問題文の一部だけしか読まずに理解出来ないと苦しむ。
人名を聞かれているのに、問題文の事柄を答える。
答え合わせをしたノートを見ると、全く正解とは違う答えなのに○をつけている。
普通では考えられない所で止まっていて、全く前に進まないのだ。
この中でどれがトラウマにあたるのかはわからない。
ただ、勉強での辛い体験から落ち着いて問題と向き合えなくなっているという事は言える。
親、クラスメート、先生との関わりの中で強烈に嫌な思いをしたのだろう。

勉強と向き合って、出来るようにしてあげるためには見過ごせないポイントだ。
時には勉強から避難した方が良い場合もあるだろう。
つまらない、いや、つまる面白い話しをして、
心の氷を溶かす事からスタート。
人間関係の構築だ。

簡単な問題を解いたり、宿題を私が大きくアシストをして楽に片付けたり、楽しいと思ってもらうと信頼度が増す。

気がつけば消しゴムから手が離れる様になっている。
そうなるとすっと入って行くようになる。
簡単には行かないけどね。

  
Posted by sawch at 09:23Comments(0)

2022年01月15日

伊沢さん


 
伊沢さんというテニスの仲間が亡くなって2年になる。
仲間と呼ぶのは失礼かも知れない。
今も健在である私の祖母と変わらない年齢の方だった。
一緒にテニスをしたのは伊沢さんが80歳を過ぎた数年間だった。
それでも仲間は仲間だ。
私の事を何故か先生と呼んだ。
伊沢さんは国立病院のレントゲン技師だったらしく、伊沢さんが先生と呼ばれた人だ。
奥さんは学校の先生だったらしく、教え子は80代の方もいるらしい。
二人とも私が生まれる前からずっと先生だ。
このお二人が揃って私を先生と呼んだ。
「やめてください。」
何度もそう言ったが、嬉しそうに
「吉田先生、良く来てくれました。」
いつもそんな風に言ってくれた。
10年間位、年末になると伊沢さんのお宅に行き、
年賀状をパソコンでプリントアウトしてあげた。
その事で二人してそう呼んだのかも知れない。
年賀状のプリントアウトで伺うとリストの整理から始まる。
去年のリストを見て、
「この人は死んだ。これは生きてる、これは?」
奥さんの教え子の方は年々減っていく。
3人でこの作業をしていると、突然顔を見合わせ、
爆笑した。
いったい何をやっているのでしょう?
言葉には出さないが空気がそう言った気がした。
かんてんぱぱの会長さんもリストにある。
お友達かと思ったら、伊沢さんの義理の弟にあたるらしい。
「あの人は自分から動く人で凄く頑張って偉くなった。」
他の方についても色々と説明してくれた。
国立○○病院の院長だった人とか、
○○大学の学長だった人とか、
弁護士だった人とか、
年賀状にも長い人生の歴史が感じられる。
お喋りをしながらなのでなかなか進まないが年末恒例の楽しい時間だった。

伊沢さんは幼い頃身体が弱くて農業が出来ないので大阪に丁稚奉公に出たらしい。
丁稚奉公って吉本新喜劇でしか聞いたことがない。
大阪の商業高校を出た頃に戦争が始まり、
満洲に行き、その後シベリア抑留を経験したらしい。
会うたびにシベリア抑留という言葉は出るが、
その内容は一言も喋らなかった。
尋ねてもボケてしまったかの様にサラッと流された。

別のテニス仲間が伊沢さんの話をしてくれた。
伊沢さんと初めて会った時の話しだ。
年齢の話しになり、
「14年生まれです。」
「14年?僕も14年です。」
伊沢さんがそう答えたのがおかしかったそうだ。
『同じ年に見えたのか?俺は昭和で、伊沢さんは大正や。』
そう思ったが年上の人に言えなかったと笑っていた。
「俺の息子は平成14年です。」
そういう俺に昭和14年の仲間は笑った。
この人で私の父と同世代だ。
この人も大阪の移住者であり俺を息子の様に可愛がってくれた。
この昭和14年の仲間も亡くなった。
伊沢さんは子どもがいないので、私を先生と呼びながら子か孫の様に思ってくれていたのかもしれない。
甥っ子という私と同世代の人と伊沢さんの家で行き会う事があった。
駒ヶ根辺りでコンビニをしているらしい。
「伊沢さん、あの人に年賀状を作って貰えないんですか?」
「あの人は色々と忙しいんですよ、吉田先生。」
伊沢さんが言うので、
「伊沢さん、俺も結構忙しいんですよ。」
そう言うと、得意のボケた様な風に知らん顔をする。
そして一緒に笑う。  
Posted by sawch at 06:50Comments(0)独り言

2022年01月14日

世界一の食品見本市



今朝の様な日は電車で通勤をしなくて良い事のありがたさが身にしみる。

そんな私でもマジメにサラリーマンとして満員電車に身を委ねていた時代があった。

1990年代ドイツのケルンで世界一の食品見本市と言われていたアヌーガに2度出展した事がある。

一つのホールは体育館よりも大きく3階建てで、
そこにはありとあらゆる食品関連の会社のブースがあった。
世界中から出展していて、ほぼお祭りだった。

そんなホールが13もあるので見て歩くのに一日では回れないくらいの規模だった。

ホール13は全てがビール会社のブースだった。
何十ものビアレストランが並んでいて、無料でいくらでもビールが出てくる。
おつまみも無料で、いちいち商談や売り込みをして来る事もない。
ただ飲んで歌って踊ってのビアレストランがずっと続くのだった。

ハム、ソーセージのブースが並ぶホール。
チーズが並ぶホール。
ワインが並ぶホール。
パスタやピザのブース。
コーヒーやドリンクのブース、
日本のブース、中国のブース、
見たことの無い世界の食べ物が沢山あった。
食品機械が並ぶホールは地味そうだが機械を動かして色んなものを作って食べさせてくれる。

入場料を払えば世界の食品が食べ放題飲み放題という事だ。

私は見学者では無くて出展者だった。
5か6日の間、一日中そこにいて、焼肉とからあげの試食をさせて、一応商談をしてその後の訪問、取り引きのチャンスを作ろうとした。

お客は世界中の食品会社だ。アメリカの大手スーパーマーケット、ヨーロッパの誰もが知るコーヒーメーカー、ロンドンの世界一伝統のあるデパート、日本の大手冷凍食品会社。
色んな人がやってくる。
その人たちから名刺をゲットするのが最初の仕事だが、私はかなり得意だった。
宝探しの感覚で、どこのどんな人なのか、と楽しかった。
日本からのお客様はたいていが会社との取り引きがあった。どこの支店のお客様で、誰が担当なのかを聞いて、あとはドイツの楽しみ方や、どのホールが楽しい等の情報を教えて楽しんで貰える様に努めた。
お節介な性格は遺憾無く発揮された。

お祭りムードと日本を演出するためにハッピを着た。
沢山の人に写真を撮られて、ムービースターの気持ちがわかった。
お客様や展示者に「一緒に写真を撮ろう」と言うとみんな喜んで応じてくれた。

下手なドイツ語と下手な英語、そして達者な日本語で世界中の人たちとやり取りが出来た、
お祭りの中にいるムービースターなのだから、
みんなウエルカムだった。
しかもからあげ、焼肉という無敵の武器まで持っている。
出展者であり、見学者だった。
3年に一度の展示会だったが二度参加した。
二度目は慣れたものだ。
日本からの出展者とは同窓会の様に盛り上がった。
多くの人は日本の大きな会社の偉い人で、私よりも年上だったがそんな事はお祭りでは関係ない。
現地に住んでいる強みもあり、観光情報等を沢山教えてあげた。

沢山写真を撮ったが、ほとんどが外国人の女性と撮ったものだ。
載せた写真は恥ずかしいので小さめにした。
写る女性はチリ人とベルギー人だったと思う。
一番仲良くなったのは近くのブースのトルコ人の女の子で、その後イスタンブールの自宅に突撃訪問までした。(ストーカーやん?)  
Posted by sawch at 08:26Comments(0)昔の話

2022年01月13日

大津のドライブイン



滋賀県大津市の国道1号線沿いにドライブインがあった。 
中学生か高校生の頃から深夜のラジオに良く登場した。
全国のトラックドライバーがそのドライブインに関する手紙を送り、それをアナウンサーが読んでくれた。
深夜の俺の部屋と全国のトラックドライバーが少し近くなった。
神戸、大阪、京都、と都市が続くその隣にあるのが大津だ。

仕事を終えてドライブインで食事をして、
シャワーを浴びて、公衆電話から家族に電話をし、仮眠をする。
ふるさとの家族を思って書いた手紙を投函したり、時にはラジオ局に電話をして思いを伝える。

まだ世界が狭かった私にはそんな番組、そんなドライブインにワクワクした。

社会人となって、食品会社の営業マンになった。
担当地域に大津も入っていた。
そのドライブインは得意先ではなかったが、
新規訪問をした。
社長というか、店のおじさんにラジオ番組の思い出を話した。
社長は嬉しそうに、色んな話しをしてくれた。
私の会社が扱う商品とドライブインのメニューとの種類が異なるので、取り引きにはならなかったが、営業というか喋りに行くのは楽しかった。

次の年になった。
ドライブインを改修して、ファストフードの様な、サービスエリアの食券で利用するレストランの様な店にすると社長は言った。
「吉田君ところの商品も買ったるからな、」
言われて嬉しかったが、寂しくもあり、不安を感じた。

オシャレになったドライブインにはトラックは無くて、乗用車も無かった。
ファミレス全盛だったのでそれを目指したが、
勝てなかった。
あっと言う間にドライブインは無くなった。

  
Posted by sawch at 09:42Comments(2)昔の話

2022年01月13日

看護師プラス保育士




初めて会った時は伊那北高校の3年生だった。
大学進学を目指して家庭教師を依頼してくれた。

「受けたい学部とか大学はあるのかな?」

「○○大学で臨床検査技師になりたいんです 」

「凄いね。臨床検査技師ってどんな仕事?」

「病院で、、色々検査とか、、」

彼女はそこまで話して言葉につまった。

お互いに何故か笑ってしまった。

「その位は俺でも知ってるけど、もうちょっと調べてないのかな?」

「病院で働きたくて、臨床検査技師って格好いいかな?」

実はこの会話の始めには彼女の名前が入っている。

「ひでき、感激!」みたいな感じだ。
茶髪で化粧をしている。
それまでに会った伊那北の生徒とは違う雰囲気だ。
部活は中高と吹奏楽で、そこは賢そうだ。

「臨床検査技師って、大切で素晴らしい仕事だと思う。でもそんなに明るいのを生かして看護師になってくれたら入院患者は嬉しいと思うよ。」

「じゃあそれで、、」

「え?そんなに簡単に変えたら駄目だよ。ラーメンを注文してるみたいじゃん。」

「先生が勧めてくれたじゃないですか?」

看護師になるための学部を目指しての勉強が始まった。

6月になったある日。

「○○わぁ、昨日で部活を辞めました。」
○○には自分の名前。

「もう引退したの?」

「途中で辞めたんです。」
「伊那北の女子ってめんどくさい人が多くで、
嫌になっちゃった。」

「マジ?もうちょっと我慢したら引退やろ?」

「辞めるって話たら、友達に泣かれて、、」
「そういう所がめんどくさいんです。」
リーダー格の彼女を取り巻く生徒は多く、
彼女を味方に引き入れようとねちっこく近づいて来てめんどくさいらしい。

赤中の授業参観に参加した日だった。
私の携帯電話が鳴った。
電源を切るのを忘れていた。
呼び出し音は幼い頃の下の息子の声で、
「電話だよー、電話だよー、」
教室に響いてしまった。
慌てて廊下へ行き電話に出るとその彼女だった。
「先生、2時からですよ。来てくれないんですか?」
彼女の声が赤中の廊下で響いてしまった。
「ごめん、忘れてた。直ぐに行く、」
ヒソヒソ声でそう言って、彼女の家に行った。
しばらく勉強をしてふと予定を確認すると、
予定は次の日だった。
「後輩達に○○の声が響いていたわ。」

テレビでチャイルドスペシャリストという資格を持つ女性を紹介していた。
産まれてからずっと病院で暮らさなくてはいけない子供たちのための、看護師と保育士と両方の仕事を合わせた様な役割りをするらしい。
日本では資格は取れなくて、アメリカで勉強をして、取得をしてこども病院で勤務していた。

そんな話しを彼女にすると、
「じゃあ、それで、、」
また、私が方向転換をさせてしまった。

いよいよ、入試本番。
5人程度の枠に60人程が受験したらしい。
「絶対にだめでした。何も話せなかったです。」
受験から戻ってきた彼女はそう言った。
緊張のあまり、あれほど練習した面接が上手く出来なかったのかと思った。
「面接官が吉田先生みたいな人で、話が盛り上がっちゃって、しばらくは笑いながらお喋りをして、それで終わりです。」
「準備した事は何も話せなかったです。」
「それって受かってるやろ。大学の先生は楽しくて仕事を忘れて喋ってしまったんちゃうか?
続きは大学に来てね、やろ?」

彼女はもちろんその大学で学び、東京の子ども病院で働いている。
私には出来ない素晴らしい仕事をして、沢山の子どもや親に沢山の笑顔を届けているだろう。
コロナ禍でどれ程大変だろう。
実家は私の家の近くなので、帰省したらいつでも遊びにおいで、、
立派な看護師で大人の女性になった今も「○○わぁ〜」って話してくれるかな?




  
Posted by sawch at 07:15Comments(0)

2022年01月12日

コロナ禍での塾



田舎の駒ヶ根に引越して来て良かった。

コロナ禍になってそう思う事が増えた。

そうは言ってもそろそろボケボケとしていられない。

自分が感染しない様に気をつける事はもちろん一番大切だ。

吉田塾をどうするのかを考えておかなくてはいけない。

換気をして、入室する時は手の消毒をして貰って、人数を控えめにして、、、

対応策も大事だ。他にできる事を考えよう。

学校が休校になったら?
学級閉鎖になったら?
濃厚接触者に当たる生徒はどうする? 
県外や県内の感染レベルの高い地域へ行った生徒はどうする?
家族が行ったらどうする?

人数を減らしてやる?
お休みにする?

受験前にだよ。

他の色んなところがどういう対応なのかを真似る事はやろう。
保護者と連絡を密にして情報を貰うのと意見を貰おう。

他に考えておくと良い事はなんだろうか?

  
Posted by sawch at 17:39Comments(0)

2022年01月12日

成人式は要らないよ



成人式なんて要らないよ、

こんな事を書いたら炎上するのかな?
怖いな。ビクビクしています。
炎上するほど誰も読まないって?

何のために必要なのか?
行かなかったらどうなのか?

私の長男は行った、次男は行かなかった、
長男の嫁は行かなかった、
三男は、あら?今月末で20歳だよ。
今年が成人式かな?
行くのかな?ってもう終わったのか?
やんちゃで有名な横須賀に住民票があるから
横須賀で行ったのか?
知らないわ。
もう大人だから好きにして下さい。
社会人になったら大人扱いをしています。
コスプレで行ったなら写真でも送れ。

成人式は悪いとは思わないけど、必要だとも思わない。
一生に一度だけど、行かなくても人生は変わらない。
他にも一生に一度のものは色々ある。

成人式で大人の自覚をして欲しい、けどね、
少しずつ大人になれば良いんじゃない?
人それぞれだし、

何よりもコロナ禍じゃん、
その中で無理矢理やらんでもええんちゃう?
そのまま消滅してもええんちゃう?
高い貸し衣装代を払わなくて済む。

金が無い自治体にとっては助かるよ。

成人式に行かなくても自分で大人になろうよ。
ちなみに俺は行った。

厳しいご意見はご容赦ください。
賛成のご意見だけ下さい。(笑)  
Posted by sawch at 10:45Comments(0)

2022年01月11日

文字



私から渡された月謝袋を前にした母と息子との
会話です。

母 あんた、自分の名前くらいもうちょっとキレ     イに書きなさいよ。

息子 俺、そんなに汚くないし。

母 汚いよ。見てみなさい。この文字を。

息子 それか、それは吉田先生が書いたんだ。

母 あんた、なんてことを言うの?
  吉田先生がこんな字を書くはずないじゃん!

息子 は?マジだし。


吉田  はい、マジです。

字が下手な人が決まって言う言葉があります。

字が汚い人は頭が良い!

私の座右の銘です。  
Posted by sawch at 17:21Comments(0)

2022年01月11日

始業式



「始業式の朝は遅刻してしまって学校に着いたら冬休みの宿題を入れる箱がもう無かったんです。だから今日は宿題をやっても良いですか?」

「ごめん、言ってる意味が良くわからん。」

「宿題を提出出来なかったから、そのノートを見たら何もやってなかったんです。」

「何もやってない宿題を提出しようとしたの?」

「そうなんです。だから今日やっても良いですか?」

宿題を全くやっていない。
始業式から遅刻。
やっていない宿題を提出しようとして、
結局提出出来なかった。

めちゃくちゃな奴だ。

でもな〜
こういう奴って良い。
俺は好きだわ。
この話しをしてくれた時、
周りの生徒ほ大爆笑だった。
きっとその生徒に良い影響を与えただろう。

宿題をきちんとやる事は素晴らしいし、
日本人が誇れる真面目さや努力に繋がる。
ただ、宿題が終わらずに苦しんでいる生徒が多い。
「9月1日問題」という言葉をご存知ですか?
夏休み明けの始業式が嫌でいのちを断ってしまう生徒が多いらしい。
いじめを受けている生徒が特に辛いらしい。

この生徒の様な「いいかげんさ」があれば少し辛さが減らないだろうか?
みんなマジメなんだよ。
マジメは素晴らしいけど、疲れるんなら不マジメで良くないかな?

不マジメな生徒が不マジメな大人になるとは限らない。
いのちを断つくらい辛いのなら不マジメになってその場から逃げたら良い。

お父さん、お母さん、時には見て見ぬふりをしてお子さんを不マジメにしてしまうという作戦はどうでしょうか?
子どもの事を思う=全てを細かく管理する。
こう思っている方が多いかも知れないが、
お子さんの事を良く見て、それが常に正解だとは限らないと思って下さい。

怠けるクセがつくのは心配ですね。
不マジメは決してベストの状態ではないです。
しかし時にはベターな状態なのかもしれません。

夏休み明けの始業式を辛く感じる生徒は多いのでしょう。
冬休み明けの始業式は寒いです。
やはり長野県は寒いです。

良く良くお子さんの様子を見て下さい。
話しをしてくれる様に普段から仕向けておくと
何かと助かります。

今日の様な悪天候の中、学校まで歩いて下さい。
ものすごく大変じゃないですか?
そこから一日が始まるのです。

元気で笑顔なお子さんでいてくれたらそれが一番ですよね。

吉田塾に来たら私の極寒大阪弁オヤジギャグで笑わせてあげます。
一応勉強もちゃんとします。
  
Posted by sawch at 09:33Comments(0)

2022年01月10日

同級生との奇跡の再会



昔昔出張でベルリンへ行った時の事です。

私はドイツでの任期を終えようとしていた。
仕事を後任の社員に引き継いでいた。
ベルリンもその一つだった。
ベルリンでの数日間の仕事を終えて、
駅に向かっていた。
引き継ぎが終わると一抹の寂しさを感じた。
ベルリンの壁の崩壊直後に壁に行った事や、
お世話になったお客様の事などをボーッと考えていた。
バスは中央駅に近づくと渋滞であまり動かなくなった。
中央駅から空港へ行くがまだ時間はあるのでゆっくりと進むバスは感傷に浸るには都合が良かった。
同じドイツでも東ドイツと一つになったばかりのベルリンは独特の雰囲気だった。
古い東ドイツの車や、戦争で崩されたまま残る教会が見える。

駅へ向かう人の中に日本人の女性が歩いているのが見えた。
珍しい事でもなく、それも風景の中の一つでしかなかった。

駅に着いたあとコインロッカーに預けた荷物を出していた。
「すいません」
突然日本語で話しかけられた。
バスから見えた日本人の女性だ。
「2マルクに両替をして頂けませんか?」

「いいですよ」

財布から小銭を出した瞬間、
「吉田君?」
そう言われて驚いた。
「高校の同級生の○○です。」
確かに見覚えのある顔だ。
「おー!久しぶり!何してるん?」
彼女は高校の同級生だったがおとなしい生徒で、
親しかった記憶はない。
それでもここで会うなんて奇跡だわ。
「私はダンスをやっていて、ヨーロッパに勉強に来てるの。パリやロンドンに行って、ベルリンでもダンスを見たりしてたの。」
旅行と言えば旅行の様だ。
「で?2マルクは何するん?」
コインロッカーには5マルク、2マルク、1マルクの絵が書いてあった。
それらのどれでも使えますよという意味だった。
彼女はそれらを一枚ずつ全部入れるものだと思ったらしい。
説明して上げて一緒に笑った。
後輩も笑った。
「それにしても偶然やな。」

お茶でも飲めば良かったが彼女は鉄道の時間が迫っていた。
後輩がいなければもうちょっと何かを企んだかな?  
Posted by sawch at 08:20Comments(0)昔の話

2022年01月09日

七久保散歩






飯島町の七久保を散歩しました。
寒いイメージがある所なのですが暖かかったです。

中央アルプスの空木岳から南がキレイです。
南アルプスの仙丈ヶ岳から赤石岳辺りもキレイです。

日陰の遊歩道はガチガチに凍っています。
こんな暖簾の様な氷がありました。

これも仕事のうちです。
多少無理矢理ですが、
身体と心を整えます。

来いや!  
Posted by sawch at 13:07Comments(0)

2022年01月09日

数学を学ぶ意味



中学3年生で平方根というものを学ぶ。

2回掛けて7になる数字は√7である。
7の半分の3.5ではない。

こんなの生活の中で使うか?

高校の数学はもっと訳がわからない。

小学校位の計算が出来たら生活に困らないんじゃないの?

その計算でさえ電卓がある。
いや、その電卓でさえ使わない。
スマホがある。
いや、そのスマホさえ使わない。
計算等しなくても生活に困らない。

こんな話しを中学生達とする事がある。

「ホンマやな、その通りや、じや、辞めたら?」
「いや、受験生なんで、、」
それで話しは終わってしまう。

数学を学ぶ意味ってなんだろう?
計算では使う事が少ないスマホに聞いた。

【問題を解決する方法と能力を身につけること】

そう書いてあった。
それは言えてます。

何か解決しなくてはいけない問題にぶつかった時には過去の経験を活かして解決する方法を見つけてやってみる。
うまく行かなければ原因を考えて修整する。
あるいは他の方法を試す。
それらを丁寧に、正確に、粘り強くやる。

それは数学で養われるものに似ている。

マイナスをつけ忘れただけです。
ただの計算間違いです。

そう言ってケアレスミスを軽視する生徒がいる。
いつまで経ってもケアレスミスは減らない。
結果点数は上がらない。
解決する方法はわかっているが能力が低いのだ。
能力を高めるためには練習が必要だ。
練習の方法に工夫が必要だ。

それらを通して問題解決の能力が養われて、方法を学ぶ。

大人になっても問題解決が下手な人がいる。
問題の存在に気がつかない人も多い。

今からでも数学を学べば良い。
中学生の数学くらいなら私が教えて上げるよ。  
Posted by sawch at 07:55Comments(0)

2022年01月08日

今日のお散歩








ポカポカと暖かい。
駒ヶ根市内には雪は無い。

ちょっとだけ車に乗って隣の宮田村へ。
雪がある遊歩道を川に沿って歩く道だ。
日差しが暖かい。
硬い雪をサクサクと音をさせて歩く。
川の端には小さな氷柱。
川が流れる音は夏と同じ。
時々小鳥の声がする。

こんなに素敵な場所なのに地元らしき人しか歩いていない。
ええわ〜

さあ、夕方からの仕事のエネルギーは入ったぞ。

写真は川沿いの遊歩道から
3枚目は東屋の屋根から苔が垂れている。
最後は太田切川
  
Posted by sawch at 14:31Comments(0)独り言

2022年01月08日

新幹線の車内販売のバイト



昔昔、年末年始で新幹線の車内販売のバイトをした。
日本食堂だったかな、販売員の女の子とお友達になれるかなとの期待もあって応募した。

カートを押すのは社員の女の子、食堂車は社員の男とやはり社員の女の子、バイトはその補助だった。

「東京名物人形焼、静岡名物ワサビ漬けはいかがですか?」

手にお土産を持って長い新幹線を歩いた。
意外と売れるものだった。
真ん中辺りにある食堂車を基地にして、お土産を補充して売り歩いた。

売り歩きながらでも車外の風景を眺める事が出来た。浜名湖を通ると感動した。
私の自宅の部屋から新幹線が見えたので新幹線からも自宅が見えるだろうと思ったが当然わからなかった。

何故か私を見て笑う女客がいた。
二人連れだったが何回か往復する全てで吹き出すように二人で笑われた。ムカつく!

芸能人が乗っていることがあった。
太田裕美さんを見かけた。
他の車両に乗ったヤツは松田聖子さんを見かけたらしい。羨ましかった。

サンドイッチは食堂車で作った。
普通の食パンのミミを落として、
具をはさんで重ねるだけだ。
タバコ臭い社員の男が作っていた。
食堂車のカウンターの裏はガタガタいわないようにガムテープで止めていた。
そこにはゴキブリが貼り付いていた。
『ゴキブリホイホイか』
その上でサンドイッチを作った。

ウイスキーも売れた。
サントリーオールドの一番小さな瓶とプラスチックのカップのセットで売った。

何もかもよく売れた。
何故売れるのか不思議だった。

富士山がキレイに見える日でも伊吹山は雪が降っている事があった。
日本は広いのか狭いのかわからなかった。

夜は寮に泊まった。
東京駅の側だったり、新大阪駅の側だったりした。女の子とは仲良くなれなかった。
タバコ臭い社員はチンピラの様に柄が悪くてバイトを半ば強制的に飲みに誘った。
私は一度も行かなかったが、
外で飲むのではなくて寮の休憩所で飲むので、
女の子も参加していた。
チンピラが仕切っているので行ってもつまらないと思った。
チンピラは次の日もタバコ臭くて酒臭かった。

  
Posted by sawch at 07:27Comments(0)昔の話

2022年01月07日

多分、普通の人な、、同級生

彼に初めて会った人はきっとこう言う。
「あの人は普通の人?」
「そうだと思うよ、多分、、」
そんな同級生がいる。
彼の名前は尾関(仮名)
尾関は高2の時に先生を殴り退学となった。
そして俺たちのヒーローになった。
俺たちはその先生が疎ましかった。
白いポロシャツにベストを着て、
髪を73に分けて、テニスのラケットを手に、
女子生徒と楽しそうに喋っている。
俺たちは離れた所でじっと見ている。
そんなイメージの先生だった。

尾関は暴走族になった。


スパークプラグが花火の様に光るバイクに乗っていた。タイヤはツルツルだった。

夏の小豆島サイクリングに参加した。
俺たちチャリ部とは現地集合で落ち合った。
このイラストの様な姿で、靴は高校時代の体育館シューズのカカトを踏んで使っていた。
違和感しか無かった。
小豆島で二人乗りをしてツーリングをしたが、センターラインで滑って転び、後ろの柔道部員が受け身で飛んでいったのをもう一台のバイクの後席から見た。

19才の時には大型トラックの運転手をしていた。
大型免許って19歳で取れたのか?
雪の名神高速道路でスリップをして、
トラックは側壁にぶつかり、尾関はフロントガラスを突き破って、さらに高速道路からも飛び出した。雪が積もる河原に落ちた。
大雪の中、遅れがちな電車で彦根の病院へ行った。
尾関はICUで眠っていた。
このまま亡くなってしまうかも知れないし、
寝たきりかも知れない。
きっと元の生活には戻れないだろうと聞いた。

しかし尾関は予想外に元気に復活してしまった。
さらにパワーアップした。
スキーをガンガンしても平気だった。
不動産屋を始めた。

尾関の依頼でバイトに行った。
役所での住民票の閲覧だった。
手続きをきちんとした、違法性の無いものだった。
しかし今思うと地上げに使うための資産家のリストを作るためのものだった様にも思う。

「お客の接待で飲みに行って50万使った。」
学生の私には異次元の話しをしていた。

彼は今でも大阪で不動産業をしている。
50人以上の人を使っているとの事で、
普通の人なんだろうと思う、多分、、、
  
Posted by sawch at 08:42Comments(0)昔の話